十八話 心覚
第三城壁より内部に侵入した野者の討伐はハユウ含むシン隊によりすぐに終了した。城壁封鎖、修復は順次行われている。幸いなことに死者はそれほど多くなく、破壊された家屋の修復作業も既に始まっている。町の活気は事件の前と然程変わらない。
フランは寝台から身を起こした。懐かしい嗅ぎなれた匂いがする。幼少期からずっと嗅いでいた実家の匂い。フランは家が投石により潰れてしまっていたので、一時的に実家に帰ってきていた。
砕かれた筈の右腕で吹き飛んだはずの左手に触れる。千切れ跳んだ左足と縦に潰された右足をゆっくりと床につける。既に痛みはない。
フランは自分の部屋を出て居間へと降りる。すると、髪を背中で一つにまとめたアリアが調理場に立っていた。
「あら、もう怪我は大丈夫なの?」
「痛みはない。凄いな、本当に」
「それはそうでしょう。シン隊の医務官の逆干渉よ。腕がつぶれて立って治るし、足がなくなってたって生えてくるわ。死んでさえなければ生き返るわよ」
「無茶苦茶だなぁ」
ゆっくりと体を伸ばす。まだ三日も立っていないのに体調は既に万全。いや、以前より良い。
当然それは、逆干渉を受けて完全に傷が治ったためというだけではない。強さが増えたためだ。先日の襲撃で数多くの野者を殺し、サンジュしたためだ。
構えて、突く。感覚が敏感になっている。動作が俊敏になっている。体感で言うならば、半年分の鍛錬と同じか、それ以上には動きが良くなっている。
喜びと落胆が同時に襲い来る。自分の努力とは無関係に強くなっている。そう感じるのだ。たった一日の出来事で、こうも強さが変わってしまう。慣れない感覚に思考がついて行っていない。
不満そうなフランを余所に、アリアはフランの強さを計った。
「フラン、強くなったわね」
「……どのくらい?」
「うん、そうね。九三かしら」
「十一も、か」
「良かったじゃない」
「良かったのかな」
浮かない口調に、アリアは不思議そうな顔をした。
「そうよ。努力の成果でしょう」
フランは大きく首を振る。フランの努力ではこんなに簡単に強さは手に入らない。こんなに短時間で強さが手に入ることはない。はずだった。
「違う。俺の努力じゃない。俺は殺しただけだ。強さに見合うようなことは何一つしてない。なのに、こんなに簡単に強くなった」
アリアはフランの口数の多さに目を瞬かせ、暫く見ないうちに少しは口下手が治ったのかと感激した。しかし、すぐに我に返った。弟の成長に喜ぶのではなく、今は妙なことを言う弟を諭さなければいけないと思いなおした。
「あのね、フラン。殺すだけでなんて簡単に言うけど、殺せるのも努力の結果よ。何もしないでぼーっと生きてたら、この前の襲撃で死んでたかもしれないし、少なくとも最前線まで助けに行こうとは考えなかったでしょう? フランが毎日訓練して、鍛えて、その努力が積み重なって、今の強さに繋がっているのよ。そこを否定してたら、やってらんないでしょう?」
フランは少し考え、にっと笑った。
「やってらんないな」
アリアは部屋を出ながらフランに言った。
「さ、治ったなら仕事に行きなさい。たーくさん仕事はあるはずよ。まだまだ復興作業中なんだから。困っている人もたくさんいるでしょうし」
「わかってるよ」
フランは頷いて家を出た。
真っすぐ詰め所に向かおうとし、フランは自分が何かを忘れているのではないかと思った。何か重大なことを忘れている気がするのだ。立ち止まって少しの間考えてみると、すぐに思い当たった。昨夜、フランが寝ている間にシェリが見舞いに来てくれていたので、その礼を伝えなければならないと考えていたのだった。フランは詰め所につく前に思い出したことに胸を撫でおろしつつ、進路をシェリの家へと変更した。
速足で歩くとすぐにシェリの家についた。幸いなことにシェリの家は無事だったようだ。目立つ外傷はないように見えるし、今日もこれから店を開くのか、ばたばたと騒がしい空気が漂ってきている。
