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二話 アーナ

 フランは毎朝日も昇らぬ内に起きだし、家を出て稽古場に向かっている。日の短い季節は勿論のこと、日の昇るのが非常に早いカジの季節も毎日だ。辛さはある。暖かい寝台から出たくないと、心地よい睡眠に身を浸していたいと、常々そう感じている。しかし、それでもフランは決まって同じ時刻に身を起こす。

 手早く服を着替えると、星の明かりを頼りに一階へ降りるフラン。灯りを付けることはしない。燃料であるアユラは高価なので、無駄遣いはできない。フランの家は決して貧乏なわけではないが、今年はアユラの収穫量が少なかったこともあり、一人での使用を躊躇う程度には高価だった。

 廊下を抜けて、台所へと続く扉を開けた。台所には明り取りの大きな窓があるので廊下より更に明るい。フランはいつも通り朝食用の食料を持っていこうとして、既に誰かが調理台に立っていることに気付いた。

「おはよう、姉さん」

「あら、おはよう。やっぱり今日も早いのね」

 フランに笑顔で挨拶を返したのは、フランの姉のアリアだった。

 アリアはフランとは四つ歳が離れていて、その分だけすらりと背が高い。癖のない腰のあたりまで伸ばした髪はフランと同じ色。ほっそりとした体つきをしているが既に武官として働いており、強さだけで言うならばフランの何倍もあるので、勘違いした男を撃退したことは一度や二度ではない。

 アリアは手にしていた小ぶりな刃物を調理台に置くと、近く地置いてある水瓶で手を洗った。

「毎朝こんなに早起きして眠たくないの? 姉さんはいつも疑問に思ってるのよ。もう少し寝てればいいのにって」

 呆れたようにため息を吐くアリアに、フランは口をとがらせて答える。

「姉さんだって俺より早く起きてるじゃないか。朝食の準備だってパバさんに任せりゃいいのに自分でしてるしさ」

「良いのよ。これは私の趣味なんだから。それにパバさんのご飯は味が無くて仕方がないじゃない。フランだって嫌でしょ」

「俺は……別に」

「ああもう、なんでヌルハ人はこうも食に禁欲的なんだか。叔母さんの気持ちがよくわかるわ。私も戦士やめて食堂でも開こうかしら」

「止めなよ。冗談でも」

「そうよ。冗談よ。はい、これ」

 フランは渡された籠の中を覗き込む。焼けた肉の香ばしい香りが漂ってくる。クスの鮮やかな緑と、香辛料の赤。基本的に塩以外の調味料の使用が嫌忌されているヌルハではあり得ないくらい挑戦的な料理だった。

 フランは唾を飲み込もうとして慌てて止め、無理矢理それから目を逸らした。

「またこんなに贅沢して、無駄に、料理なんかして」

「大袈裟ねー。ちょっと手を加えただけよ。ほら、さっさと持っていきなさい」

「い、いらないよ」

「いいから。今日は食事の日でしょ。これで今日も元気に頑張りなさい」

 幾度が押し問答を繰り返し、結局フランは押し負けた。強がってはいるもののフランだって美味しい食事は嫌いではないし、最初から姉に勝てる気はしていない。結果の分かり切っている争いだった。

 玄関で沓を履くフランの背後で、アリアは嘆息する。

「この真面目さとやる気の半分、いや……その更に半分でもタロトにあればねー」

「あいつだってそろそろやる気でるでしょ。多分。あいつも再来年には入隊試験があるんだし」

「そうよね。うん」

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 フランは扉を開け、まだ暗い街へと飛び出した。

 フランは家の前にある道を走り出す。目的地は戦士鍛錬場だ。

 ヌルハの王都は王の棲む城を中心に、放射状に道が伸びている。中心に王の住む城があり、その周りに由緒正しい家柄を持つ人々が住む街があり、それを囲うようにして一般の人々が住む区画がある。それぞれの区画の間には城壁があり、第一城壁、第二城壁、第三城壁と三重の円を描いている。また、それとは別に城の向きによって町は二つに分けられていて、城の正門がある方向が表、その逆が裏と区分けされている。 フランの家は第二城壁の内側、裏と表の境にあり、戦士鍛錬場は第二城壁の内側の真裏にある。位置的にはそこまで離れていない。

 朝の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込みながら、フランは稽古場に向かって走る。皆がまだ寝ているだろう時刻に、入り組む小道を駆け抜けてゆく。

 たまに見える人影。徐々につく街灯り。家の合間に反響する足音。

 フランはこの静かな世界が好きだった。

 体が少し温まって来たかという頃に戦士鍛錬場に到着した。息は切れておらず、準備運動として丁度良いくらいだ。

 フランは正門へ向かい、横にある小屋に声をかける。

「おはようございます」

「やあ、今日も早いね」

 門番として小屋に寝泊まりしている中年の男性には、既に顔どころか名前まで憶えられてしまっている。毎朝一番に来ているのだから当然なのかもしれないが、フランにとっては数少ない世間話をする相手だ。

