第13話 王女の隠し事
心臓の音がうるさい。いつもなら絶対に起きないはずの時間に、意識を覚醒させるほど。
シエルは薄く目を開けて首を横にする。赤いカーテンの隙間から差し込む光はまだ微弱で、いつもなら朝早くから廊下をバタバタと歩く、メイドたちの足音も聞こえない。
本当に早く起きすぎたと後悔して、再び固く目を閉じるが、やっぱり心臓の音がうるさくて寝付けない。
「なんであたしが緊張してるのよっ」
頭を抱えるように布団に包まった。
昨夜、セイナに書かされそうになった報告書から逃亡し、魔道学院に居るネセリンの元へと逃げた。
押し付けたシンジには申し訳ないが、報告書を書くのは苦手だ。
何を書いて、何を書くべきではないのか、その判断が今になってもつかない。
そして何より、本当はシンジの顔を見るだけで、心臓の鼓動が早くなるとは気づかれたくなかった。
「それは意識しているってことですか?」
校長室の椅子に座るネセリンの言葉。シエルがボソっと呟いた「なんで緊張するんだろ……」を聞いていたらしい。
「な、なんであたしがシンジを意識するのよ!」
来客用のソファーに座っていたシエルが立ち上がる。顔が熱い、火が出るほど熱い。
「クスクス。私はシンジ君とは言っていませんよ?」
「うぅ……」
小さな身体をさらに小さくして、シエルはソファーに座る。
はめられた。その事実に気がついたところで、笑みを浮かべるネセリンをどうすることもできない。
「なにかあったのですか?」
まるで心の奥まで見透かすような緑色の瞳。
幼少期から長いこと自分を見ている彼女に、誤魔化すことは不可能だと悟り、シエルは今回の任務で起こったことをすべて話した。
その話を聞いたネセリンが口に手を当てて、クスクスと笑う。
「そんなに笑うこと!?」
「申し訳ありません。シエル様も異性が気になる年頃になった……そう思うと、感慨深いものがあるものですので」
(あたしが、シンジを異性として見ている?)
そんなわけないと一回否定。
強くもないし頼りなくて逃げ腰、顔だって女装すれば分からなくなるほど中性的な顔立ちだ。
確かにいつも自分の味方をしてくれることには感謝している。
今回の任務の時だって、なんだかんだで助けてくれ、少しだけ見直した。
(頑張っているのは知っているし……悪い奴じゃ無い……だからって……)
それと意識しているのは別の話だ。
それに姉のアリッサが異界人を呼び、その異界人を好きになったせいで苦しんでいたのを見ている。
自分は同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。なんとしても王位継承を果たさなければならず、シンジのことを意識するわけにはいかないのだ。
「そんなに納得がいかないのなら、明日二人で出かけてみてはいかがです?」
自分がシンジの事を異性として見てない証明として、シエルはこの案を受け入れた。
そして、自室に戻りベッドに入って自問自答。
(これって、あたしから誘わないとダメだよね……)
生まれてこの方17年、王女として育ったシエルにそんな経験は皆無だ。
セイナと時々、お忍びで街に出かける程度。そもそも同年代の異性はシンジしかいない。
(どうやって誘えばいいの? 遊びに行きましょ? 遊びにいくわよ? わ、分からない……)
布団の中で芋虫のように丸くなる。頭で様々なイメージをするが、いい案が浮かばない。
そもそも正解が分からないので、それが悪い案なのかの判断もつかず、時間だけが過ぎていく。
かと言って、このままではネセリンが言うように、異性として見ていると思われても、なんとなく嫌だ。
理屈の問題ではなく、プライドの問題で。
(そうよ。あいつはあたしが呼んだんだから、遊びに誘えばついてくるのは当然よね)
自分にそれらしい理由を言い聞かせ、シエルは自室から出る。
皆が寝静まり、静寂が支配する廊下を歩き、シンジの眠る部屋へと忍び足で入る。
(まるであたしが夜這いしに来たみたいじゃない)
部屋の明かりを点けたまま寝ているシンジの顔を見てそう思う。
任務の疲労で眠る彼の顔は穏やかで、普段の時は見られない顔をしていた。
(だから、なんで緊張してるのっ)
緊張をほぐすために深呼吸。
なんと言って誘うのか、まだ頭の中は整理できていないが、勢いのまま言葉を口にする。
「起きなさい。変態」
半分も開かない黒い瞳。疲れた所を起こされたシンジは不満げにこっちを見て来る。
自分が来たのにずいぶんな態度だなと思うが、用件を早く伝えて部屋を去りたい。
このままでは緊張で頭がおかしくなってしまいそうだ。
「あ、あんた……明日は暇でしょ?」
声が震えている。緊張しているとバレてしまう。
「うん……そうだね」
酷く掠れ小さい声。彼は内容を理解しているのだろうか?