フランが声をかけようかと迷いながら近づくと、シェリもフランに気付いて振り返った。
「フラン! もう起き上がれたの?」
「ああ。仕事にも復帰する」
なんとなく気まずくなり視線を漂わせると、潰れた民家が目に入った。頑丈なネリト造りの民家だが、屋根から潰れるようにして激しく損傷している。メンセンの投げた瓦礫が直撃したのだろう。フランは家をなくした人の気持ちを想像して少し気持ちが落ちつつも、潰れた家がシェリの家でなかったことに安堵した。そして、安堵したことに罪悪感を抱き、さらに気持ちが落ち込んでしまった。
「……で、フラン?」
不思議像な顔をしているシェリと至近距離で目が合った。フランは慌てつつもそれを表に出さないように視線を逸らした。
「なんだ?」
「何しに来たの? 今日休みなの?」
「違う。その、シェリが見舞いに来てくれたらしいから、礼を」
「なにそれ。一々そんなの良いって。本当にフランは生真面目だなぁ」
「そうか?」
シェリは苦笑した。
「お見舞いってのは、心配で居ても立っても居られない人が様子を見て気持ちを落ち着けるためにするんだよ。だから見舞われる方は気にしなくていいの」
「そうだろうか」
「そうなの」
フランは曖昧に頷いた。完全に納得できたわけではなかったが、シェリと押し問答をしに来たわけでもない。
一応当初の目的は果たした、と詰め所に向かおうとしたフランは、シェリの目元に隈があることに気付いた。非常に大きな隈だ。まるで二、三日満足練れていないかのような隈。
「シェリ」
「なに? どうかした?」
「疲れてるか?」
「え、まあ。少しは」
「寝れてるか? ちゃんと休めてるか? 濃い隈ができてる」
「ちょ、ちょっと。大袈裟! 大丈夫、落ち着いて」
両肩を掴まれたシェリは顔を赤くしてフランの体を押し返した。嬉しくないわけではなかったが、往来で朝っぱらからされても気恥ずかしさが勝る。フランもすぐに我に返り、女性にする振る舞いではなかったと反省し、素直に身を引いた。
なぜ、と考え、フランは原因に気付いた。事件が原因だ。正確には事件によって悲しんでいる人、怒りを感じている人、憐れんでいる人が非常に多くなったのが原因だ。シェリは心覚が高い。人の心がある程度読める。少なくとも嘘を吐いているかどうか程度は分かるらしいことを身をもって知っている。そして、シェリは思考より感情に対して敏感である。喜んでいる人が近くに居れば気分が高揚し、悲しんでいる人が近くに居れば自然と落ち込んでしまうのだ。幼い頃は人混みに入るのが怖くなるほどで、ある程度制御できている今でも強烈な感情は眩しいらしい。そんなシェリにとって、こうして負の感情が渦巻いている現在は決して心地よい環境ではないのだろう。フランはそう気づいた。
同時に、シェリもフランに気付かれたことを悟った。フランの心がどんよりと淀んだものに変わってしまったからだ。
シェリはやれやれと肩を竦めながらフランの両頬を引っ張った。
「フラン、ありがと」
「……悪い」
「わかってるならよろしい。ほら、心配なんてしてないでもっと楽しいこと考えて。フランは単純だから思考が感情に直結してるの。で、単純な人の方が感情は強烈なの。お日様をまっすぐ見て目がくわんってなるよりもっともっと強烈。だから能天気にしててくれないと本当に参っちゃうかもよ」
「悪い。努力する」
フランはごつごつと自分の頭を叩いて思考を切り替えた。できるだけ楽しいことを考える。何も思いつかなかった。仕方ないので家族のことを考える。少し楽しい気分になった。シェリの眼を見て引っ張られている頬の感覚に集中する。更に嫌な気分は薄れた。
シェリは満足そうに頷き、手を離した。
「はい、解決したならお仕事お仕事。あ、そうだ。早速お仕事頼んでいい? ケイ隊さん」
フランは神妙な顔をして先を促す。シェリは家の脇の路地に一瞬だけ視線を飛ばすと、小さい声で言った。
