両手に花と最低な誓い⑥
スーツとは奴隷の服である。
かつての俺はずっとそう思っていた。
ホワイト企業に勤めている人ならばともかく、ブラック企業に所属していた俺は、安月給に労働基準法違反に理不尽なノルマ。
まさしく現代に誕生した新しい奴隷の立場であったと言えるだろう。
けれど自らの意思でその立場から抜け出したにもかかわらず、今まで頑なにこの服を脱がなかったのは何故か?
そうーー何故ならば、今の俺は愛の奴隷!
可愛い女の子を守るため、喜んでこの身を愛に捧げると誓ったのだ。
故に脱ぐわけにはいかない。
ネクタイをキッチリと引き締め、前を見据える。
さあ、ご挨拶といこうじゃないか。
「渉君、あの建物!」
「任せろ。お前の仇は討ってやる」
「渉様、ご武運を」
二人を退避させ魔法を発動させる。
『破砕ノ拳!』
全身が鋼の如く強度を増し、筋力が爆発的に増大していく。
身体強化を肉弾戦に特化させ、拳で語るために産み出した脳筋魔法だ。
力が奥底から無限に溢れだしてくるような感覚。
これならば!
目標まで約二十メートル。
接近する前にまずはコイツをプレゼントするとしよう。
営業でもそうだけど、手土産は大事だからね。
とりあえず道路に転がっていた名も知らぬ大きな車を片手でひょいと持ち上げると、俺の両足に過重が集中し、アスファルトがミシミシと悲鳴を上げた。
重いな。
だが俺の怒りを伝えるには丁度いい。
大きく振りかぶり、小さなオフィスビルに擬態しているウォーロックに向けて一気に投擲する!
宙を砲弾の如く飛ぶ鉄の塊。
建物の外壁に着弾した瞬間、激しい衝突音とともに車が大きくひしゃげ、多数の破片が飛び散る。
傷ひとつなかった建物は瓦礫へと変貌し、粉塵とともにビルの姿は霞のように消え去った。
その只中に、拳を突き出して車を受け止める巨大な影があった。
灰色の岩石に覆われた強固な外装を持ち、全長は約四メートル。全幅に至っては大柄な人間の三倍はあるだろうか。
だが、相手にとって不足なし。
車の入庫を済ませたら、次は言葉を交わすべきだろう。
では失礼して。
「よう、糞野郎!」
俺の丁寧な挨拶に気がついたのか、衝撃で膝を着いていたウォーロックの顔がピタリとこちらを見据え、ゆっくりと立ち上がる。
一拍遅れて地面に落下する車の残骸。搭載されていた燃料タンクから勢いよくガソリンが漏れ出した。
「我が名は藤島渉!愛ゆえに戦い、美少女の為に生きる、人類最強の漢である!ウォーロックよ、訳あって貴様に決闘を申し込む!」
だが奴は俺の名乗りに答えることなく、臨戦態勢を整え問答無用でこちらを攻撃しようと動き出した。
おのれ不粋な……。
所詮は奇襲を得意とする魔物か。
ならば遠慮は無用。
我が怒りの炎に抱かれるがいい!
『灼熱の爆炎!』
イメージに魔力を流し込み、地獄の業火を顕現させる。
紅き鮮烈な炎がウォーロックを包み、気化したガソリンを巻き込んで盛大に爆発する!
連鎖的に発生した熱風が大気を震わせ、離れた位置にいる俺の身体ごと空間を揺らした。
轟音と衝撃波が過ぎ去った後、思わず閉じてしまった瞼を開くと、ウォーロックは周囲もろとも真っ赤に炎上したまま微動だにしていない。
これで終わりか?