いや、そんなことよりも早く言ってしまおう。
「暇なあんたと……あ、遊びに行ってしてあげるわ!」
少しだけ声が裏返って恥ずかしい。眠たそうにこちらを見つめるシンジは、何か言いたげだ。
しかし、用件を済ませた自分がこれ以上ここに居る理由もなく。
急いで部屋から飛び出した。
(よく考えたら返事、もらってないし……)
寝起きのベッド内でその事実に気が付く。
そもそも、シンジは話を聞いて内容を理解したのか。
それすらも分からない。
そんなことを思っていると、廊下からメイドたちの足音が聞こえる。
どうやら、自分はかなり長い時間、ベッドの中で自問自答を繰り返していたらしい。
一人の男の子と出かけると言うだけで、頭を悩ませる自分にため息。
とりあえず、ご飯を食べよう。
そう思い立ち、ベッドから出ていつもより早い時間だが、食堂へと向かう。
赤い絨毯の敷かれた廊下を歩く。すれ違うメイドたちの挨拶に言葉を返す自分は、ちゃんといつも通り振る舞えているか、少しだけ心配だ。
王女らしくしないといけない。そう思っていると普段の生活は色々と疲れる。
素の自分は、気品と上品さに溢れた姉からは程遠い。それでも、周りは姉と同じ王女として見て来る。
その事実が重圧となって、ときどき重く感じていた。
朝の早い食堂は人が少ない。ほとんどが空いている席に座り、朝食のパンを千切って口に入れる。
味がよく分からない。人は緊張のせいで味が分からなくなるのかと、勝手に納得して食事をすすめる。
結局、食べ終わるまで味は分からなかった。
朝食を食べ終わったシエルは、廊下を歩いて真っ直ぐにシンジの部屋へと向かう。
これ以上、時間が経つと余計に緊張してしまうかもしれない。
やけくそに近いが勢いも大事だと思っていた。
すれ違うメイドたちが何故か表徐を強張らせながら会釈する。
そんなに今の自分は怖い顔をしているのだろうか?
本当は緊張で食べたものが出てきそうなのに。
シンジの部屋の前で立ち止まり深呼吸。
(大丈夫。ちょっと、声をかけるだけよ。いつも通り、いつも通り)
平常心だと自分言い聞かせてドアを二回ノック。
返事はない。彼はまだ寝ているらしい。
まるで無視されているようで少しだけ腹が立つ。
シエルはできるだけ音を立てないよう、ドアノブに手をかけた。
ゆるりとドアを開けて、こっそり中を覗くと、いつものベッドで彼は寝息を立てている。
その笑顔は昨夜見たものと同じだった。
気づかれないようにドアを閉めて、忍び足で部屋の中へと入る。
ベッドの脇までたどり着いて、改めてシンジの寝顔を観察。
(うぅぅ……なんでこんなにドキドキするのあたし!)
頭を抱えて自問自答。こんな冴えない奴を自分が好きになるわけがない。
そう言い聞かせるが、シンジの穏やかな寝顔の不思議な引力に顔が近づいていく。
(ハッ! あ、あたし……なんでこんな近くまで……)
気がついたときすでに彼の顔は目の前だった。
(気持ち良さそうな寝顔ね……)
心の底から不思議な感情が沸き上がる。
衝動にかられた身体はもう止まりそうにない。
(ね、寝ているこいつが悪い!)
そう自分に言い聞かせ、シエルはシンジの顔に自分の顔をゆっくり近づける。
吐息が唇に当たる。そして短い口付け。
近づける時とは対照的に今度は素早く離れる。そして、顔の温度が急上昇。
(あぁぁ! あたしは何をやっているの!?)
再び頭を抱えて自問自答。顔を左右に激しく降り悶える様は、他人から見れば不思議に見えることをシエルは気づいていなかった。
だから部屋の扉が開いたことにも気づかず、一人で荒ぶっていた。
「ど、どうされたのですか……シエル様……?」
我に帰り振り返ると、そこには凍りついたセイナの姿。
どこから見られていた? まさか、自分が勢いでシンジの唇を奪ったことを見られた?
色々と考えが巡るが最初に思ったことはひとつだった。
(消えてなくなりたい……)