「うちの軒を昨日から人に貸してるの。多分家が壊れちゃったんだと思う。すごく怯えてて詳しくは読んでないけど、家に入れようとしても断られて、軒を貸してくれるだけでいいでいいって」
「わかった。とりあえずケイ隊で保護する」
「ありがと」
フランは路地に踏み入り、遠くから声をかける。
「もしもし。そこの方、大丈夫ですか?」
小汚い布に包まる人が居た。それなりに大柄な男だ。薄暗いためよく見えないが、かなり痩せているようにも見える。下手すると一季ぐらいは何も食べていないのかもしれない。痛ましさを感じるとともに、フランはそれを疑問に思った。合わない。事件は一昨日だ。フランは深く考えずに一歩踏み出す。
対する男はのろのろと顔を上げると、フランを見て固まった。そして、慌てて立ち上がり、よろよろと壁に手をついた。
「大丈夫ですか? 無理に立ち上がらなくて――」
フランは更に近づき、男の刺青に気付いた。皮膚がたるみ皺のできた頬。そこには歪んだ輪郭を持つ巨人の顔が彫られていた。記憶のものとは大分変っているが、フランはそれを見たことがある。いや、それを忘れたことはない。その巨人の刺青は男が笑えば同様に笑うだろう。フランはそれを見たことがある。フランは男がどのように笑うか知っている。笑われたことがある。フランは断じる。それがフランの記憶にあるものと同じものだと。フランは知っている。巨人の刺青を知っている。目の前の男を知っている。フランは知っている。それを知っている。フランは知っている。フランは知っている。フランは知っている。
お前は!
思考が止まり、視界が真っ赤に染まったフランの腕を誰かが掴んだ。
振り返ると、泣きそうな顔をしたシェリが、ぶるぶると体を震わせながらも、フランの腕にしがみついていた。
「フラン、落ち着いて。フラン。お願い。フラン」
フランは大きく息を吸い、吐く。眼を閉じ天を仰ぎ、自分の頬を引っ張った。
少しずつシェリの体の震えが収まる。フランは自分を殴りたい気持ちでいっぱいになりながらも、じっと動かずに待つ。声を掛けたかったが、声をかけていいのかよくわからなかったので、黙って待つ。
シェリがフランの腕を離したのを見計らい、フランは謝った。
「悪い」
「すっごく、びっくりした。初めて会ったときとおんなじくらい」
「ごめん」
フランはシェリの頭を優しくなでると、冷静に男を観察した。男は明らかに衰弱している。また、フランの記憶にある姿からは想像できないほどに老け込んでいる。戦士並みの存在強度を持つ男がこうまで変化していることから、まともな生活をしていたとは思えない。足首と膊に染みのような痣。とろんとした眩し気な目。曲がった腰と背。
おそらく、長期間にわたる室内での拘束状態。
しかし、フランはケイ隊に入隊して半年ほどたった時に、禁固刑以上になった罪人を片っ端から調べたことがある。その中にプルトに雇われフランを嵌めた男たちは一人もいなかった。それが意味することは単純だった。男は監禁状態だったのだ。恐らくプルトの手によって。
口封じとしての監禁はよくある手段だ。殺すより圧倒的に心理的な抵抗が少なく罪悪感も軽いものとなるため、不意に心覚の高い者に心を読まれたとしても発覚する危険が少ない。他人の心を読むという行為自体にも様々な危険があるため、そう頻繁に行われることではないが、巨大な罪悪感を抱えることの方が遥かに危うい。他人の心を読むことを是とする独令官と同じ場で働くシン隊ならば尚。
男はフランを眩しそうに見て、口を開き、そしてフランの顔をじっと見た。
「お前、あのときの餓鬼か……?」
酷くしわがれた声だった。覇気の欠片もない、傲慢さの欠片もない、弱弱しい声だった。
「おい、俺を保護してくれ! あの時の事なら謝る! そうだ! 証言したっていい! 俺が雇われてやったって証言してやる! だから俺を保護してくれ!」
