十七話 野者
ノードが屋根の上に飛び乗り、音の方を見る。
「第三城壁付近で砂埃! ハネモチ多数飛来! 規模から見て三級以上の集団襲撃です!」
フランとモイスは目を剥いた。三級というと最低三桁の野者が襲ってきているということだ。轟音からして第三城壁が破壊されたことは間違いない。それらを合わせて考えると、今すぐ動き始めなければまずい。
「モイス先輩。避難誘導を始めます」
「あ、ああ。だが、まずいぞ。今日はたしか、ユウ隊が外征している。付近の野者の掃討のために」
フランは踏み出した足を止め、振り向いた。
「本当ですか?」
「間違いない。一部は残っているだろうが、三級というと対応しきれるかどうか……」
ぎりっと音を立てて歯を噛み締めるモイス。フランも強張った顔を更に険しくした。
基本的に野者の討伐はユウ隊の仕事だ。ケイ隊ではクグチ程度しか対応できず、ゴ隊は第一城壁の守護が第一の職務だ。必然、相手をするのはユウ隊となる。ゴ隊も第一城壁の安全が確保できさえすれば前線に出ることもあるが、その裁量は分隊長に一任されているため、間に合う確証はない。
「モイス先輩」
「すまん。そうだな。避難誘導を始めよう。第二城壁の中に――」
「撃退に出ます。勝手してすみません」
「ああ。早く、え? お、おい」
フランは一歩で屋根に乗り、二歩で次の屋根に飛び移った。屋根を傷めるためあまりよくない移動方法だが、こうした緊急時には躊躇ってはいられない。それに、最近はこうした移動にも慣れて来て、フランは屋根を踏み抜かずに駆け抜けることができるようになっている。三歩、四歩、飛び移って、五歩、六歩でモイスとノードを置き去りにした。
確認した砂煙は予想以上に大きく立ち上がっている。壊されたのは門ではないようで、即座に塞ぐことはできない。想定している避難の経路もあまり信用できないだろう。とにかく野者の数を減らさなければ、どこまでも被害は広がるかもしれない。フランは焦りに押され震える自身の腕を叩いた。
現場の区画は酷いありさまだった。門を破って侵入してきた野者は少なくとも三〇はいるだろう。オオグチが雄たけびを上げ、近くに居た人間を丸のみにする。ナガテが集団で跳ね回り、母親の手から赤子を攫って行く。そうこうしている間にカツノが更に門の穴を広げ、隙間からクグチが侵入してくる。空からは大量のハネモチ。まるで示し合わせたかのように、人の町を蹂躙しようと襲い掛かる。
ケイ隊が数人応戦しているが、クグチと小型のナガテを微かにでも足止めをしながら、都民を誘導するのが精いっぱい。とても撃退などを考えている余裕はなさそうだった。
怒号と、悲鳴。そして破壊音。血が流れ、強さが空に溶けてゆく。
フランは一切の迷いなくその死地へ飛び込んだ。
家族連れを追うクグチが居た。愉快そうに吠えたてながら、三匹で追い回している。それに対し、メアは正面から先頭の個体を殴り飛ばした。反応もできずに吹き飛んだクグチは首の骨を折って即死した。他の二匹は踏み止まろうとするか、フランはそれよりはるかに速く動いていた。ゆらりと倒れこむように踏み込み、口に手刀を突き刺す。命器を潰されて即死。さらに、振り返ると同時に体を捻りながら手刀で首を撫でる。頭が吹き飛んで即死。
フランは相手の生死を確認することもなく、街の中心へと走ってきている野者たちへ金色に煌めく眼を向ける。野者たちはその火のような髪を持つ人間に怯んだように、一瞬だけ足を止める。
背後でへたり込む家族に背を向けたまま、フランは声をかける。
「第二城壁まで走ってください! 速く!」
「は、はいっ」
隙ありとばかりにナガテがフランの正面から掴みかかった。それに対し、フランは鞭のように振り回される腕を身を屈めて躱すと、隙のできた胴体に手刀を突き刺した。骨のある位置を避け、血腑のある位置を打ち抜くように。冷静な思考と、的確な動作を両立させて。
