第五話:風紀委員長は不正を働き書記と幼馴染みにシバかれる
救護棟で目が覚めたあと、知人から聞かされた状況は途轍もなく最悪だった。いや、アルトドルファーの兄弟が来てないだけまだ今回はマシと言えるかもしれない。最悪の最悪を免れただけで、最悪な事にほぼ変わりはない。思わず制止を振り切って相棒を引っ掴んで飛び出して。
「ベルトゥルフ・ジグヴァルト、今直ぐ表に出ろ。今度こそ殺してやる」
応接棟を片端から走って探し当てた一室で、気が付けば相棒の切っ先をベルトゥルフの喉元に突き付けてそんな言葉を言い放っていた。当然だ、あの二人は誰かから言われなきゃ私が何をしてるかなんて分かるはずがない。報告できる奴がいるとしたら間違いなくベルトゥルフだ。
ジグヴァルトの家の奴らがなんで来てるのかは知らないけど、義父とその姉が揃って首を並べている。これは私にとって非常にまずいことだった。なにせ、私は彼女の言う事にはノーと言えない。あの、空気の澄み渡った冬の青空みたいな色の目で見られたら誰だって、否とは言えなくなるんじゃなかろうか。……だから、私は彼女と、彼女の血を色濃く継いでいる彼女の一番上の子供が苦手なんだ。本人たちが気付いているかどうかは知らないけど。
私はアルトドルファーの姓を名乗らせてはもらっているけどその家の血はこれっぽっちも流れていない、言ってしまえば家族であって家族でない、要するに養女。彼らにお情けで拾ってもらっただけの、ただの人間。だからこうして何か問題が起きた時全力で動かれるし、説教だって義兄たちよりもずっとずっと長い。そして最後には決まってアルトドルファーの自覚を持て、という言葉で終わる。
私だって自覚がないわけじゃない、そうあろうと努力した時期も、多少はある。でも、だめだった。義父に望まれていることは出来っこないんだって、気付いてしまった。ギリギリまで頑張ってはみたし、学園では魔封の剣神だなんだと呼ばれてるけど、無理だった。何度剣を下ろそうと考えたか、もう数えたくすらない。あの時倒れてからもう、がんばることをやめた。じゃなきゃ、平静を保っていられる自信がなかった。……なのに、なのに、この男はいまなんて言った? 謹慎処分を名目とした自宅隔離? 馬鹿じゃないのかこいつ。アンズルフさんのデートしよう発言でうっかり流しそうになったけどこいつ今なんつった?
「……ふざけんな」
「アデル?」
「……不服か」
眼前の赤い瞳が無感情に私を見る。ライナさんの呼ぶ声も、今は構っていられない。ガンッと机の上に足を乗せてその勢いのまま襟首を掴む。赤い瞳の中に私の黒い瞳が映る。……気に入らない。この目が私は、気に入らないんだ。
その勢いのままヴァルムントを投げ飛ばした。軽々受身を取られて着地されて舌を打つ。分かりきってたけど腹立たしいことこの上ない。咎める声が、聞こえる。たぶんアドルフさんだ。あの人は規律に厳しい。
その声が聞こえないふりをして一度は鞘に収めた相棒を抜いて肉薄する。それも素手で受け止められて、知らない内に歯噛みして。苛立ちに競り上がる言葉を、吐き出す。
「不服か、そう聞かれて私が否と言うとでも思ったかこの――」
狸爺。そう続くはずの言葉はばたーん! とかいう派手な音にかき消された。ついでにその音で私がすっ転んで、その拍子に相棒が手を離れてくるくる回りながら義父の手の中へと収まった。ちなみに私は顔面から地面とご挨拶した。実に腹立たしい。
すぐに起き上がって音の正体の方へ目を向けると何故か、先程の私のように派手にすっ転んでいるあの時の少年。たぶん扉を開けた拍子に転んだんだと思うけど、これが噂のドジっ子ってやつか。初めて見たわ――って違う、違う。問題は彼がどうしてここにいるのかだ。確か人払いされて、アルトドルファーの侍従たちが見張りをしているはずだ。いや、私的には嬉しい展開だけどな。
あの時の少年がふええなんて言いながらのろのろと起き上がったあと、次に顔を見せたのはカノーヴァの子息、それと何故かコルネリアとフィルハート。……ああ、成程な。コルネリアが一緒なら普通に入ってこれるはずだわ。生徒会の書記だし、ドレヴェスの息女だし。コルネリアが居るってことは用事があるのは私じゃなくてベルトゥルフか? 遂になにかやらかしたんだろうか。
「お取り込み中申し訳ありません。すぐ終わりますのでお邪魔致します。……ところでベルトゥルフ、これはなんですの?」
「ふ、風紀委員長さんひどい、です……」
コルネリアがぴらりと見せた紙と、ベルトゥルフをひどいと言う少年。
もしやこいつ少年に乱暴を……とか思ったけどねえわ。考えといてなんだけどねえわ。やってたらまず私がベルトゥルフの野郎を殺すしそもそもあの幼気な少年にあんなことやこんなことをしたと認知したコルネリアがタダで帰すとは思えない。じゃあなんなんだ。
「ベルトゥルフ、ユウェルはともかくとしてどうして入学して日の浅いアウレール君たちの生活点が四分の一減っているのか、説明を求めても宜しいかしら」
「それに書いてあるだろう」
とても面白そうなことになっている。
相棒の回収は後回しにしてコルネリアの持つ紙を勝手ながら拝借した。後ろからの視線が痛いけどこの際だ、気にしない。なんか小難しい言葉の後に生活点を引く旨が書かれてて、その下の該当生徒名がユウェル・フィルハート、クラウディア・カノーヴァ、アウレール・アウラ……待て。ちょっと待て。これはどう考えてもおかしいだろう。特にアウレール少年。つかあの子に悪い事しろつっても「え? なんで?」で終わりそうだけどな。
