三二話 目覚め
それからカナリアはほぼ丸一日眠り続けた。しかし、少しずつフランの内に湧き始めた不安とは裏腹に、翌日の朝には普通に目を覚ました。特に体調が悪かったりもしないようで、フランの読み通りただの過労だったらしい。
二人に迷惑をかけてしまったと思っているのか、目が覚めた直後のカナリアは気後れしたような表情で押し黙っていたが、ジルが喜びの声と共に話しかけると安心したように口を開いた。
「ご迷惑をおかけしました。自分では体力があるつもりだったんですが、倒れてしまうなんて」
「少なくとも三日は昼夜動きまわっていたのだから仕方ない。それよりジルが心配している。俺への礼よりそっちが先だろう」
「……そうですね。三日……」
そう言ってカナリアは口ごもった。フランはそこに疑問を持ちすぐに気づく。もう三日経っている。当初の約束通りならばもう二人を追い出す日だ。カナリアが倒れたことで忘れていたが、そういう約束を最初に会った日にしていた。
しかし、とフランは考える。二人は国に戻れないと言っていた。フランの見立てが正しいならば二人はヌルハにもミギルサにも行くと騒ぎになる。とすると巨人の腰掛を出ていくことになるが、船が無ければ海を渡るのは厳しい。強奪するくらいならばジルには訳ないだろうが、カナリアが良しとするかは怪しいところ。となると二人に行く当てはない。要するにフランはこう考えたのだ。二人にとってここは多少なりとも居心地がいい場所なのではないか、と。人は来ないが食べ物には困らない。清潔な泉もある。娯楽こそないが、生きるには問題がない。
そして、二人はここにいるのが嫌ではないのではないのではないかと、フランはそう感じていた。いや、それはフランの願望なのかもしれない。久しぶりに人と話して、やはりそれらは悪くないことだと思った。そして、二人に対して勝手に友情の様なものを感じている。フランは二人にここにいて欲しいと感じているのだ。だから二人もそうであることを期待しているのかもしれなかった。だが、フランの願望が混じっていると考えても尚、フランには二人がここを嫌っているようには思えなかった。
フランが考えている間に、カナリアはジルと何やら話していた。ズムグスタ語のため内容は分からない。
「あの、フランさん……その、ですね」
聞きたくなかった。フランは聞くのが怖かった。残ってみないかと聞いてみても、否定されるかもしれない。いや、命の恩人に対してだ。二人は表面上はこちらに賛同してくれるかもしれない。しかし、本心は出ていきたいと願っているのだとしたら、フランにはどうすることもできない。二人がそれをしたいならそれをするべきだとわかっている。だから聞くのが怖い。
カナリアは続きを言い淀んだ。何も言わずに、フランとは違う方向をみている。
無言。
フランは、からからの喉をなんとか動かす。怯え、竦み、何もしないなどというのは、戦士らしくない行いだからだ。
「ここには、赤い野者がいる」
「へ? え? はい」
「他のところでは見たことがない。八本足で、角が生えている」
「あー、はい。××××」
カナリアは何と反応していいかわからないようで、小声で何かつぶやいた。
フランは勇気を振り絞り、しかしそうとは思われないように堂々と胸を張って、続きを口にした。
「食べてみたい。料理してくれないか」
「はい。いいですが……」
カナリアは不思議そうな顔をした。何か重要な話をされるのかと身構えていたら、ただの頼み事だったからだ。
そして、その表情はフランの次の言葉で一変する。
「ただ、いつ見つかるかはわからない。急ぎの用事がないなら、頼みたい」
フランはそっぽを向いて聞いた。カナリアと目を合わせるのが怖かった。ジルの表情を伺うのが怖かった。自分の顔を見られるのが怖かった。
カナリアがジルと何かを話している。その会話の内容が気になるが、やはりズムグスタ語なので内容は分からない。
カナリアとジルは手の震えを抑えるフランの正面に立つと、晴れやかな表情で頭を下げた。
「是非、お願いします。腕によりをかけます」
「色付き、希少。初耳」
フランの目には二人が純粋に喜んでいるように見えた。嫌がっているようには欠片も見えなかった。
「そうか」
フランはそれだけ呟くと、二人のそっぽを向いて静かにゆっくりと息を吐いた。
とても、嬉しかった。
そんなフランに背後からジルが声をかけた。
「フラン」
「なんだ」
「朗報。伝える。カナリア、場所。不明?」
フランは一瞬ジルが寝ぼけているのだと思った。何を言っているのかがよくわからなかったからだ。カナリアの場所が分からないと言っているように聞こえるが、カナリアはジルの横に立っている。
「そこにいるだろ」
「……?」
ジルは不思議そうな顔をしてフランの指さした方向を見て、首をひねっている。やはり上手く言葉が伝わっていないらしかった。
フランはそこでぎょっとした。カナリアの顔が真っ青になっている。それだけではなく、何かに怯えるかのように手を震わせ、唇をわななかせ、視線を地面から少しも動かさない。
ジルはカナリアに何やら話しかける。
「××××?」
カナリアは肩をゆすられ、ぎこちない表情でジルに微笑んだ。
「××××」
「××××」
「××××」
「××××」
ジルが低い声で何かをつぶやいた次の瞬間、カナリアは首を掴まれ壁に叩きつけられていた。
フランは呆気にとられた。何が起こったのかわからなかった。あれほどカナリアを大切にしていたジルが、カナリアに暴力を振るっている。まるで敵を目の前にしているかのような殺気を放つジルが、カナリアを今にも殺さんばかりに睨みつけている。
カナリアが苦しそうに呻いた。その声を聞き、フランははっと我に返る。
フランはジルの腕を掴むと、ぎりぎりと締め付けてカナリアの首から離させた。ジルも全力で抵抗してきたが、流石に強さに差がありすぎたため、その手を引きはがされる。
「……家が壊れる」
「××××」
「ヌルハ語しゃべれ。何言っているかわからん」
「××××」
ジルは滔々と何かを語る。怒鳴りつけるでもなく、淡々と言葉で圧し潰そうとでもしているのかのように、フランとカナリアに向けて何かを訴えかけている。
「××××。××××。××××――」
フランがカナリアを見ると、顔を伏せ、耳を覆いそうになりそうな手を必死に抑えていた。ジルの言葉を聞きたくないのに、聞かなければいけないから聞いている。フランの眼にはそう写った。
ジルはふっと言葉を切ると、踵を返して家を出て行った。
「待て、ジル」
フランの制止も聞かず、ジルはメンセンの群れの中に消えてゆく。その足取りは半ば意識がないかのようにふらふらとしており、その行き先に目的はないように見える。
ただ立ち尽くすフランの耳に、カナリアがせき込む声だけが響く。
フランはそれが壊れていくのを感じた。