「噂で聞いたぞ、フラン君は昨日、ルージェ家の坊ちゃんにまた勝ったんだって?」

「ええ、まあ。単純な一対一なら何とか」

「ほう! そりゃ凄い。ルージェ家と言えば、戦士として最も高名な家なのになぁ。将来有望だよほんとに」

「まだ俺は弱いです」

 手放しでほめられ、慣れていないフランは照れてしまう。そんなフランをおじさんは大袈裟な身振りを交えながら笑った。

「謙遜なんてしなくていい。確か、今代のハユウもルージェ家のお人だったよねぇ。フラン君も頑張りなよ」

 ハユウという単語を聞いた途端、フランの目が爛爛と輝く。そして、激励の言葉に対して強くうなずいた。

「はい!」

「良い返事だ。怪我はしないようにな」

 男性は自分の言葉に満足したかのように数度頷くと、門を開けて小屋に戻った。

 フランは意気揚々と門をくぐり、戦士鍛錬場の敷地に足を踏みいれた。

 稽古上には様々な施設がある。一対一の対人戦を行うための闘技場に、多対多の集団戦を行うための暗練の場。大闘技場、戦士の檻、水練の場、目編室。フランが朝に利用しているのは、自練円と呼ばれる場所だ。そこは小さな空き地のような場所で、粗末な屋根がかかっているだけの、ただそれだけの場所だ。施設と呼ぶのをためらうような、それだけしかない場所。

 フランはその空き地で、ひたすらに大地を踏みしめ拳を振るう。

 友人にはもっと広い場所を使えばいいと言われる。どうせ誰もいないのだから、好きな場所を使えばいいと。しかし、フランにとってはこの空間で十分だった。両手が十分に伸ばすことができ、思い切り飛んでも天井に頭を打つことがなく、満足に動き回ることができる。それで十分だった。

「フッ!」

 鋭く息を吐きながら拳を振るう。力強く足が砂を踏みしめる。

 空気を割く音がはじけるほど素早い動きだが、決して荒々しくはない。流れるような動きは穏やかささえ感じる。

「ハアッ!」

 冷たい空気に吸い込まれてゆく、腹の底へと響く声。正面に蹴りを繰り出した次の瞬間には、振り返りざまに二撃、三撃と拳を繰り出している。

 一瞬の静止。時が加速したかのような突き。

「ハアッ!」

 地面に指先で弧を描くように回転し、体を限界まで捻り、ため込まれた力を解放する。突いて、払って、蹴る。

 フランは最短を意識し、最速を意識する。

 早く、強く、短く。

 それだけを胸に、フランは拳を振るい続けた。

 動きつつけるフランの全身から玉のような汗が噴き出す。しかし、フランの顔に苦しさなどは浮かんでいなかった。焦げたような黒褐色の瞳は静かに虚空を見つめており、水面に移る月のように静かだ。

 永遠に続くかと思われたその動きは、しかし、フランの耳が異音を捕えたことによって終わりを告げた。

 方向は暗煉の場、ナガクスの群生地からした。何かの生き物が近づいてくる音だった。

 不審者だろうか、と動きを止めたフランは、目を凝らしてその音の正体を見極めようとする。しかし、それが人の形をしていることがわかり、それも自身のよく知る人物だとわかると、肩の力を抜いて軽く息を吐いた。

「また来たんですか、ピアーニア様。いくら城に近いからって」

「その仰々しい口調は止めて。怖気が走るわ。堅苦しい呼び方もよ」

 咎めるようなその言葉に、姿を見せた少女は顔を顰めた。

 フランはどうしようかと迷うが、結局いつも通りの口調にすることにする。

「わかったけど、一人歩きは止めた方がいい。君はお姫様なんだ、アーナ」

「そんなことわかってるわよ。一々小言言わないで頂戴」

 姫という言葉がヌルハの国で差すのはただ一人だけ。現国王の長女、ピアーニア゠ゴンドランドはぶすっとした顔で肩に掛かった髪を払った。

 あまりの変わらなさにフランは思わず苦笑してしまった。

 アーナは白い肌を持つ黒髪の少女だ。瞳は明るい茶色。背はフランより少し低いが、姿勢が良いせいか、はたまたその堂々とした態度のせいか、小さいという印象はまったくない。

 フランは地面に自分の上着を敷くと、アーナに座るように勧めた。幸いなことに自練円の地面に尖った砂利などはない。一国の姫に地面に座らせること自体が問題ではあるが、そんなことを気にするような人物ではないことを承知の上での行動だった。

 アーナは差し出された敷物の上に腰掛けると、フランが横に座ったことを確認して口を開いた。

「フランは相変わらず妙なことをしてるわね。朝っぱらからご苦労様」

「妙なことって、ただの形稽古だけど」

 フランは短く答える。

 その返事が気に食わないのか、アーナは陽を眺める時のように目を細める。

「形稽古なんてやってないで、もっと写史とか指導とか奉仕活動とか、そういう上に受けの良いことをしていれば良いじゃない」

「そんなものしても強くはなれない」

「だけども上の覚えは良くなるわよ。心を鍛えるのは重要だ、なんてことあるごとに言ってるじゃない。それに強くなれないって点では形稽古でも同じでしょう。フランはもう十分強いじゃない。同年代では並ぶものなし、ってたまに聞くわよ」

