第六話:ようこそただいまアルトドルファー邸
「……という感じなのです。お分かり頂けましたですか?」
「はい、ありがとうございますっ! 庭師さんってすごいんですね!」
「いいえ、どういたしまして。なのです! そうなのです、庭師はすごーいひとなのですよ!」
庭園で微笑ましい会話が繰り広げられる中、半ば通夜もいいところという雰囲気の私とフィルハートは付かず離れずの距離を歩いていた。元々仲が良いってわけでもないからこのくらいが丁度良いんだけど……でもあの二人を見ているとこの状態もなんだかとても虚しいものであるのではないかという錯覚に襲われる。
……はい、まだ軟禁五日目です。そして早くも私はギブアップ、というかぶっちゃけアウレール少年だけが心のオアシスです。だってここ居心地悪いもん。アウレール少年とフィルハートが居るからまだマシってだけで、居心地悪いのは平常通りだし今すぐここから逃げ出したいくらいだ。ご飯が味気ない……とかいうことを漏らしたらなんかフィルハートが気を遣ってくれたのかご飯を作ってくれるとかいう珍光景が見れたりそのご飯がめっちゃ美味しいとか言うちょっと腹立たしいこともありながら現在お昼一時になりました。いつもなら屋上か中庭で昼寝してる時間。……うーん、たまには自主勉も悪くないかもしれないし少年を呼び戻して三人で勉強会でも開くか。でも折角仲良く話している二人を引き離すのはちょっと心苦しい気もして踏ん切りが……
「アデルお嬢様ああああああああ!」
……ああ、なんか面倒なのが来た。いや此処に帰って来てあれに会わない方がおかしかったんだ、そうだ。
私の目の前に到着するや否や膝を折って頭を垂れるラコル族の少女。彼女はこの屋敷の中でも数少ない、私に良くしてくれていて、名前はセラ。……ただ、ベルトゥルフとは違う意味でちょっと過保護というか、まあ、心配性すぎてたまにうざい。心配してくれるのは嬉しいけどちょっとやりすぎじゃないかって事もあるからなあ……ストーカー紛いの事してるって聞いた時はちょっとこいつ大丈夫かなって思った。
ちなみにラコル族っていうのはテリム族の中でも特に警戒心が高いとされる種族で、森の奥深くに集落を構えて、協力関係にある種族もいるからその集落の中は色んな種族がまとまって暮らしているらしい。大人のラコルの身長は耳を除くと平均的なヒューマンの成人女性の腰辺りくらいまでしかなくて、長い耳とふわふわの長い尻尾、くりっとまんまるな赤い瞳が目を引く。セラの場合はまんまるというよりつり目気味だけど。それと、魔法の才にも優れていてエルフの隠れ里に住んでる子もたまにいるんだとか。
その愛らしい姿から愛玩用の奴隷として欲しがる輩も星の数。ラコル族もそうだけどテリム族の少年少女は総じて愛くるしい姿をしている場合が多くて、彼等欲しさに大金を積む馬鹿貴族が未だに居る。セラの場合、集落ごと焼き払われてしまったから彼女にはもう血縁のある家族がどこにもいない。そのせいか、事ある毎に私の事を妹扱いしてくる。心配性もきっと仲間意識の他にそこからきてるんだろうけどやっぱり過保護な気がする。
「めっずらし、ラコルが居んのか」
「何か文句がありやがりますか?」
「……セラ、おすわり」
チッと舌打ちが聞こえたような気がするけど気のせいにしておく。フィルハートの言葉も分かるっちゃ分かるけど目の前で喧嘩されるこっちの身にもなって欲しい。それにセラの喧嘩は魔法使うの込みだし。えーと、フィルハートの適性が火で、セラの適性が水だから……ああうん、普通に大変なことになるわ。主に屋敷が。いや私は大丈夫だけどアウレール少年は魔法斬るなんて芸当出来ないし、爆風の受身の取り方も知らないだろうし。そもそも訓練でもないのに怪我をさせるというのも如何なものか。
そういやさっきからルルとアウレール少年が静かだな。庭の奥の方に入っていっちゃったんだろうか。それだけなら心配しないけど……うーん。
「……よし。セラ、ちょっと庭の方見て来て。ルルと一緒に赤い髪の少年が居るはずだから」
「畏まりました」
セラは立ち上がって綺麗に一礼すると庭の方へ消えていく。中庭の構造を完璧に把握しているのはうちの庭師の他にはセラだけ。そして仮にそこで何かがあってもセラとルルの二人なら追っ払うくらい簡単だろう。彼女はアルトドルファーの侍従の中でも戦闘能力は高い方に入る。なんせうちの侍従は元剣奴出身者が多い。セラは違うけどルルは元剣奴だ。そこらの賊が運よくこの屋敷に入り込めたとしても給仕よりも戦闘の方が大得意な侍従たちに叩き出されるというわけだ。
