三話 多対多対人訓練
その後、フランはアーナとおしゃべりをしながら食事を行い、日が昇り始める前にこっそりと城にアーナを届けた。城の敷地は戦士鍛練場の裏手にあるため、距離はそう離れていない。アーナが抜け出してくることは日常茶飯事なので、城の裏門の門番とフランはすっかり顔見知りになってしまった。
「また抜け出してたんですか。私の首がそろそろ飛びそうなのですが」
「もしもの時は庇って上げるわ。まあ、護衛が六人もいるんだから大丈夫でしょうけど」
護衛が存在したこと自体には驚きはなかったが、それを察知できなかったことに落ち込むフラン。アーナがそのことを知っていたにせよ、途中で察知したにせよ、フランが察知できなかったことに変わりはない。
「他人事じゃないんですから」
呆れ顔の門番に礼をして、フランは戦士鍛錬場に戻った。
戻ると、もう稽古が始まる時間だった。フラン達入隊試験を控えた最上級生への授業はかなり軽いものだ。なにせ稽古が午前しかない。更に望めば自主的な休息をとることも許可されている。実際、先日の対人訓練は、半数程度の最上級生しか受けていなかった。
グレグが欠伸をかみ殺しながらフランに手を振る。
「おはよ、フラン。今日は多対多の対人訓練だって」
「おはよう。今日も組むか?」
「そうしよ。サフィとプルトも誘お」
「場所は?」
「暗練の場」
グレグは素早く他の二人を呼び、戦士鍛練場の敷地内にあるナガクスの群生地へと向かった。
大陸中のあちこちに群生地を作っているナガクスは、ほとんど捕食をせず、捕食される際にも抵抗をしない少し変わった野者だ。ただその胴を揺らして立っているだけの、無害な野者。多数の薄い感覚器で空気の振動を感じ取っているらしいが、それで感じ取ったところで何かするでもないのをフランはいつも不思議に思っている。群生地では視界を遮られるため、稽古には遮蔽物としてよく利用されていた。
フランたちが群生地に到着するとほどなくして稽古が始まる。
「本日は多対多対人訓練を行う。普段通りに四人で組を作れ。最上級生は参加しなくてもいい。怪我をすることだけは避けろ」
教官はそう言って、やる気満々のフランたちを見ると、呆れたように鼻を鳴らした。
「お前たちは参加するのか」
「はい」
「怪我はしないという自信か? まあいい。好きにしろ。他に最上級生は?」
即座に手を挙げる少年が四人ほど。その全員が闘志で目を燃やしている。遅れて数名手を挙げたが、教官は最初に手を挙げた四人を指名し、最初に訓練を行う八人が決定した。
フラン達四人は軽く方針を決めると先に暗煉の場へと入っていく。対する四人も教官に指名される前からそのつもりだったのか、また別の方向から暗煉の場へと踏み入っていった。
四人はナガクスの群生地で開始の合図を待つ。
サフィは鼻を鳴らす。サフィの嗅覚は最上級生の中でも一、二を争う性能を持っている。
「相手もう移動してる。近づいてる」
「開始の合図もないのに、気が早いねー」
「方向は?」
プルトが問いかえした。ただし、小声でだ。相手に非常に聴覚の優れた戦士見習いがいることは把握している。
「多分あっち。風上」
「相手も運が悪いな」
フランが口角を上げた。
プルトは少しだけ迷う素振りを見せるが、すぐに決断する。四人の中での参謀を務めているだけあり、決断は早い。
「まあ変えなくていいだろう。相手の数を削るまでフランは相手をひきつけてくれ。グレグは一応援護する意識を持ちながら相手の砲手を落とす。怪我だけはくれぐれもしないように」
ほかの三人は頷き、各自の持ち場に散っていった。
プルトとサフィは敵がいる方向と直角に、グレグは敵とは反対の方向に、フランは敵の正面に。
四人の作戦は簡単だ。全体的に能力の高い四人は下手な小細工をしない。フランが相手をひきつけ、他の三人が数を減らす。最後に全員で残った相手を叩く。それだけだ。フランの負担は非常に大きくなるが、誰もフランの心配はしない。純粋な近接戦において、最上級生最強はフランだ。二番手であるプルトさえもそれを認めている。存在強度が低くとも、広域干渉ができなくとも、五観すべてが平凡でも、敵を打ち倒すのがフランだ。
