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十三話 失敗

 フランは気づけばナガクスの群生地に突っ立っていた。王都の中とはいえ、稀に擬態したメンセンが紛れ込んでいることもあるため、非常に危険だ。しかしそんなことはどうでもよかった。フランは呆と虚空を眺めている。

 何もなくなった。すべてが無駄になった。そんな虚無感がフランを包んでいる。

 別に腕や足を失ったわけではなく、五体は満足。家を追い出されたわけではなく、仕事がないわけでもなく、姉は優しく気を使ってくれている。そんな状況の一切が何の慰めにもならない。やるべきことはある。たくさんある。しかし、フランにはやりたいことがなくなってしまった。唯一の目標に、最大の目標に、月に手を伸ばすがごとく届く気がしない。無力さ。非力さ。

 フランはアーナに縋り付きたかった。見捨てないでくれと、まだ俺はやれると。しかし、そんなことをしてもアーナが振り返ることがないことを知っていた。だからしなかった。しても意味がなく、それは無駄に自分を傷付ける行為であり、しても笑われるだけだ。だからしなかった。そう考え、まだ自分に見栄をはるだけの気力があることに驚く。あの好きは嘘だったのか、自分を簡単に捨てることができるのか。自分たちの間には何もないとは知りつつも、そんな言葉が喉から出てこなかったのは、自分のちっぽけな矜持を守るためだったのだ。フランは乾いた笑いを漏らす。

 頬が引き攣り、喉が掠れた。すぐに笑いを止める。しかし、表情は引きつれたままだ。いつもの表情に戻そうとし、上手くいかないことに驚く。いつもどのような表情をしていたのか。自分はどうやって表情を作っていたのか。全く思い出せない。上手く顔を操れない。

 フランはふらふらと歩き、小さな泉へと向かい、水面に顔を写す。そこには歪に笑う少年の顔が写っていた。なんとも不気味な表情だ。片目が中途半端に閉じ、目じりはひくひくと痙攣し、口の端は糸で結んで引っ張ったかのようにゆがめられている。余裕のある表情を、こんなことは何でもないという表情を創ろうとするが、作れない。どうしても泣くことを我慢しているような、笑うことをこらえているような表情になってしまう。鼻の穴が勝手に膨らんでしまう。眉の動かし方さえ分からない。喉まで痙攣して来た。

 妙な音が聞こえる。まるで野者が死ぬ間際に発する悲鳴のような、くぐもった破裂音。

 水面が揺れる。水中から何かが襲ってきたのかとフランは慌てて身を逸らすが、特に何かが飛び出してきたりはしなかった。相変わらずくぐもった破裂音は響いている。

 音の発信源を探そうとするが、気付けば景色がぼやけている。手で目元に触れ、フランはようやく自分が泣いていることに気付いた。妙な音も自分の喉が発している嗚咽だった。

 自覚をするともう駄目だった。次から次へと涙は溢れ、抑えることのできない嗚咽は低い唸り声として響く。それに反応してナガクスはざわめくが、幸いなことにメンセンが紛れていたりはしなかったようで、特に襲い掛かってくることはない。フランは地面に両膝を着き、体を丸め、自分の額を砂にこすりつける。

 悔しい、悔しい、悔しい!

 フランは拳で地面を殴りつける。とふ、という鈍い音が唸り声に混じる。それで気が晴れるわけではないが、それを止めることはできなかった。普段の鋭さは一切感じられない動きで、フランはめちゃくちゃに両こぶしを叩きつける。

 悔しさだった。怒りでも憎しみでもなく悔しさだった。勿論自身を嵌めたプルトへの怒りはある。あっさりと見限ったアーナへの憎しみがないと言ったらうそになる。しかし、それ以上に自身の無力さが悔しかった。馬鹿にされ、罵倒され、殴り倒されてもやり返すこともできない無力さが悔しかった。どうすればいいのかわからない。そのもどかしさが悔しい。これから先のことは努力でどうにかなることではない。自身がなにかをすれば変わるというわけではない。もうフランの未来は決定してしまった。そのことが悔しい。今までの努力は何にもならなかった。全ては無駄だった。戦士として前線で戦うことも、最強を求めて覇を競うことも、アーナの隣で笑うことも、全部全部。フランに選択の余地はない。そのことが悔しかった。

 拳が痛くなってきた。爪が手のひらに食い込んで血を流している。強さを逃がす無為な行為だ。すぐに止血をするべき。フランの冷静な部分がそう呼び掛けてくる。しかし、同時に冷酷な部分が言う。何のために? もう自分に強さなど必要ないのに、そんなことを気にする必要があるのか? そう囁いてくる。

