第三・五話:竜の尾を踏み逆鱗に触れた愚者
呼び出しは突然のことだった。
「アーデルハイトが倒れた……?」
「つきましては、学園の方まで出て来て欲しいと。……というか、ライナ様が先に行ってしまわれまして、その」
「……それを早く言え」
申し訳ありませんという部下の言葉を背中で受けて執務室の窓を開け放ち、空へと跳ぶ。こういう時の姉の行動力たるや、私にも分けて欲しいくらいだった。いや、実際に分けられたら恐らく私は困るだろうが、今だけは半分でも分けて欲しい気持ちだった。
下から「玄関から出てくださいよーだんちょー」とかいう言葉もあったが、正直構ってはいられなかった。彼女には私しかいない、のだから。
……遡ること、今から十二年前。違法な魔法研究を繰り返す研究機関を検挙した日。捕らえられていた少年少女が親元へ帰される中、彼女だけがひとり、残されていた。
帰る場所はないのかという部下の問いに彼女は言う、そんな場所はないと。その答えにアンズルフが笑って言い放った言葉が、私達を唯一繋ぐ、つながりだった。たったそれだけでも私にとって彼女は私の宝物に変わりはない。代わりも、ない。この世界でたったひとりだけ、の。……それは恋情や愛情にも似ていると、姉は笑ったが。
……ライナが余計な事を言う前に、辿りつけたらいいが。
◆◆◆◆
結論から言うとライナを捕まえることには成功した。というか追いかけて来ていた侍従に先に捕まっていた。あと個人的に歓迎できないおまけも一緒に。侍従も訳もわからないまま屋敷を空けないで欲しいものだが……今回は致し方ない、か。ライナが捕まえられただけ良しとしておこう。あと、ライナ以上に捕まえておかないといけない奴もな。
「お久しゅう御座います、ヴァルムント様」
「……ああ、久しいなアドルフ。ツィザ、クロドゥルフ、アルフレートも元気そうで何よりだが……どうしてここにそれがいるのか説明を求めても良いだろうか」
驚くことにジグヴァルトの五兄弟の内、四人が何故かその場に揃っていた。
アルフレートは急遽呼び出されたのだろう、無表情の中に苛立ちと呆れが見て取れる。彼をこちらまで呼び出した主はそこの阿呆面をした男だということは想像に難くない。寧ろ何故当然のようにそこにいるのか理解に苦しむ。しかもサラ嬢以外の血縁全員巻き込んで何を考えているのか。確かクロドゥルフは妻帯者だと記憶しているのだが。いや、何も考えていないのか……
……、………、…………うん、考えてないな。昔からこの男はそういう男だ。
「幼馴染みに対してそれはないんじゃないんですかぁ」
「死ね」
「うおっあっぶね! ちょっとヴァルーいきなり蹴ってくるのは反則だってー……ってこら置いてくなー!」
……軽薄な男にかける言葉はなにもない。そもそも私は何故この軽薄な男と幼馴染みなのだろうか。
「ねーねーヴァルー。うちのから聞いたぁ?」
「……何をだ」
「アデルちゃんが倒れた理由」
「いや、聞いていない」
うちの、とはつまりベルトゥルフだろうがアーデルハイトが倒れた理由まではこちらに入ってきていない。アルフレートにくっついてからかうライナも恐らく知らな……いや、私宛に掛かってきた呼び出しを受けて勝手にここまで来ているのだから知っているのかもしれない。あの振る舞いを見ていると不安しかないが。寧ろなぜ私が呼ばれたのか理由を覚えているのかどうかが怪しい。アドルフをはじめとしたジグヴァルトの兄弟たちは知らないらしく揃って怪訝な顔をしていた。
アーデルハイトが倒れる理由としてはふたつ考えられる。一つはただの過労。もう一つは……余り考えたくはないが、高密度の魔力による何かが降りかかったか。一つ目の理由は元々が疲労の自覚のしにくさからくるものであり、周囲が無理にでも寝かせてやるか休ませるかさせれば解決するものであるからさして心配する要素はない。私が一番案じているのは二つ目の理由だ。彼女は大体の魔法は効かない、否、全てを己に届く前にほとんど解いてしまうし、術式そのものが見える彼女にとって術式ごと斬り裂くことは容易いことだ。しかし魔力の暴発は違う。幾ら無効化出来るとはいえ、物理的な事象にそれは通じない。高密度の魔力の塊に貫かれればその魔力は無効化出来たとしても衝撃波をまともに受ければ痛みは残るし、吹き飛ばされてどこかに体をぶつければ打撲し、血も滲む。