それにしてもなんか、今日は妙に静かだな。ライナさんはいま旦那さんと息子二人と一緒にお出かけ中で夜まで帰ってこないし、ヴァルムントは……わかんね。あれからすぐ王城の方帰ったし。たぶん部下となんかやってんだろ。で、侍従長はさっき買い出し行った。夕方には帰ってくるって言ってたからいないし……いや、それにしては静かすぎる気がする。この屋敷は普通の貴族の屋敷と比べれば人は少ないけど来客のためにそれなりに人数は揃えてるし、今丁度昼休みの時間帯のはず、なのに。
「なあ、アーデルハイト」
「なに」
「俺とアウレールがやらにゃならんのは、お前の見張りだよな」
それは確認、だった。フィルハートもなんとなく、嫌な予感はしているらしい。得物の長剣の柄を握りしめて離さない。ぐらぐらと魔力が揺れるさまが目に見える。
この静寂の中に、ルルとアウレール少年が連れ去られてしまったような違和感。一瞬、フィルハートとは別の大きな魔力が膨れ上がる感覚とびりびりと肌を突き刺す痛みに庭のずっと遠くに視線を走らせる。フィルハートが反射的に抜こうとした時、空気を裂いて声が突き刺さる。
「っざけんなあああああ!!」
紛れもなく、セラの声。どうしてこうも面倒臭い事が立て続けに起きるんだよもう、めんどくさい!
◆◆◆◆
辿り着いた時の状況は最悪も最悪、だった。今にも魔法を発動させそうなぼろっぼろのセラと顔を窺い知れないものの余裕綽々といった風の黒いローブの男の足元で倒れ伏したルル。そして、男に抱えられて朦朧としたほぼ無傷の少年。
あらゆる可能性を考えたけど大して彼のことをよく知らない私に思い当たるものなんてあるはずもなく、静かに相棒を抜く。隣に立つフィルハートの手に魔素が集まり赤く発光するのを見て思わず舌打ちした。ブラスト系でもぶっ放す気かこのアホ。これだから脳筋の魔道士は……いや優先するべきは少年の身柄確保だ。連れ去られるとかマジで洒落にならんぞ……!
「セラ、フィルハート、そのまま待て。少年を巻き添えにしたらお前ら閉め出すからな。それとそこの黒ずくめ、今すぐその少年を降ろして投降しろ。こちらとしても手荒な真似は本意じゃない」
銀色の切っ先を真っ直ぐ男へと突きつける。届きはしないその距離はただの脅しだ。セラとルルをここまで追い詰めたんだ、正直、この場の全員を振り切るくらい易いだろう。私自身は逃がすつもりは毛頭ないし、体力が続く限りどこまでも追いかけて取り返すくらいの気持ちはある。その可能性が極低いことも理解してるけどきっときっと、少年をあれに盗られるのは良くない事だと私の知らない誰かが叫んでいる。
深く被ったフードの奥に隠れた赤い目と私の目が搗ち合う。その冷たい色の目なんて記憶にないはずなのに、私はあの目を確かに知っている。……そしてとても、懐かしい。でも、たぶんあんな、冷たい目じゃなかった、気がする。わからない、わからない。あいつはだれ? 私は、何者?
「……ねえさん?」
「っお前! 私を知ってるの!?」
赤い目が丸くなる。それは居なくなった誰かを見つけたような、懐かしむような、そんな目。冷たい色が、薄まる。驚嘆とか、嬉しさを滲ませた声が耳を通る。男に向かって踏み込む私をフィルハートが腕を引いて止めると男はまた深くフードを被り直し、少年をルルの横に寝かせた。
その瞬間、溜めに溜めたセラの魔法が男に向かって牙を向く。水の中級攻撃魔法、ランツェ・コリエンテ。水流を槍のようにして対象を貫くだけの単純な魔法だけど中級攻撃魔法だけで見ればあれを凌ぐ攻撃魔法は早々ないし急所を捉えられれば最後、この世とお別れ。それにセラの命中力と躊躇のなさから撃ち出されるそれから逃げ切れるとも思えない。
「そん、な」
「今日は、退いてやる。………また会おう。器の子。その時にはその呪い、完全に解くから」
セラの力ない、震えた声。渾身の反撃すら赤子の手を捻るように掻き消されてしまった。間違いない、この男、強い。私たちだけじゃ、勝てない。
少年の鮮やかな赤い髪が徐々に雪のように白い色へと変わり始めていることなど知らずに、すうと闇に飲み込まれるように消えた男がいた場所を呆然と私は見つめ続けていた。