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十話 青水

 家族との会話はぎこちない。同窓生との会話もぎこちない。今まで普通にやっていたのが嘘だったかのように、何もかもが少しずつずれて感じる。

 挨拶や、ちょっとした手助け。掃除の手伝い、怪我をした相手への気遣い。目があった時、すれ違った時、いつもなら意識せずにしていた動作。そんな何気ないことが上手くできない。

 フランは口数少なく、周囲の人々も同様だった。グレグだけは遠慮がちに話しかけてくるが、それもフランがそっけない対応をしているせいか、普段より格段に少なかった。

 季節が変わってたった四日で、随分と周りが変わってしまったようにフランは感じた。

 しかし、変わらないこともある。フランがやるべきことはたった一つだけ。全力で戦うだけ。それだけは変わらない。

 プルトにはもう勝てないかもしれない。グレグにだって、サフィにだって勝てないだろう。何かをしようにも時間がない。小細工でどうにかできるようなものでもない。しかし、それがなんだ。エイ隊に入れないだろう。ゴ隊にも難しいかもしれない。が、難しいからなんだ。戦うんだ。戦え。フランはそれを呪いのように唱えつづける。

 フランは気づけばあたりが暗くなっていることに気付いた。自練円で落ち着くために形稽古をしていたのだが、普段以上に集中できていたようだ。時間の経過が非常に早く感じた。

 気持ちとしてはまだまだ続けて居たい気はするが、明日はもう試験だ。フランは手早く場を掃除すると、帰ることにした。

 門衛に挨拶して帰る。門衛はいつもの人とは違って、それがどこか残念なような、有難いような、不思議な気持ちになった。空は既に赤から黒に変わっていた。

 道を歩き、明日のことを考えるフラン。

 冷静に可能性を考えてみる。最も実戦が多いのはユウ隊だ。都市周囲の野者の駆除。野者の巣への遠征と駆除。国境の警備。サンジュの機会だけは豊富だ。命の危険があることと名誉のサンジュがないことを除けば、悪くはない。ユウ隊からハユウになった戦士も歴代で二人いる。可能性はある。ゴ隊なら少し楽だ。名誉のサンジュが多目であり、要人の護衛、ユウ隊にも手の負えない野者の対処、他国への諜報活動。こちらもやはり実戦が多く、質の良いサンジュが多く受けられる。問題は実戦の頻度か。貴重な人材を失うのを恐れ、出足が遅いこともままあるからだ。最も良いのはシン隊への入隊だが、毎年一人、少ないと一人も入れることがない。大抵はゴ隊からの栄転。今のフランには望むべくもない。

 目標はゴ隊。駄目でもユウ隊。そう考えると悪くない気がしてきた。ただ油断はできない。今のフランの強さは十二。ユウ隊の戦士の平均は三〇。ゴ隊の隊長は五〇〇。ハユウになるには一〇〇〇もの強さが必要とされる。努力でどうにかなるものではない。

 強くなければならない。体だけではなく心も。フランは強く拳を握った。

 と、足早に歩くフランの正面から三人の男が歩いてきた。三人とも足取りが悪い。どうやら青水――野者の血に酔っているようだ。高揚感を得、恐怖感を除く効果のある青水は使いようによっては有用であるが、飲み過ぎると感覚が鈍り理性が緩む、魔の水だ。弱い戦士が頼ることもあるが、フランはそれを毛嫌いしている。

 三人の男は戦士ではあるようだった。体つきや拳の形がそう物語っている。しかし、現在もそうなのかはわからない。伸ばしっぱなしの鬚。不健康そうな隈。何より、目が淀んでいて覇気が感じられない。顔の大きな傷や体を動かすことがやや億劫そうなところを見ると、既に戦士を辞めて長いのかもしれない。

 フランは少なからずその三人を嫌悪した。どうしようもなく弱く感じられたからだ。だが、それがよくなかったのだろうか。フランと三人がすれ違うその瞬間、フランはそのうちの一人に腕を掴まれた。

 低い声で男が呟く。

「てめえ、俺たちを見て笑ったろ」

「……笑ってません」

「うるせぇ、こっち来い」

 腕を引かれる。予想外に投力が強く、フランの踏力では踏み止まることができなかった。

 判断に迷った。ただついて行くなんてことは言語道断だが、さりとて引きはがすことはできない。殴りつけて離させるという手もあるが、相手が荒っぽい手段を取ってきているわけではないため、そこまでするのは躊躇われた。女子供のように悲鳴を上げて人を呼ぶなんてことは、フランの頭にはちらりとも浮かばなかった。

