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ニニ話 死揺

 特殊野者対策室と名付けられた王城内の一室でフランが待機していると、汗だらけのハムラが飛び込んできた。

「シユラ出現しました!」

 ハユウが立ち上がった。談笑しているときの穏やかな表情は消え、一瞬で戦士の顔になる。

「場所は?」

「表の三四区、現在は哨戒中だったゴ隊が対応していますが、既に半数が倒れ、ゴ隊分隊長も負傷しています」

「シン隊三、四、五番隊で包囲。六番隊は待機。王城の守護を第一としろ。第一、第二番隊、出るぞ」

「はい!」

 休んでいた戦士たちは一瞬で整列し、隊長に従って部屋を出ていく。指示は一切なく、各々がすべきことを完全に理解していることが見て取れる。動きは整然かつ迅速。椅子が床をこする音すらなく、部屋は規律正しい静寂で埋まった。

 唾をのむフランとハムラに、ハユウは静かな声で言った。

「ハムラ隊員は対象の隣接三区の住民に避難要請を通達。終了し次第待機」

「はい!」

「フラン隊員もハムラ隊員の補助を。終了し次第待機」

「はい」

 フランは一瞬だけハユウが笑ったように見えた。

 ハユウが去り、残された二人もはっとなって動き出した。

 避難指示が隣接三区に出されるのは過去類を見ないものだった。コゲツキが侵入したとしても精々隣接一区、過去にシユラが出た時は隣接二区だった。あまりにも広い。その意味が差す物をフランは考えていない。

 二人は手分けし、ハムラが数字の大きい区を、フランが数字の小さい区を順に回ることとなった。

 本来ならば避難指示は、ケイ隊副隊長を通してケイ隊統括区長に許可をもらい、その後各区長に伝えるという手順だ。今回はそれらを無視していいと指示が出ているが、フランは多少の障害を考慮していた。ここ数日表を走り回っていたハムラと違い、フランは顔を知られているわけではない。腰が重く面倒を避けたがる区長にごねられる可能性は十分にある。また、顔を知られていたとしても自身の評判があまり良くない自覚はある。他区の揉め事に手を出す、狩猟の手伝いと称して勝手にサンジュする。その他様々な奇行に次ぐ奇行。顔を知られているなら、その評判も一緒に知られているだろう。

 しかし、そうしたフランの想像と異なり、非常に滑らかに非難は進んだ。シユラと聞いた途端全区長は顔を青くし、即座隊員を走らせた。ハユウからの指示だというだけではない。皆その緊急性を理解しているのだ。フランは自意識の過剰さを恥じた。

 街を走っていると、遠くから轟音が響いてきた。まるで巨人の足音のようだ。そのおかげか、避難指示を聞いた住人も文句は言わず、次々と家財を持って移動している。

「落ち着いて! 落ち着いて移動してください! ハユウが出ていますから、すぐに戻れます! 荷物は置いて! 落ち着いて移動してください」

 あちこちでケイ隊の声が響く。しかし、どの声も不安を隠せてはいない。

 ハユウが出ているという事実とそれでも尚避難の指示が出ているという事実。この両方があることにより、戦士の不安は漏れ出る。

 一通りの避難が完了しフランが対策室に戻ると、ハムラは既に戻っていた。ケイ隊ながら速度の高さを買われたというだけある。

「フラン、避難指示は終わったか?」

「ああ。だから待機を」

「えー、馬鹿かお前。見に行こうぜ、ハユウとシユラの戦闘を」

 予想外なハムラの言葉にフランは目を瞬かせた。まるでちょっと祭りを見に行こうとでも誘っているかのようだった。

 戸惑うフランの肩に手を乗せ、ハムラがぐっと顔を近づける。

「見たいと思わないのか? ハユウとシユラの戦闘だぜ。ここ四十年起こっていなかった事態だ。両方ともこの大陸で並ぶもののない強さを持っている生物で、まさに伝説の一戦だ。見逃したら子供に話をせがまれた時になんて答えるんだ」

「だが、命令は待機だ」

「どこでとは言われてないだろ。大丈夫だって。そりゃ俺たちはまあオマケさ。けどそれでもこのシユラ対策部隊の一員なんだぜ。その長が戦っているときにのほほんと安全な本部で休憩しているわけにはいかねーよ」

「さっきと言ってることが違う」

「そうか? まあどっちでもいいだろ。ほら、フランは強さを求めてるんだろ? ハユウがシユラを倒したときに散らされる強さを吸えるかもしれねーのに、こんな機会滅多にねえ。たとえごくわずかでも極上の強さを持っているシユラのものだ。一か二くらい強さが上がるかもしれないぜ」

