黒の勇者1
レイトは薄く目を開けた。まだ眠気の残るせいか瞼が重い。昨日は遅くまでガノや騎士団の面々と話していたせいで寝不足だ。部屋にある唯一の窓から差し込む光の領域が、部屋の隅々に広がり、闇が後退していく。
「朝か……」
天井を向いて額に手を当てる。頭が少し痛い。黒の波動で脳を酷使した時とは、また別の痛み。それでも日常生活に支障をきたすほどの痛みではない。こっちの世界に来て、すっかり怪我や痛みに慣れてしまったと、部屋の天井を見て思った。
城の一室に用意されたレイト専用の部屋。天井から吊るされた豪華なシャンデリに感動を覚えていた頃が懐かしい。レイトは目を擦り身体を起こした。両腕を上に伸ばし、身体の細胞を目覚めさせる。
(今日は大切な日だ)
レイトはベッドから出て、まだ冷たさの残る赤い絨毯の上に素足で降りた。本来ならブーツで歩く絨毯を、朝だけは素足で歩くがもう日課になってしまった。今更変えることは出来ない、そう思って朝日差し込む窓へと近づく。
部屋に設けられた唯一の窓はベランダまで繋がる大きな物だ。鍵を外しベランダに出れば王都を一望できる。それを見ながら身体を朝日に晒すのも、今では日課となってしまった。
「いい天気だ」
ベランダに出たレイトは蒼い空に輝く太陽を見て呟いた。蒼い空はどこまで澄んでいて、愛する彼女の大好きな瞳のようだ。視線を下に動かせば、自分が魔物の侵攻から守った街が見える。朝の活気にわく王都。魔物の侵攻が終わり、日常を取り戻した人々の顔はどこか晴れやかである。
朝の空気で頭も体も眠気から解放され、部屋の中へと戻った。ベッドの傍で脱いであったブーツに足を突っ込む。そして何時もの黒い外套を身に纏えば準備完了だ。部屋の扉を開けて赤い絨毯の敷かれた廊下へと出る。待っていたのはメイド長の女性。三十代ながらキリっとした凛々しい立ち姿。軽く会釈した彼女が笑みを浮かべる。そんな彼女にレイトは質問をぶつける。
「遅刻?」
「いえ。ただアリッサ様は既に準備を始めております。勇者様もお急ぎください」
「これじゃダメ?」
身に着けた外套を両手で中から持ち上げ広げてみる。
「ダメです」
キッパリと断られ手で眉間を抑える。
「今日はストレニア王国にとって一大行事の日なのですよ。ちゃんと正装しないと」
「いや。でも、いつもこの格好だし、勇者の正装ってことで……」
「ダメです」
二回目もハッキリと断られた。ここまで言われたら従う以外選択肢が残されていない。レイトは大人しくメイド長の後をついていく。案内された部屋には騎士団総隊長のガノ・ヨラザルが居た。普段は機動重視の布で作られた団服を着ている彼も、今日は戦闘用の白い鎧を着ていた。
「よう。よく眠れたか?」
「ボチボチかな」
レイトは肩を竦める。メイド長に促され部屋に用意された服に袖を通す。この国での正装と言えば鎧を着る事らしいが、ガノがメイド長を説得し少しだけ高価な布で作られた、オーダーメイドの服が今回の正装と言うことになったらしい。
生地は濃い黒でレイトの髪と瞳の色とよくマッチしており、裏地は白、縦に入ったラインは金。まるでコートのように腰まである少し丈の長い服が今回用意されていた服だ。愛用の外套をつけられなくてレイトは少し残念だなと思った。
「似合ってるじゃねぇか」
「お世辞でも嬉しいよ」
ガノ言葉に笑顔を返し、服を着るときに外した剣を腰に装備する。ストレニア王国に伝わる三つの国宝の一つ、アグナの宝剣を。全身が見える鏡で変なところが無いか最終確認をする。寝癖も問題なく、今日は空気を読んで大人しい。これなら式の主役として文句は出ないだろう。
「勇者様」
メイド長に呼ばれて振り返ると、直角と言って差支えのない見事なお辞儀をしていた。
「アリッサ様をお願い致します」
「もちろん。俺の方こそよろしくだよ」
メイド長に笑顔でそう返し部屋の扉を開けた。
「姉様……キレイ……」
横にいるシエルが呟いた。アリッサをゆっくりと目を開ける。全身が映る鏡に居たのは、純白のドレスに身を包んだ自分の姿。両肩が露出しており、何時もなら腰まで垂れている髪も、今回は右肩から降ろしている。ドレスはよく着てきたが、今回披露する相手があの『黒の勇者』だと思うと少し緊張した。
「ネセリン。変なところない?」
「ないですよ。とても綺麗です。レイト君も惚れ直しちゃいますよ」
