三一話 大きいの
「カナリア!」
ジルが支え顔を覗き込むが、カナリアはぐったりとしたまま反応しない。呼吸は正常だが顔色は悪く、眼を閉じたまま開かない。どうやら意識を失っているようだった。
フランも慌てるが、すぐにその原因に気付いた。過労だ。カナリアは昨晩もその前の晩も逆干渉をしていて、おそらくまともに寝ていないはずだ。そのうえ昼間も動きっぱなしで、それは恐らく一昨日からずっと。三日間昼夜動き続けて倒れない人間などいない。
幸いなことに、熱が出たりしているわけではなさそうだった。咳もしていない。ただ寝ているだけだろう。フランはそう判断した。
「フラン、カナリア!」
「おちつけ。取りあえず休ませよう」
食って掛かるジルを家に誘導し、寝台にカナリアを寝かせる。フランは逆干渉を使えない。医療に関した知識もない。それ以上フランにできることはなかった。
ジルも過労という説明に納得したのかそれ以上わめくことはなかった、しかし、ずっとカナリアの手を握り、心配そうに顔を覗き込んでいる。フランが促しても片時も離れる気はなさそうだった。少しでも気を逸らした途端にカナリアが消えてしまうとでも思っているかのように、瞬きすら惜しんでカナリアの手を握っている。
フランは諦めて長椅子に寝転がった。考えてみれば強制する理由はない。ジルは立派な戦士であり、一人前の男だ。ジルがそうすると決めたなら勝手にやらせればいいのだ。
隙間から日が差し明暗の激しく分かれる室内に、ジルが何かを呟く声だけが響く。低く、小さく、抑揚がないため、何を言っているのかはフランには聞き取れない。呪いかなにかだろうか。頭の片隅でフランは考えるが、すぐに思考を放棄した。そうしたものも色々試したことはあるが、実際に役に立ったものはなかった。声での広域干渉はフランでもできるが、それがなんになるのか。どうせ意味はない。気休めだ。フランはそう断じた。
祈り。そんな単語がフランの脳裏に浮かんだ。
暫くして、フランが口を開いた。
「頭を冷やしてやるか?」
ジルは握った手に額を当てたまま頷いた。フランは古布の中で最も清潔なものに水を含ませ、カナリアの額に乗せてやる。顔色を見る限り、熱が出たりはしていない。やはり寝かせていれば問題は無いだろうとフランは頷いた。
「××××、感謝」
ジルは短くそう言うと押し黙った。それからは先ほどの呪いのような言葉は聞えなくなった。
フランは少しだけ二人のことが気になった。それは単に興味というには少し感傷的で、もう少し心の奥が疼くような感情によるものだ。
カナリアの寝息が響く中、フランはジルに向かって質問を投げた。
「ジルは、兄弟はいるか?」
もしカナリアが起きていたらぎょっとしただろう。それは所謂世間話のようなものだが、今までフランは事務的な話以外をほとんど振ってこなかったのだから。フラン自身にも動揺はあったが、それを心の裡に押し隠し、なんでもないことのように振舞っている。こんな瑣事でうろたえるのは戦士らしくないからだ。
ジルは硬い表情をやや緩めると、ヌルハ語で答えた。
「三人。自分長兄。妹二人」
「そうか」
会話が途切れ、再びの無言。フランは言い訳をするように無理矢理会話を続けた。
「いや、俺には弟がいる。生意気な割にはひ弱で、夜同じ部屋で寝てくれと頼まれたことがよくあった。なんとなくそれを思い出してな」
「理解。弟、羨望」
「弟は面倒だぞ。何かと引っ付いてくるし、張り合ってくるし、生意気だ」
「妹、厄介。躾、困難。女」
「そうか、女兄弟は面倒か。俺には姉もいるんだが、やっぱり頭はあがらない。男みたいに殴り合いのけんかもできるわけじゃないしな」
「同意。女、狡い」
二人は会話を見合わせてくっと笑った。ジルの眉間のしわが消えた。
「フラン、歳?」
「二二だ。ジルは、十九か?」
「肯定。フラン様、呼ぶ」
「様はやめてくれ。呼び捨てでいい」
「フランさん」
「さんもやめてくれ。お互いに戦士だろ。こそばゆい。歳なんて気にするな」
「了解」
ジルは神妙な顔をして頷いた。思えばタロトも三つ下だった。タロトがユウ隊に入って以降ほとんど会話はなく、顔も合わせることはなかったが、元気にやっているのだろうか。フランは少しだけ気になったが、すぐに頭を振ってその思考を払った。
フランは何か会話を続けてみようと思ったが、話題に迷い躊躇った。下手な質問をすると聞き返されてしまったとき、答えられない質問の可能性があるからだ。
「……そう言えば、さっきの踊りの曲、なんて名前なんだ?」
「××××。巨人の歌」
「巨人か。始まりの巨人なのか?」
「始まりの巨人。××××。創世。その終わり。二三六曲。叙事詩」
「二三六曲?」
「全部で夜が明ける。三回。歌う、大変」
「それ、大変とか言う尺度じゃないだろう」
「続けて歌う。尊敬」
「続けて? 連続して歌い続けるのか? 二三六曲を?」
「奏者、五〇人、交代。歌、一人。歌う前、肥満。歌った後、肋見える」
ジルは身振り手振りで示しながら話すが、冗談のような話だった。三日も歌い続けるなど屈強な戦士であってもできることではない。それこそお伽話の中でしか聞かない。冗談めかしているようにも見えるが、本気で言っているようにも聞こえる。
