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二九話 料理

 フランが朝目を覚ますと、まず二人の姿が目に入った。長椅子で眠る男と、椅子に座ったまま寝ている女。続いて壁の隙間から入る光に目を眇め、朝が来ていることに気付き目を見開いた。

 フランは自分が朝が来ても尚熟睡していたことに驚きつつ、音を立てないように身を起こした。これほど熟睡したのは久しぶりだった。思わず手で顔を拭う。妙な汗をかいたりもしていない。穏やかな眠りだったらしい。

 ほぼ同時に女も起きたようで、眼をこすりながら立ち上がるとフランに一礼した。

「おはようございます」

 咄嗟に声が出なかった。おはよう。そう返すべきなのかどうか悩んだ。変に対応して歓迎していると思われていつかれても困る。しかし、何も悪いことをしていない女に対して必要以上に不愛想な態度を取るのも抵抗があった。

 結局、時期を逸し、フランは挨拶をせずに無言で外へ出た。そして、やや家に大分近づいてきていたメンセンを言葉通り蹴散らす。いつも通りならここからまた眠りにつくのだが、熟睡できたせいかあまり眠気が湧かない。フランは共食いをするメンセンをぼんやりと眺めた。

 砂を踏む音がして振り返ると、家の入口に女が立っていた。

「あの、水を」

 フランは水場のある方向に向かって広域干渉を放った。メンセンが吹き飛んで小道ができる。続けて二発、三発と放ち、水場まで視界が開けた。

 小さな歓声。振り返ったフランと目が合うと、女は慌てて半開きの口を閉じた。

「長居はするな。激しく水音をたてるとすぐに丸いのが寄ってくる」

「ありがとうございます」

 水筒を持って小走りに女は走って行った。

 フランはついて行こうかとも思ったが、そう大きな危険はないと判断したため実行することはなかった。ここにいるのはメンセンと丸いのと大きいのの三種類。メンセンは散らせば寄ってくるまで時間がかかるし、大きいのは好戦的ではない。丸いのは昼間は寝ている。注意していれば捕まることはないと判断した。

 家に入ると男に目をやった。寝息は正常。出血は収まり、顔色もいい。存在強度がすぐれているのか、逆干渉が優れているのか。恐らく両方だろう。いつ頃まで逆干渉を遣っていたのかはわからないが、この傷の具合だと、下手すると朝方までやっていたのではないか。フランは呆れ、心に湧いてきた嫉妬の様なものを無意識に押し込めた。

 眺めていたのは数瞬だろう。しかし、その視線を察知したのか、男は目覚めてしまった。

「カナリア。カナリア××××……?」

「水を汲みに行っている。すぐに戻るだろう」

「××××、××××」

 フランの言葉を理解したのかしていないのか、男は長椅子から転げ落ち、なんとか立ち上がろうとした。しかし、立てない。怪我が治ったとしても、すぐに体力が回復するわけではないので当然だ。出血が酷かったのである程度の強さも抜けてしまっている筈だ。そうなると慣れるまでは動きに支障がでることもある。

 フランは手を貸そうと思ったが、足が動かなかった。手を差し出したらその瞬間に指を食いちぎられそうな気がした。

 男は出口へと這う。鬼気迫る表情で、うわ言のように名前を呼びながら必死に地面をかく。傷口が開き、再び血が流れ始めても男は止まらない。まるで執念が人として形を取ったかのような様相に、フランは口内に溜まっていた唾液を飲み込んだ。止めるべきなのだろうかと、フランが迷ってしまうほどに、男は強烈な意思を発していた。

「××××」

 うわごとのように何かを呟いている。フランにはその意味が分からない。ズムグスタ語はわからない。

 フランが這いずる男をじっと眺めていると、女が戻ってきた。

「ジル! ××××! カナリア××××」

 女は水筒を放り投げ、男に駆け寄ると助け起こした。そして、そのまま何かを言いながら長椅子に寝かす。その様子はまるで子供を寝かしつけているようで、男も女がなすがままになっている。

 そして少し落ち着くと、女はフランの方を示しつつ何やら話している。事情を伝えているのだろうが、その反応にフランは緊張する。悪いことはしていないはずだが、男がどのような反応をするのか想像ができなかった。何を言われているのか分からないのが、それに拍車をかける。