フランもそれを一度考えたことがあった。だから男たちのことを調べたこともあった。しかし、それは恐らく成功しない。プルトがルージェ家だからだ。ハユウの家を相手にするのは分が悪すぎる。物証がかけらもない状況では独令官を引きずり出すことすらできない。勝算はない。
鬼気迫る表情で縋り付く男に対して、フランはシェリを庇うようにして一歩下がった。
「保護してほしいとは?」
「わかるだろ? 監禁されてたんだ! このまま病死なんてしたくねぇ! 頼む!」
シェリが不安そうにフランを見た。
「本当よ。多分。嘘は言ってない」
「だろうな」
「どういうこと? この人と何かあったの?」
「まあ、少し」
フランは躊躇う。感情が一言では言い表せない。それをなんと表現してよいのかわからない。男を助けたくないのかすらわからない。ざまあみろと心のどこかで思っている。哀れだとも感じている。身勝手さに怒りを、無恥に呆れを感じてもいる。
しかし、結局フランが義務感に押されて男の方へ一歩踏み出した時、路地の奥から二人の男が現れた。
「そこのケイ隊。そいつの身柄を引き渡せ」
一人は見知らぬ顔だったが、もう一人は良く知った顔だった。黒髪の青年。表情は硬い。プルートゥ゠ルージェ。フランの同窓にして、現シン隊の戦士。
「そいつは大犯罪の重要参考人だ」
「こいつがか? プルト」
フランは思わず笑いそうになってしまった。それをもう一人の男が咎める。
「ケイ隊。ルージェさんの名前を呼び捨てか?」
ずい、と進み出る男はゴ隊の制服を着ていた。強さはわからないが、フランより遥かに高いだろう。
フランはその男を無視してプルトに話しかける。
「そうか。ケイ隊のほうでも調べていいか? 衰弱しているし暴れないだろ」
話題の中心となっている刺青の男は慌てて足を引きずりフランの背後に隠れる。フランは特に気にすることもなく、シェリをそっと店の方へ押し返した。
フランに無視され顔を真っ赤にした男が怒鳴る。
「おい、ケイ隊。調子に乗るなよ。いいから黙って引き渡せ」
フランはゴ隊の男を無視してプルトと睨みあった。
ゴ隊の男はプルトへと視線を投げ、プルトは頷いた。そして、前へ一歩踏み出すと、フランの胸倉をつかもうと腕を伸ばした。
フランはそれを手ではじく。続いて伸びてくる手も手ではじく。
男は額に青筋を立ててフランへと殴りかかった。
フランは手刀のあたらない位置へと最小の動きで体を落とす。その速度に男は目を剥いた。
続く二連の手刀をフランが捌き、空いた喉に親指を突き入れる。強さの差によって突き刺さることはなかったが、呼吸ができなくなった男は膝をついてえづいた。
ぬるりと始まった戦闘はすぐに終了する。
「お、お前……本当にケイ隊か? 俺はゴ隊だぞ」
フランは無視してプルトへと視線を向けた。右足の速度を左足に寄せたことにより足首に鈍い痛みが走っていたが、それをおくびにも出さずに胸を張った。
「じゃあ、預かるぞ、プルト」
プルトは顔を伏せ気味にしているため表情は見えない。長い前髪が顔を隠している。
「なよ」
「? なんだ?」
「調子に乗るなよ」
プルトが距離を詰め、無造作に腕を振るう。その動きは見えてはいたが対応できる速度ではない。
首元への攻撃を受け、フランは店の壁に叩きつけられた。
ずるずると地面に倒れこむフランを鼻で笑うと、恐怖に怯える刺青の男の襟首を掴み、プルトは立ち去った。その後をゴ隊の男は慌てて追いかけていく。
「こいつはシン隊が対処する。今日のことは不問にしといてやる」
フランは地面に座り込んだまま鼻血を拭いた。意識ははっきりとしている。腕が首に当たる直前に腕を挟むのが間に合ったからだ。右腕は鈍痛と共に腫れ上がっているが折れてはいない。やや視界がぼやけるのは頬が腫れ上がっているからだろう。小突くような一撃を全力で防御してこのざま。しかし、逆に言えばきちんと防御しさえすれば耐えることができる。プルトの強さは低くて四〇〇前後。高ければその倍程度はあるだろう。それでも耐えることができた。
自分は強くなっている。その事実がフランは嬉しかった。




