二三話 気づき
酷く喉が渇いている。血の味がする。肉を噛む感触。
口を柔らかいもので拭われる。フランがゆっくりと目を開くと、目の前にいたのは見知らぬ女性だった。
フランが口を開く前に女性はフランを目で制する。
「もう少々待ちください。右手への逆干渉が完了いたします」
「手……?」
フランが顔を向けると、女性がフランの右手を包み込むように握っていた。シユラへの目へ貫き手を放った反動でぐちゃぐちゃにつぶれていたはずの右手は、小指がないことを除けば既に元通りといっても過言ではない。その小指も女性が優しく撫でることにゆっくりと生えてきている。
女性の服装は武官のものではなかった。王城の侍女のものに見える。なんでそんな人物が自分へ逆干渉を行っているのか、ここはどこなのか、今はいつなのか。ハユウはどうなったのか。様々な疑問が頭にふつふつと浮かんだ。
しかし、フランが訊ねようとすると、やはり女性に被せられる。
「あの」
「お名前をお教えください。あと所属も」
「え、フラヌトラ・アーミラー。所属はケイ隊二八区です」
「今日の日付は分かりますか?」
「マトの月。三十八日目」
「はい、記憶ははっきりしているようですね」
女性は立ち上がり、軽く手首をほぐすように振った。そして、椅子の位置を調整しながら面倒そうに言った。
「次は右足です。姿勢を変えたいなら今のうちにお願いいたします」
「体を起こしてもいいですか?」
「どうぞ。破壊された腑は全て治してありますので、ご自分で」
フランは足は動かさないように体を起こした。しかし、関節の砕けた右足はじくじくと痛む。気を逸らそうと脇を触ると、折れて突き刺さっていた肋骨は修復されていた。呼吸もできるので息腑もだろう。傷ついた食腑も治してくれているに違いない。
フランの疑問を読んだかのように、女性は平坦な声で言った。
「そちらの治療は私が行ったものではありません。シン隊の医務官が行いました」
更に疑問が深まった。が、その疑問は解消されることはなかった。それを口にする前に、フランの寝ている部屋に三人の男が入って来た。
服装からして上級の文官だろう。正式な役職は分からない。だが、文官の割に強さがあることから、相当偉いことは間違いない。フランはぼんやりと三人を観察した。
フランが起きているのを見て男たちは驚いた顔をしている。だが、すぐに気を取り直して寝台横の椅子に座ると、フランの足に触れている侍女に怪訝そうな顔を浮かべつつ、話を切り出した。
「目を覚ましたようだね、フラン君」
「はい」
「気分はどうかね」
「良いです」
「結構」
先頭の男が髭を撫でる。そして、筆記具を取り出し構えた。後ろの二人も同様に筆記具を構えた。
その姿を見て、フランはピンときた。三人の内誰かが独令官だ。
「これから君にいくつか質問をするが、正直に答えてもらいたい。偉大なる巨人に誓えるかね?」
「はい、誓います」
「では、昨晩のシユラ襲撃の事だが。率直に、君が見たものを教えてほしい。余すことなく、全てだ」
フランは頷いた。独令官がいる以上、虚偽は無駄だ。するつもりはない。
「先日、襲撃の日、ハユウの指示で住民を避難させました。その後……待機命令を無視して現場へ向かいました」
「待機命令を無視したのは何故かね?」
「それは、ハユウが戦っている中自分が安全な場所で待つということに耐えられず」
「ふむ、まあいい。そこで、現場へ行ったと。何を見たのかね?」
「そこには、シユラを包囲していたはずのシン隊員は一人もおらず、ハユウを中心にして多くの隊員が倒れていました。そして、上空を跳び回るシユラがいました。シユラが遠くから広域干渉を放ち、シン隊の隊員はそれからハユウを守っているようでした。シン隊員たちも耐えていたのですが、不意をついたシユラの直干渉によってハユウが重傷を負い、他の隊員たちも次々と」