それを考慮しているのかしていないのか、あれはすぐに無茶をする。ベルトゥルフから聞くだけでも冷や汗ものなのだから、間近で見ている者は私以上に肝を冷やしているに違いない。あれのことだからどうせ、平気だからと笑って無茶をしているのだろうが。……さて、今回はどちらだろうな。
「その前に悪いニュースとめちゃんこ悪いニュース、どっちから先に聞きたい?」
「どっちも変わらんだろう。後者から頼む」
「あいよ。えっとね、北のホッフヌングがネウトラーレに喧嘩売りました。同時にエーレの方もなんか両国の戦争のどさくさに便乗してなんかしそう、っていうのがうちが抱えてる密偵くんたちの見解」
「もうひとつは」
「学園に正体不明の召喚魔法系の術式が設置してあって、そこから魔獣のオンパレード。んで学園の方にも死者こそ出なかったけど重軽傷者多数出ましたってさ。近く予定されてる魔獣大討伐戦には少数の三年生しか出られないって噂。もしかしたら参加自体ナシになるかもね。あと、その術式には魔力供給式がすっぽ抜けてたって話だけどベル曰くそれはアデルちゃんがぶっ壊したらしくてね、倒れたのはそれが原因じゃないかなあ」
悪いニュースの方が性質が悪い気がしたのは私の気のせいではないだろう。鉄壁の守りを誇る学園内部に、重軽傷者が出るほどの魔獣を召喚出来る設置型術式。これ以上の異常事態はない。……内部に敵性勢力が潜り込んでいるのか? それともまた別の何か、か。いずれにせよアーデルハイトを学園に置いておく事は危険だ。……連れ帰る、などと言えば彼女は反発するだろうが。
しかし、戦争……か。長く平和な世が続いていたが我が国の女王はどんな判断を下すだろうか。ネウトラーレ大公国は大昔に永世中立を宣言し、緑と魔力資源がとても豊かで長であるリコリス大公の人柄を示すように長閑で穏やかな国だ。対するホッフヌングは北の軍事帝国とも称される、軍事に重きを置く帝国である。最近王が代変わりしたらしいがその方法が謀殺だと囁かれている辺り、血を血で洗う戦いが王宮内で起こったのだろう事は想像に難くない。単純な戦力だけを見るならホッフヌングに勝る国はないとも言われるが……結束力が強いのは言わずもがなネウトラーレであるし、ネウトラーレ軍の強さはそこにある。魔法兵の質の高さで言えば彼の国に勝る国もない。やはり、ホッフヌングの勝率は低そうだが……何か策でもあるのだろうか。こちらも警戒するに越したことはないだろう。
………頭痛の種が年々増えて育っていっている気がするが……気のせいに、しておきたい。
「ヴァルムントぉ」
「なんぞ」
「俺もちゃんときょーりょくするから。ね、抱え込まないでよー?」
だらしなく笑うアンズルフの顔に一筋陰が差したことすらも、気のせいだったらよかったんだろうか。
◆◆◆◆
「アーデルハイト・アルトドルファーを魔道研究院に引き渡すべきです」
ああ、これはあーちゃんが怒るやつだ。経験的に俺はそう感じ取った。
あーちゃんは縛られるのがキライだ。それよりもキライなものは、好奇の目。物珍しいものを見る好奇の目じゃなくて、実験対象をこれからどうしてやろうかとか、これをこうしたらこうなるんじゃないかとか、そういう事を考えている研究者の目が、あーちゃんはキライなんだ。
過去が過去だから仕方ないんだけど、魔研に与する者はみんな敵! みたいな勢いがあるし。まあ、俺も魔研はキライだけど。だってあいつら基本上から目線だもん。話す気なくすんだよなあ。寧ろ魔研関係者以外の魔道士の方がイイ人多いし。世の中って不思議なもんだ。生き物、といってもあながち間違いじゃあないかもしれない。
「いや、アーデルハイトには自宅で謹慎してもらいたいなと、自分はそう思っております」
戦士科のせんせーが緊張気味に理事長にそう伝える。俺もせんせーに賛成だ。何かあっても俺らが対応したらいいし、なにより絶対権力者ライナちゃんが居る。……それに、あーちゃんに魔研引き渡しとか聞かせたら余計に神経質になって人に近寄らなくなっちゃうし。そうしたらあの日みたいなことになっちゃう。それだけは、俺的に避けたい。それに、やっとなんだ。十年かけてやっとここまで元気になってくれたんだからここで振り出しに戻ったらきっとヴァルは立ち直れなくなっちゃうかもしれない。ぶっちゃけそれの方がちょっとめんどくさいかも。