 結局、フランは相手がもっと直接的に危害を加えようとしてくるまでついて行くことにした。

 いざとなれば適当にあしらって逃げれば良い。その程度の認識だった。

 通りから狭い路地へと引っ張り込まれる。顔に刺青を入れた男を先頭に、浮浪者のような身なりの毛むくじゃらに手を引かれ、腰の曲がった小男が後ろに続く。

 従順についてきたフランが予想外だったのか、少し驚いた顔をしながら、刺青を入れた男がフランに向き直った。

「おいおい、凄い度胸だな坊主」

「もう坊主じゃない。十六、成人済みだ」

「そりゃ失礼。で、こんなところに引っ張り込まれたんだ、良い大人の坊主は何が起こるかわかるよな」

「暴力は止めてくれ。怪我はしたくない」

 けむくじゃらが笑う。どぶのような臭いがフランの顔に吐きかけられ、フランの眉間にしわが寄る。

「ならスミマセンってあやまれよぉ。ほら。馬鹿にしてすみませんでしたってよぉ」

「馬鹿にしていない」

「謝れよぉ」

「謝る理由がない」

「むかつく奴だなぁ」

 フランが手を振りほどこうとすると、予想外に簡単に振り払うことができた。しかし、三人にもうフランを留めておく気がないかというとそうではない。三人でフランを逃がさないように取り囲んでいる。

 素早く周囲に目を走らすが、人が住んでいる気配はなかった。表ならばこうした区域はほとんどないのだが、裏は歯抜けのように人の住まない区域が存在していた。

 狭い路地、前後を挟まれている。サフィのように身軽だったならば、雨樋や庇などを踏んで上へと逃げてしまうのだろうが、フランがそれをやるには速力も踏力も足りない。一番手っ取り早いのは後方の小男を小突いて逃げることだが、そうするなら最初からそうしていればよかったという後悔が湧き、フランは溜息を吐きそうになった。

 フランは軽く手首をほぐす。

 次の瞬間、フランの腹に拳がめりこんでいた。

 息が止まる。干渉力が腹を荒れ狂い、フランの胃液を逆流させる。息が詰まる。動くこともできない。

「生意気な餓鬼だ」

「よわっちいのにねぇ」

「運ぼうぜ。縛れ縛れ」

 伸びてくる手を払いのけようとするが、その抵抗もたやすく抑え込まれる。干渉力の通しにくい膊に縄を通され、後ろ手に縛りあげられる。

 フランは混乱した。相手の力を見誤っていた。それ自体はまだ分かる。そもそもフランは計ることが苦手だ。優れた五感もないため、見誤ること自体はおかしいことではない。しかし、フランを一撃で伸せるほど強い相手が、こうして浮浪者然としていることが理解できなかった。仮にも武官の卵であるフランを容易く制圧することができるならば、まだ前線で戦っているのが普通だ。それに、こうした強さを持つ戦士が無法な真似をする理由もない。意味がわからなかった。

 しかし、このままでは不味いことは分かる。理由を話せば、明日あることを話せば話してはくれるだろうが、手ひどく痛めつけられる可能性はないこともない。

「明日は」

 しかし、口に何かを詰め込まれる。噛み切れない。しゃべれない。

 フランの焦燥が増した。フランは担ぎ上げられ、運ばれる。行き先は、地下だった。路地を通り、わき道に入り、階段を降りて、地下へ。悪臭が鼻を突く。暗くてよく見えないが、血の匂いさえする。焦燥は不安へと変わり、さらにまた別の得体の知れないものへと変化してゆく。

 フランはネリト造りの椅子に縛り付けられ、頬を張られた。

 口に含んでいるものを吐き出し咳き込むフランを照らすように灯りが点いた。壁は土壁。床は硬質だが、素材は分からない。狭い部屋だ。四人いるだけで満員で、これ以上人が入ると圧迫感を感じる程度の広さ。地下だからか窓はない。