思い出すだけで悪夢のようだった。そして、ハユウのことを思い出し、ハユウが結局どうなったのか気になった。よく覚えてはいないが、何か悪いできごとがあった気がした。
「そこはいい。その次だ。その次を知りたい」
「次、ですか」
フランが戦い、ハユウが倒した。だが、そんなことを伝えて信じるのかどうか。フランは迷った。
「あの、ハユウは」
「先に話しなさい。君の疑問は後でまとめて答えよう」
「……はい」
正直に話すしかないと悟った。そして、すぐに前向きに考えることにした。独令官がいるのだから、フランが嘘を吐いているかどうかはすぐにわかる。だから、どんなに荒唐無稽な話であっても信じてくれるはずだと。
「俺がシユラと戦い隙を作り、ハユウがシユラを倒しました」
三人の視線がフランに集中した。心の奥を隅々まで舐められているかのように錯覚する。三人の視線には疑惑と困惑が籠っている。仄かな怒りさえ見える。
先頭の男がふっとため息を吐いて肩を振った。
「……本気かね」
「事実です。俺も戦いました」
「どうやって?」
フランは言葉に詰まった。強さの寄せは理解されないだろう。その派生した技術である実体を逸らすなんてこと、更に無理なはず。目の前でやって見せることができれば早いのだが、寄せはともかく実体を逸らすことはまだまだ成功率が低い。シェリの前やシユラに対して一回で成功したのは、本当に運がよかった。
今更ながら無謀さに震えが走った。シェリの前で行ったのはともかく、実戦で、一瞬で、上半身すべてに行うなどという無謀さに、指の先が微かに震えた。少し強さの寄せ方を誤れば、その部位は粉々に砕けて弾け飛ぶのだ。シユラに何もされなくとも死んでいた可能性は非常に大きかった。
結局、わかりやすく、嘘にならない範囲で話すことにした。
「不意を突いて、目を攻撃をしました」
「なるほど。目は最も存在強度の低い部位だ。確かにありうるかもしれない」
以外にもあっさり受け入れたことに安堵するフラン。しかし、続く言葉に巨人の怒りに触れたような気分になった。
「で、その後。ハユウがシユラを倒した後だ。何があった?」
それを思い出した。ハユウが自身の血腑を抉りだしたこと。笑顔でそれをフランに押し付け、食べさせたこと。そして、ハユウが死んだこと。フランはそれを思い出しただけで胃の中身が逆流しそうになった。
「ハユウが、俺を、俺の口に自身の血腑を。押し込んで」
「……君を助けたと?」
「はい」
「ハユウが、ケイ隊の君を?」
疑われている。フランは初めてその事実に気付いた。
まずい状況だった。何故なら、常識的に考えてあり得ないことだったからだ。何をとってもあり得ない。ケイ隊員がシユラと戦った。戦いに貢献した。ハユウがその身を譲った。あり得ない。あり得ないことだ。そもそも、ハユウが何を考えてそんなことしたのか、フランにすら理解できていない。
「ハユウはっ――」
「右足の逆干渉、完了しました。失礼します」
焦るフランを尻目に、侍女は一礼をして部屋を出ていった。その淡々とした態度は、まるでフランたちの会話などどうでも良いかのようだった。
しかし、それを見て少し冷静になれたフランは、できるだけ平静な声色で話した。
「ハユウは、瀕死でした。最初にシユラに受けた重症によりもう助からないと悟っていました。そこで、まだ息の合った自分に少しでも強さを分けようと、したのだと思います」
「なるほど。では、その後は?」
「……その後?」
「君は発見された時重傷だったようだが、その怪我はいつ負ったものかね?」
「あ、それは、シユラに攻撃をしたときに同時に反撃も食らって、その時のものです」
ふう、と先頭の男はため息を吐いた。眉間に深い皺ができている。望みの返答ではなかったのだろうか。フランは不安になったが、先ほどの言葉を思い出し余計な質問は自重した。