 ケイ隊に強さなど必要ない。相手をするのは一般人。既にフランは屈強な成人男性だろうと容易く制圧できるだけの技量も強さもある。鍛錬も、サンジュも、フランには必要ない。何かを目標に努力する必要はない。

 雑用をし、上司にいびられ、適当に仕事をこなして、帰って酒を飲んで寝る。そんな日々を繰り返し、適当に結婚をし、適当に生きる。おそらくはそうだ。それで終わる。フランの一生はなんとも普通な未来に圧し潰される。フランはその様子が容易に想像できた。

 想像した自身の未来の姿が、くたびれた文官の衣装を纏い背を丸めて歩く父の姿と重なる。フランの喉に妙な笑いがこみ上げてきた。子は親の欠片。そんな諺が思い浮かび、まさにそれが体現されるのだと考えたとたん、フランはおかしくてたまらなくなった。

 笑い、しかし、すぐにそれは病み、また涙がこみ上げる。どうにも感情が制御できない。こんなことは生まれて初めてだった。

 不意にナガクスをかき分ける音がした。

 フランは顔を上げ、自身を見て目を丸くしている少女と目が合った。

 二人はお互いに見つめあう。フランは思考が停止しているためにただ観察し、少女は目の前にいる少年の酷い姿に驚き動きが止まる。

 フランは口を開こうとし、何を話してよいかわからず口を噤む。そして、自身の有様に気付き、思わず顔を逸らした。涙で濡れ、砂で汚れた顔。服も仕事で汚れているし、手からは血を流している。なんとも酷い。もしこれで泣き叫んでいた様子を見られていたとしたら。そう考え、フランは直ぐに逃げ出そうとした。

 そんなフランの腕を少女が掴む。フランは瞬時に判断し、これ以上なく颯爽と立ち去ったつもりだったが、実際は地上のハネモチの如くのろのろとした動きだったらしい。明らかに一般人である少女に腕を掴まれてしまった。振りほどこうにも、力が入らない。

「あの、怪我してる」

 フランは何も答えず腕を振りほどこうとした。しかし、少女は予想外に強い力で掴んできていて、振り払えない。

「治療しよう。強さが逃げちゃうから」

「要らない」

 低い声だった。まるで少女に対して強い怒りを抱いているような声だ。少女はびくりと震え、それを見てフランは自分に呆れる。まるっきり八つ当たりだ。しかも、照れ隠しがひっくり返ったなんとも言えない羞恥心から来ている。はっきり言って情けない。

 しかし、フランの予想とは異なり、少女が手を離すことはなかった。

「こっち。ここらは危険だから、あっちに家があるから」

 少女が指さす方向には、確かに家があるようで、煙突が見えている。見覚えのある煙突だ。フランはここが自身のエリィナの家の近くであることに気付いた。

 こんな情けない姿をに見せることになる。それだけでフランの足を止めるには十分だった。しかし、少女は強く腕を引く。少しの間、無言の引っ張り合いが続いたが、先に力を緩めたのはフランだった。馬鹿らしくなったのだ。見知らぬ少女に見られてしまった時点で、フランの矜持など既に襤褸布のようなもの。エリィナにあったからと言って何かが変わるわけでもない。そう諦めた。

 少女はフランを引っ張ってエリィナの家まで行くと、慣れた様子で玄関の戸を叩く。

「エリィナ様。こんにちは。いつものものをお持ちしました」

「はいはい、いつもありがとうね。あら」

「すみません、ちょっとお水をお借りしたいのですが。大丈夫ですか? あ、こっちの子はさっきそこで見かけて、怪我してたから思わず連れてちゃったんですけど」

 出てきたエリィナはフランを見て固まる。が、すぐに意地悪そうに笑うと二人を中に通した。

 フランは居心地悪そうに示された椅子に座る。開き直ったつもりではあったが、思った以上に気まずい。そんなフランの気を知ってか知らずか、少女が席を外した途端にエリィナが話しかけてくる。

「随分と立派な格好だね、フラン。珍しく男前だよ。おまけに女の子に手を引かれてアタシんちに来るなんて、巨人のしっぽでも見た気分だよ」

「……そんな珍しいもんじゃない、ですよ」

「いやいや、お前が泣いているのなんて何年ぶりだろうね。それこそ生まれた時以来じゃないかい? 珍しい珍しい。少なくともタロ坊がアタシんとこに泣きに来る回数に比べたら巨人と人間みたいなもんさ」

