一話 四人
フィクションです。
二人の少年が拳を構えたまま緊張した面持ちで向かい合っていた。二人を取り囲み、真剣な表情で見詰めく周囲の人々も同様。興奮した息遣いと、身じろぎによる砂の音だけが響く。
向かい合う少年の内の一人は夜のような黒髪が特徴的な少年。中肉中背、肌はそこまで焼けておらず、長い髪を背で一つに括っている。構える姿には少し硬さが残るが、十五という年齢を考えると十分過ぎるほど堂に入っている。
一方、もう一人の少年は燃えるような赤毛をしている。体格は良く、肌もよく焼けていて、眉を顰めた顔は幼さを残しながらも厳めしい。しかし、何よりも特徴的なはその目だ。色は焦げたような黒褐色。虹彩のあちこちに傷をつけたかのような金色の筋が入っており、それが時折陽の光を反射して煌めいている。優秀な戦士が持つとされる目だ。
二人の間に立っていた初老の男が手を下ろした。すると、二人の間の緊張感がさらに高まった。開戦の合図だ。
ぱっと赤毛の少年が前に出る。指の先までぴんと伸ばした手を突き刺すように振るう。黒髪の少年はなんとかそれを躱すが、対応するのに精いっぱいで反撃ができない。赤毛の少年の動きは迅く精密であり、<干渉力>の高い部位を〈存在強度〉の低い部位へ的確に当てようとしている。いくら赤毛の少年の干渉力が高くなくとも、黒髪の少年の存在強度が高くとも、それをひっくり返すことができるだけの攻撃だ。
矢継ぎ早な猛攻。攻めるのを止めたら負けだとでも言わんばかりに、赤毛の少年は動きを止めない。
我慢比べのような攻防が少しの間続いた。が、先に体力が尽きたのは仕掛けた側である赤毛の少年だった。赤毛の少年は少し間を取り、息を吸い込む。その隙を逃さず、黒髪の少年は反撃に出る。
弧を描いた手刀が赤毛の少年の腕を打ち、構えを崩した。次いで繰り出される拳は当たらなかったが、赤毛の少年の体勢を崩すことに成功する。たったの二打で形勢は逆転した。それは一重に二人の〈強さ〉に差があるためだった。
黒髪の少年は勝利の確信と共に拳を打ち下ろす。
しかし、それは罠だった。興奮によって冷静さを失っていた黒髪の少年は、自身の足を狙う赤毛の少年の蹴りに気付くことができなかった。干渉力こそ低いものの、踵は〈流力〉の高い部位。その一撃は黒髪の少年の足を宙に浮かせ、体を傾かせる。
地面に肘をついた黒髪の少年の喉に、赤毛の少年の親指が突き付けられる。一押しで喉に穴が開く。誰が見てもはっきりとわかる、詰みの体勢だった。
老人が手を上げると、周囲からわっと歓声が沸いた。張り詰めるような場の空気が緩む。
黒髪の少年が悔しそうにつぶやいた。
「また負けた……が、次は負けないからな。フラン」
「俺だって負けないさ、プルト」
赤毛の少年はそう言って黒髪の少年に手を差し伸べた。
ヌルハの国では外敵である〈野者〉の脅威に対応するために武官の育成に力を注いでいた。同じ大陸にある国はどこもそうだが、ヌルハの国は特に武力を求めていた。なぜなら、ヌルハの周囲は荒涼とした砂原。クスもまともに生息していない土地。野者たちの生存競争は苛烈であり、餌として獲りやすい人間はいつだって狙われている。どんな生物にも見境なく襲い掛かる狂暴なクグチ。人間の作った城壁を破壊するのが好きなカツノ。空から集団で襲い来るハネモチ。人間を食すること自体が好きなナガテ。積極的に武官を育て、強さを蓄えなければ、国などすぐに滅んでしまうような地獄のような環境だったからだ。
赤毛の少年、フランは武官の卵だった。それも、文官の父を持つという変わり種でありながらも将来を嘱望されているという変わり種。戦士鍛錬場と呼ばれる国営の施設に通い、日々肉体と精神を鍛えている。所謂、武官の幹部候補生だった。
「フラン、お疲れ様」
座り込んでいるフランに対して液体の入った袋が差し出された。フランはそれを受けると、差し出してきた人物を見上げた。
「ありがとう。グレグ」
それを差し出したのは茶髪の少年だ。背はやや低めだが姿勢がよく、太っているわけではないがそれなりに筋肉はついている。その特徴の乏しい外見の中、すっと細い目が唯一の特徴だった。
