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 大介君――、そう言われるたびにくすぐったくも、苛立つ心地は奈緒への憎しみへと変換され、八つ当たりという形でぶつけられた。

 その本意の全てを理解しているわけではない彼女が、大介の心理に合致するような対応をとれるはずがなく、その心理の些細なズレは大介に憤るきっかけを与えてしまうことを、彼女は自分の中途半端な身の上が、他者の考えを推測する能力を発達させなかった為だと決め込んでいた。

今、狭い独り暮らしの部屋で、大介の洗濯物を畳む奈緒の後ろ姿は女そのものにしか見えなかった。それだけで十分心は満たされているはずなのに、体が男である事実は恐ろしく崩しがたい拒絶を生み出す元凶となっていた。それは体を重ね合わせたい正常な男子の欲求ではあったが、正常であるだけに奈緒が女の体ではないことには、素直な抵抗を示さずにはいられなかった。このまま同じ空間に奈緒と二人でいると悩み苦しむことしかできないいつもの状況を嫌い、彼は無言で部屋を出て行こうとした。扉を閉める際に携帯の着信音が鳴った。奈緒のメール着信音だとすぐに彼は気づいたが、嫉妬深く彼女の近くに居ることは、彼の奥深いところのプライドがどうしても許さず、未練がましい心を引きずりながら扉をわずかに強く閉めていった。


 悠人の親切心からの提案で二人は奈緒にも出来るような、今よりも時給の良いアルバイト先を探そうと、頻繁に会っては求人情報を交換し合うことを繰り返していた。

「ここってどう? 時給いいみたいだよ」

 悠人の胸元に顔を近づけ膨大で小さな活字を1つ1つ目で拾っていく。奈緒の表情が緩まないので、どうやら彼女のお気に召さなかったらしいと、無言で次のページをめくる。

 風俗専門の求人誌を二人して覗き込んでいるのは、それほど真剣に働き口を探しているからで、悠人の行動力に触れ感化された最近の奈緒はやけに前向きさがあった。

 大介の部屋を訪ねる回数が減ってきたことさえ問題にならず、目的の金額を三百万円と定めたことでも、彼女の本気度が窺えるようだった。

「ねぇ、ねぇ、これって」

 悠人が顔を赤らめ指さす広告を見ると、同じように奈緒もうつむき黙り込む。そこには二人のアルバイト経験からは想像がつかない程の時給が記されていた。

「女の人ってすごいね。あ、奈緒ちゃんも女だからね。ごめん」

 首を横に振り、大丈夫だよ、分かってるから。悠人は自分の発言に遠慮がなさ過ぎたことを謝ったつもりだったが、奈緒には別の意味に受け取られたらしく、「でも体を売るのはいやだな。やっぱりちゃんとした仕事でお金貯めていくしかないのかな。でもなぁ……」

「そんなこといったら、その仕事をやってる人達に悪いよ。ここにある仕事だってさ」

 言いかけた言葉を押し込め、悠人がアルバイトをもう一つ増やすやり方はどうかと訊くのを、それでは体が持ちそうにないと、奈緒は険しい表情に戻る。

「わたし、甘えてるのかな。本気じゃないのかな。本当にその気なら、どんな仕事だって出来なきゃ嘘なのかな」

 悠人が捲りかけの求人誌を閉じ、姿勢を正し座り直すと、勇み立つ眼差しを奈緒に重ね合わせるように向かい合い、

「そんなことないよ。今の奈緒ちゃんはしっかりと自分のことを考えているし、自分の運命に立ち向かっていけてるよ」

 その言葉に込められた熱意はしっかりと奈緒にも伝わり、その意気込みにほだされた彼女は悠人から目線を外すことが出来ず、思わず照れ隠しに何度も前髪をいじるしぐさを繰り返したくらいだった。

 悠人の熱意のなごりでまともに目を合わせ辛くうつむいて頷くだけの奈緒に、悠人はようやく自分の熱情的な態度に恥ずかしさが生まれ、お互い相手の視線が重ならないよう気遣いながらの会話を続けていた。

 その光景は至って正常で、日差しのピークを外れ西に傾き始めた公園内のベンチで遠慮がちに佇む二人の存在に異を唱え訝しむ者は誰一人いなかった。二人はよくある恋人か、仲の良い友達にしか見られていなかった。

 

 

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