 フランは言いようのない違和感の正体を理解した。ハムラはハユウが負けるとは全く思っていない。だからこうして気軽に見に行こうなどと言えるのだ。そして、フランもハユウが負けるとは全く思っていないことに気付いた。

 ハムラの言うことはあまり善い話ではなかったが、幾つかうなずけることもああった。一つは後方で待機という不完全燃焼に不満がなくはないということ。もう一つはハユウトシユラの戦いを見たいという想いは確かにあるということ。特に、後者は耐え難い魅力だ。フランがかつて目指していた最強。そして、フランが今なお求め続けている強さの最高峰。その力を強さを直接見ることができる。それも一端などではなく全力を。

 心がぐらついているのを感じ取ったのか、ハムラはフランの背をぐいぐいと押した。。

「大丈夫だって。終わったら国中お祭り騒ぎになるのはわかってるだろ。国のお偉方だって嬉しそうに宣伝に使うんだ。我が国の誇る英雄、ウラネロス・ハユウ・ルージュが最悪の敵であるシユラを打ち破り平和を守ったのだ。ってな。俺たちのちょっとした悪戯ぐらい見逃してくれるって」

 長い長い葛藤の後、フランは一歩踏み出した。

「……行く」

「そうこなくっちゃ」

 二人は部屋を飛び出して走り出した。

 断続的に響く轟音はまだ戦闘が続いていることを示している。建物の崩れる音が聞こえる。おそらくシユラの広域干渉だろう。またはハユウの直干渉か。どちらにしても、戦闘による破壊は続いているということだ。

 ハムラは眼を輝かせている。フランはそれが少し羨ましかった。フランも純粋に楽しみたいが、悪いことをしているという罪悪感がぬぐえない。これはハユウの信頼に背く行為だと、そんな考えが心の片隅にこびりついている。

 そして、二人は現場に到着した。

 そう、現場に到着したのだ。本来ならばシユラを逃がさないようにハユウとの戦闘を邪魔しないように取り囲んでいるはずのシン隊の戦士たちには出会わずに。まるで巨人が暴れまわったかのような町のそのただなかに。よろめきながら地面に立つハユウの姿が見える場所に。

 ハユウは空を仰いで立っていた。それを嘲笑うかのように真っ黒な影が空を跳び回っていた。ハユウの周囲には多くの戦士が居たか、既にその多くが地面に倒れており、まだ戦えそうなのは三人だけだった。

 真っ黒な影が奇声をあげる。

 ハユウを庇うようにして立っていた一人が吹き飛ばされる。

 影はいつの間にかその反対側に移動していた。ありえない速度だ。ハユウより速い。エリィナほどではないが、それでも気を抜いたら見失いそうなほどに。

 立ち上がった戦士が再び倒れる。今度は立ち上がることができない。

 ハユウが一歩前に出た。すると影が奇声を上げ、広域干渉を飛ばす。ハユウが怯んだ隙にハユウはまた距離を取った。

 ハムラが呟いた。

「なんだ、これ」

「空を跳んでいるのはシユラだろう。広域干渉で遠間に攻めてきている」

 うわごとのようなそれに答えるフランに、ハムラは食ってかかった。

「ちげーよ。そうじゃねーだろ。なんでハユウがあんなにぼろぼろなんだ! シン隊の精鋭が倒れてんだ! おかしーだろ!」

「シユラが空を跳び回るから近付けないんだ。おそらく踏力も高い。あれだけ自在に空を跳び回れるなんて」

「だからちげーって! あれ、負けてるじゃん! なんでだよ! ハユウは最強なんだぞ! ハユウが負けたらこの国は負けなんだ! なんで負けてんだ!」

 ハムラはフランの胸を掴んで揺さぶった。フランはなすが儘にぐらぐらと頭を揺らす。そこでハムラは、フランの顔から血の気が失せていることに気付いた。

「今代のハユウは、とくに干渉力と存在強度が高い。だけど直干渉しかできない。半端な広域干渉なら無視して近づいて倒すやり方が有効なんだろうけど、シユラの広域干渉が強すぎて無理矢理近づくことができてない。だから防戦一方になっている。んだと思う。シユラが速すぎるのも、一因で、多分」

 フランはじっと戦う戦士たちの方を見ながら言った。それはまるで必死に現実を受け入れようと努力しているかのようで、喋ることでなんとか精神を落ち着けようとしているようにしか見えない。

「シユラの姿を見る限り、存在強度は高くないように見える。体つきが以上に細い。ひょっとしたら元は女性なのかもしれない。だからハユウが殴れれば勝てるはずだ。なんとかして近づけば倒せるはずだ。そう、近付ければ、干渉さえできれば」

