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 警察署内は驚くほど出入りが寛容で、大介は身構えていたのが、きょうをそがれ受けつけの婦警なのだろうか、事務員らしき女に気兼ねなく声をかけることができた。道路使用許可書について尋ねると、女性から個人でも申請は出せることを改めて確認し、その婦警らしき女のペンや、筆箱には小さなシールが貼られてあり、若いから仕方がないかとも彼は納得したかったが、警察の威厳がそんなことくらいで失われてしまう自分の価値観が情けなくなってきた。

 警察と言えども人間。しかしそこに甘んじていいのだろうか、それを一般市民である自分が寛容な態度で見過ごしてやればよいのか、と悩む。

 大介という男は普段からそんな調子で、いつも自己に疑問を投げかけ、独りでそれを考えることが多く、その為他人と話すことを嫌っていた。それは人嫌いからくるものではなく、彼は自分の話し終えた意見の矛盾点、補填されなければならない箇所を、対話の相手よりも先に気がついてしまい、そのつど自ら補足をしなければならないことが彼の鋭さを表してはいたものの、それゆえに大介はとても気難しく近寄りがたく思われがちな若者に思われていた。

 彼はいつも、誰と話をしていても本質的には自分自身の知識や理性と対話をしているようで、他人の目には、彼はとても冷淡な人間のように映っていた。

 街頭での募金活動における道路交通許可証はあくまで道路を使用してもよいというものでしかなく、それは募金活動の正当性を示すものではないということを確認することができ、ひと息入れずに大介は、近くのネカフェを探しすぐさま『あすなちゃんを救う会』のホームページを閲覧する。

 まず、役員の名前を確かめる。両親の名前が役員にないのは規約にあるとおりで、それよりも代表の言葉が引っ掛かった。

 救う会は、両親の釣り仲間により結成されたということだったが、責任者の個人情報はどこにも公開されておらず、その人物がどこの誰かも大介には判断がつきかねた。ネカフェのとなりの席でリクライニングシートを蹴る音がした。意識的ではないことは、あわてた女性らしき声の震えで判断がついた。なにかあったのだろうか、そこに一時的な好奇心も芽生えたが、それよりも二週間後に行われる公開会見の場までに理論の穴を埋め尽くすよう、大介はホームページを隅から隅まで眺める作業を繰り返していた。

 救う会の割り出した内訳の詳細は次のようなものだった。目標額の一億円の七千万円ほどがデポジットに充てられ、残りは医療予備費、渡航費、現地滞在費、事務局運営費とそれぞれに充てられる見込みで、さらに規約を読み進めると、余剰金が出た場合三年間は凍結されるとあり、術後の容態によっては余剰金からその費用を賄うという内容で、凍結の三年間も役員一致ならば変更可能とされている。

 ここまででも大介は情報としては満足がいっていた。この程度の情報でも連中と遣りあえる根拠が彼にはあった。規約は役員全員一致のもと変更できるとさらに強調されるような文で締め括られてあるのも役に立つ情報だった。

 大介はビニール製のリクライニングシートに深く体を預けずに前屈みでディスプレイを覗き込んでいたので肩が痺れを覚え、それでも誰が使ったともしれないものに凭れることは憚られ、タバコの臭いまでどこからか洩れてくるし、不潔な場所だ、自分のような人間には耐えられない。でも収穫はあった。シートにはあくまで背中はつけず、彼は目を閉じ、今読んだ規約を無作為に取り上げては会見での展開を予想し、独り議論を開始する。

 まず、こういった活動に異議を唱えること自体が非難の対象となることは容易に想像がつく。たぶんこんな具合のやつだろう。

「あなた達の家族が同じ目にあった場合、同じことが言えますか」といった感情的な反論。それはどうとでも論破してみせる自信も根拠もあった。それよりも本題は、そんな表面の皮膚に痛みを与えるようないたずらではなく、もっと喰いこんだ、彼らの思想に影響を与えるような、ひいてはそれは、真っ当な施しへの希望にもなると信じて疑わない、人間改革とでも呼ぶべき怠惰な民衆の善意への目覚め――そう、あいつらの目を覚ましてやるのだ。そして行き過ぎた被害者根性とそれにたかるハエのような連中を完膚なきまでに潰し、大恥をかかせ、連中の偽善を払拭してやりたかった。

 それはあくまで自身の限界を知らぬ大介なりの“厚意”でしかなかったが、それでも行動を起こすことで、多少なりとも他人への啓蒙活動の手助けくらいにはなると彼は妄信気味に奮い立つ自分を客観視することができなくなっていた。

 その勢いのまま、他の、支援を募る団体のホームページを開くと、そこにもデポジットの額は記されていたが、デポジットそのものの仕組みについては語られていない。かろうじて保証金と括弧で記載されている程度だったが、規約に一通り目を通すと、その『かいとくんを救う会』は比較的情報の公開性が高く、同じ拡張型心筋症でありながら目標額は八千万円とさっきの救う会に比べ低額の設定がされてあった。

 けれども、ここでもデポジットがなぜ高額の請求をされるのかについては詳しく説明されていない。そして規約の内容がさっきのものとほぼ同じ内容であることも、彼は目敏く頭に入れておいた。使えそうな情報は全て集めておくつもりだった。

『あすなちゃんを救う会は』アメリカでの受け入れ先をR大学に決めたという公開がされていた。大介もその大学の名を何度も耳にしていた。日本人医師がそこに多数留学していることの理由も彼は調べ上げていた。三育、SDAといえばすぐに察しがつくくらい、その問題に挑む人達にとってそれは欠かせないキーワードだった。そしてその宗教的活動も見逃してはならない一つの要因でもあった。

 当面はそこまで議論の対象を拡げるつもりはなかったので、それはあくまで情報として記憶に留めておくだけに決め、今は『あすなちゃんを救う会』への質問を纏めることを最優先させ、ネカフェをすぐに出て、急いで自宅に戻り、集めた情報をもとに、会見でのやり取りをイメージする。

 自分の主張に、彼らが答える内容は想像できた。そしてそれに対する反論の文句に不備はないか、脳内で自分と議論の格闘を繰り返す。

 いけるはずだ。連中の黙り込み、怒りを顔で表し、場合によっては恥ずかしげもなく感情をさらけ出し自分に喰いかかってくるかもしれない。そういった奇行を聴衆の面前でさせることができれば、まずは第一段階の成功とすることにし、できれば、その相手はあの中年の男であってくれれば、もっと良いのにと願った。あいつはなんとなくいけすかなかったから、一番の侮辱をあいつにくれてやりたいと、大介はべっこうの眼鏡の男をシャドーの相手にし、弁護士が反対尋問の練習でもするよう何度も紙に書いた質問への答えを暗記し、会見での場に訪れる人々が自分の敵にまわることも覚悟した。世の中の欺瞞を全て叩き潰してくれる。隙だらけの救う会など相手にならないことを証明してくれる。そうすればあの教師も、自分の卒論のテーマを認めざるを得なくなる。あの教師が自分に従う姿を大介は想像し、もう自分の野心に酔いが深くなり、それ以上下準備を行うことを忘れていた。現実はつねに変化して、個人の思惑通りには進まないことを彼は軽視しているわけではなかったが、個人にできる予測など現実においてはいかに頼りにならないことかを、大介は想像できなかったから、まさか公開の場で恥をかくのが彼自身になるなどとは思いもしていなかった。


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