グレグはフランの横に座り込む。フランは気にせず袋の飲み口を開き、その匂いに顔をしかめた。
「甘い匂いがする」
「それ、最近町の子たちの間で流行っている、ハナクスの体液を溶かした水。貰い物だから飲んじゃっていいよ。あげるあげる」
二人がいるのは戦士鍛錬場の水練の間。すり鉢状の人口の池に付近の小川から水を引き、常に水を満たしていることにより、遠出せずとも水中での戦闘を想定した訓練を行えるという施設だ。しかし、戦闘に用いるには規模が中途半端なこと、あまり派手に行うと水が飛び散って浅くなってしまうことからあまり使用されず、フランのように涼むことを目的にした人しか訪れないという不遇な施設だった。
フランは池の水を脚で散らしながら、袋の水を一口飲んだ。
「……これ、本当に血か? 甘過ぎる」
「製法ははっきりと知らないけど、材料は水とハナクスだけだってさ。それなりに高級品らしいよ」
「強さは?」
「残念ながらあまり得られないみたい。けど普通の水よりはあるはず。血だし」
「そうか。依存性はないよな?」
「い、依存性なんて無いよ! 青水でもあるまいし。別に気分が悪くなったりもしてないでしょ? そもそも関所を通ってきてる正式な商人から買った奴なんだから悪いものなわけないって」
「出所ははっきりしてるのか」
フランが納得したように呟くと、グレグは目を逸らす。それに目ざとく気付いたフランは、グレグの方に向き直り、その目をじっと睨みつけた。
「高級品って言っていたよな? どうやって手に入れた?」
フランはグレグの懐具合をおおよそ知っている。グレグの家は下流武官であり、兄弟が多いため、高級品をぽんと買って気軽に友人に渡すような金銭的余裕はないはずだ。交友関係も、人見知りというわけではないが、それほど多いとは言えず、人付き合いの得意でないフランと大して変わらない。つまり、こうした嗜好品を買うような友人は持っていないはず。
グレグが盗んだのなんだのと言った悪事をしたとは考えていないが、戦士鍛錬場の規則を破らないような品行方正な生徒ではないことをフランは知っている。
「話せ」
「まあまあ」
「どうやって入手したか話せ」
「……わかったよぉ」
拳を鳴らし始めたフランを見てグレグは早々に両手を上げた。
「いや、この前町の子としゃべりしてたらさ、フランとプルトのどっちが強いかって話になったんだ。僕は単純な殴り合いならフランの方が強いって言い始めたんだけど、町の子たちはプルトの方が強いっていうんだ。僕は僕の考えが正しいと思ったし、待ちの子たちも自分の考えを引っ込めない。で、色々あって今度の対人訓練で確かめようっては話になったんだ」
「で?」
「それでまあ、そこまでは良かったんだけど。相手の子がね、そんなに断言するならそれなりの自身があるんだろうなと言い始めて、そっちこそって話になって、つまり」
「つまり?」
「これはフランが勝利したことに対する商品です! わー」
じろりと拍手するグレグを睨むフラン。
「つまりは賭け事をしたということか」
「うっ」
戦士鍛錬場の生徒は賭博行為を禁止されている。これから武官として国を守り、ひょっとするとそれなりの立場に立つ可能性がある生徒だ。賭け事といった身を持ち崩す可能性をむやみに増やすだけの行為を禁止するのは当然のことだ。もし教官に知られてしまった場合、肉体的厳罰と罰金、施設の清掃などですめばまだよいが、最悪破門もあり得る。
王都に住む子供たちの内、武官の家の子、商家の次男以下、その他腕に自慢のある多くの子供が八歳になると戦士鍛錬場に入門するが、十歳になる頃には半分になり、十三歳になる頃には更に半分になる。十五歳にもなると残っているのは一握りの選ばれた子供たちだけだ。並々ならぬ努力をし、才能に恵まれ、不運な怪我もなく、ようやく入隊試験までたどり着こうというのに、こんな下らないことで破門されるのは、非常に割に合わないだろう。フランの目は嗜めるようにグレグを睨んでいた。
「分かってるって、ばれないって」
その言葉にフランは目を吊り上げた。が、小言の無意味さを悟り、ため息を吐いた。
