第一話:話というものは割と唐突に始まる
冬が駆け足で過ぎ去って、春の花が綻び始める頃。風が吹くとまだ少し肌寒いけれど、ぽかぽかと陽気が暖かい。こんな日は教室で退屈な授業を受けるより、つまんない訓練をするより、誰にも見つからない中庭で昼寝をするのが一番だ。
なんてったって、いま私が居るこの中庭に鎮座する一番大きな木の根元に寝っ転がれば、大きく地表に張った根が邪魔をして至近距離まで近づかなきゃ昼寝をする私は見えやしない。授業中だから遮蔽物のない空を飛んでる奴なんか居ないし、仮に居たとしても青々とした葉っぱが私を隠す。やっぱり近付かれなきゃ見つかりっこないし、我ながらいい昼寝場所を確保したものだ。昼休みにでもならなきゃ人だって滅多に来ないし、風は気持ちいいし、煩わしい喧騒も向こう側。ああ、早く帰る時間にならないかなあ。なんせ相棒は今日出番無さそうだし。……まあ、サボる気満々なこの状態からして説得力なんてものはないけれど。とりあえずいま、とてもねむたい。
「やっぱり、ここにいたか」
「げ、風紀委員長」
「……相変わらずだな」
軽く欠伸をすると黒い影が伸びて、青空よりも青い瞳が私を呆れたように見詰めている。視界の端に捉えた太陽の光を浴びてきらきら綺麗に光る銀の糸、紛れもなく私の幼馴染みでありアレグリア学園の風紀委員長ベルトゥルフ・ジグヴァルトがそこに居た。つか風紀委員長様がなんでこんなとこにいるわけ? いや、そもそもいま授業中だろう常考。
そんな私の心中を察したのか、私自身呆れ返るほどの無表情さから何かを読み取ったのか……まあ明らかに後者だろうけど、ベルトゥルフは静かに溜息を吐いて話し始める。ああ、こういう余計な動きも様になる辺りがむかつく。なんかむかつく。きゃーきゃー言ってる女子生徒諸君には悪いけどこいつの顔ぐっちゃぐちゃにしてやりたい。面の皮剥いでやろうか。
「……先生から頼まれた。どんな手を使ってでも構わないからお前を探し出して授業に引きずり出して来い、と」
「うわめんどくせえ……つかそんな事のために使われてたの? 天下の風紀委員長様が? え? 馬鹿? 馬鹿なの?」
「言いたい事は山ほどあるがまあ、お前を見つけられるのは俺しか居ない。……そうだろう? アーデルハイト・アルトドルファー」
私こと、アーデルハイト・アルトドルファーはこの風紀委員長様に隠れんぼで勝てたためしがない。全戦全敗、腹立たしい事この上ない。仕方ないので大人しく捕まっておく。だってあいつ、魔道士学科のくせに(家柄上仕方ないとはいえ)召喚魔法使いやがるし、風魔法使わせたら学園で敵う奴居ないし、なんか知らないけど剣の腕も私ほどじゃないけどそこそこ強いし、あと見た目が綺麗なせいなのも多分に含まれてるだろうけどなんかやたらと女子人気が高いし、その上一部男子生徒の中に奴を崇拝してる阿呆が居るとか聞いたことがある。見た目が綺麗なのはシエロ族とのハーフだからってのもあるだろうけどな!
