六
花の発注にミスがあり、せっかくパソコンでの発注を任されるようになったばかりの奈緒が意外にもうれしくなさそうなことに加え、いまひとつ仕事に集中しきれない様子を見かねた祐子が、何か悩み事かと訊ねれば、奈緒は誰にも話せなかった寂しさから、大介とのことを全部打ち明けた。
祐子も軽々しいことは言えない事情にしばらく黙り込むしかなかった。手術を受けろとは言えなかったし、その費用も含め立て替えてやることすら店の売り上げを考えると難しかった。奈緒に申し訳ないと思う気持ちから、気休めの言葉さえ発するのも躊躇われ、二人の口数は以前よりも減っていた。
奈緒はお金のことを考えることが多くなり、花屋での給料ではまとまった金額は簡単には集まらない現実に、もっと時給の高い場所で働こうかと思い始めていた。
自分と同じ境遇の人達がいる環境ではあるが、あの連中と自分が同類であるということには抵抗があった。わたしはこの境遇を売り物にしたくないし、れっきとした女性であるから、間違ってもニューハーフなんて呼ばれ方はしたくない、と奈緒は思った。
けれど、他のところでは必ず性別を訊かれるし、履歴書に嘘を書くわけにもいかない。働ける場所は狭まるばかりだった。
気乗りしない奈緒を見かね、祐子に早上がりするように言われ、それでは却って考える時間が増えてしまうから、仕事をしている方がまだ気分もましだとは言い出せず、仕方なく街をうろつくことにした。
五時半を回った夕方の本屋で、ファッション誌を立ち読みしていると、学校帰りの学生が制服姿のまま店内を徘徊している。六人で固まっている男の子達の挙動が怪しいと感じているのは奈緒だけではなかったらしく、店員の彼らを目で追うのが分かってから、奈緒は自分まで緊張してきたので、立ち読みを止め、手にした本をカウンターまで持って行った。
カウンターにいる女性にバーコードを見せるようにして置き、それは奈緒なりの細やかな気遣いで、その店員も奈緒の気配りに対し、軽く会釈して小さな声でありがとうございます、と返した。
声を聞いて奈緒は、女性だと思っていた店員が男性であると言うことに驚いて、思わず彼の顔を覗き込むよう見てしまった。細身で、色白の、黒髪の長く丁寧に手入れされた姿に加え、女性のような仕草が男性であることを中和しているようだった。
普段の奈緒なら声をかけるという考えすら浮かばないところが、その時は自然と、「……あの、男性ですよね?」
「はい、どうしてですか?」
「女の人かと思ってたんで、ちょっと……」
店員はああ、と硬い表情を崩し笑顔を見せ、「よく間違えられるんですよ」と嬉しそうに答えた。
二人の周りには人はなく、奈緒の後ろに並ぶ他の客も居なかった。それから暫く二人は髪型とか仕草の話をして、店員はまたお越し下さい、と彼なりの本心を込めた言葉で奈緒を送り出した。
ほんの数分の出来事だったが、二人にとって特別な時間を体験したという感覚が残り、奈緒はまたこの本屋を訪れ彼と話がしたいと考えていた。話の内容からどうやら彼も自分と同じような境遇にいることが知れたから、もっと長く話すことが出来たら、きっといい友達になれそうだと、新しい出会いに期待する心もあって、その日大介の前でも明るく振る舞っていたら、大介は奈緒の明るい表情が許せないで、彼女が帰るまで不機嫌のままでいた。そして彼女の明るい表情に疑いを持った。
すぐに自分以外の男を好きになったのでは、という想像が浮かんだ。大介自身、奈緒に対する態度ではいつか彼女に見放されはしないかというびくびくした気持ちもあったから、少し辛く当たりすぎたかと最近の冷淡な態度を省みたものの、すぐにどうして俺があいつに対して気を遣わなきゃならないんだ、全ての原因はあいつが俺を騙していたことにあるんだから、これくらいの仕打ちはなんてことはないはずだ。あいつはまだ俺の前で笑顔なんか見せられるはずはないのに、あんな嬉しそうにしやがって、反省が足りないんじゃないのか、と大介の憎しみは歪められたまま増え続けていく一方だった。




