三
『あすなちゃん』の渡航に対する応援者への会見の場に、朝早くから、寝起きのぼけた姿で大介も到着していて、支援者達の集団に紛れ、会見の始められる時を待っていた。
前日に寝付けず、彼は明け方一時間ほどの仮眠をとり、顔も洗わず昨日の服を着たままやってきていた。服装で議論がなされるわけではないからと、とくに身づくろいには頓着していなかった。
ビルの空き室を会見の場に使い、地元の取材なども呼ばれ、どうやってこれだけ世間の関心を集めることができたのか、その宣伝費に幾ら募金の金が使われたのか、皮肉で訊いてやりたくなったが、感情はこの場では不必要であることを、強く自分に言い聞かせ、できる限り穏やかな口調で問い詰めてやろうと、大介は、質問の文句を黙読し、その時を楽しみに待ち続けていた。
会場が開放され、まず両親と代表が室内に入り、二人の会計と、四人の広報、最後に監査役の一人が続き、遅れて支援者、記者達が入場していった。
最後に入場した彼は、空いている中央の席についた。となりに長髪の若い女の子がいた。彼はそれに不愉快さを覚えた。なぜか自信なく俯いておどおどした態度がどうしても他人事には感じられなかったが、一旦会見が始められるともうそんなことには構っていられずに彼は、代表の挨拶、形式的な文句をさっさと切り上げて質疑に移ってもらいたくじれていた。
予想通りの定型文が退屈をより誘う。それでも辛抱強く聞き、周りの参加者が拍手で代表の挨拶を褒め称えた。それも自分が質問を投げかけるまでの尊敬でしかないことを思い、自然と大介は気持ちが昂ってくる。
退屈な挨拶が済むと今度は両親の訴えが始まった。十五歳以下の子どもは日本では臓器移植が受けられないので海外に救いを求めることを前提に募金活動の正当性を訴えた。
しかし、それはあくまで、十五歳未満の人間の臓器提供が日本では禁止されているということであり、臓器移植を日本で行えないということではない。実際日本でも十五歳未満の子どもへの臓器移植がなされた例はあるのだ。ただ十五歳未満の人間の臓器がドナーにはなれないのを、うまく臓器移植が日本ではできないとひと括りにしているにすぎなかった。2006年に心臓移植が保険適用になったことにもふれていない。それになぜ、日本では提供者が少ないのか、なぜ海外に行けば簡単に臓器提供の順番がまわってくるのだろうか、といった問題をないがしろにしていることを、大介は反論の口火と決めていた。
その国には同じ病名の患者が存在しないはずはなく、それはデポジットという保証金によって、外国の臓器提供の順番に割り込む行為であるということを隠し、両親と役員が活動の正当性を謳っていることを指摘すれば、おのずと彼の勝機は、向こうからやってくるはずだった。
記者会見が済み、質疑応答に移ると、大介は深く深呼吸をした。そして毅然とした態度で手を上げた。
進行役の男が大介を指差し、質問をどうぞと促した。
「わたしの名前は臼木大介といいます。学生です。いくつかこの救う会についての質問をしたいのですがよろしいでしょうか、それほど時間はかけません。お聞きしたいことは三つだけですので。第一になぜ、デポジットについて詳しい説明がなされていないのか、という問題です。デポジット、それは保証金という意味のものですが、海外では保健が適用外なので、つまり支払い能力を判断するために高い保証金が必要だということ、その保証金のほとんどが術後返金されるということを、詳しくホームページなどに記されていないのはなぜか、ということです。第二に、余剰金の問題です。募金によって集められたお金で、臓器移植をすることに異論はないのですが、その後の容態までも募金の余ったお金で賄うというのはどうか、ということです。それはあくまで臓器移植のために集められたお金です。それが、その後、規約によると三年間の凍結とありますが、それまで余剰金はあなた方の手元にあるわけですが、はたしてそこまで募金で面倒をみる必要があるのでしょうか、といった疑問。第三に、どうして素人が、失礼な言い方かもしれませんが、この会の役員はあすなちゃんのお父さんの釣り仲間によって結成されたということがホームページにありましたから、募金活動というのを以前どこかでされた経験がお有りになるというのでしたら、これは見当違いの質問になってしまいますが、規約を読みました。とても立派な体裁の整ったものでした。だからこそ疑問に思うのです。素人集団であるはずのあなた方が一体どのようにしてこんな規約を作成することができたのかが。例えばですが、アドバイスをくれる、こういった活動に詳しい方がいて、それで活動のやり方を指導してもらっているのであれば、その人物は、役員の中にいるのか、それとも他にいて、彼を雇っているのか、簡単に言いますと彼に報酬を払っているのか、そのお金はどこから捻出されているのかといった疑問です」
