steppe000 僕と彼女の始まり
何時ものなんでも無いその日。午後一番の授業で早めに教室を移動していた僕を彼女が呼び止めた。
「塚杜君。待って」
「ん?」
後ろからかけられた静かな声に振り返ると、足早に歩く“いとうつくし”げな女の子が居た。
少々オブラートに包んで表現したが、平均よりも体格が良い僕とは逆のベクトルを持った物理的に可愛らしい女生徒だ。
「白山さん?」
特徴的な外見から直ぐに解るその子の名前は白山括理さん。人の名前と顔を憶えるのが苦手な僕の頭でも記憶できているクラスメイトだ。
白山さんはチョコチョコと動かしていた足を僕の前で止めると、何か緊張しているのかソワソワとしながら僕を見上げてきた。
「話があるの。放課後、校舎裏に来てくれる?」
見た目と声の可愛らしさに反して大人っぽい口調の白山さんはそう言うと、思考を停止させた僕をその場に置いてそそくさと次の授業がある東校舎へと向かった。
脳内に鳴り響くファンファーレ。苦節16年と2週間。ついに、ついに僕にも春が来たようです!
いやあ困ったなあ! 僕的にはまあアリだけど! ほら、僕と白山さ…いやさ括理だと体格差あるじゃない? ハハ! これはクラスの皆が噂しちゃうなあ! 僕的にはアリだけどぉ!
脳内ピンクになった僕はフワフワした足取りで次の教室へと向かった。正直、その後の事はほとんど憶えていない……。
――放課後。未だ興奮収まらぬ僕は早鐘を打つ心臓を押さえながら、運命の場となる校舎裏へと訪れていた。
街中に学校とは違ってこの氷川学園は山を背中にしている事から校舎裏に人気は少ない。もう少しすれば部活や委員会などでチラホラと人が増えるのだが、午後のホームルームを終えて直ぐに教室を出た括理を追うように出てきたので遠くで他の生徒たちの声が聞こえるばかりだ。
そして、居た。最初から中りをつけていた場所に彼女は居た。動物好きだと公言している括理が所属しているほぼ一人っきりの飼育委員。その活動の場であるカピバラ舎の前に。
何度見ても何で高校にカピバラ?と首を傾げたくなるが、今はそれ所では無いので括理に集中する。
贅沢な事に温水場を囲んだ木造の飼育舎。網目になっている前面で彼女はカピバラを眺めている。
僕は情けなくも震える手を自分の尻に叩き付けて治めると、それでも微妙に振るえている手を上げて括理に声をかけた。
「ま、ま待った?」
超噛んだ!? 赤面物の失敗に心の中で血の涙を流す僕を括理が真剣な顔で見上げてくる。
見っともない僕の失敗はスルーしてくれたようだ。彼女は何度か口を開いては閉じると言った奥ゆかしい事を何度か行い、意を決するように目を閉じると静かに深呼吸して見開いた。
ついに、くるのか! 人生初のKOKUHAKUが!
「ねえ塚杜君。家のダンジョン駆除を手伝って欲しいの」
「もちろんOKだよ!」
「えっ、本当に? ああ、良かったぁ……」
……うん? イッタイ ナニヲ イッテイタ ノカナ? ウチノ ダンジョン ガ ドウシタッテ?
ズドンと重くなる臓腑。早鐘を打っていた心臓は停まったのかと思うほど静かになり。浮かれていた頭はヒュッと縮んだ股ぐらのマイサンと同時に冷えあがった。
「大して親しくない子に勝手なお願いだと思ってたけど。そんなに快諾してくれるとは思わなかった。……ありがとう、塚杜君」
デスヨネー! そんな美味い話が僕にある訳無いじゃないデスカー!? 大して親しくないとかーぁぁぁん!
昼休み後から今までの浮かれていた自分を殴り殺したくなった僕だけど、一人勘違いしていた事を括…いや白山さんに知られてはならないと心の中で血の雨を降らせた。シネよ自分ー!!