 影が自由自在に空を跳び回る。

 戦士は何度も倒れる。

 何度も立ち上がる。

 何度も吹き飛ばされる。

 二人呆然とその様子を眺めた。

 影が不意にハユウへと近づいた。今までとは全く異なる動きにハユウももう一人も対応できなかった。まともに防御をすることもできず、ハユウは直干渉で腹部を貫かれた。

 広域干渉より直干渉の方が威力が高い。広域干渉だと埒が開かないと感じたが故の、奇襲。いや、余裕の表れだろうか。一歩間違えれば捕まってお陀仏。そんな攻撃をあざ笑うかのように容易くやって見せた。

 ハユウがうつ伏せに倒れた。血がびしゃびしゃと地面に流れ落ちていく。

 シユウは逆立った頭部をカリカリと掻いた。

 悲鳴と、咆哮。

 残された一人が一息に飛び上がり、殴りに行く。

 反撃で首をもぎ取られる。

 シユラの哄笑が響き渡った。

 ハムラが逃げ出した。悲鳴を上げ、涙や唾液や鼻水を垂れ流しながら走り去った。しかし、フランはそれに気づかない。気づかず、その様を見守った。フランは他のことに気を取られていた。

「まだ、生きてる」

 フランはハユウをじっと見つめる。その命が失われていないことを確信する。

 そのうえで考えた。

 逃げるべきか、戦うべきか。

 一人で逃げるならば簡単だ。恐らくハムラのように見逃され、それで終わるだろう。しかし、ここからハユウに近づき、抱え、ともに逃げ出すというのは不可能だ。どう見てもフランよりシユラの方が速力が高い。ハユウが抵抗しなければ抱えることによる速力の低下はほぼないが、シユラの方がはるかに速い。だから無意味だ。

 しかし、戦うの無理だ。現ハユウの強さは四〇〇〇前後。いくら相性が良かったといってもシユラの強さはそれと同じ程度はあると考えた方がいいだろう。そんな相手に強さが一〇〇にも届かないフランが何をできるというのか。全力を尽くしたところで何もできずに潰される未来が見える。

 怖い。

 フランは恐怖を感じる。

 その恐怖は先日のオオグチ・メンセン変異個体に感じたものと似ていて、それより更に大きいもの。

 怖い。

 歯が音を立て、膝が笑う。

 死ねば終わりだ。それはいつも感じていることだ。瓦礫に飛び散る血が死の無為さを教えてくれる。

 怖い。

 家族の声と町の喧騒が蘇る。

 シユラが狙っているものが何かは分からないが、家族と共に王都から逃げる程度は恐らくできる。エリィナがいる以上、逃げるだけならいつだってできるし、止められる生物もいない。

 怖い。

 だが、フランは足を前に踏み出していた。

 フランは自分が強くないことを知っている。中途半端な技と、中途半端な意思。無理矢理ためてなお中級の戦士にも届かない強さ。信念があるわけではない。強く何かを守りたいわけでもない。強くなりたいとは思っているが、何のために強くなりたいのかも人に聞かれたら適当にごまかす程度の曖昧な理由。

 それでも、ここで逃げたら弱くなると思った。これまで以上に弱くなり、もう二度と戦えないほどに弱くなる。実際にそうなのかはわからない。しかしそう感じてしまった。

『戦士はとびきり強くなくちゃ』

 強くないのは知っていた。しかし弱くなりたくはなかった。

 シユラは歩いてくるフランを見て鼻で笑う。それが全力で殴ったところで自分の肌は傷一つ追わないことは一目瞭然。逆に自分が一声上げれば肉と血に早変わり。取るに足らない、敵とも思えないそれは、自分に対して闘志を見せている。

 シユラがゆっくりと硬度を落とし、フランの前に立つ。そして、ケタケタと笑った。

「……白痴カ? 気ガ狂ッタカ?」

 しゃべれるのか、などと心のどこかでぼんやりと思いながら、フランはにっこりと笑って上を指さす。

「空が」

 シユラは上を見る。

 その瞬間、全ての速力を右足に寄せ、フランは一歩踏み出した。その強さの半分近くをつぎ込み、全身の速力を寄せた右足による踏み込みは、フランの右足を破壊する。その代償か。フランの強さに見合わぬほどの速度が出た。

 フランの左拳がシユラの鼻面を捕える。

 が、干渉力は存在強度を上回ることなく、鼻の頭の皮膚で止まった。

「カッ、カカカッ、カカカカカッ」

 心の底から愉快そうなシユラの耳障りな笑いが周囲に響いた。シユラは口角を釣り上げると、フランの左手を優しく包む。

 そして、眼を見開くと共に、目の前のフランへ広域干渉を放った。

「カァッ!」

 避けることは不可能。上半身を吹き飛ばした。

 と、シユラは思った。

 だが、広域干渉で吹き飛ばしたはずの上半身は相変わらず下半身とくっついたままだ。どころか一切の傷を負っていないように見える。まるで幻か何かのように。まるでそこに実体が無いかのように。

