プロローグ
物語の結末が幸せとは限らない。
すべての生物には平等に死が訪れ、いつか旅立つ。
それが英雄であっても例外ではない。
ほんの10年前、剣と魔法、そして魔物が存在する世界『ネニヴァス』は魔物の大侵攻が発生し、人々はいつ死ぬか分からない日々を送っていた。
圧倒的な物量差と個々の力の差に、立ち向かう者はその命を燃やし、残された者は涙を流した。
終わることの無い侵攻は、いつしか人々を絶望させ、緩やかに破滅へと向かわせる。
そんな人々と世界を救ったのは『黒の勇者』と呼ばれる少年と、その少年を召喚した『蒼い女神』の異名を持つ王女様だった。
残酷な世界に立ち向かった二人の英雄。
人々は二人を称賛し、勇者と王女は誰もが結ばれると思っていた。
しかし、ある日突然二人はその姿を消す。
――二人は死んだ
それが最も有力な説とされ、10年の月日が流れた。
二人は伝説となり、今なおその逸話は語り継がれている。
「何も知らないくせに」
シエルは読んでいた本の締めくくりに毒を吐いた。
私室に設置されたベランダへと繋がる、唯一の大きな窓からは、月明かりが差し込み部屋を蒼白く照らしていた。
パタンと本を閉じて机の上に置き、椅子の背もたれに首を預ける。
今は亡き母から譲り受けた蒼い髪が床に向けて伸び、同じく蒼い瞳で天井を眺めた。
深く息を吐き、幼かった頃の記憶を思い出す。
シエルには10歳離れた姉が居た。英雄の一人にして『蒼い女神』と人々から謳われた姉が。
誰もが彼女が王位を継ぐと確信していた。全ての人に平等に接し、戦地に自ら赴き傷ついた兵士たちを癒す、その姿は王族とは思えないほど等身大で輝いていた。
そんな姉が召喚し、人々を救った英雄『黒の勇者』。
当時7歳だったシエルは、よくその少年にからかわれていた。
王族である自分に彼は、普通の人として接してくる。
王女である姉と仲がいいのは気に食わなかったが、彼の接し方自体は嫌いではなかった。
シエルは首を目の前にある机に向け、本の下敷きとなっていた一枚の古紙を手に取る。
そこには祖父の時代から、王家の秘密として受け継がれてきた『召喚魔法の陣』が描かれていた。
10年前に姉が『黒の勇者』を召喚した際に使ったモノと同じ陣だ。
明日、シエルはこの陣を使って異界人を召喚するつもりだ。
姉が成しえなかった王位継承。その目的を達成するために、王である父に「姉を超えた証を示せ」と言われた。
ならば姉と同じく『異界人の召喚』をする必要があると思った。
そして王位継承を成し遂げ、何処かで生きていると信じる姉に気づいてもらう。
それがシエルの悲願だった。世間では言われている姉の死をシエルは信じていない。
絶対に姉は生きている。敬愛していた姉にもう一度会うために、『異界人の召喚』は必須だった。
シエルは椅子から立ち上がり、背中からベッドに倒れ込んだ。
ギシッと音を立てて沈んだベッドが身体を受け止めた。
召喚された異界人が力を貸してくれるか分からない。しかし、自分なら大丈夫と言い聞かせる。
少しの不安と高揚を胸に、シエルは目を閉じた。
柔らかい光を瞳で感じ、頭の中でぼんやりとした意識がともる。
枕元で鳴っている時計の音が、頭に響いて抜けて行く。
布団温もりをその身に感じながら、右腕を伸ばし、時計を止めた。
この居心地のいい空間から抜け出すには、まだ覚悟が出来ない。
まずは全身を脱力させ、リラックス。
そして、深呼吸を一つして身体を起こした。
腕を突き上げ、身体を伸ばし意識を覚醒させる。
ベッドから出て、床に足を付けると、部屋全体に敷かれたフローリングの冷たさが足裏を刺激した。
4月とは言え、春先の朝はまだ冷える。
あー、寒いなぁ。
そんなことを思いながら、部屋を出て階段を下り、リビングへと繋がるドアノブに手をかけた。
食欲を掻き立てる味噌の匂いと、フライパンで何かを焼く音がする。
僕が住む家の朝食は、今日も多めのような気がなんとなくした。
「おはよう、真志くん」
中央にある机につき、新聞を広げる中年の男性が低い声で話かけてきた。
頭の上は寒そうだったが、年相応の威厳が彼にはあった。
「おはようございます。伯父さん」
そう、彼は僕の父ではない。
僕の両親は小さな頃に交通事故で他界してしまった。
それから、伯父と伯母の家にお世話になっている。
今年で高校2年生、17歳となるが、何不自由なく育ててもらった。
ただ、彼らが僕に対し一定の距離をおいていることは察していた。
厄介事はごめんだと、そう思っていることは薄々感じている。
だからこそ、迷惑をかけない様に大人しく生きてきた。
居候させてもらっている身だ、僕はあくまでも両親の子であって彼らの子供では無い。
だからこそ、僕の苗字は両親の「荒木」のままにしてある。
僕と伯父や伯母はあくまでも他人だという、証も込めて。
そんなことを眠気の残る頭で考えていると、奥のキッチンからフライパンを片手に、伯母さんが顔を出した。
フライパンの上ではタコの形をしたウィンナーが焼かれている。
音の正体はウィンナーか。
「真志くん。朝食は食べてから行く?」
「はい。いただきます。伯母さん」
伯父さんの向かいに座ると、白いご飯に味噌汁が置かれた。
おかずで出てきた焼き魚の脇に、たこ型のウィンナーが置かれている。
可愛いウィンナーだ。
朝から食すには少し多めの朝食で膨れた腹を抱え、洗面所で洗顔、歯磨きと朝のウォーミングアップを済ませた後、二階へと上がり高校生の証である学ランに着替える。
勉強机の上に置かれたデジタル時計は7時を示している。
少し早いけど、家を出るか。
手に持つタイプのカバンに授業の用意が入っているかを確認し、階段を下りて、玄関へと向かう。
いつものランニングシューズに足を突っ込み、扉を開けた。
「行ってきます」
「「いってらっしゃい」」
二人の声だけが返ってきた。
まぁ、何時ものことだ。
今日もいつもと変わらない、平凡な僕の日常が始まると思い、玄関から足を一歩踏み出した。
その瞬間だった。
踏み出した足元に黒い渦が出現し、僕の身体を取り込もうと桁外れの吸引力を発揮している。
や、やばい! 避けないと!
しかし、踏み出した足はすでに渦に捉えられている。
引っこ抜こうにも渦の吸引力の方が圧倒的に強く、身体はどんどん引きずり込まれてゆく。
なんだよ、これ!
そう思った時には、身体は胸元まで引きずり込まれていた。
そして一気に吸引され、右手に持っていたカバンは渦の外へと弾き飛ばされた。
読みかけのラノベが入っているのに……
魔王を倒した勇者がどうなるのか、結末を気にしながら、僕の視界は黒く塗りつぶされた。