「は、ハハ。たぶん、礼をいうのは、ボクの方、かな」
「……?」
混乱して思考が定まらない僕の口から出た言葉に白山さんが首を傾げる。
クソッ! 可愛い! 抱きしめたい! でも出来ないんだなこれが!
有りえた筈?の未来に絶望する僕だけれど言った事は嘘じゃない。自然と出てきたからこその真実だ。
何故なら僕は――
「ダンジョン駆除の事で僕に声をかけて来たって事は両親の事を知ってるからだよね?」
「う、うん。自分でもすごく失礼だと思うけど、塚杜君の御両親が《プロスイーパー》だって聞いたから」
そう僕の両親はプロの駆除人。国家資格であるダンジョン駆除従事者にプロと付けるのは間違っているけど、ダンジョンに適応できず資格だけ持った人間も多いのであながち間違いではないのだ。
そんな《プロ》の両親を見て育った僕も高校卒業後にはダンジョン駆除従事資格を取り、プロのスイーパーとなる事を目標としている。
そんな僕に訪れた目標への近道。それが白山さんが提案してくれた“実際に居住している私有地内”に出現したダンジョン駆除である。
だがそうなると肝心な事を確かめなくてはならない。僕は大事な話だからと思考を切り替えて、(既に心の中の僕は殴殺されている)、白山さんと真剣に向き合った。(違う意味で真剣だったけどね!)。
なんだか心の声が多いが仕方が無いと思いたい。
「それは僕の両親に対する依頼って事じゃないんだよね? ダンジョン駆除なんて普通は役所か民間に依頼するものだし」
「うん。お爺ちゃんが凄くスイーパー嫌いで、役所の人とかも家に上げたく無いって……」
「あーお爺さんって頑固なほう?」
「すっっごく!」
さもありなん。見た目に反して大人っぽい白山さんがまるで見た目通りの子供っぽさで断言した。
これが僕たちの親世代なら問題無かったのだろうけど。ダンジョン発生黎明期の御老人たちは当時のイザコザのせいで行政に強い不信感を持ち、当時は遊び気分で挑んでいたスイーパー以前の《冒険者》を蛇蝎の如く嫌っている。
現在はその両者とも確りとした法整備が敷かれ、当時とは比べ物にならないくらいにちゃんとしたプロなのだが、情けない事にプロ未満が存在するのもまた現状である。
「それでなんども聞くけど気を悪くしないでね? 大事な事だから」
「うん」
「お爺さんは業者に駆除を任せたく無いと」
「そうなの。お婆ちゃんも困っちゃって」
「役所も駄目と言う事は、ひょっとしてお爺さん自分で駆除を?」
「……うん、それでギックリ腰になっちゃって」
あーあー。あるある。まだ若い僕には魔女の一撃(かっこよくドイツ語)の辛さは解らないけど。プロスイーパーである両親に依頼者の愚痴は良く聞かされている。
先ほどの理由から白山さんのお爺さんみたいに自分で挑んで腰や足をやってしまう人は多いらしく、そこから仕方なくスイーパーに依頼して愚痴愚痴と嫌味を言うのだそうな。
こうなっても安価で信頼がおける役所に依頼しないあたり、高年層の役所不信はかなり深刻である。
「うん。理由は解ったよ。後は実際に白山さん家のダンジョンを確認してからにしたいんだけど、何時頃行ける?」
「あ、だったらこれからでも良いかな? ほうっておくとお爺ちゃんがまた中に入っちゃうから。腰悪いのに」
「あはは、それは大変だ」
自重しないお爺さんですね。そう言う元気な人、すんごく多いけど。
色々聞きたい事や言いたい事はあるけれど、全ては原因の元であるダンジョンを確認してからだ。
スイーパー嫌いのお爺さんが、両親がスイーパーをしている僕を気に入るかどうかと言う問題もあるし。
僕こと漢一匹、塚杜建速は安心したのか朗らかな笑顔を浮かべる白山さんの顔を見ながら、ああこの笑顔が僕の物になるはずだったのに……と、有りもしない未来を再度想像して血の涙を流した。