 しかし、そんなフランの不安を余所に、男は説明を全部聞くといくらか安堵したようで、右手を額に当てて叩頭する。

「感謝。フラン、優れた、恩人。カナリア、助かった。感謝」

 片言でも十分過ぎるほどに意味は伝わる。フランは了承を込めて頷いた。

 男は再び目を閉じた。安心すると同時に負傷を思い出したのだろう。体力の安心に努めるようだった。

「改めてお礼をさせていただきます。私もジルもあなたのおかげで生きています。本当にありがとうございます」

「別に、いい」

 カナリアと呼ばれた女は、ジルと呼んだ男の手を握ったまま言った。

 フランは顔を背けた。やはり、どんな顔をしていいのかわからなかった。

「あの、ところで、フランさんは普段何を食べていらっしゃるのでしょうか。できれば、ジルの存在強度を回復させてあげたいのです」

 非常に言いづらそうにカナリアは言った。物怖じせずに要求してくるときと、こうして申し訳なさそうに願い出てくるときの違いがフランにはよくわからなかった。どちらも大した労力が必要なわけではなく、どちらも二人にとって重要そうな物事に感じる。どうにも調子が狂うフランだった。

 フランは家を出ると、手近なメンセンの触手を一本もぎ取った。もぎ取られたメンセンは隣にいるメンセンと共食いを始めるが、フランはそれを一切気にすることなく再び家に入る。

「これだ」

「え、これ、ですか?」

 フランは目の前で齧って見せる。三年間ほぼ毎日食べてきた味だ。不味くはあるが、サンジュとはそういうものだと割り切っている。

 カナリアは恐る恐る差し出されたそれを手に取り、齧った。だが、表皮は存在強度が高すぎて歯が立たなかった。何とか食べられる部位を探して噛んでみるが、どこも大して変わらない。断面の中心をガリガリと前歯で削り、なんとかこそぎ落とすのが精いっぱいだった。

 しかし、なんとか食べることができるのかと肉を噛み締めた瞬間、猛烈な苦みと痛みが口中に広がり、カナリアは吐き出しそうになった。顔を青くさせながら吐き出すことだけは我慢するも、鼻の奥には血と糞尿を煮詰めて何倍も濃くしたような臭いが上り、痛みと苦みと臭みで舌が痙攣し、視界が明滅する。食感は最初こそ生肉だが、一度噛むとほろりと崩れ、後は砂のような硬質な感触が歯を削る。率直に言って、人間の食べるものではなかった。

 カナリアはせっかく汲んできた水を一息に飲み乾し、何とか息を吐く。喉奥まですぐに諸々がこみ上げてきたが、なんとか醜態をさらすことだけは我慢した。

「こ、これですか?」

「強さが得られる」

「……なるほど。ですが、すみません。調理などはなさらないのでしょうか?」

「ヌルハでは食物の調理は推奨されない。強さが逃げるからだ」

「あ、ああ。そう言えばそうでしたか。え? 火をとおしたりもしないんですか?」

「保存食を作る場合は煙で燻すが、直接火を通すことはほぼない」

「味付けは?」

「……しない」

 基本的には。フランは姉や叔母の事を思い出し、心の中でそう付け加えた。少しだけ懐かしい気分になった。

 カナリアは真剣な顔をして考え込んだ。フランが嘘をついているとは思っていないが、だからと言ってこれを食べるのは大変辛い。極限状態であれば違うのかもしれないが、なまじ状況が落ち着いてしまっただげに、そこまで腹を括るには気力が足りなかった。

「フランさん! 少々お力をお借りしたいのですが!」

「ああ」

「美味しいごはんを作りたいのです! 本当に厚かましいことは承知しております! ですが、私にできることは大してありません。恩返しとしてフランさんに美味しいごはんを召し上がってほしいのです。フランさんへの恩返しのためにフランさんのお力を借りることは本末転倒と言いますか、愚かなやり方であることは重々承知しておりますが、それでも美味しいごはんをつくりたいのです。そして、フランさんに召し上がっていただきたいのです」