いや、そんなわけがない。
これでも魔法の威力はかなり手加減したのだ。
さっさと動け。
動向を注視していると、ポツリと一粒の水滴が顔を打ち、それを皮切りに曇天から雨が激しく降りだした。
天気予報は優秀なようだ。
降り注ぐ雨粒が徐々に火勢を弱め、それまで静寂を保っていたウォーロックが突然、天に向けて轟と吼えた。
まるで石を擦り合わせたかのような不快な音が街中に響き、全身からは消火による煙が立ち昇っている。
チッ、ガソリンは全て燃えたか。
雨でさらに延焼するのを期待したのだが、インフェルノの効果が強力すぎたらしい。
不快な咆哮が戦闘開始の合図だったのか、こちらに向き直ったウォーロックが、地響きを立てながら俺に向けて突進を開始した。
爆炎に巻かれたというのに、表面が黒くなった程度であまりダメージを受けているようには見えない。
だが、それでいい。
それでこそ我が宿敵。
「俺の女に手を出した罪、万死に値する。来い、木偶の坊!」
激しい突進と同時にウォーロックから突き出された右拳へ俺の拳を合わせる。
馬鹿みたいな衝撃が周囲の雨粒を吹き飛ばし、互いの両足が地面を削りながら後退した。
あまりにも、重い。
こんな……こんなものを由香に向けたというのか!
大型トラックに匹敵するかのような大質量の拳。生身の人間が受ければどうなるかなんて、語るまでもない。
絶対に赦さん。
「さあ、お仕置きの時間だ」
アスファルトを踏み砕き、先の一撃で少し開いた距離から奴の懐へと瞬速で飛び込んだ。
迎撃せんと振り下ろされた腕をいなし、そのまま飛び上がって奴の鳩尾にジャブを叩き込む。
メキリと音を立てながらウォーロックの巨体が浮き上がり、体表に僅かなヒビが刻まれた。
「フン、そのまま浮いていろ」
地面に着地し、ボクサースタイルで両手を構える。
慣性に従い落下してきたウォーロックへ、吹き飛ばさないギリギリの威力に抑えた拳を加えて空中に張り付ける。
こちらを払い除けようと空中で振り回される腕を弾きながら、一発、二発、三発、落下する度にボディーに加えた衝撃が十を越えた頃、ジタバタとみっともなく暴れさせていた奴の足が偶然地面を引っ掻いた。
弾みで、もんどりうちながらもアスファルトの上を転がり、ウォーロックは難を逃れたようだ。
リーチの違いが命運を分けたらしい。
もっとも、あのまま止めを刺されるかどうかの違いでしかないがな。
「立て。最期は一撃で仕留めてやる」
言葉が通じるのか知らないが、豪雨に打たれ、よろめきながらも立ち上がったウォーロックの姿に僅かながら敬意を覚える。
手加減したとはいえ全身はひび割れ、今にも崩れ落ちそうな状態だ。
「行くぞ!我が必殺の拳、その身でとくと味わうがいい!」
応じるように轟、と吼えるウォーロック。
にらみ合い、互いに動きを止めた束の間の静寂を雨音が埋めた。
刹那、雷が空を白く染め、それを合図に突撃する。
ウォーロックより突きだされた渾身の一撃を腕の一振りで破壊し、懐へ肉薄。
下から掬い上げるように俺の右腕が天を衝く。
巌のような巨体を砕き、魔力を奴の体内へ流し込んで、高く高く空の彼方へと打ち上げる。
ふざけた身体能力と魔法を糧に、ウォーロックが遠き雷雨に呑み込まれた。
一拍の間を置き、爆音とともに雲が割れる。
『我が拳は空を割る!』
ウォーロックを起点に、空を覆っていた雨雲が根こそぎ吹き飛び、鮮烈な日差しが地上を照らす。
天気予報は、外れだ。
読んで下さっている皆様、ありがとうございます!
迫力ある戦闘シーンて難しいですね……忙しかったのもありますが、あーでもないこーでもないと執筆に滅茶苦茶てこずりました。申し訳ありません。
不定期ではありますが、まだまだ頑張っていきます。