死んだクグチの体の陰に自分の身を隠したまま、別のナガテへ接敵。仲間の背中が迫り混乱する二匹目のナガテを同様に手刀で血腑を破壊する。それを見た三匹目はさすがに無抵抗ではなく、フランへ向かって突くように腕を伸ばしてきたが、フランはその腕に自分の手を添えるようにして掴むと、引き寄せつつ踏み込み、手刀で血腑を抉り取った。
六、と心の中で数える。だが、地に、空に、まだまだ野者は溢れている。
再び周囲を見回すと、丁度カツノがネリト造りの建物にぶつかり崩壊しているところを見た。カツノは破壊を求めているだけであり、ただ人間の作った巨大な構造物が壊すのにおあつらえ向きなだけで、そこに人間への害意はない。第二城壁に近づき破壊しようとしたならゴ隊に駆除されるだろうし、今は他に危険な野者がたくさんいる。しかし、放置していい、と判断したフランの視界に、カツノが壊した家屋の瓦礫に潰されそうな子供が目に入った。
フランは全力で駆け込み、二人を抱え込んだ。そして降りしきる瓦礫を見据え、その中から自分に当たりそうなものだけを全て蹴り飛ばした。
フランは二人の少年の頭を二回叩くと、低い声で言った。
「あっちの壁まで走るんだ。いいね」
「はい、でも」
「君が弟を守るんだ」
「でも……」
メアは少しだけ背の高い少年の肩を掴むと、じっとその目を見つめて言った。
「できないなら死ぬ。それだけだ。君が選ぶんだ」
少年は気圧されるように頷いた。フランは褒めようと笑って見せたが、それが上手くいったかはわからなかった。
フランはすぐさま二人から離れ、先ほどのカツノへ接近する。カツノは人間を襲うことはないが、人間を轢かないわけではなく、また、建物は破壊される。屋内に隠れている人もいることを考え、先に倒すことにしたのだ。
問題は、カツノの強さが平均で六〇〇を超えていることか。まともに戦えば勝てず、敵であると認識される前に殺さなければならないが、それが非常に困難だ。
自分の倍ほども体高のあるカツノの脇腹に、フランは拳を突き入れる。骨を砕く音。しかし、この程度では皮を一枚切ったのと変わらない。カツノの骨は非常に複雑に絡み合っていて、何本か何十本か折れたところで動作に全く支障はない。
フランは無造作に振り回される尾を体を傾けて躱し、カツノの様子を窺う。特にフランを気にした様子はない。四本ある後ろ脚の一本に蹴りをいれても同様。この程度では脅威であると認識されないようだ。
フランは距離を取り、呼吸をする。そして、カツノが次に狙う建物にあたりを付け、その進路上に立った。
「カツノの走行に最重要なのは、八番、十六番脚。なくなれば、方向転換も急停止もできず、体勢を崩す。狙うべきは、最も存在強度の低い第二関節の胴体側」
一瞬だけ眼を閉じ、じわりと心に染み出してきた恐怖を抑え込み、更に深く呼吸をする。カツノがフランを意に介さず突進を始める。真っすぐにフランへと。カツノの巨体の影がフランを覆うほど近づいた瞬間、フランはかっと眼を見開くと、地面とカツノの胴体の間に地面を滑りこませた。
鼻の先う掠めるようにカツノの皮膚が流れていく。全身でカツノの振動を感じるほどの距離。誤った方向に僅かにでも体を動かせば、両脇の地面を削る槍のような足に全身を刻まれるだろう。フランは歯を固く食い縛ると、その両手の親指を目的の足に突き刺した。
突き刺さり破壊されたのは、フランの狙い通り八番脚。カツノは体勢を崩し、滑りながら地面に突っ伏す。勢いのあまり多数の骨が折れ、肉が弾けた。
足を震わせもがきながら起き上がろうとするカツノに、フランはすかさず肉薄し、手刀を叩きこむ。続いて、内臓をかき分けるように骨を折り、逆の手を突きこんで更に深く肉を傷付ける。深く深く、体ごと潜り込ませるように。暴れ狂う尻尾に当たったら即死だ。息を止め、臓物の中に体を鎮める。
折り、抉り、潰し、それらを繰り返し。フランは最後に血腑を握りつぶした。
息を絶え絶えにカツノの死骸から這いだし、フランは手にした血腑を一口だけ齧った。
