第6話 窮地
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ネセリンさんから差し出された、紅茶の入ったティーカップを受け取り、一口飲んでみる。
ほのかな苦味と、深みのある味……うん、食レポは僕には向いていない。
そう思って、私室から持ってきた本をテーブルの上から手に取る。
魔道学院に来て以来、ネセリンさんの校長室の隣に設置された小部屋で本を読む毎日だ。
大義名分は『魔法の勉強をするため』で、本音はセイナとの訓練から逃げ出したいから。
なぜかセイナは僕に対して本気で剣を打ち込んでくる。マジメと言えば聞こえがいいが、やっぱりアレは苛めだと思う。
訓練に付き合ってくれるのはありがたいが、このままでは僕の身体がその内に壊れる。
それに異世界に来たのだから、せっかくだし魔法も使ってみたい。なんて思うのも事実だ。
手に取った本のページを一枚めくる。
そこには初級魔法に関する術式の一覧が乗っていた。数日前ならどれか発動させようと試してみたが、今はそんな気が起こらない。
結局僕は魔術系の魔法を発動させることは出来なかった。はやり術式に流す魔力量の把握は難しく、流しすぎてリバウンドするか、発動しないのどちらかだった。
ラノベに出て来る主人公たちのように、簡単に魔法が使えるわけではなさそうだ。
ただ僕の魔力量と身体能力は、召喚魔法の補正もあってこちらの世界の人よりも高いらしい。
先日、僕が魔法を発動できない原因を調べてくれたネセリンさんが、そう教えくれた。
シエルがお姉さんと再会することには力は貸したい。これは本当だ。
だけど、前の世界で剣を握ったことも、ケンカすら仕方ことのない僕に出来ることなんて、何があるのだろうか。
同じ異界人である『黒の勇者』は、どうして戦えたのだろう。
何が彼を突き動かし、見ず知らずの人たち、違う世界の人たちのために命を賭けさしたのか。
最近はそんなことばかり考える。
「あ、こら! あなた!」
ネセリンさんの声だ。振り返り、校長室と繋がるドアを見ると、明るい印象を与える茶髪を持った女の子が居た。
僕より2、3歳年下に見える。魔道学院の生徒だろうか?
だとしても、今は授業中のはずだ。
「おぉ! 本物の勇者様だ!」
彼女は椅子に座る僕に近づき、顔をジロジロ見て来た。
初対面の人にこんなに見られると緊張する。
「き、君は?」
「あ! ごめんなさい!」
彼女はキレのある動きで頭を下げる。
「ラーエマと言います! どうしても勇者様と話したくて!」
さて、何から言うべきだろう。
まず僕は勇者じゃない。召喚された人が都合よく力を持っているなんて、最初に考えた人は誰だ。
そんな都合よく勇者が来るのなら、苦労はしない。
「こらっ、ラーエマ! シンジさんの邪魔しない!」
ネセリンさんが部屋に入って来て、ラーエマと名乗る少女を強引に部屋から連れ出そうとした。
しかし、少女は激しく抵抗している。
「巨乳校長! 少しだけ! 少しだけでいいから!」
「だ、誰が巨乳ですか! あなたはこうしてすぐに授業抜け出して! ちゃんと勉強しなさい!」
「でも! 前のテスト点数よかったよ!」
「それとこれは別です!」
二人のやり取りを呆気にとられて見つめる。
ラーエマが授業を抜け出すのは、いつもの事らしい。やんちゃと言うか、元気があると言うか。
「ネセリンさん。僕は少しだけなら大丈夫です。この子の勉強に差し支えないのなら、この部屋に居てもいいですよ」
「勇者様もこう言ってるから、いいでしょ! この前巨乳校長が黙って、おやつのつまみ食いしていたの黙ってるから!」
「つまみっ……分かりました。でも、シンジさん。読書の邪魔ならいつでも仰ってくださいね。私は隣の部屋に居るので」
「はい。ありがとうございます」
「邪魔しないもんねー」
ネセリンさんはラーマエにデコピンを一発入れて、部屋を出ていった。