「そんなことはない。俺の動きはまだまだ無駄だらけだ。反応も遅い。全然。全然だ」

 そう言いながら拳を繰り出すフラン。その動きは十分に洗練されているようにアーナの眼には映るのだが、本人にとってはまだ荒いようだ。アーナは記憶の中の武官の拳を思い出しながら、疑問に思ったことを口する。

「もうすぐ卒業するのだし、形が十分にできていると判断されてるんじゃないの? その判断が甘いとでもいうつもり?」

「……正直、ヌルハは形を軽視し過ぎているとは思う。確かに強さを高めれば動きは早くなるし、反応も早くなるけど、全員が十分に強さを高められるわけじゃないし、強さを高めたからと言って形が無駄になるわけでもない」

「だけど、形には限界があるでしょう。強さには果てはないわ。そんなことにかまけて上の心証悪くしてサンジュを受けられなくなったら本末転倒じゃない。強さが無くちゃいくらフランでも上には行けないわよ」

 サンジュと聞いてフランの眉が一瞬歪んだ。それをアーナは見逃さず、深々とため息を吐く。

「サンジュ、まだ苦手なのね」

「うん」

「戦士としては結構致命的よ? サンジュしないと強さは得られないのに」

「苦手なだけだし我慢する」

「苦手意識を持っているって時点で結構査定には響くんだけども、まあ、言っても無駄ねこれは」

 まるで手のかかる子を見る親のようにアーナは額に手をやった。しかし、それはある種当然の行動だ。誰よりも強さを求める武官の卵が、何よりも強さを得ることができるサンジュが苦手だというのだ。

 フランはやや重い雰囲気を払おうと話題を変えることにした。

「そう言えば、最近発見したことがある」

「何?」

「打つ時、ただ漫然に打つのと意識しながら打つのとじゃ干渉力の大きさが違う」

 アーナは目を丸くする。そして、訝し気に首を傾げる。

「気のせいでしょう。動きで干渉力が変わるわけないじゃない。もし干渉力が増えてるって言うなら、その干渉力はどこから出てるって言うの? 突然どこからか湧いててて来ているの? あり得ないわ」

「そうじゃなくて、なんというか、発揮できる大きさが違う気がするんだ。ほんの少しだけど」

「それこそないわ。あなりゃ定位官の眼を疑うの?」

「それは……これとは違う」

「同じことよ。もしそんなことがありうるなら、強さを見ることができる定位官が気付かないわけないもの。もしそんなことが本当にあるなら、今まで生まれてきた定位官は全員目が節穴だったということね」

 フランは何か言い返そうとするが、何も反論は思い浮かばなかった。冷静になって考えてみると反論の余地はなかった。もしフランの感じたことが事実だったならば、フランのようにあやふやな感触ではなく、目で見ることができる定位官が誰よりも早く気付くはずだった。

 アーナは満足そうに笑みを浮かべると、メアの鼻に指う突き付けた。

「とにかく! 撃ちだしの姿勢、腰の捻り、手首の角度。そんなものは強さには影響しないわ。だからそんな妄想は捨てなさい」

「そっちは違う。そっちはただの動作の最適化。干渉力とは関係ない」

 納得させたと思った勢いがそがれ、アーナはやや不満そうに口を尖らす。

「……フランは本当に強情ね」

「別に強情なわけではないと思う」

「ま、いいわ。実際、強いんだもの。好きにすればいいのよ」

 アーナはすくっと立ち上がると、フランの正面に屈みこむ。そして、顔を近づけてじっと目を見つめると、楽しそうに聞いた。

「ねえ、フランは私のことが好き?」

 フランはぐ、と息をのむ。フランがアーナにこの手の質問をされることは初めてではない。と云うよりは、二人きりで会っているときは毎回投げかけられている気がするほど、よくされる質問だ。しかし、フランは毎回同じ様な反応をしてしまう。気恥ずかしさで顔を紅潮させながら、血腑を激しく鳴らしながら、正直に質問に答える。

「まあ、好きだけど」

「そう。よろしい。今度城で出されるベニーコメ持ってきてあげるから、それでこっそりサンジュしなさい。あれ美味しくないからあげるわ」

「嫌いなものを人に押し付けるのは良くない。やめてくれ」

「私は王女だから好き嫌いしてもいいのよ。けど、フランにそんな余裕はあるのかしらねー。王女の夫になれるのはこの国最強の戦士だけなのだけどねー」

 満足そうに、意地悪そうに笑いながら、アーナはそう言ってフランの額を叩いた。

「頑張りなさい。私は強い人が好きなのだから」

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