「わ、わかった」

 唾を飛ばしそうな勢いでまくし立てるカナリアの勢いに押され、フランは反射的に頷いてしまった。

 カナリアはやる気に満ちた表情で握りこぶしを作った。

「とりあえずメンセンはあまり美味とは言えませんので、別の野者を捕まえましょう。と言っても実際に捕まえるのはフランさんなんですが」

「いい。美味い食事が食えるんだろう」

「はい! 腕によりをかけます!」

 嬉しそうなカナリアと共に、フランは泉へ向かうことになった。

「私、泉に入るので、襲われたら捕まえてください。できるだけ原型を保った状態で」

「わかった」

 カナリアは腰の皮袋の口を緩めると、褶の裾をまくり上げ、ざぶざぶと泉に入っていった。そして、両手を水の中につっこむと、何やら漁っては腰の皮袋に詰めている。ずいぶんと豪快で手慣れているように見えるが、こうしたことに慣れていると思っていなかったフランは眉をひそめた。

 少しの間眺めていると、すぐに影が近寄って来た。これだけ派手な音を立てていたら当然ではあるが、その思い切りのよさにフランはさらに眉をひそめる。一度フランに助けられているからと言って、フランを信用しすぎなのではないか。そう口にするわけにもいかず、フランは溜息を吐く。

 フランは一歩でカナリアを飛び越して影の上へと行くと、強めの広域干渉を放った。

「わっ」

 水飛沫がカナリアにかかったが、あまり気にせずフランに声をかける。

「とれましたか?」

「丸いのだ。三人分には十分だろう」

 フランが持ち上げた野者の体長はフランと同じくらいで、横幅はフランの倍以上ある。フランの言うとおり、三人分には十分な量の肉だった。

 カナリアは腰の皮袋の中身を確認すると、その中に泉の水を少し加え、満足そうに頷いた。大漁に気分がよくなったのか、それとも囮をすることに少しばかり緊張していたのか、頬が紅潮している。

「次は岩場で少しばかり獲りたいものがあるんですが、ここら辺に岩場はありますか? 無いなら起伏の激しい砂場とか、そんなところでもいいんですけど」

「ある、が、少し遠い」

「そうですか。へ?」

 フランは頷くと、カナリアと丸いのを抱え、そのまま跳躍した。

 カナリアは悲鳴を上げる。強烈な加速度が全身にかかり、のちに浮遊感に包まれる。気づけば足元のはるか下に地面があり、自分がいるのは落ちたら死ぬかもしれない空高く。フランの動作は無遠慮で迷いがなく、まるでそうするのが当たり前かのようであったが、それだけに抵抗する暇が一切なかった。

 フランもカナリアの柔らかな感触に、跳んだ後に耐えられるかどうか考えていなかったことに気付いたが、血を吐いたりした様子はないので大丈夫だろうと判断する。即死はしないだろうし、最悪自分で逆干渉を使ってもらえばいい。そう判断した。

 着地、衝撃。フランはカナリアの様子を確認するが、骨が折れたり内臓がつぶれた感触はなかった。問題ないと判断し、再び跳ぶ。

 そのままに、三回跳んで岩場に着地すると、目を回しているカナリアを下ろした。

「ここだ」

「……あの、できれば、一言、跳ぶ前に、××××」

「すまん」

 カナリアは少し座り込んでいたが、やはり醜態をさらすのだけは耐え抜いた。そして、すくっと立ち上がると、すました顔で岩場の探索を始めた。

 そこは岩場と云うよりは何かの台座のようだった。周囲より人四人分ほど高くなっており、丁度メンセンの体高を越していて、周囲の気色が一望できた。台座には更に高い部分もあり、見晴らしもよさそうだったが、切り立った柱のようになっており、そこをカナリアが昇るのは難しそうだった。フランならば人跳びなのだろうが、流石に頼むほどでもない。ここには景色を見に来たわけではないのだ。

 とはいえ、やはり景色はよく、カナリアは思わず立ち止まってしまった。

 空は快晴。澄み渡り、深い青から空色へとなだらかに広がっている。東北の方角には遙かな山連なり、巨人のきざはしと呼ばれるぎざぎざした山脈が天を突いている。南方には灰色のメンセンが広がり、遠くには日を受け輝く砂漠が、更に遠くには微かに黒く海が見える。西方にも砂漠が広がるが、砂粒のようなヌルハの国も微かに見える。

 しばし見蕩れ、二人ははっと本来の目的を思い出した。

 カナリアは岩場の影に手を突っ込み、細長い野者を引きずり出す。それを満足そうに皮袋に入れると、再び岩場の影に手を突っ込む。それを何回か繰替えす。フランはここに三年住んでいて、岩場にも何度か足を運んだことがあるが、その野者を見るのは初めてだった。