自分の魔法の師であるネセリンが今回はドレスアップを手伝ってくれた。何時もなら手伝ってくれるメイド長は、レイトの正装選びに行ってしまったからだ。彼は何時もの格好でいいと伝えても、「姫様の晴れ舞台です。万全を期します」と言って何も耳に入っていいない様子。自分の事で頑張ってくれる彼女の気持ちが嬉しい反面、この国仕来りに彼を巻き込んでいることに少しだけ複雑な気分だった。
「姉様? どうしたの?」
妹のシエルが心配そうな目をしている。自分と同じ王族の血を受け継ぎ、蒼い瞳を持つ少女に、アリッサは女神と呼ばれる所以である微笑みで答えた。
「少し緊張しただけよ。だって今日はレイトさんと結ばれる日ですもの」
そう、今日はレイトと生涯を誓う日だ。謁見の間には貴族や騎士団も集まり、その後は王都の国民へのお披露目もある。既に王座に就いたアリッサと結ばれると言うことは、この国の王になると同義である。これで良かったのか、その想いは今も消えない。
レイトをこちらの都合で召喚し、そしてこの国の為に王座へと就いてもらう。魔物の侵攻から国を救った後も、自分たちは彼を縛り付けている。そのことを彼がどう思っているのか。怖くて聞けない。本当は彼が勇者の役割を引き受けたこと自体、後悔しているかどうかそれすらも。
部屋の扉がノックされ、ゆっくり開いた。入って来たのはメイド長。会釈をした彼女はアリッサの姿を見て、目頭を押さえた。
「王妃様と見間違えました。もしも生きていたなら、さぞお喜びになっていたでしょう」
メイド長に「ありがとう」と笑みで返す。本当に母は喜んでくれだろうか。別世界で生きていた少年の全てを奪ったこんな自分を見て本当に……
「アリッサ様。勇者様は既に謁見の間に入られました。お急ぎください」
メイド長はそう言い残し、見事なお辞儀をした後に部屋を出て行った。レイトが待っているのなら急がないといけない。アリッサは部屋を出て謁見の間へゆっくりと歩く。謁見の間の扉の前には、ガノが腕を組み立っていた。どうやら自分を待っていてくれたらしい。
「すいません。遅れました」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
どうやら扉はガノが開けてくれるらしい。彼は扉に手を添えてタイミングを計っている。
「開けてもいいですかな?」
「……本当にこれでよかったんでしょうか……」
アリッサは思わずボソッと呟いた。口に出す気は無かった。ここまで来てしまったのだ、今さらどうすることも出来ないと分かっていた。しかし、ガノには聞こえたらしく扉に添えた右腕の力が抜けていった。
「あなたのことだ。レイトの全てを奪ったとお考えなのでしょう。しかし、あいつは覚悟を決めたのです。この世界であなたと生き、そして死ぬことを」
「本当にこれがレイトさんにとっての幸せなのでしょうか……もっと、いい未来も彼は選ぶことが出来たかもしれない。私の我儘に付き合わせることなく……」
レイトと一緒に居たい。その想いだけは本当だ。しかし、彼に愛される資格が自分にあるのだろうか。彼の全てを変えてしまった、勇者としての重荷を背負わせてしまったこんな自分に。
俯いたアリッサの肩にガノが優しく手を置いた。
「実は昨夜あいつに聞いたんです。後悔はしてないのかって」
顔を上げるとガノが子供の様に無邪気に笑顔を浮かべていた。父イェノムは公務に忙しく、相手にしてもらえることは少なかった。そんな自分の父親代わりとして、彼はよく気にかけてくれている。今だって、彼への信頼は揺るがない。そんな彼の言葉をアリッサは信じるしかなかった。
「そしたらレイトの奴、全く後悔していないそうです。それどころか、他の男にアリッサ様が盗られなくて安心したって、笑いながら言っていましたよ」
魔物の侵攻終結後、一カ月の間レイトは行方不明となっていた。その間に王座を継ぐことになった自分の元には、婚約の話が大量になだれ込んできた。レイトが王都へ凱旋後も全てを断るのには時間をようし、彼と一緒に居る時間がなかなか取れずにいた。
そんな自分を見て、彼がヤキモキしていたことに少しだけ喜ぶ。こんな自分を彼は見てくれていた、欲していたのだと。
(信じよう……私たちの勇者を……)