「あいつそんなことしてるんですか……」

「おや、知らなかったかい? じゃあ余計なこと言っちまったかもしれないね。まあ余計ついでに教えておいてやろう。あいつが家出した時はまずアタシんちに来る。そんでしこたまアタシの胸で泣いた後、お前のことをほめちぎるんだ。兄ちゃんは恰好いい。兄ちゃんみたいになりたい。けど上手くいかない。兄ちゃんに褒められた。また兄ちゃんに負けた。兄ちゃんみたいに強くなるんだ。そんなことばっかだよ。耳からマキクサが生えてきそうさ」

 フランは何も言えなかった。

 少女が戻ってくる。エリィナはにやにやと笑みを浮かべた。その表情に少女は不思議そうな顔をするが、気にしても仕方がないと判断したのか、素早くフランの傷の処置を始める。

 泥をぬぐい、水で血を洗い流す。けがをした時に最も気にするべきはシロチの侵入だ。もし体内に潜りこまれてしまったら、内側から肉を食い荒らされてしまい、最悪死に至る。まあそこまでよくあることではないが、気にかけて気にしすぎることはない。シロチは青水が苦手なので、軽く塗りつけるだけて逃げていく。少女はまるで医療師のように、手際よく処置をした。メアは反応をするのも面倒になり、少女のなすがままになった。

 少女がぼつりと口を開く。

「今日ね、楽しいことがあったんだ。隣国のお姫様が来ているのは知ってるよね。そのお姫様がお忍びでわたしの家の店に来てさ、私の作った首飾りを買っていってくれたんだ。とても可愛いって褒めてくれた」

 少女が何を言いたいのかわからず、フランは黙って聞く。

「それなのにさ、お父さんってば、私のことを叱るの。なんてことをしてくれたんだお前はって。確かに良心に黙って私の作ったものを店に置いていたのは悪かったとは思うけど、褒めてくれたんだからいいじゃない? そう思わない? けど、そう言ったら更に怒ってさ、もう会話もできないの。お母さんは気にしてなかったからまあいいけど、男の人って何を考えてるのかわかんないよね」

 知るか。そんな返事をすることさえ億劫だった。それより、フランは少女の真意をつかみかねていた。

「で、そんなことを友達に話したら、そうだよねってわかってくれてさ、それだけで結構嬉しいものなんだよね。人に話すだけでさ、結構気は楽になるんだ」

 少女がフランの手から目を離し、視線だけでフランの方を窺う。それを見て、フランは自分が同情されていることを悟った。

 フランに湧きだしたそれは屈辱だった。

「だから?」

「え、いや、その」

 フランは自分がどんなに無様な姿をしていたかは把握している。惨めで、汚くて、しょぼくれていて。だが、そんなことで同情してほしいわけじゃなかった。そんな表面的なもので自分を判断されたくなかった。

「話せって? 名前も知らないお前に?」

 少女は痛そうに顔をしかめる。そしてフランの気持ちに同調したかのように、眉を顰める。

 その動作でフランは悟った。読まれている。自身の気持ちを。自身の感情を。どの程度のものかはわからないが、この少女は読心能力を持っていて、フランの内面を覗き込んできている。

 フランの心に今度は激しい怒りが湧く。同情されるのはまだいい、不快になるだけだ。所詮相手の想像で自分の心を想像されているだけなのだから。しかし、心を読まれたうえで同情されるのは我慢できない。心を読んだ程度で知った気になられるのが、この気持ちを理解したように口を出されるのが、これ以上なく腹が立つ。

 焦げたような瞳で少女を睨み付ける。

 少女はひるまずに睨み返してきた。

「分かるから」

「分かったような口をきくな」

「本当にわかっちゃうんだもん」

「そんなもんは偽物だ。知ったような口を聞くな」

「じゃあ、この気持ちは何! 胸が裂けそうでさ、ぽっかりと大事なものがなくなっちゃったようでさ、絶対に届かなくなっちゃったみたいな、気持ちは何よっ」

 その噛みつくような口調がさらにフランをいらだたせる。

「知るか」

「何よその口ぶり。心配してるのに!」

「俺は頼んでいないだろう。傷の手当はありがたくないことはないが、別に頼んでない。どうでもよかったこんなもの。こんな傷。強さなんて、シロチなんて。一切気にしていない。どうでもいい。どうでもいいんだ」