「不味い」
一息とも言えない時間。フランは自分の右手の親指がなくなっていることに気付く。カツノの足を壊したときに持っていかれてしまったのだろう。しかし、そんな微かな休息ともいえない感想を抱くことすら
も許さないとでも言うように悲鳴が響いた。フランは顔を上げ、そちらへ走った。
悲鳴の現場はさらに酷いありさまだった。先ほどまでフランが見ていた街を戦場と形容するならば、今見ている町は地獄だった。
一面が赤。赤、血の色。大勢の人が死んでいる。市民だけではない、ケイ隊もだ。その血まみれの肉をこそこそと齧るクグチは大量にいるが、相手をしている時間は無い。それよりはるかに目を引くものがある。
それはオオグチだった。そしてメンセンだった。オオグチの背にメンセンが載っているのだ。あまりに異常な光景にフランは思わず自分の目を失った。メンセンは多数の強靭な触手を持つ狂暴な野者で、動く物ならば何でも食らう野者だ。同族さえ捕食するのだから、オオグチだって例外ではない。そんなメンセンがオオグチの背に乗って、ともに行動している。それだけでも以上だ。しかし、更に以上なのはそのメンセンの大きさ。まるで何十年も風雨に耐えてきたナガクスのように立派な胴。武器であり防具である頭部の触手の数は二十本以上。そんなメンセンが、最大の弱点である機動力を補われている状態で、城壁の中に侵入している。下手をすると、シン隊でさえ負けかねない。
そんなメンセンに相対する戦士が一人いた。その戦士はケイ隊とはかけ離れた機敏さで触手を避けているが、流石に攻撃の手が多すぎる。反撃などする暇はなく、今にも捕まってしまいそうだ。
フランは飛び込んだ。自分が負けるかどうかなど、一切考えることもせずに。
緩く、一歩。鋭く二歩。その緩急だけでメンセンの警戒をすり抜けると、オオグチの脚部に手刀を入れた。かなり固い。しかし、カツノほどではなく、メアの攻撃でも多少は通っていそうではある。
フランはメンセンの胴体にも手刀を入れると、触手に追われつつも、戦っていた戦士を引っ張りメンセンの間合から引きはがした。
「応え、ッ!」
聞き覚えるのある声だった。声を聴いたのは二年ぶりだった。
「ゴ隊の応援はまだ来てない。どうする? サフィ」
「フラン……」
茶髪の少女は、信じられないものを見たようにフランの方を見る。しかし、メンセンへの方へと視線を戻したときにはもう戦士の顔をしていた。
「ケイ隊は退け。お前じゃ力不足だ」
「そうかもな」
「真面目に聞け! あれはゴ隊分隊長と同等、いや、それ以上だ。ああなるぞ!」
サフィは死体を指さした。原型がほぼ残っていないためわかりづらいが、ゴ隊の制服を着ているようにも見える。サフィの同僚だったのだろうとフランは予想した。
「それに、あいつはかなりの部分が黒い。コゲツキになりかかっているんだ!」
コゲツキとは、黒く変色した野者のことを指す。原因は不明だが定期的に現れる野者の中でも特別な固体で、その特別さは知能と強さに現れる。コゲツキとなった野者は強さが膨れ上がる。その程度は数倍から数十倍と言われ、コゲツキに対応する場合はシン隊が出る場合が多い。また、人間並みに知恵をもち、狡猾になり、時に他の野者を指揮することさえある。
フランはぞっとしながらも、ある種の納得を覚えた。つまり、今回の元凶はこのメンセンだということだ。まだコゲツキになりきってはいないが、過渡的であってもある程度の知能を得、こうして襲撃をした。そういうことなのだろうと納得した。
二人を無視してメンセンが動き出す。行った行動は、投石だった。人間の倍以上の大きさのがれきを軽々と持ち上げ、待ちの中心に向かって投げ始めた。
次々と跳ばされるそれは第二城壁まで届いていそうだ。硬いものが砕ける轟音と、何かが崩れる音。そして悲鳴。それらが二人の耳に届く。
フランは目を閉じ、ひと呼吸。そして、呟いた。
「あれを放置は不味い。俺がやる」
「待てっ」
