「A bouquet of flowers with love」
花子は深夜の手を引いて足早に歩いた。深夜が何かを言っているようだったが、聞こえないふりをした。彼女には目指す場所があった。そこに着くまでは、何も喋りたくなかった。今はただ、掴んでいる男の手の感触さえあればそれで十分だった。すぐ後ろに、深夜がいる。それが分かっていればよかった。
そうして、どのくらい歩き続けただろう。
「チャイムの音…?」
「そうだ。…お前が働いてた、花神楽高校だよ」
戻ってきた。
ふたりは校庭に立ちつくしていた。やっとのことで花子が口を開く。
「お前、何でこんなことした」
花子の声には明らかに怒気が含まれていた。深夜は耐えきれないように俯く。
「…すまん」
「謝るくらいなら面と向かって言やぁいいだろこのヘタレが!見損なったぞ!!」
「…………俺が、諦め切れないんだ」
「え?」
震えた声で深夜が言った。
「こうなって仕事もできない以上、もうここで一人暮らしはできない。頼れる親戚は遠い地方だ。だから別れなきゃいけない。なのに…お前と離れるのがつらすぎるんだよ…。こんなに惚れた女は、生まれて初めてだった……」
「じゃあ何で」
「俺は傍にいたってだけでお前の負担になってたんだ。それなのにこれ以上負担になるわけにもいかない。それは俺のワガママだ。花子、俺はお前を愛してる。だからお前には幸せに生きていてほしいんだ。そのときに、俺はいない方が」
深夜の言葉が止まる。胸に何かがぶつかったからだ。思わず数歩ふらつく。
花子の拳だ。
「てめぇ寝ぼけたことほざくのも大概にしろよ!それで私が喜ぶとでも思ったのか!?誰が頼んだんだよそんなこと!!私はな、てめぇが思ってるほどか弱い女じゃねぇんだよ!私がどんな生き方してきたか、お前知らないだろ!?こんなの屁にも思わねぇんだよ!ふざけんな!!!」
間近で響く花子の怒号を、深夜は驚きに固まって聞いていた。
「今まで男にこんなことすることなんてなかったんだぞ!お前は特別なんだ、感謝しやがれ!…お前察しがいいんだから、さっさと気付けよ!私がお前を……」
そのまま花子は深夜に寄りかかった。深夜はあわてて支える。
「私だって……傍にいてほしいんだよ……」
この気持ちに明確に名前を付けるのを、ずっと躊躇っていた。自分の感情は正常なものではないと、思い続けていたからだ。
しかし。
『While there's life, there's hope.』
自分の幸せのために、その気持ちから逃げるのをやめることにした。
アレックスに言われて気がついたのが、非常に癪だったが。
花子を抱きとめた深夜の目から、みるみる涙がたまっていく。やがてぼろぼろとこぼれていった。しっかりと花子を抱きしめる。それに気付いた花子は顔を上げた。花子も泣いていた。
「…ごめん、ごめんな…ありがとう……すげぇ嬉しい…」
深夜は涙の跡が残る顔で、やっとやっと笑みを浮かべた。悲痛な笑みだった。
「でもな、俺はここでは暮らしていけない。実はな、親戚の知り合いに、特別支援学校で先生をやってた人がいて、その人に色々教えてもらおうと思ってるんだ。だから、こうしないか」
深夜は花子の肩を抱いて言った。
「俺はそこで、最低限ひとりで生きていけるようになってここに戻ってくる。お前に会いに行く。何年かかるかは正直分からない。でも、そのとき、お互いの気持ちが変わってなかったら…一緒に暮らさないか」
花子はその言葉に目を白黒させた。
深夜の目が見えていたなら、珍しく純粋に驚きうろたえている花子の顔を見ることができただろう。
「…それは…アレか……プロポーズ、ってやつか?」
その言葉に深夜は今度こそ笑った。照れている。
「馬鹿、気が早ぇよ。…俺だって、男の決意ってもんがあるんだからよ…もうちょっと待っててくれ…」
今度は花子も赤面した。
そしてお互いにそれを隠すように笑い、また抱き合った。
『In receiving do not laugh, the real me.』
『I want you to have around forever.』