 黙々と野者を引きずり出すカナリアは、思い出したように口を開いた。

「そういえば、なんとなく聞きましたけど、岩場があるんですね」

「ここだけだ」

「メンセンもいませんし」

「岩場は移動しにくいらしい」

「切り立ってますしね。登ろうと思えば登れないことはないでしょうけど、メンセンならまあしないでしょう」

 カナリアはズムグスタ語で何か呟きながら頷いた。

 立ち上がり、褶の砂を払う。満足そうな表情から、首尾よくいったことはフランでも分かった。

「よし、食材は揃いました。一度戻りましょう」

「跳ぶぞ」

「え? あああああああああ」

 フランと涙目のカナリアは家の前の広場に降り立った。

「フ、フランさん」

「なんだ?」

「分解は用意できますか?」

「分解?」

「えーっと、××××ってなんて言うんでしたっけ。欠片じゃなくて、光じゃなくて……絶滅? あ、火! 火です。火は用意できますか?」

「やってみる」

 カナリアが座り込んでいるのをしり目に、フランはメンセンの触手を一本もぎ取った。そして、適当に搾り上げて血を抜くと、先端を持って勢いよく振り回す。すると、紫色の体液が飛び散り、干からびたように細くなった触手が残る。後はそれの皮を指で挟み、強く速くこすり合わせる。

 火が付いた。フランは実際にやってみたことはなかったが、案外できる物だった。

 薪としての干からびた触手を追加で作っていると、息が整ったらしいカナリアが立ちあがった。そして、上衣の袖をまくると、気合いに満ちた表情でフランに告げた。

「じゃあフランさんは休んでてください。後は私に任せてください。半刻もかかりませんから」

 フランとしてもこれ以上手伝えることはなさそうだったので、大人しく寝ていることにした。

 それから半刻。

 粗末な長椅子の上に並べられ、フランの前に出されたのは、紛れもなく料理だった。

 様々な具が浮かぶ汁物。彩り豊かに盛られた皿。湯気を立て食欲を誘う香りが鼻を刺激する大ぶりな肉。一体何をどうしたら丸いのがこうなるのかフランにはさっぱり分からなかった。幻でも見せられているのかと思うほどに、砂とメンセンしかないこの場には似合わない料理。フランは目を白黒させる。

「これは?」

「これは丸いのの骨で出汁を取って、水辺でつかまえたタイショとトクス、丸いのの肝を茹でた即席××××です。で、こっちが丸いのの皮と岩場で採ったママナラに、味を調えたメンセンの汁を和えた××××。こっちのお皿は丸いのの肉の筋を取って叩いたものに手持ちの香辛料を振りかけて蒸し焼きにした××××です。熱いうちにお召し上がりください」

「××××というのは」

「あ、ズムグスタの料理の名前です。食材が違うので本来はそう呼ぶべきじゃないのですが、まあそこは即席だということで多目に見ていただけると助かります」

 フランは気圧された。匂いが。よい。食欲が湧く。義務感のように食べていたメンセンとは明らかに違う。これは、美味なるものだと、五観がそう語りかけてきている。

 唾を飲み込むことを我慢しつつ、フランは釘付けになった眼を引きはがした。

「……ジルに食わせてやれ。俺はメンセンでいい」

「私たちの分もあります。ですので、最初はフランさんがお召し上がりください」

「俺は」

 断る言い訳を探したが、何も出てこなかった。

 肉を一つまみ千切り、口に入れる。柔らかく、臭みはなく、つんとした辛味はほどよく美味。噛むと暑い肉汁が舌を撫でる。フランは食事を味わうという行為を久しぶりにした。今まで自分が如何に味を感じないようにしていたのか知った。

 続いて、盛り合わせに手をつける。様々な食感は楽しく、メンセンの苦みがほどよい。汁物を啜る。凝縮された旨味が弾ける。

 フランが黙々と食べるのを見て、カナリアの表情がほころんだ。ジルも同様に頷いている。そして、二人は暫くの間フランが食事をするのをただ眺めると、頷きあって自分たちも食事を始めた。

 フランはちらりと二人の方へ視線を向ける。

 二人はとても仲睦まじく見える。

 フランは料理を味わいつつも手早く口に押し込んだ。少し胸が苦しかった。香辛料の絡みが鼻の奥を突いた気がした。満腹感に頭の芯が鈍る感覚がした。

「また必要があったら起こせ。寝る」 

 フランはそう言い残すと、返事も聞かずに自分の寝台にもぐりこんだ。

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