まあそんな訳で鬼ごっこしたらすっごいめんどくさいわけだ。カミサマってのはどうにも依怙贔屓が好きらしいな。お陰で私は散々迷惑を被ってきたわけなのだけどどうしてくれよう。
「今日やんのってただのエキシビションだろ。魔道士科教師とクソほど険悪な関係にある私が引き出される理由は?」
「……相手は魔封の剣神をご所望だそうだ」
「………なんかすごいめんどくさそうなにおいがする」
魔封の剣神。巷、もとい学園内ではその呼び名が通っている。理由はまあとっても簡単で、私には魔法が効かない。届く前に魔法を『斬る』から。正確にはちょっと違うけど説明するのも理解させるのもめんどくさいからベルトゥルフを含めた他人には詳細を話していない。ぶっちゃけ私も仕組みが良くわかってない。しかしこれのせいで何度死にかけたか……主に魔道士科のクソ教師共のせいだけど。お陰で迂闊に動けない立場にある父の代理で父の姉の一番上の息子、つまり従兄にあたる人物を召喚されたのは記憶に新しい。ちなみにめっちゃ怒られました。
話がちょっとばかり逸れたけど、今回の授業は新入生にこんな授業やりますよーっていうのを二年、三年が教えるエキシビションマッチ形式の授業になる。平たく言えば新入生諸君なら必ず通らねばならぬ関門ことオリエンテーションだ。ちなみに私とベルトゥルフは今年二年生で、三年生と卒業候補生は必ずしも参加しなくて良いという規則がある。それと、エキシビションマッチは基本的に魔道士科が担当していて、戦士科は戦い方が綺麗な子以外はまず呼ばれない。まあ、戦士科の今期二年はお世辞にも手本になりそうな優秀な生徒はほぼ見かけないから仕方ない仕方ない。今年は確か剣舞で有名な三年のスズ・オオトリ氏が呼ばれていたと記憶している。
さてさて、そんなエキシビションマッチですがやるとしても学科別に分かれてやるのが慣例となっている。……そう、普通なら同じ科に属する生徒同士でやるのが普通だ。しかしこれはあくまでも新入生向けオリエンテーションであって、通常授業ではない。要するに、指名さえしてしまえば魔道士科と戦士科で試合が出来ちゃうわけです。そして私は運悪く指名されていて、そして私には指名してきそうな人物に思い当たりがありすぎるしめっちゃめんどくさい。出来るなら今すぐ逃げたい。ベルトゥルフに手をしっかり握られてるせいで無理だけど。
「ん、魔道士科のユウェル・フィルハートだ」
「ばっくれる、のは?」
「無理だな」
「よし殺す」
だからどうしてそうなる、というベルトゥルフの言葉はこの際聞かなかった事にしておく。ユウェル・フィルハートを完膚なきまでに叩き潰す。これで宜しいのだろう、クソ教師共め。というかよりにもよってフィルハートか……今日は厄日かなにかなんだろうか。
ユウェル・フィルハートとは一年からのなんか、まあ、あれだ。腐れ縁みたいなそんな感じのやつである。一年生の時にやった試合以降なんかすっごい付き纏われてるというか、一方的にライバル認定されてるっていうか……多分あの人、自分の適性属性を間違ってる気しかしない。つか絶対間違ってる。ベルトゥルフ曰く水属性に適性があったって話だったけど使ってきたのは火属性の魔法だったし。
適性属性とはなんぞや? という人の為に説明しておくと魔法の属性は火、水、風、土、光、闇の六つに大別される。細別すると雷とか色々あるんだけどその話はここでは割愛しておこう。
この世界の生き物は私みたいな特殊な例外を除くと量に差こそあれど魔力を持って生まれて来る。そして生まれた瞬間に使える魔法の属性も決まる。それが適性属性というわけだ。その属性以外の魔法が使えないわけじゃないけど、元々の威力や精度が落ちるし、なにより人間という種族は適性属性を無視して魔法を行使すると魔力暴走を起こしやすいと一般的に言われている。それと、余談になるけどここから遠く北のホッフヌング帝国に居るらしい『聖魔の主』と呼ばれる人は人間なのに全属性の魔法を使えるとかまことしやかに囁かれているけど普通は一人につき一属性だ。たまに二属性使えちゃう人も居るけど、それ以上は確認されていない。居るとしたらたぶんドラゴンかヒンメル、もしくはボーデンだろう。あの三種族はなんか適性属性とかなくて、得意属性ってことになるらしいし、なんか良く分からん世界だなほんと。……それと、なんとなーくお分かりの人もいると思うけど、一年生の時の試合でのユウェル・フィルハートの敗因は魔力暴走。要するに私は直接手を出していない。ぶっちゃけ暴走止めたのは私とベルトゥルフで、教師とかクソほど役に立たなかったからこの学校大丈夫かなって心配になってきたのは私だけの秘密だ。ベルトゥルフに言ったらまた呆れた顔されるのは分かりきってたからな! ……自分で言うのもあれだけど、なんか私アホだな。
「……アデル? 大丈夫か? 体調が悪いのなら俺が先生方に申し入れるが……」