 男たちは各々部屋を歩き回り、部屋のものをひっくり返している。

「げほっ、ごほっ、何を」

「お仕置き」

「躾さぁ。悪い子供には世界の仕組みをおしえてあげなきゃね」

「大丈夫だ。別に殺しやしねーよ」

 その言葉がどこまで本気なのかフランには計りかねた。だが、何と言えばいいのかわからない。

「明日、明日は」

「明日? ああ、そう言えば十六って言ってたな。じゃあ明日はあれか、試験か」

「そう、だから」

「くっ、そりゃあ残念だ。台無しになるな。全部」

 刺青の男が笑った。頬に彫ってある巨人の顔も引っ張られて歪み、やはり笑って見せた。

 何を言っているかわからなかった。

 それを理解した時、血の気が引く音が聞こえた。フランの耳にそれがざらざらと流れていく音が反響する。

「ふっ、ざけているのか、試験が、どれほど大事か」

 辛うじて絞り出したその言葉を、三人の男はせせら笑う。

「知らねーなぁ。わかんねーなぁ」

「知らないって! ふざけるな!」

「ってかこいつ未だこんな口きいてるよ。自分の立場わかってんのかね」

 刺青の男がフランの前髪を掴んで無理矢理上を向かせた。

「強い戦士になりたいのか。そうか。残念だな。諦めろ」

 フランは殺意を込めて睨み付けた。しかし、それも鼻で笑われる。

 フランは三人が本気で言っていると判断し、すぐさま思考を切り替えた。解決策を考える。喚いているだけでは何も変わらないと判断した。

 今更謝ってもこの三人が拘束を解いたりはしないだろう。殺しはしないというのは恐らく真実。流石に勢いで底までやるような人種が王都地いるとは思っていない。だが、二、三日監禁程度はする可能性が在る。そうなると困るが、それはそれとして死にさえしなければ問題ない気もする。ケイ隊は優秀だ。強さこそないが、一般人の犯罪の解決率は高い。そこまで露骨な犯罪となったならば動いてくれるだろう。

 しかし、そうなると試験には出ることができない。後日の再受験などは可能なのだろうか。可能だとしても心証は悪くなるだろう。できればそれはしたくない。

 小男がつまらなそうにフランの顔を殴りつけた。

「黙ってんじゃねーよ。ほら、泣きわめけって。おら」

 フランは睨み付ける。男の拳は痛い。フランの存在強度は低く、男の干渉力は高い。しかしそれでも弱音は言いたくなかった。

 更に何度か殴られ、鼻血が流れるが、フランは黙って男たちを睨み付けた。フランの反応は男たちの気に入るものではなかったようだ。苛立たしそうにけむくじゃらが舌打ちをする。

 刺青の男が不意に高く笑った。横顔の巨人の刺青も吊られて笑う。

「良いこと思いついた。おい、餓鬼。明日の試験とやらはいつからだ?」

「ヒノ刻」

「ほう。じゃあ、その半刻ほど後に開放してやろう」

 刺青の男の真意がわからなかった。が、決して良い意味でないことは、その愉快そうな表情から想像がつく。

「いや、悪かった。そんな監禁なんて物騒なことはするべきじゃない。そうだ、飲もうか」

 男は懐からナガクス製の容器を取り出した。ぷん、と青水の匂いがする。

 フランより先に他の二人は気づいたようだった。

「たしかになぁ。俺たちはちょっと喧嘩しただけよなぁ。別にそれくらいよくあることだろぉ」

「青水飲んで仲直りしよーぜ。まあ仲直りの前にもう少しばかり殴らせてくれ」

 フランの腹が殴られ、えづいた顔に青水がぶちまけられる。いくらか口に入ってしまったそれは酷く苦かった。

「飲め飲め。まあ飲み過ぎると多少間違っちまうこともあるが、それもそれ。楽しもうぜ」

「明日寝坊しないと良いなぁ。なんせ今日は喧嘩で疲れたからなぁ」

「いやいや、お仕置きなんて終わりだ。悪いことしたらケイ隊に捕まっちまう。さ、仲直りだ」

 フランは理解した。

 それは最悪だった。

 何かを言おうと口を開けたフランの口に他の男からも青水が注がれた。せき込み、飲み込む。胃の底から恐怖と共に浮遊感が這いあがってくる。

「やぷぇっ、やめろっ」

「おいおい、こんなんで泣きわめくなよ。戦士は強く正しい心が必要なんだろ。じゃねーと強さが貰えないんだろ」

「やめろ、やめてくれ」

「大丈夫だって。明日の朝にはさよならだ。まあ成人済みだしな、一晩くらい家に帰らなくても問題ない」

「嫌だ、やめろ」

「ははぁ。美味しいなぁ。青水は最高だぁ。これを飲んじゃいけない戦士は大変だぁ」

 叫ぶフランに、巨人の刺青をした男が笑った。

「明日は遅れないといいな?」



 フランは足を引きずりながら進む。吐き気が酷くて走ることはできない。気分は最悪だ。思考が纏まらない。

 瞼が腫れているせいか視界が狭まっている。鼻血が詰まって息がしづらい。そのせいだろうか。世界が赤くにじんで見えるのは。虹色に輝いて見えるのは。白と黒で塗りつぶされて見えるのは。

 太陽がまぶしい。

 風が煩い。

 石畳が足を突き刺してきて、振動で命器がガンガンと絞られているようだ。

 足がもつれる。

 こけてしまった。

 立ち上がり、這うように進む。

 門を潜り王城庭へ。門番に何か聞かれた気がするが、何と答えたかは覚えていない。

 くるくると世界が回る。

 人がたくさんいる。

 整列している人から誰かが飛び出してくる。

「青水の匂いがする」

 世界が回る。

「何をしていた」

「遅刻」

「くるくるぱー」

 楽しい。

 全然楽しくない。

「傷がかゆい」

「混乱、混迷、怠惰」

 何を言っている。

 わからない。

 グレグと目が合った。

 プルトに泣かれた。

 サフィがどついた。

 気がする。

「なにが」

 わからない。

 フランは意識を手放した。

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