男は筆記用具を纏めると、後方の二人に声をかけた。
「記録したかね」
「はい」
「では我々も失礼するとしよう。君もしっかり休みたまえ」
頭を下げるフランへちらりと視線を向けると、三人は部屋を出て行った。
フランは不安でいっぱいだった。嘘はついていないはずだ。少し省略した部分はあったが、どれも嘘とは言い切れないはず。そう思いはするが、そもそも状況がまずかった。どこまで信用してくれるのかわからない。たとえば狂人が妄想を真実だと思い込んでいる場合、それは多くの場合独令官でも判別できない。フランが狂人だと思われてしまったら、まずいことになる気もする。
フランが寝台に体を投げ出した途端、今度は唐突に扉が開かれた。
入り口に立っていたのは、アーナだった。
三年振りだった。式典で遠目に見ることはあったが、この距離で会ったのは本当に久しぶりだった。
髪は長く、体系はより女性的になっていた。しかし、背は縮んでいるように感じるのは、フラン自身が大きくなっているからだろうか。少しばかり肌が白くなっている気もするが、王女となれば頻繁に外出するわけでもないので、当然のことだろう。眼は相変わらず夕日のような綺麗な色をしている。
「シユラと戦ったそうね」
言うなり、部屋の椅子にどさっと腰かける。式典などで見るおしとやかさは全く違う粗野さと、一切の遠慮の感じられなさは、フランの中の懐かしさを呼び起こした。
「戦ったとは言えない、かもしれない」
つい以前のような口調で返してしまった。だが、アーナは怒ることもなく、ふっと笑った。
「そう? シユラを倒せたのは自分の手柄だって言い張ってたみたいだけど」
「そこまでは言ってない。シユラを捕まえる援護はした」
「十分そう聞こえるわよ。何? フランがいなくてもハユウは一人で何とかしてたって言うの?」
「それは、わからない。けど、俺が役に立ったのかもわからない」
「相変わらず主張が控えめなこと」
アーナが中身のたっぷり入った皮袋を投げた。フランはそれを右手で受け取る。
「水よ」
「……飲んでいい?」
「それ以外何するのよ」
「ありがとう」
フランはぐいと飲んだ。歯の裏で固まっていた血が溶けて舌を刺激する。
眼を閉じ、全身に巡る血を感じた。滞っていた何かが循環する感覚がする。じんじんと痛む瞼を無理やり開けると、アーナが正面から見つめて来ていた。
「ねえ」
細い指が机をひっかいた。
「運がよかったわね。死にぞこなって」
思わずフランは笑ってしまった。
「何が面白いのよ」
「ごめん」
「謝れって言ってるんじゃないのよ。今フランは馬鹿にされてるのよ? 理解できてる?」
「そうか。ごめん」
アーナの眉間に深い皺が寄った。非常に不機嫌そうな顔だった。アーナがフランを叱る時の声色があまりにも昔のままで、懐かしさについ笑みが漏れてしまったのだが、真面目に受け取っていないと思われてしまったのだろうか。フランは誤解を解こうとしたが、上手く言葉にならなかった。
「フラン。真面目な話。真面目に話をしましょう。フランは」
大きく息を吸い、溜める。そして、長い長い沈黙。アーナはそれを口にするのが恐ろしとでもいうかのように躊躇っている。フランでさえ分かるほどにアーナは迷っている。非常に珍しいことだった。
フランがもう一度水を飲む。静かな部屋にちゃぷんと水音が響いた。
アーナは机に肘をつき顎を預けると、視線を壁に向けたまま口を開いた。
「なんで戦うの?」
「……それは、人を助けたくて」
「ケイ隊なのに?」
「関係ない、と思う」
眼が合った。射すくめるような視線に、フランは気圧された。
「少しの人を助けて、助けるために戦い続けて。フランは怪我をして、し続けて、いつか死んで。それで終わりよ。少しは感謝されるかもしれないけどすぐに忘れられて、それで終わり。そんなので良いの? 満足できるの? 止めたくならない? 逃げたくならない? フランのしていることは無意味かもしれないわ。報われないかもしれない。上手くいかないかもしれない。そう思わない?」