理事長の方を見ると少し考えた風に俯いて、俺を見た。理事長的にも魔研への引き渡しには難色どころか反対の意向だということが耳の動きで見て取れる。そりゃそうだ、グランツにある魔研の内ひとつ……つまり今回引き渡し先に挙げられてる方の魔道研究院は良い噂なんかひっとつもないから。不明な能力があるとはいえ可愛い生徒をそんな場所に放り込むなんて、理事長には出来るはずがない。なにせ、理事長の種族は仲間意識が特別強いテリム族だから。テリム族は仲間と認識した者は決して裏切らないし見捨てない。そういう種族だからあーちゃんには別の処分、つまり戦士科のせんせーが言ってるような処分が下されるだろうなあ。これはこれであーちゃん怒りそうだけど。
「……アーデルハイト・アルトドルファーは、わたしが許可するまでは学園に登校することを禁じ、自宅で謹慎処分とします」
「理事長!」
「わたしの決定は、生徒会の総意がなければ覆せません。……そうですね? ルガール先生、アーレント先生」
「はい、理事長。その通りです」
「……くっ」
「……では、私からそう伝えましょう」
理事長は恐縮そうにお願いしますと笑うと次の仕事の為に部屋を退出した。残ったのは俺とヴァル、そして戦士科と魔道士科のせんせー。それぞれ違う顔だけど、苦虫を噛み潰したような顔をしているのは魔道士科のせんせーだけだ。当然だよね、あーちゃんを魔研送りに出来なかったんだから悔しいはずだ。まあ、理事長を言いくるめたとしても俺がさせてなかったけどね。
「アルトドルファー当主、何故だ、何故黙っている?!」
「何がだ」
「あんな『バケモノ』、何故手元に置いておく? 何故魔研へと提供しない? 憐憫か? 庇護することに優越でも抱いているのか? それとも愛玩用にあれを飼育でもしているのか、ドラゴンが! 人間を!! ああなんだ、そんなに具合がいいのか? あの小娘は。柔らかいか締まりがいいかはたまたあの生意気な――」
「っルガール!! いい加減にしろ!!」
戦士科のせんせーはよかったーって顔で一息ついている。ライナちゃんも似たような顔でにこにこ笑ってるし、さっさと応接棟に戻ろうかなーと声をかけようとした時、だった。案の定、予想通り魔道士科のせんせーがヴァルに喧嘩を売った。どこか青い顔をして、戦士科のせんせーが怒声を張り上げる。そして、その判断は間違っていない。だって、ヴァルはいま、
人を殺す目を、してるから。
「貴様、我が娘をそのような下卑た眼で見ているのか。それとも、我が娘を含めた少女全員か」
「は、」
「答えようによっては手ずから地獄へ送ってやる。その首、我が娘と少女らの土産には丁度良かろう」
赤い瞳が獲物を狩るそれに変わったことに気付いたのは俺とライナちゃんしかいないだろう。戦士科のせんせーはたぶん、培った経験則で一瞬で張り詰めた空気を感じ取って構えたんだろうし、声を張り上げることが出来た。その証拠にルガールとかいう奴は声らしい声もなにも出てない。戦士科のせんせーと違ってろくに前線に出たことないんだろうことが手に取るように分かる。……そういうものだからね。
答えに惑う目の前のいきものの答を待たずに、ヴァルが剣を抜こうとすると沈黙を続けていたライナちゃんがにっこりと微笑むとヴァルの隣まで歩み、腕を掴んだ。
「ヴァルムント、……だめよ」
「……」
「あのひとのために、引いて頂戴?」
ころころと鈴の鳴るような声はヴァルの気を鎮める特効薬。あのひと、は戦士科のせんせーのことだ。
張り詰めた空気がするんと消えて、せんせーがへなへなへたりこむ。人の姿をしていてもヴァルはドラゴンだし仕方ないね。寧ろよく持った方だから褒めてさしあげたい。ルガールとかいうやつは知らなーい。そこで気失ってるし……あとで救護士科の人に声かけていかなきゃなあ。うーめんどくさい。でもせんせーのためと思えば……うーんやっぱりなんかご褒美が欲しいなあ。俺ボランティア精神とかないからさ、物とかご褒美みたいなのがないと頑張れないんだよねー。
「……申し訳、ありません。同僚が軽率な発言を」
「ふふ、だいじょうぶよ。貴方には怒ってないから。でも……そのひとにはとっても怒ってるの。私たちの家族をそういう風に言ったことは――私たちが死ぬまでずっと憶えているわ」
部屋を出る二人を追って俺もそれについて歩く。学園広いから迷ったら大変だし。敬礼で見送るせんせーにひらりと手を振って、これからの事を思って頭をまた痛くした。……ここからが一番、大変なんだもんなあ。
……ちなみに、体をお大事になさってね。とそう言って部屋を出たライナちゃんがいっちばん怖かったのは言うまでもない。