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 会見の場では、問い詰めるような記者たちの質問とそれを感情的に、不謹慎だとか、では幼い子どもを死なせていいのか、募金で全てを賄って何が悪いのか、といった活動を支援する集団の反論と、両親の泣き声、役員の一点張りな、ボランティア以外の目的など微塵もない、という姿勢で、会見は一時膠着していた。

 大介の席の隣に座っていた少年は、怒鳴られることに人並み以上の恐怖を持っていたから、突然となりの陰気な学生が立ち上がり、質問を始めた瞬間から攻撃的な人間に豹変したことで、恐ろしくなって全身が震えだしていた。その震えがまだ治まっていないのは、この会見の場を未だに抜け出すことができずにいたからで、先ほどのどさくさにまぎれ出て行けばよかったのだが、もう会見の場は収まりつつあったので、席を立てば少年ひとりが目立ってしまい、仕方なく最後までその場に居続けることになった。

 膠着したまま会見は打ち切られ、激情的に巻くしたてる品のない記者たちの声、それに対する支援者たちの罵声、それから両親と役員はそそくさと去り、それを追いかける別の取材陣。それらに遅れて少年はようやく外にでることができた。

 少年の胸の内には、あの学生の陰湿な顔つき、その穏やかな口調とは正反対の、残酷な質問の数々、それらが本当に一人の人間が行ったことなのか、少年は信じられないでいた。

 最初、少年も学生の言葉に腹を立て聴いていたが、会見が終わり歩きながら、あの場の出来事を思い出してみると、学生の質問の中にも、間違ったことを言ってはいない部分も多少あったことが理解できるようになれてきた。

 でもあんなふうに追いつめるようなことをしなくても、病気で明日をもしれない幼い子どもを責めるような、冷たい言葉には納得ができなかった。少年は、いつの間にか自分が責められているような気分になっていたことに思い当たり、今は自分の問題について結論をださなければならない現状から回避する為に、あの学生のことがしつこく意識されていることを自覚した。

 学生はあすなちゃんの両親や役員に失礼だったけど、自分には関係のない人だ。わたしの体をどうするか、それが今一番重大な問題。一番の悩みをを解決するために、こうして親元を離れ一人暮らしを始めたのだから、なんとしてもそれを実現させなければいけない。まだ五十万円しか貯まっていない。目標額の半分にも達していない。

 少年は本当の自分の姿を想像し、抑えがたい気持ちから、もっと自給の高いアルバイトを探すことを最近では考えるようになっていた。できればアパレルの仕事がしたい。流行の、今の少年には手の届かない服の、色使いは様々で、その組み合わせのパターンは終わることなく想像のなかで繰り広げられ、やがて品の良い色合いの組み合わせの、本当の自分に相応しいひとつの衣装が出来上がったところで満足し、少年は半日休みをくれた融通のきく、アルバイト先へ向かった。

 現在、少年はデパートの端っこにある空きスペースを借りて花屋を営んでいる夫婦の手伝いをしていた。立地の良さもあり、なかなかの自給を貰っていて、夫婦も少年のことを理解してくれる、少年にとってはありがたい職場だった。それでも少年の欲求は早急で、他のアルバイトのことを考え、最近仕事に身が入らなくなっていた。

 そのことを前々から勘付いていた奥さんが意を決し、「直ちゃん、ごめんね。もっとお給料あげられたらいいんだけど、うちじゃあ今の自給が精一杯だから」

 奥さんの、やせた体が直之(なおゆき)に理想の女性像を見出したから、過酷な花屋の仕事を今も辞めることなく続けさせていた。

 髪を伸ばし始めたのも、奥さんの黒髪の、一束に纏められているゴム紐の解かれる一瞬、魚の活き活きとしたくねり跳ねる尾のような弾力のある黒髪から、ちりばめられた細かな光の粒が反射されるのに、直之が目を逸らすことができないほど強烈な“女”を感じたからだった。奥さんの表情が曇っていることで直之は、

「……すみません……裕子(ゆうこ)さん。でも……そうじゃないんです……」

 おどおどして口ごもり、彼女を怯えさせてしまうような言葉を選んでしまったのを裕子が急いで、皮肉で言ったのではないと釈明する、心苦しそうな表情が直之にもうつり、二人は互いの誤解をはにかんだ笑いでときほぐした。