アリッサをそう心に固く決め、ガノを見つめ返す。小さく頷いたガノが謁見の間の扉を開ける。両サイドに集まった騎士団の面々や、貴族の人たち。そして、真ん中に引かれる赤い絨毯の先に彼が居た。大好きな彼の黒い服装は髪と目の色とよくマッチしている。レイトだけをその視線にとらえたアリッサは、力強く、堂々と一歩前に足を踏み出した。
「いやぁ、疲れた」
国民へのお披露目、その後城に集まった人たちとの祝いの場。今日の予定をすべて終えたレイトが呟く。城の裏側にある人通りの少ない場所。日中はこの芝の上で寝ころび、日向ごっこをすると気持ちがいい。顔を上げると満月が星空の海で輝いていた。誰も居ない静寂は、今日一日人に囲まれていたレイトにとっては癒しそのものだ。
「探しましたよ。やっぱりここでしたか」
振りかえると何時もの蒼いドレスに着替えたアリッサが居た。今日着ていた物に比べると身体のラインがハッキリと分かり、動きやすそうな格好だ。
「目がイヤラシイです」
アリッサがジト目で睨んで来る。その視線にため息。好きな人のドレス姿など男なら目を奪われて当然だ。アリッサが隣に腰を下ろす。フワッと舞った彼女の髪から甘い香りがした。いい匂いするなぁと鼻で大きく息を吸うと、アリッサが脇腹をキュッと摘まんだ。
「いてっ」
「イヤラシイですっ」
「アリッサっていい匂いするなと思って」
「他の子と比べてですか?」
「俺が浮気するわけないだろ」
笑って返すとアリッサが頬を膨らます。どうやら夜の祝いの場で、貴族の女の子たちと仲良く話していたことを根に持っているらしい。華やかに女の子に囲まれれば、丁寧に対応するのは男の性である。断じて浮気などではない。
「喜んでたくせに」
アリッサが小さな口を尖らせる。そんな拗ねる彼女も可愛くて口元が緩む。
「なに笑ってるんですかっ」
「いや。アリッサって拗ねても可愛いなぁと思って」
「そ、その手には乗りませんよ」
彼女は褒められるのに意外と弱い。最近はからかいすぎて反応が半減だ。それでも頬から耳へ徐々に赤くなっていく様を見ると、まだまだ効果はあるらしい。
「おいで」
レイトが手招きをすると、彼女が身体を密着させてきた。左の肩に彼女の頭が乗せられ、その重さをハッキリと感じる。アリッサの細く白い指に手を絡ませてしっかりと握った。どこへも行かないように、彼女を離さないように。
「暖かいです」
「アリッサの手が冷たいだけだよ」
「かもしれませんね」
彼女がギュッと握り返して来た。この手に何度助けられただろう。魔物との戦いで死にかける度に、彼女が傷を治してくれる。王国屈指の医療魔法使い、『蒼い女神』の異名は人々の希望の証だ。人々を力強く鼓舞し、導く姿は本当に逞しくて自分とは住む世界の違う人なんだとその度に思ったものだ。
――それも今は関係ない
自分は選んだのだ。そんな彼女の隣に居ることを。共に生きて、そして死ぬことを。いつ死ぬかも分からない、こんな残酷な世界で出会った一人の女性と結ばれるなんて、想像もしていなかった。なんとなくその辺の人と同じように生きて、同じように死ぬ……そう思っていた。しかし、彼女と出会ってから全てが変わってしまった。
人々の希望として『勇者』の役割を背負い、剣を振るう日々。目の前で友人と呼べる者を守れないこともあった。救えない人もたくさんいた。それでも人々から勇者は期待される。災厄を振り払う剣として、勇者の仮面を被り続けた。
勇者なんて無理だと、召喚された最初の頃は思っていた。それは今も変わらない。全部を救えるような、スーパーヒーローに自分は成れない。力を持っていても、所詮は一人の人間に代わりはない。それでも、アリッサだけは、彼女だけはこの手で守り抜く。そう誓っていた。
歪んだ運命に巻き込まれ、愛する者を見つけた少年は彼女の蒼い瞳をジッと見つめる。引き込まれそうになるその澄んだ瞳。力強い意志を持ったその目は、今日も綺麗だ。
「な、なんですか……?」
彼女が見つめられることに戸惑っている。レイトはそんな彼女の口を塞いだ。柔らかい彼女の唇から顔を離し、ギュッと抱き寄せる。耳元へ顔を近づけ自分の想いを告げた。嘘偽りのない本当の想いを。
「愛しているアリッサ。ずっと一緒だ」
力強く抱いた腕の中で彼女が小さく頷いた。これが望んだ結末なのかどうか分からない。この先も困難が待ち受けるかもしれない。でもきっと彼女が居れば乗り越えられる。レイトは心の中で強くそう思った。