心配そうに顔を覗き込むベルトゥルフの声にはた、と我に返る。なんか奴の耳とか羽とか尻尾が元気なさそうにぺたんと垂れていた気はするがいまはそんなことどうでもいい。私はこんな事してる場合じゃないんだ。さっさとこの面倒事を終わらせないといつまで経っても寝られない。これは由々しき事態だ。悪だ。よろしくない。速攻で勝敗決めて私は惰眠を貪らねばならない。
「え、私めっちゃくちゃ元気だよ。っつーわけだから早く行こう」
「? ああ、そうだな」
二人揃って校庭に向かうために一歩、踏み出した時だった。
「……来る」
「な、」
不穏な気配を感じ取ってすぐ、ベルトゥルフの襟首を引っ掴んで跳ぶ。さっきまで私たちが居た場所に学園内じゃあ見覚えのない魔獣。
鋭い爪を備えた足、ぎらつく赤い目、ガチガチと噛み合わない牙が並ぶ口は目の下の辺りまで裂けている。肉食の魔獣、ガルガ。D級だけどこの手合いは集団でかかられるとかなり面倒な相手だ。いくら一番低い級つっても戦い方の伊呂波も知らない新入生ならまず手こずる。集団なら場合によっちゃ二年生でもかなり厳しい相手でもある。此処にいるのがまだ一体だけなのが幸いか。……いや、待て。そもそもこのガルガ、何処から入ってきた? 学園には確か、魔獣が迷い込んで、学園の敷地である森を縄張りにされるのを防ぐ為に全域に結界が張ってあるはず。だからこんな、D級の魔獣が迷い込むなんて有り得ないんだ。『本来ならば』。
相棒を片腕で抜き放った私が導き出した答えは、『異常事態』。ベルトゥルフも同じ答えに辿り着いたらしく彼の手の中でひゅうと魔力が渦を成す。
「アデル、いけるな」
「ベルトゥルフ、あんたはこのアーデルハイト様があんなのに遅れを取るとでも言いたいわけ?」
「まさか。……確認だ」
「潰すぞ」
ベルトゥルフの冷ややかな声を合図に、ガルガに斬りかかった。
私の相棒は何の変哲もない両刃の剣だ。蒸気機関も魔動機関も何もない、本当にただの両刃剣だから攻撃力は私の力量に全て依存する。しかしそれだけにシンプルな動作で斬りかかれる。ガルガは機動力があって、近接武器で戦う者は肉眼で捉えられても攻撃を当てるのはかなり難しい。遠距離武器でも難しいけど。
あれと戦う上で最も気をつけるべきはあの爪と牙だ。咬噛力の強いその口に捕まったら最後、腕を持っていかれるのは覚悟しておかなければならない。尤も、今回の場合はベルトゥルフという優秀な魔道士くんが後衛についてるし私も柔な鍛え方は断じてしていないからその心配はしていない。……まあ、要するに『普通』ならなんら問題なく討伐出来るような、そんな組み合わせであるはずなのだ。本来なら。
「……浅い」
笑えるくらいに手応えが浅かった。異常に……否、不自然なまでにガルガが硬い。硬すぎる。爪の一閃をいなしは出来る。噛み付きも肉眼で捉えられるから避けられる。しかし斬りつけた時の手応えの浅さは今まで経験したことがなかった。では硬化体と呼ばれる、防御に特化した個体か? と思ったけどそれとも違う気がする。硬化体は皮膚が硬化するタイプも確かに居るし、ガルガもそのタイプだけどそれにしては硬すぎるんじゃないか。硬化つったって限度はある。生物の進化というものにはそれなりに時間がかかるし、それは魔獣だって例外じゃない。現状確認されている硬化体の更に上の防御力を持つガルガの誕生にはまだ時間がかかるというのが専門家の見解だったはずだ。生物学はちょっとしか齧ってないからあんまりよくわからないけど。
でもこの分だと私とベルトゥルフの勝率は結構危ないかもしれない。ベルトゥルフの適性属性は風。風の攻撃魔法は基本的に切り裂くか貫くかのどちらかしかない。あいつなら雷魔法と組み合わせるくらい造作ないと思うけどそれをやるには少々立地が悪い。そう、中庭は雷魔法を使うには木が邪魔だ。上から落とすんじゃなくても避雷針になっちゃうから。でも一応聞いておくか。
「雷は」
「ガルガに当てろと言われると返答に窮する」
皆まで言わなくても分かってくれたらしいベルトゥルフは苦い顔をしていた。やっぱり難しかったらしい。しっかしどうするかなこれ。重力か水圧で押し潰すか火炎で焼くかした方が楽に倒せそうな気はするんだけどどれもこれもこの場に限った現状では適性を持つ者が居ない。呼んで来るという手もないわけではないけど恐らくみんな見世物会場もとい、校庭に集まってるはずだから校舎内に人が残っているということは考えにくい。応援に来てくれそうな魔道士科の二年は確実にほぼ全員校庭にお呼び出しされているはずだし、ここから校庭はぶっちゃけ距離的な意味でキツい。魔法で跳べばそんな事ないけど徒歩だと確実に一時間強はかかる。この学園無駄に広いからそういうことになるんだけども……やっぱり私が手数でごり押すしかないか。
私がくだらない事に気を回している間にもガルガは爪を構えて襲い掛かってくる。それをいなして吹っ飛ばして、首目掛けて斬りかかる。そして浅い傷を増やしていく。その繰り返しだ。いい加減イラついてきた。埒明かなさすぎて苛々する。奴を細切れにしてやらなきゃいけないような、そんな使命感みたいなものすら芽生え始めてきた。つかベルトゥルフの風魔法ですら浅い傷しか作れんってどうなってんだよこいつ!