「因みに俺が負けていた場合は?」
「え? 勿論、その、僕も同じものをね」
「そうか。まあ、しかたない。ありがたく頂く」
どうにも歯切れの悪い返事をするグレグ。口ぶりからは単純に金銭的な痛手を受けるだけではないように感じるが、フランは早々に追及を放棄する。やってしまったことにいつまでも文句を言うのは無駄であるし、結果的にフランが勝ったのだから何も問題なはい。グレグが賭けていたものも大体予想はついていた。
フランは水を口に含み、舌で転がしてその甘さを楽しんだ。味がついている食べ物というのはヌルハではとても珍しく、思わずフランの頬が緩んだ。
二人はひんやりとした床に倒れこみ、足で水を散らす。ぱちゃぱちゃという水音が涼やかに響く。
「あ、いたいた」
「サフィ、か」
高い声は栗色の髪をした少女が発したものだった。大きな目に赤い唇、鼻には僅かにそばかすがある少女。隣には先ほどフランと戦っていたプルトもいる。
「あれ、サフィ、プルト。なんでこんなところに来たの? フランに何か用事?」
「いや、違うよ。多分グレグ達と同じ理由。私たちは涼める場所を求めて徘徊中」
「そういうことだ」
そう言ってサフィはフランの隣に腰を下ろし、その隣にプルトも座った。
「あー、涼しぃ……」
「今日はサフィ何もしてないじゃん」
「だからやってられないんだよー。自分が戦うならいいんだけど、他の人が戦うのを炎天下で息を殺してみてないといけないとか、もう拷問。うずうずするしどきどきするし、疲れる。もうヤダ」
全くその通りだとフランは声に出さずに頷いた。今日はフランに順番が回って来たが、個人の対人訓練では一日の内に順番が回ってこないことはままある。そうした日はいつも闘志が溢れてやりきれなくなる。
「順番が回るかどうかは教官次第だしなぁ」
プルトが呟いた。その口調は平坦ながらも不満がにじみ出て居る。
「僕ランド教官苦手。いつ戦闘を止めるのかよくわかんない」
「あー、わかる。まだ追撃しなきゃいけないのかなって気分になるよね」
「俺はジャク教官の方が苦手だ。あのお節介な感じ。どうにも」
「えー。それはいいじゃん。確かになんか眼つきすけべだけど、熱血なのは嫌いじゃないよ、私」
「サフィは嫌いな教官いないの?」
「シルバ教官」
「それは全員だろ」
「僕も苦手。だけど一番苦手なのはフランでしょ。なんか目の敵にされてるし」
三人から注目を浴び、黙って話を聞いていたフランが口を開いた。
「陰口はよくない」
それは三人を非難しているともとれる言葉だ。しかし、フラン以外の三人は思わずといった様子で笑い出した。
「真面目」
「違うよサフィ。これは真面目じゃなくて馬鹿真面目っていうんだよ」
「フラン、いつも言ってるが、少しフランは言葉が足りない。恐らくフランは、自分が言ったら悪口になってしまいそうだから意見を言うのは止めておく、と言いたいんだろうが、大抵の人には伝わらない。というか俺たち意外だと普通に誤解する」
「よっ、流石プルト先生。〈心覚〉高すぎー」
「別に心覚は高くないさ。グレグだってサフィだって、フランが何を言いたいかわかっただろ」
「そりゃ、付き合い長いからね」
「フランが馬鹿なのはわかってるわよ」
三人の物言いにはやや納得いかない部分もあり、反論をしようとも考えるが、口下手である自覚もあるフランは諦める。どうせ上手いこと言い包められて終わりなのだ。こういう時は黙っていればいい。フランは口をとがらせながら、また水を蹴った。
「なんにしても、あと十日と少し。入隊試験に合格すれば教官たちに頭を悩まされることはない」
その言葉に、四人は押し黙る。少しだけ生じる緊張感。
四人は同じ年の同じ季節に生まれた。あと五日もすればその季節、四人が生まれた季節が回ってきて、四人は十六歳になる。十六歳になるとヌルハの国では成人として扱われる。成人となれば入隊試験を受けることができる。それ以降の人生を分けるといっても決して過言ではない試験だ。
フランは心の中で気合を入れなおす。
「今度は上司に頭を悩まされることになるかもしれないけどね」
サフィの言葉にグレグがにやりと笑った。
「違いない」