どん、と空気が震えた。教官による広域干渉。戦闘許可の合図。
ナガクスがざわついた。フランはまだ動かない。
どん、と再び空気が震えた。これはグレグによる広域干渉。聞きなれたそれをフランは簡単に聞き分けることができた。戦闘開始の合図。
クサを踏みつぶし、ナガクスの間を走り抜ける足音が聞こえる。数は二。フランに驚いたツバサモチがばさばさと飛びさる。
フランは猛然と走り、正面の二人への前に姿を現し、すぐさま手刀を振るった。
不意を突く奇襲に、一人の少年はナガクスに叩きつけられる。しかし、浅い。存在強度も高いのか、まだ戦闘は可能なようだ。もう片方の少年はかばうように間に立ち、相方が体勢を整える時間を稼ぐ気のようだ。
フランの戦闘のやり方は、人より少し優れた干渉力を人並な速度で無理矢理ねじ込むというもの。相手の防御を吹き飛ばすほどの干渉力はないが、相手を翻弄するには速度が足りない。そのため、相手の攻撃をぎりぎりを見切って攻撃の隙間に差し込むしかない。勿論、存在強度は並以下なため、相手の攻撃を食らえば退場。非常に危なっかしいやり方。だが、それがフランにとって唯一の勝ち方だった。
一人で二人を相手する場合、フランに余裕は一切ない。一人の攻撃の隙をもう一人に潰されたら何もできないからだ。連携をどう切り崩すか。それに精神を集中させる。
フランは再び攻める。反撃を誘って大振りをするが、守りを固める相手は乗らず、攻め切ることもできない。
どん、どん、と連続して空気が響いた。どうやら砲手が互いの位置を把握し、広域干渉を打ちあっているようだ。ナガクスの群生地では視界が悪いため、砲手の決着には時間がかかる。互いに援護は期待できなかった。
体勢を整えた相手は、攻勢に移る。流れるような連携でフランを追い詰めていく。
肩を打つ、背を打つ、腿を打つ。しかし、捉えきれない。フランは倒れない。その瞳の金色を爛爛と輝かせ、二人がかりの攻撃を凌いでゆく。まるで二人の攻撃がどこに来るか分かっているかのように、いなし、ずらし、受けきる。
数合、十数号と打っても倒しきれず、焦れた片方が動く。フランの片腕を掴み、鳩尾に膝蹴りを放ったのだ。それをフランは待っていた。自分を行動不能にしようとする攻撃を。フランは攻撃に集中するあまりがら空きになった喉に手刀を叩きこみ、相手の意識を刈り取った。
相方を失った相手の少年は狼狽する。一対一だ。別に不利になったわけではない。そう理解はしていても、二対一の状態から戦力を削られたという衝撃は大きい。その躊躇が少年の意識を一時撤退へと傾ける。
フランとしては逃げられるのは好ましくなかった。速度はほぼ同じ。延々と続く追いかけっこは好きではない。
「逃げるのか?」
「さあ、どう思う?」
なんとも単純な挑発だった。わかりやすい挑発だった。フランの愚直さに、相手はかえって冷静になった。
フランもすぐに自分の失敗を悟った。口下手なのは自覚しているが、相手の精神を乱すどころか落ち着かせてしまうとは、なんと間抜けなのだろうか。表情には出さずに臍を噛んだ。
と、フランは背中に軽い干渉を感じた。同時に、その意味を悟り、さりげなく体をずらす。
「逃げるなら行け。追いつける気はしない」
その心底どうでも良さそうな態度に、相手は多少矜持を傷付けられたようだった。フランとしては逃げられてもよく、挑発したつもりはないのだが、どうにもうまくいかない。その機微を測るのが苦手だった。
相手は逡巡するが、結局状況の立て直しを図るようだ。フランを警戒しながら、じりじりと後ずさる。
どん、と轟音が響き、相手の少年が傾いだ。フランを警戒する少年は、フランに集中するあまりグレグがこちらを観察していることに気付かなかったようだ
相手の少年は白目を剥いている。どうやら頭部に直撃したようだ。その威力はほぼフランの直干渉と等しく、また一撃で急所を打ち抜く精度は異常。なんとも出鱈目だ。フランはその才能に少しばかり嫉妬した。
「当たり!」
ナガクスをかき分け、グレグがフランの元に走ってきた。
ほぼ同時に教官から合図が来る。相手班全滅のため、稽古は終了らしい。
「お疲れ」
「ああ」
フランは肩をぐるりと回すと、気合いを抜くようにゆるゆると息を吐いた。