「なに、それ!」

 少女はフランの頬を張った。フランはよけなかった。いくらフランの存在強度が低いとはいえ、一般人の少女に殴られたところで痛みなどない。むしろ少女の掌の方が痛いはずだ。もし痛いとしてもフランはよけなかったか、結果的に少女の掌が赤くなるだけだったが、そんなことは少女にとって百も承知だった。

 少女は目に涙を浮かべると、自分の持ってきた籠をひっつかんで飛び出していった。

「女の子を泣かすなんてねぇ。悪い男に育ったもんだ」

 くすくすと笑うエリィナを無視して、フランは立ち上がった。立ち去るつもりだった。家に帰るのは嫌だったが、少なくとも自分の部屋ならば一人になれる。そう考えての行動だった。

 しかし、フランはエリィナに正面から抱きしめられ、動けなくなった。エリィナの手が優しくフランの頭を撫でる。顔が胸に埋もれて息ができないが、フランは抵抗ができなかった。

「よしよし」

 エリィナは優しくフランの頭を撫でる。赤い髪を漉くように指に絡ませ、まるで幼子をあやすかのようにフランの頭を撫でる。

 一人になりたかった。フランはエリィナを突き放そうとし、その感情が本当かどうか分からなくなった。いや、はっきりと分かった。別に一人になりたかったわけじゃない。ただ自分を慰めたかった。誰でもいいから、別に自分でもいいから、誰かに慰めてほしかった。そのために一人になりたかっただけだ。だからこんなにもエリィナの手が心地よい。その優しさから逃げることはできなかった。

 再びフランの眼から涙があふれてくる。あれだけ泣いたというのに、まだ泣き足りないという事実が、フランを狼狽させる。こんな有様ではタロトを叱ることはできない。こんな泣いてばかりでは、笑われてしまう。

「よく頑張った。フランはよく頑張ってるね。アタシは知ってるさ。ずっと我慢してることだって知ってるさ。恰好つけたがりだからね、うちの家系はみんな。強いんだ。だから我慢するし、頑張るんだ。フランは信じられないかもしれんがね、お前の父親だってそりゃあ頑張ってるのさ。お前の姉だって、弟だって、アタシもね。頑張るのさ。そうするしかないんだ。強さがどうとかじゃなくてね」

 優しく背中をさする。とんとん、と二回たたく。再びさする。叩く。

「さっきの子もね、優しい子だよ。頑張ってる。相手の気持ちを勝手に読んじゃうから、気にしなくてもいいことを気にして、頑張って、結果として傷ついても無視することはできないんだ。アタシの甥っこによく似ててね、思わず気をかけちまうのさ。だからそんなに邪険にしちゃだめだよ。お前としては気持ちの悪い偽善に見えるかもしれないけどね、本物だとか偽物だとかにそんなに意味はないんだ。わかってるだろう? わかってても気にしちまうのは似てるからさ。何と何がとは言わないがね」

 エリィナの手がフランの両頬を掴み、無理矢理顔を上げさせる。フランは泣き顔を見せたくなくて抵抗するが、どうにも逆らうことができない。

「別に泣いたっていいのさ。隠してもいいし、隠さなくてもいい。誰かに愚痴を言ってもいい。落ち込んでもいい。投げ出してもいい。そうやって生きるしかないのさ。けどね、やっぱり最後は、頑張らなきゃいけない。いや、少し違うか。頑張るしかない。そう、頑張るしかないのさ。アタシたちは気にしちまうからね。おまけになんとも頑固で我が強くて、往生際が悪い。諦めきれない。悔しい。悔しい。悔しくてたまらない。儘らないことは許せない。だったらどうするかって、頑張るしかないのさ。で、疲れたら止める。けど、また許せなくなったら頑張る。そうやっていくしかないのさ」

 わかるだろう、とエリィナの目が語りかける。フランはそれに目で返事をする。

 わかっている。

 フランがもがいていた理由は単純だ。諦めきれなかったからだ。周囲の環境が、状況が、諦めろとフランに告げる。もう何もしなくていいと告げる。お前には何もできないと告げる。フランもそれを理解していて、折り合いをつけようとする。けど、フランは諦めきることができない。完全にやめたつもりであっても、心のどこかではあがこうとしている。だからフランは苦しんでいた。その抵抗がフランの心を苦しめていた。

 しかし、エリィナは言った。頑張ればいい。頑張るしかない。

 諦めるか、頑張るか。

 単純な話だったのだ。

「エリィナさん、俺、頑張るよ」

「そうかい。好きにするといいよ」

 エリィナはくくくと笑った。

 フランは頭を優しくなでられながら、拳を強く握りしめた。

躍進の章、完結です。

次は希望の章になります。

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