とりあえず、立たせたままも申し訳ないので、額を抑える彼女を客人用に用意されたソファーに座ってもらう。
僕は机の椅子に腰かけたまま、彼女と向き合った。
「ホントに授業はいいのかい?」
「うん! それよりも勇者様と一度、話してみたくて!」
それはきっと大丈夫な理由にならないと思うんだけど……
「ちなみになんだけど、僕は勇者じゃないんだ」
「え!? でも、シエル様が召喚したって聞いたよ?」
「うん。それは本当なんだけど、僕自身には何も力は備わっていないんだ。剣をまともに振ることも、君たちのように上手く魔法を使うことも出来ない。だから、勇者なんて言われても困るんだ」
「じゃあ、なんで魔法に関する本を読んでいたの?」
「……なんでだろうね」
誤魔化した。役に立ちたいと思っているくせに、セイナとの訓練から逃げたことを誤魔化すように。
仕方ないじゃないか。僕に剣を振れなんて、戦えるようになれなんて、無茶難題過ぎる。
「興味があるなら、私が見せようか?」
悪戯を思いついたような笑顔で彼女は立ち上がった。
「やっぱり外の方が楽しい!」
眠りを誘う、心地い日差しが降る森の中。ラーマエは両腕を突き上げ叫んだ。
何故魔道学院の生徒と二人で、王都の近くに広がる森の中に来ることになったのか、考えるだけでため息が出そうだ。
腰にはネセリンさんから借りた長剣を差している。ラーエマが勢いよく僕の手を引いて、部屋から出るときに「その子をお願いします!」と言って、長剣を投げてきた。
お願いしますと言われても、初めて握る真剣に不安しかない。
それに初めて王都の外に出る僕としては、外における魔物や獣の遭遇率はどのくらいか分からない。
今はただ、会わないことを祈るばかりだった。
「あんまり遠くに行くと、ネセリンさんに怒られるよ」
「大丈夫だって! どんな魔物も魔法でドカン!」
不安だ。もう不安しかない。
そんなことを思って、彼女を見つめていると近くの木に向かって手を一振り。
するとその木が一刀両断され、ドシンと音を立てて倒れた。
「今のが風属性の魔法だよ」
「すごい……」
思わず呟いた。僕が長剣で木を切るには、どれくらいの労力が居るのか考えると、一瞬で切断できる彼女の魔法は凄いとしか言いようがなかった。
「杖があれば、もう少し規模の大きい魔法も使えるんだけど、今はこれで許してね」
「いや。十分凄いよ」
「えへへ。そ、そうかなぁ?」
ラーマエが照れくさそうに頬を掻いた。
魔術師が使う杖には、魔術系の魔法を使う際の補助が色々とある。
普段は使えない魔法も杖を使えば、使えるようになることもあるらしい。
上級魔法と呼ばれる複雑な術式が組まれている魔法を使うには、杖は必須だ。
詠唱という概念もあるそうだが、あくまでも術式に魔力を上手く流しやすくするだけであって、必要かどうかは個人のセンス、力量によって変わる。
本人にも得意不得意があるので、一概に詠唱を破棄できるからと言って、実力が高いとは限らないそうだ。
「次は何にしようかなぁ♪」
機嫌よさそうに考えるラーマエ。僕は次にどんな魔法が見られるのだろうと、ワクワクした気持ちで彼女を見ている。
だから脇の草むらがガサガサと動いたことに気が付くのが遅れた。
飛び出してきたのは白い体躯。オオカミを連想させる身体は、真っ直ぐラーマエに向かって伸びていく。
考えるよりも先に身体が動いた。
「ラーマエ!」
地面を蹴ると、自分でも驚く速さでオオカミとラーマエの間に割って入る。
腰差した長剣に右手に握り、勢いのままにオオカミの首へと向けた。
思ったよりも軽い手応えで、長剣はオオカミの首を切り落とし、舞った血飛沫が頬にかかり不快感に顔を歪める。
外套で頬に付いた血をふき取ると、草むらから同じ種類のオオカミがぞろぞろと出てきた。
いつの間に囲まれた? もしかして、ラーマエが切り倒した木の音を聞いて?