 驚愕と混乱。疑問と思考。焦燥。鼓動。理性は危険を訴えないが、未知という現象に対して本能が警鐘を鳴らす。

 生まれた意識の隙間をフランは逃がさなかった。

 右手の中指。その爪の先に全身の干渉力を寄せる。荒ぶる干渉力。日が灯っているかのような感覚。それをフランは最短の経路でシユラの目に叩きこむ。

 フランの全身から寄せられた干渉力は、シユラの眼球を微かに傷つけることができた。

 思わぬ痛みにシユラは目を抑えてしまう。大した痛みではない。雨粒が入るよりも軽く、微かな水しぶきが飛んだ程度の痛みだ。しかし、絶対に傷付けられることが無いと確信していたがゆえに、大きくのけぞって体を捻ってしまう。

 フランは全身の投力を寄せ、使い物にならない右足でシユラの膝裏をけたぐる。右手で喉を押し込む。そのまま自分も倒れこむ。

 シユラが暴れ、右の手首が掠ったフランの息腑がつぶれた。それだけで十分にフランは動けなくなったというのに、焦りと混乱に包まれたシユラはフランを引き剥がすと三歩跳び退った。

 構え、吹き飛び倒れこむフランは動かないことを確認したシユラは乾いた笑いを漏らし、その肩を誰かに掴まれたことによってその笑みが固まった。

 振りほどこうとしてほどけず、脇に一撃はいる。フランの拳とは明らかに違い、骨を砕く一撃。見開いたシユラの眼に、口と腹から血を流すハユウのが写った。

 もがく腕を掴まれ、腹に一撃。さらに蹴りが一撃。振り上げた手刀が肩に食い込み、落とされた顔面が膝により打ち上げられる。再び腕を捕まえ、引き寄せられ、顔に拳がめり込む。追撃に二発。さらに三発。地面に引き倒され、馬乗りに。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 渾身の連打がシユラの全身に叩きつけられた。

 打撃音と地響きが空に鳴り、地面が落ちくぼんでいく。地に伏すフランの視界から二人の姿は消え、砂埃と礫片が飛び散った。

 やがて、音が止まる。

 ハユウの下には衝撃により盆地が出来上がり、中心にはぴくぴくと痙攣する黒い塊が残された。

 フランはハユウの元へ這いずる。歩くことはできない。どころか碌に息すらできない。だが、フランはハユウと話したかった。

「ハ……ユウ。ウラねろす、さん」

 ハユウはゆっくりと立ち上がると、フランの方へと歩み寄った。そして、そこで力尽きたようで、フランの横にうつ伏せに倒れこんだ。

「は、ははは。フラン君、君は凄い、な」

「いえ、ハユウには、とて、も」

 せき込む。死を感じる。言葉が出ない。

 何かを言おうとするフラン。しかし、言葉が出ない。

 血が流れ出るだけ。

「おれ……げほっ、お、れは……」

「死にそうだね。僕もだよ。ははは」

「おれ……は」

 血の塊を吐く。こんなにも会話をしたいのは初めてだった。なのに、声は出ない。フランは歯痒かった。

「おれは、おれ、お」

 続く言葉が出ない。一つ聞きたいことがあるだけなのに。それが出ない。ただに三言なのに。

「は、つ、づ……つ」

 にっこりとハユウが笑った。

「君は、強いよ」

「ほ、ん、に」

「強い。僕が保証する」

 フランの目から涙がこぼれた。まるで火が付いたかのように目が熱かった。

 そんなフランをハユウは誇らしげに眺めた。まるで子供の成長を喜ぶ親のように。とても嬉しそうに。

「君のような戦士は、死なせては、いけないな。きっと」

 ハユウはゆっくりと起き上がった。そして、地面に胡坐をかくと、愉快そうに笑った。

「君は運が良い。なんて言ったって、僕と君だと君の方が軽傷だからだ。僕はもう助からないけど、君はまだ大丈夫そうだ。なんて運がいい。君と僕の怪我が逆だったら、僕はきっとこんなことはしなかった。そうに違いない」

 ハユウは吹き出すのをこらえるように笑うと、自身の血腑を抉りとった。

「次は、君だ。君に託す」

 フランは眼を見開く。しかし、もう疑問を口にすることもできない。

 そのまま、フランの口に熱いそれが押し付けられ、フランは気を失った。

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