「……あ」
一度距離を取るためにベルトゥルフの横に並ぶように跳んで着地する。ガルガが相も変わらず腹が減ったとばかりに唸った時、ベルトゥルフは青い目を瞬かせて左手の杖を持ち直す。ベルトゥルフがそういうことをする時は大体決まって、何かに気付いた時だ。
剣を構えなおして目線だけをくれてやるととある一点を静かに見つめて、口を開く。
「腹……腹の周辺は斬ってみたか?」
「いんや、まだ」
「もしかしたら腹は柔らかい、かも、しれない。腹を弱点にする四足系魔獣は多い」
腹を弱点とする。その言葉を聞き終えて同時に私は走り出した。目線はまっすぐ、ガルガの腹部。目標を目視さえ出来りゃあとは振るうだけで良い。眼光鋭く、ガルガも動いた私を捉えて爪を振りかぶる。ひゅんと風を切る音が耳のすぐ傍を通り過ぎて私の黒い髪を掠める。でも、その程度だ。ガルガの懐に飛び込んで踏み込んだ足を基軸に、腹部目掛けて思い切り相棒を横に薙ぐ。ガルガの腹部を赤く染め上げる鮮血が相棒の切っ先からだらりと流れ落ちるのを見て口端が知らぬ間に釣り上がる。
腹から夥しい量の鮮血を流して横たわっているガルガを見下ろして熟々、私自身は戦闘狂だと思う。自己評価としては間違っていないし、相手が強けりゃ強いほどその血を見られた時の幸福感といったらこれ以上のものはない。生粋の戦闘狂、とでも言えば良いか。まあベルトゥルフが聞いたら卒倒しそうだから言いやしないけど。
「……終わった、か?」
「死んだふりとかじゃないから終わった終わった。あーねむたい」
振り返ってにっこり笑えばどこか安堵したような顔をするベルトゥルフ。すぐにいつもの真面目な思案顔に戻すと私を見る。……なんぞやらかしたっけ?
じいっと見つめられてなんだか居心地悪くって視線を外すと、正確には私とガルガを交互に見ていた。……益々わけがわからない。一人で首を傾げていると生徒会の生徒に支給されている携帯端末を触りながら私の隣に並ぶとまた私を見た。いや、だからなんなのさ。
「アデル、これに魔法はかかっているか?」
「んー、ちょっと待って。いま見てる………あ、身体強化の術式だ。えーと、属性は闇か。ちっと珍しいね……ふんふん、なーるなる。うっわこれ解くのくそめんどくさいやつじゃん」
私の目はちょっと人とは違うみたいで、普通は見えないはずの魔力や大気中の魔素が見える。それらが見えるということは使って描かれる魔法を発動させるための『術式』と呼ばれるものも同様に見える。だからと言って魔法を使わない私にはほぼ役に立たないし寧ろ頭痛の種ですらあるけどまあ、魔力暴走しそうな奴の見分けには大変お役に立っているし、術式を解くという意味ではあってよかったのかもしれない。それと、意外と知られてないけど実は術式自体は魔力なくても、魔法の才能なくても、頭さえあれば解けるんだよね。攻撃魔法はともかくとして設置型魔法や防御魔法は術式を崩されると不発になったり威力が落ちるから。……ちなみに、攻撃魔法の術式は解くと暴発したりするからおすすめはしない。また話がそれた。
まあベルトゥルフが私にそう言う時って大体術式解けってことだからぶつくさと文句を垂れつつも律儀でとてもお優しい私は術式を解くために手を翳そうとする。しかしベルトゥルフにそっとその手を掴まれる。怪訝な目で見るとどうやら解かなくてもいいらしい。じゃあなんで聞いたし。
「先生方に連絡は入れた。今は校庭に向かうべきだろう」
「……あー、そういうことね。熟々あんたは規範的だわ」
「褒め言葉として受け取っておく。……飛ぶぞ」
この時の私は知らなかった。これがすべてのはじまりを示していた事を。
何も知らずに幼馴染みの手を握って、いつもみたいに面倒事を片付けるだけだって、そう思い続けていたことを私はいつか、後悔することを。
その時はまだ、知らなかった。