色々と可能性が考えられるが、今はこの場を切り抜けるようが先だった。
「シ、シンジ様、私が魔法で攻撃するので援護をお願いします!」
「わ、分かった!」
剣士と魔術師が一人ずつ。こうゆう時、どんな風に戦うのか分からない。
それでも遠距離から攻撃できるラーマエが居れば、彼女を軸にすることでいけるかもしれない。
それに、オオカミの動きはフェイントなどの駆け引きがない分、セイナよりも予測しやすい。
まずは囲まれている状況をなんとかしないと。
「ラーマエ、ごめん!」
「え!? きゃぁああ!!」
ラーマエを脇に抱いて、渾身の力でジャンプ。
彼女を抱いた左腕に女性特有の柔らかい感触。でもこれは事故だと言い聞かせ、オオカミの群れを通り越し地面に着地する。
「ビックリしたぁ……」
驚くラーマエを降ろし、オオカミたちと対峙する。
「早く魔法を!」
「は、はい!」
ラーマエがオオカミたちに向かって、木を一刀両断した時と同じ魔法を使う。
直撃したオオカミたちは身体が半分になり、力なく横たわる。しかし、全てを倒すことはできず、まだ5匹の白いオオカミが残っていた。
「ラーマエ次を!」
「はぁ……はぁ……少し……待ってっ」
息が切れた彼女の声。隣を見ると、胸に手を当てて膝をつくラーマエの姿があった。
まさか……『リバウンド』か!?
額からは大粒の汗がにじみ、肩を激しく上下させ苦しそうだ。
あのオオカミたちと対峙して魔法を使ったせいで、平常心を乱し必要以上の魔力を術式に流してしまったらしい。
このままでは彼女は身動きが取れなかった。
オオカミたちはチャンスと感じたのか、前に居た二匹が突っ込んで来る。
クソ! まずはラーマエを安全な場所に……
そう思って、動けない彼女を抱えて再び飛ぼうとした時だった。タイミングを計ったように草むらから、一頭だけオオカミが飛び出してきた。
長剣でオオカミの首を切り落とす……しかし、その隙に二匹のオオカミの接近を許してしまう。
それは反射的に行っていた。
ラーマエに噛みつこうとした一匹と彼女の間に左腕を伸ばす。
オオカミの長い牙が左腕に突き刺さり、かなりの痛みが左腕から脳へと信号となり送られる。
歯の奥にグッと力を入れて、痛みに耐えた後、長剣を上から下に振って、首を叩き斬った
ただ僕に向かって来ていた一匹はそのままである。
右足が強い痛みを発していた。視線を下げると僕の機動力が厄介だと判断したのか、オオカミが噛みついている。
「このっ」
オオカミの頭に剣を突き刺すと、身体が一瞬ビクッとなり動きが止まる。
これで……あと三匹……
動く右手に握られた長剣をオオカミたちに向かって構える。
もう、右足と左腕は使いモノになりそうにない。
残った左足で身体を支えるのも限界があるし、こっちに来た奴から倒すしかなかった。
「シ、シンジ様……に、逃げて……」
後ろで膝をつき苦しむラーマエが、かすれた声で言った。
逃げる? 右足の動かない今の状況じゃ、僕一人でも逃げ切れるどうか分からない。
それに痛みで頭をボーっとしてきた。
左腕と右足から血が流れているようだけど、怪我の具合を知りたくなので見る勇気はなかった。
死ぬ? 僕はここで死ぬのか?
目の前には僕たちが弱るのを、今か今かと待ち続けるオオカミが三匹。
初めて感じるリアルな『死』の恐怖。
身体が震えて上手く力が入らない。それでも息を大きく吸い込んで腹に力を入れる。
クソ……こんな事なら、セイナとの訓練。ちゃんとしとくんだった……
後悔してももう遅い。オオカミたちは僕たちにトドメをさしに駆け出す。
せめて相討ちに持ち込んで、ラーマエだけでも……
覚悟を決めた僕の目の前が突然、火の壁で遮られる。
そして声。
「あとは任せなさい」
凛としたその声は、僕のよく知る王女様だった。