フランは走った。そして、メンセンと目が合う。
次の瞬間フランを襲ったのは、無数の鞭だった。包み込むように叩きつけられる職種に、サフィはフランが潰される様を幻視する。対して、フランは冷静にそれを見た。それは一見避けようかないように見えるが、攻撃としては非常に雑だった。正確にフランを狙っているのは三本。その他は逃げ場潰しと目くらまし。フランは瞬時に判断すると、よけるための動作を滑らかに始めた。
立ち位置を半歩ずらすことによって当たるのは二本に減る。腰を屈めつつ跳ぶことにより残りは一本。そして、最後の一本には、側面から全力の拳を叩きつける。
激突、粉砕。フランの拳は砕け、フランの左耳が職種に削ぎ落される。
辛うじて致命的な当たりこそ避けたものの、たった一撃で片腕が使えなくなってしまった。勿論メンセンには欠片も効いていない。
フランは濃厚な死を感じた。勝つことは不可能だと悟った。
「くっ」
「来るな!」
しかし、参戦しようとしたサフィにフランは叫んだ。豪雨のような触手を辛うじて躱しながら、サフィを制止した。。
「サフィは次だ! 俺が倒れたらだ!」
「何故!」
「その方が時間が稼げる! そしたら応援が間に合うかもしれない! 」
サフィは息を呑んだ。フランの焦げたような瞳には一切の嘘が無かった。フランは自分の死を覚悟していた。そのうえで、少しでもメンセンの気を引き、少しでも時間を稼ぐ。そう決めていることが分かった。
サフィは足を止めた。フランの考えに賛同したからではない。死ぬということを考えた途端、足が止まって質ったのだ。前に進めなくなったのだ。そしてサフィは気づいた。自分がそうした覚悟を少しも持っていないことを。
触手が掠める。皮膚がちぎれる。
触手が触れる。骨が折れる。
フランの体が少しずつ削れていく。全身が少しずつ血に染まっていく。
触手が当たったならば死ぬ。
フランはそれを心底恐れながらも、極限までの集中にその身を置いていた。
「死にたくない」
右へ、前へ。身を屈め、半足跳ぶ。左手首を犠牲に一本逸らして、叩きつけられた触手を踏んで、すぐさま左。頭皮が削れ、右ひじが粉砕。しかし、まだ避けれる。
後何手避けられる? その何手をどれだけ伸ばせる?
「死にたくない」
足と、体幹。それさえ無事なら大丈夫。最悪片足なくしても、すぐさま詰みなわけじゃない。肩までは大丈夫。それより内側は息腑が不味い。限界を見極めろ。
フランは痛みさえ忘れる極限の集中の中、二十数本の触手と相対し続けた。
そして、それはすぐに終わりが来る。
「死にたくな……!」
フランの左腿が捕えられ、致命的に骨が折れる音がする。皮が千切れ跳ぶ音も一緒だ。
残り七手。フランの脳は冷静に判断し、数える。
片足で背後へ飛び。
すぐさま前進。
左へ転がり。
右足で攻撃を受けて吹き飛ばされる。
そのまま右肘で跳ね。
後転し。
詰み。
フランへ同時に遅いかかる十本の触手。見上げたフランの顔に影が差し、夜のように暗くなる。
しかし、メンセンを睨み付けるフランの目に映ったのは死神などではなかった。
「コゲツキ? いや、まだ成ってはいないか」
フランの目の前にはいつの間にか一人の男が立っていた。しかも、その男は十本の触手を片手で受け止めていた。受けとめるどころか掠るだけでフランの体を削ぎ落していたそれを、書類の山でも抑えているかのように軽々と。
男は無造作にそれを払うと、気合いと共に右の拳を突き出した。
その男の一撃を受け、メンセンの太い胴体が吹き飛ぶ。まるで巨人の拳のような威力。紫の血を浴びつつ男はフランの方を見た。
「大丈夫か。君は……まさか、ケイ隊? いや、今はそんな場合ではないか。医療班、逆干渉を! 全力の処置だ」
「はいっ!」
その男をフランは知っていた。いや、この国で、隣国の民でさえ、知らぬものはいないだろう。
男の名はウネロノス゠ハユウ゠ルージェ。
ヌルハの国最強の称号を関する、ヌルハの国最強の戦士だった。