質問の渦がフランの脳内をかき回す。どれから答えるべきなのだろうか。アーナが何を言いたいのか分からなかった。
戦うのやめろと遠回しに言っているのだろうか。そうは聞えない。なぜだろうか。フランの身を案じているのだろうか。的外れでないとは思うが、それは理性的に考るとあり得ない。何をしに来たのかは知らないが、フランとアーナの接点はないのだから。そもそも何をしに来たのだろうか。そんな疑問が今更ながら気になり始めた。しかし、それを口にする気にはなれない。
「シユラと相対したとき、国を見捨てて逃げようとは思わなかったの? 他人を助けて、自分は死んで、それで良いの?」
逃げようと少しは思った。しかし、フランがそう答える前に、アーナは立ち上がった。
「フラン、私はね。強い人が好きなの」
そう言ってアーナは出ていった。
残されたフランの口からぽろりと言葉がこぼれ落ちる。
「……君のためなら」
フランは慌てて口を手で塞いだ。自分の言葉が信じられなかった。自分の口から出た言葉とは到底思えない言葉だった。考えてもいないはずだった。嘘のはずだ。アーナの気を惹くためのでまかせに違いない。無意識な嘘。そう考えた。
しかし、それは紛れもなく本心だった。嘘をついたときの罪悪感も、思っても見ないことを言ったときの違和感も、砂粒ほども感じられない。ずっとその想いが胸の底にあったことに、フランは今ようやく気づいた。
今更ながら血腑が音を立て始める。食腑も、息腑もだ。どっと疲労感の様なものが頭を重くする。今までの出来事が夢だったのではないか。そう思ってしまうほど全身の感覚がふわふわしている。
立ち上がってみる。足の調子は良い。手の調子もだ。
屈伸。体操。体の調子はすこぶる良い。
ふと廊下が騒がしいことに気付いた。気になって耳を澄ましてみるが、何が起こっているのかはわからない。思案し、特に部屋を出ないようにとは言われてないと結論付けたフランは部屋を出ることにした。
どうやら今いるのは王城のようだった。入るのは久しぶりだ。しかし、現在いる場所が王城のどのあたりなのかまではわからない。
音の方をしていた方へ視線を向けると、二、三人の戦士とプルトがいた。
「お前……!」
プルトがフランにつかみかかる。フランは壁に叩きつけられる。高価そうな調度品が落ち、割れた。
他の戦士がプルトを制止する。制服を見る限りシン隊の戦士だ。よく見ると見覚えのある顔もいる。王城の警護に当たっていた六番隊の戦士だろう。
「ウロス兄が、よくも、ウロス兄を! お前のせいだ!」
フランの頬に拳が叩きつけられた。干渉力がよく籠る中指の付け根。衝撃が全身を駆け抜け、フランは床にたたきつけられた。
すぐにプルトは他のシン隊に取り抑えられ、どこかへと運ばれていった。その間、ずっと何かをわめいていた。ウロス、お前のせいだ、そんな単語を繰り返しわめいていた。何か聞き返そうにも、フランも先ほどの部屋に押し込められる。
何故殴られたのかはすぐには分からなかった。しかし、プルトがハユウだったウラネロスを尊敬していたことは知っていたので、死亡の報を聞き錯乱したのだろうという結論には割合早く至った。どんな情報を得たのかは知らないが、現場にいて生き残ったのがフランだけなので、フランに当たり散らしたくなっ他のかもしれない。
部屋の寝台に腰かけ、フランは異常に気付いた。
じんじんと熱を持つ頬。先ほどの拳は恐らくプルトの全力だったのだろう。しかし、痛くはない。腫れていないし、歯も無事だ。少し前のフランならば頭がはじけ飛んでいてもおかしくないほどの干渉だったというのに。
これっぽっちも、効いていない。
フランはその事実に呆然とした。