「明らかにおかしいと思うのですけど」
「まあ、色々あってな」
「おもいっきり私情じゃねえか!」
すぱーん! そんな音と共にベルトゥルフはつんのめる。叩いた手が少し痛いけどそれよりも痛いのはアウレール少年がなんか泣きそうになってるということである。暴力とは無縁に育ったんだろうか……どうしよう、泣かれるのは慣れてるけどこう、うるうるした目で見つめられるのは慣れてないからとても困る。
視線だけでコルネリアとかジグヴァルト兄弟に助けを求めてみるとクロドゥルフさんが困った顔で応対してくれた。この人大概苦労性だよな。さっきは睨んじゃってごめん。
「……よしよし、落ち着いたかな。僕でよかったらお話聞くから、話してみてくれる?」
「あう……あの、風紀委員長さんは……」
「あー、あれは夫婦漫才みたいなもんだからだいじょーぶ。怖かったかな、よしよしいいこー」
……もっとマシな言い方はなかったんでしょうかクロドゥルフさん。文句言える立場じゃないから言わないけど。
しかし困ったことにこのおもいっきり私情なのを尤もらしい文言で下げられている生活点は手違いでしたてへぺろー☆では戻らないわけで、とりあえずアウレールとカノーヴァは地道に戻せるけどフィルハートはそうはいかない。なにせあいつ、私よりも生活点が低い。それと学園のシステム上生活点が規定より低いと進級できない。そもそも成績に関わるテストすら受けさせてもらえない。要するに留年確定である。確かフィルハートは家の方から留年しないようキツーく言い渡されていたような、記憶が……
「生活点が事実上ド底辺なので、会長から逃げ回ってるんですよ」
「グローリアから逃げきれるとは思わんが」
「その原因作ったのベルくんじゃんか……」
クロドゥルフさんの言い分にうんうんと頷く私とコルネリア。ついでにフィルハート。グローリアとはアレグリア学園の生徒会長でありユウェル・フィルハートの兄君で、確か調教師科の三年。弟はあんなんだがグローリア本人は文武両道で人当たりのいい、学園の人気者だ。
流石に今回はばーかばーかと嘲笑うわけにもいかない。たぶん三分の一は私のせいだ。残りは当然ベルトゥルフと本人の身の振り方……まあ、フィルハートばっかりが悪いわけじゃないけど。
ちなみに、うちの学園にはそんな悩める生徒諸君のために生活点が加点出来るクエストというものがある。内容は大体ボランティア活動とかが九割、残り一割が貴族の道楽に護衛役として付き合うというもの。ぶっちゃけその一割を受注するような生徒は本当に切羽詰まってるやつくらいしか受けないし、その手の依頼を出している貴族連中は性格ひん曲がってる奴が多い。それだったらボランティア活動の方が精神衛生上よろしいというものだ。ゴミ拾いとか掃除も慣れれば楽しいし達成感もある。そんでもって一クエストにつき大体五点から十点くらい貰える。そして進級に必要な基本ラインが七十点。フィルハートの生活点はあの顔を見るに恐らく十かそれ未満だからテストまでに最低五つはさばかないといけない。……要するに、ご愁傷様ですとしか言えないんだけどなんかすごい嫌な予感がする、ような。
「……あの、ヴァルムント様、アデルちゃんの謹慎は絶対やんなきゃだめなんですよね?」
「ああ」
「だったらアデルちゃんの登校許可が下りるまで彼に見張り役に来てもらって、やり遂げたらテストを受けられるだけの生活点を加算する。というクエストを彼に課す……というのはどうでしょう?」
「……構わない」
クロドゥルフさんの爆弾もいいところな提案を義父が許可を下ろした。あの義父が、許可しやがった。ライナさんが意外そうにあらあらなんて言ってるけどこっちはあらあらまあまあどころじゃない。軟禁確定とかふざけんじゃねえってさっき言ったばっか……いや、あれは言いかけたんだった。
っていうかこんなバカな話、あってたまるか。いや、生徒会がこんなアホみたいなクエスト受理するはずが――
「では、そういうことで受理しておきます。先生方と会長、副会長にはこちらからご説明致しますのでご心配なく。……ふむ、丁度いい機会ですしアウレールくんもお勉強としてお邪魔してきては? 構わないでしょうか、ヴァルムント様」
「こちらとしては構わない。……アーデルハイトも、そちらの少年には強く出れんようだからな」
「アレン、メイドさんたち……えーと、さっきサナさんって人居ただろ? その人の言うことちゃんと聞いてたら大丈夫だから、ちゃんと話は聞いておくんだぞ」
「いえっさー!」
微笑ましいやりとりのすぐ傍で私の退路は普通に閉ざされていた。コルネリア、てめえあとで覚えてろ。
「アデル、我慢なさいな」
「……ライナさん」
「だいじょーぶ。私もいるし、久し振りにゆっくりお茶でもしましょう? お客様がたくさんいらっしゃるのだし、ふふふ。楽しくなりそうね!」
その時に逃げ出してたらよかったんだ。
そのクエストがなければ、あの時私が術式を壊していなければ、その事件はきっと、起きなかったのかもしれない。……少しでも、なにかが変わっていたかもしれないことを逃げ出さないまま私はとんとんと進む話に言葉を挟むことをしなかった。