そっとカナリアの頬にかかった髪を払うジル。
「カナリア、歌。好き」
フランは頷いた。見ていればわかることだった。
「二人は仲が良いな」
言ってから馬鹿な感想だと気付いた。フランは二人に会ってからまだ二日しか経っていないが、二人の間柄が仲が良いという表現では足りないものだということは感じ取れている。返答は予想通りのものだった。
「恋人」
「そうか」
それは真実なのだろう。しかし、フランの脳裏に少しだけ何とも言えない引っ掛かりがあった。単語一つなので言語の問題ではないだろう。ジルが嘘を吐いているわけもない。だが、何故かフランはその言葉に違和感を感じた。
「大切。この世で最も。××××。一番」
「だろうな」
「カナリア死ぬ。自分も死ぬ。そう。決定」
「……そうか」
それは非合理的な話だった。二人のどちらかが死んだらもう片方も死ぬなどという誓いは、単純に考えると死ぬ確率が倍になるだけだ。無意味だ。残された方の自己満足でしかない。自殺は大罪であり魂は虚無へと溶けてしまう。しかし、そうした心構えはフランにとって好ましいものに感じた。絶対に相手を守り抜くという、戦士としての高みを目指すという、強い意志を感じるのだ。
フランはカナリアの様子を窺ったが、まだまだ目覚めそうにない。
寝転がったまま何かすることは無いだろうかと考えたフランは、あることを思い出した。
「少し出る」
「了解」
短く言葉を交わし、フランは外に出た。
体力を回復させるのには休ませるのが一番だが、それだけが手段ではない。二番目に有効な手段としてサンジュがある。存在強度自体を高めてしまえば根本的な体力が上がり、回復の速度も上がると考えられているのだ。メンセンを食べさせるのは難しいかもしれないが、他にもかなりの強さを得ることができる野者が一匹いる。あまり好戦的でないため放っておいたが、フランとしては必要ならば殺すのはわけない。
フランは高く跳び、周囲を見回す。それは巨大な強者ゆえに隠れることはせず、遠くからでもすぐに見つかるはずで、案の定、簡単に見つけることができた。
メンセンの群生地にある空き地の中央に、白く細長い野者がとぐろを巻いて眠っている。時折メンセンが触手を伸ばして体を齧ろうとしているが、一切気にすることなく眠っている。警戒などない。自分か最強だと信じているのだろう。強さはどの程度かわからないが、メンセンよりも丸いのよりもはるかに高いことは間違いない。フランはそれを大きいのと呼んでいた。
大きいのはフランに気付くと白いつやつやした皮膚を波打たせ警戒態勢に入った。どうやらフランを敵だと認識したようだった。
フランはそれに対して心の中で謝った。
一歩で接敵し、手刀を繰り出す。大きいのが危機に気付いて躱そうとしてももう遅かった。逃げるならばフランが近づいてきた時点で逃げるべきだった。大きいのの胴はフランの手刀によって輪切りにされ、紫色の血が周囲に飛び散った。
暴れる喉を切り裂き、動きを止め、胴を引き裂いて血腑を抉りだす。周囲のメンセンが騒ぎ出すが、死体を綺麗にしてくれるので丁度良い、とフランは放置することにした。
血腑はまだ脈打っている。サンジュの元としては最上級だろう。速く食べさせないと強さが逃げる。フランは顔を拭くこともなくすぐに家に戻った。
フランは入り口の扉を開け、少し頭を屈めて潜る。
その瞬間、フランの眼の前に剣が突き出された。
「××××!」
フランは混乱しつつもそれを指で挟んで止めた。幸いなことに鞘に収まったままなため、それは比較的容易く受け止めることができた。
「落ち着け、俺だ。フランだ」
剣を握るジルをなだめようとするがどうにも様子がおかしい。フランの方を睨んだまま剣を構えている。
「××××!」
「ジル、俺がわからないか?」
ジルはフランに蹴りを入れ剣から手を離させると、下がるフランを追うようにして家から飛び出した。そして、剣を鞘からすらりと抜いたところで動きを止めた。
少しの間。ジルの荒い呼吸が段々と整っていく。
「……フラン?」
「そうだ」
ジルはフランが頷くのを確認すると、慌てて剣を鞘に納めた。そして、まるで悪戯を見つかった子供のようにその剣をそっと自分の背中に隠す。
「手、血」
「血腑だ。不味いだろが強さは多い。カナリアに少しでも飲ませてやれ」
「……! 感謝!」
いそいそとフランから血腑を受け取り、家の中にもっていくジル。殺し合いが始まりそうな気配などなかったかのように、一転して足取りは軽い。
フランは困惑するがどうしていいのかわからなかった。問いただそうにもこの片言では余計に混乱するだけだという予感がある。せめてもう少し流暢に話すことかできればいいのだが、通訳を頼もうにもカナリアは寝たままだ。
「なんなんだ」
フランは頭を振り、家の中に入る。
そこで、フランは自分が血まみれであることを思い出した。おまけに服の袖には野者の肉片がこびりつき、あちこちから酷い匂いが漂っている。
これではジルが慌てるのも仕方がない。フランは苦笑しながら泉の方へ向かった。