「直ちゃんがあんまり思い込んでるみたいだったから、ついお金のことだと早合点しちゃった。思い詰めてばかりじゃ体にも心にも良くないし、うちが潰れるまではしっかり面倒見てあげるから」と裕子が、うちにいて着実にお金を貯めていくのが直ちゃんにとって近道なんだから、焦らなくても病院は無くなったりはしないし、そこがダメなら別の、もっと最先端の医療器具の揃っている病院を探せばいいじゃない。

 臆病な彼女をあやすよう両肩を、職業的な、直之よりも男っぽい筋の浮かんだ手で元気づけるように優しく揺すぶってあげた。

 裕子の両手は、水揚げや切り戻し、剪定などの作業で、指先の皮はむけ、短く整えられた爪には黒い垢がこびりつき、あかぎれは治りかけのものや、最近できたばかりの絆創膏で保護されているもの、古傷の痕跡など、数え上げるときりがないくらい手荒れは酷く、元々は皮膚の薄かった、それまで水仕事などしたことがないだろうかよわい指を、こんなにまで汚してもなお裕子の一途な情熱は、花へと注がれ続けていたから、直之も目標とする人の愛した花を、同じように女性的な魅力から愛でるようになっていた。

 裕子の痛々しい指が直之には羨ましかった。女らしい指だからこそ、傷つくことでより他人の同情を惹くことができる、今の直之にはない効果を生むものが、紛れもなく“女”という事実であること。物欲しそうな直之を気遣い裕子が、

「そうだ、直ちゃん。アレンジメント教えてあげようか? 今日は暇みたいだし、これといったイベントも控えてないから、人通りだって、ほら、ね」

 閉店まであと十五分ほどの、裏通りの小さな飲み屋をはしごし浮かれ歩く連中の一組を指差し、あんな人たちが花を買いにこっちへ来るかしら、とこだわりのない笑顔で直之の機嫌をとるよう微笑み、廃棄にする花の中からいくつかを選び取り、彼女に花器を持ってくるように指示をする。

 丸みを帯びた小さめなガラスの花器を直之が持ってくるのを見て、やっぱり花束にしましょうか、と時間を気にしてか、手っ取り早く出来上がる方を選んだような軽い口調で、今度はキャンディフィルムのペーパーを取り出し、フローラルリボンも同系色のビタミンカラーの薄く明るめの黄色を用意して、ガーベラとカスミの弱ったのにバラを足し、見事な手際で五分とかからず、捨てられる運命だった花を輝かせ、上品な色調のショートブーケへと仕上げてみせた。

「はい、あげる。もうあがっていいわよ」

 裕子はブーケを優しく手渡し、時計を見上げた。直之はふんわりとした手触りとビタミンカラーは自分を励ますつもりで裕子が選んでくれた心遣いに、目を潤ませお礼を言おうとしたが、うれし泣きを抑えるのでいっぱいで、感謝の言葉を口にすることができずに肩を震わせるだけだった。やだ、と裕子が直之の涙ぐむ姿に気づき、また肩を抱いてやる。

「直ちゃんはダメね。もっと気をしっかりもたないと。ほら、早く帰って休みなさい」

 もたつきながら礼を述べ、泣き顔のまま店を出ようとしている直之に、あっ、と声を上げ、裕子がハンカチを手渡した。

「ねえ、花屋を本職にしなさいよ。わたしがいろいろ教えてあげるから、余所じゃ直ちゃんには厳しいだろうしさ」

 直之は、その言葉に重ねて涙腺が刺激され、涙の量が増した。裕子は年の離れた妹のように自分を気にかけてくれるし、化粧なんかも手ほどきを受け、今では一人でもやれるくらいに上達していた。もっと裕子のもとで女を学びたい思いは当然のように直之の心の内にもあった。

わかってます。わたしはどこへもいけません、裕子さんと店長にまだまだ甘えさせてもらいますから、と泣き顔を変えることはできなかったが、精一杯の洒落っ気で明るさを醸し出そうと努力した。

 気を遣いすぎる直之に、裕子は少し困った顔をして、彼女の後ろ姿を見送ったあと、ようやく閉店の準備に取り掛かった。


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