会見の場でどよめきが起こった。この見ず知らずの慇懃無礼な学生の一方的な意見は救う会にとって不愉快極まりないことだった。
彼はさらに、お構いなしに自論を展開した。
「例えば、この規約に書かれている文を引用させてもらいますと、この規約は役員の賛成があれば変更可能とされています。最後の一文、本規約は必要に応じて役員全員一致のもとに変更することができる、というまるでそれが行われることを予想しているような一文は他の募金を呼びかける団体と似通った内容なのです。わたしは他の沢山の募金活動をしている救う会のホームページにある規約を読みました。どれも、ほとんどといっていいほど、どの救う会も、まるでそういったマニュアルがあるかのごとく規約の文が類似していることにわたしは少なからず疑問を持ってしまうのです。そして決定的なのは、余剰金の使途です。三年間の凍結、つまり向こう三年間はあなたがたの手元に募金額の余りが手にされているということで、それさえも役員の協議の上で年数を引き伸ばすことも可能とご丁寧に規約に書かれている。それに余剰金が他の臓器移植を必要とする人々のために役立てるという一文も、他の募金を求める会のホームページにある文句です。あなた方素人がいきなりこんな面倒な手続きを考え行えたとはわたしには到底思えないのです。きっとあなた方がスムーズに迅速に活動を開始できるようにそういった活動に熟知している団体に手解きを受けたのでしょう。そうでなければこれだけ手際よく、救う会を立ち上げることができるはずがない。どうでしょうか?」
あすなちゃんの家族構成は、旦那が電気工事を請け負う個人事業主で、妻はパートにでている、いわゆる共働きの家庭だった。
そんななか突然起こった拡張型心筋症という特定疾患は幼いこどもには受け入れがたい事実だったと同情もするが、大介はそれらの感情に流されることなく、冷静に両親と役員の行動にある疑問点に遠慮なく触れた。
両親は役員にはなれない旨が規約には記載されてあるが、家族や親族のオブザーバーとしての参加は認めるとただし書きもある。それは両親も活動に関与できるというものを暗に正当化させるものでしかなかった。滞在費は両親や看護要因を含めた金額がはじき出されてあったが、一年間有効の往復航空券ははたして必要なのだろうか。そしてアメリカで臓器移植といえば定番のR大学の存在。現地では大学に近いところに住居を選んであることは先ほどの代表の会見で述べられていたが、ではなぜアメリカでその大学を選んだのか。他の大学や病院でも構わないではないか、といった点に大介は次の狙いを定めていた。どうせ今の問いかけに明確な返答はもらえないだろうから、役員がどう反論しようが、彼にとってはどうでもよかった。周りの関心を自分に向けさせるという、一種のデモンストレーションのつもりだったし、取っ掛かりとしてはその程度で十分だった。それらの質問は使い捨てする旨で使用したまでだった。
ところが役員が質問に答えるよりも早く、取材陣のなかの、大介の意見に青いジャーナリズムを刺激された、清潔なスーツ姿の男が突然立ち上がり、大介を指差して、
「今、彼が述べたことに私も賛成します。この学生の疑問にあなた方は説明をしてあげる義務がある。どうなんですか? お父さん、お母さん、役員の方々。あなた方には一切の不正がないと言い切れますか?」
興奮した男は、大介のもっとも恐れていたやり口でもって救う会を敵にまわしてしまった。感情というものをないがしろにしたやり方は相手の口を塞いでしまうのだ。
大介は、その清潔なスーツ姿の男に、はらわたが煮えくりかえるほどの怒りを覚えた。余計なことをしてくれた。せっかくの構想がこれで台無しになってしまった。もう救う会は何も答える必要はなくなった。周りが彼らを擁護してくれるだろう。ほら、あの太った、いかにもくそ真面目を体現したような女は怒りの感情に支配されているではないか。あんな状態の人間にどうして反対する自分の意見を、冷静に聴いてもらえるというのだろうか。もはや自分が何をいっても彼らは、踏み躙られた善意を守るために、彼の言葉を体外で殺し、耳元にすら近づけさせないだろう。もうお終いだ。あのバカな記者のはやとちりな援護のおかげで、おれはこの会見での発言力をあっという間に失ってしまった。まだいくつもの武器を用意していたのに……。
他の取材陣と役員との激高する反論合戦に背を向け、大介は会見の場を後にした。興奮した会場では、もう誰も彼の行き先に関心をよせる者はいなかった。