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4.少女達と少年達の事情

郷挙里選、辟召は漢代、科挙は隋唐からだった気がします。

ぜーんぶひっくるめて一つにしたのはそちらのが面白いから。

春月は公主の着付けを終わらせると、

今度は髪型をセットしはじめた。

髪を上下に分け、上半分を複雑な形で結い上げる。

春月が公主の髪をいじっている間、彼女の意識は自分の格好に向いていた。

朱色の精密な刺繍が施された裙は

彼女の細いウエストとほどほどに実った胸を締め上げ、体のラインを強調している。

その上に羽織っている上着からは白玉のような肌が透けて見える。

それは今まで公主が着た服の中で最も刺激的な服で、

否応もなく彼女の頬が羞恥に染まっていく。

公主は襟をきっちり合わせる伝統的な禎服しか着たことがなかった。

でも折角春月が一生懸命、綺麗にしてくれようとしているのに

水を差すわけにはいかなかった。

それにここは彼女が言ったように、妓楼なのだ。


春月は髪を高く結い上げ終わると、残りの髪を自然な感じで垂らした。

「それにしても…麗ちゃんの髪って艶々でいいな。

羨ましい。容姿も綺麗で何でも揃っている。」

春月は見惚れたようにホウッ、と溜息をつく。

そして今度は化粧を直し始めた。

黛を引く、春月の真剣な顔を見ながら公主は

彼女の容姿も充分愛らしいと思う。

自分の顔貌を美しいと周囲は言うけれど、

彼女のような温かみのある顔貌に公主は憧れる。

「春月さんも綺麗ですよ。」

「そんなこと言われると照れちゃうなぁ。

麗ちゃんが男だったら私、惚れてしまいそう。

沈魚落雁って言葉があるけど、

今の麗ちゃんを見たらどんな人間も落ちてしまうわ。」

クスクスと春月が笑い出した。化粧を直し終わったようで、

筆を休める。


「春月さんも?」

「あら?私なら麗ちゃんを連れ帰った時点で籠絡済みね。

本当に麗ちゃんは恐ろしい。泣きそうな顔一つで、私を動かすのだから。」

そういうと春月は、広げた装飾品の中から螺鈿細工の箱を取り、公主に渡した。

公主がその箱を開くと、首飾り、簪、腕輪など…どれも高そうな物が入っていた。

特に一つの簪に目が吸い寄せられる。

石の色が曇りのない、深い緑であり、大きい。一見して高いものだと分かる。

そして名匠が彫ったのだろう、金細工の鶴の夫婦が石を囲む形で嫌味なく組み合わされており、そこから細かい宝玉を綴った飾りが幾連にも流れていた。

皇宮で貴重な文物は見飽きていたが、この簪は格段に素晴らしいと公主は思う。

この妓楼を見て、文物に趣向を凝らしているのはもう分かっていた。

だがこんな物まであるとは。公主は感心する。


そんな彼女に春月は一言。

「この箱の中のもの全部、麗ちゃんにあげる。」

「ええっ!?春月さん?これ凄く貴重な物ですよ?

皇宮にいた私がいうのだから間違いないわ。

もしかして御実家の形見とかではないの?」

公主は簪を渡そうとする春月を手で押しとどめる。

そんな公主に春月は苦笑いした。

「形見なんかではないわ。それに私もこれが貴重な物だと分かっているわ。

…でもこれは少し『ワケあり』で。」

「『ワケあり』…?」

「…少ししつこい若様からの贈り物なの。

確かに素晴らしい意匠だから使いたくなるような気はするけど、

そんなもの、私がつけて御覧なさい。あの若様、調子づいてますます手に負えなくなるわ。

その分麗ちゃんがつけていてくれれば、諦めてくれるというもの…。」


「…わ、分かるわっ。その気持ち!

無理矢理言い寄られても嫌なだけよねっ。」

公主は自分も男を押し付けられそうになったので、

同士を見つけたような気分になった。

だが、若干その男に同情した。

第三者の視点から見れば女に逃げられる男も哀れなものだ、と公主は思い

…李瑛のことに思いが至った。


__いや、李瑛とかいう男について考えるのはよそう…。


公主の言葉をうけて、

「…全くその通りだわ。」

うんざりしたように、しみじみと春月は言う。

物憂げに自分の髪をクルクル指に巻きつける。

彼女の癖だろうか?

「…だから貰ってくれるわね?出来ればその若様の前で

…ここ重要よ…つけていて欲しいわ。

それに麗ちゃんにもそれなりに装飾品が必要だし。」

「そういうことなら…ありがとう。春月さん。」

春月は照れ臭そうに表情を崩した。

そして、じゃあ今日はこれをつけてみよう、

と公主の後ろ髪にその簪を差す。

「ところで…私ばかり飾りたてて…春月さんはどうするの?」

見れば春月は私用で外出していたのか、至って簡素な服を着たままだった。


「あ…、忘れていたわ。麗ちゃんを飾るのがあんまり楽しかったから。

私もそろそろ着替えなくてはね。

今日は予定入っていないから適当に他の子の助けでもしよう…。」

春月はそう言うと、手際よく服を脱ぎ自分で着付けていく。

「予定入ってないって…なら先ほどの馬家でしたっけ?の若様の誘いを断ったのは…。」

公主が不思議そうに訪ねる。

「…あの若様、酒癖悪いのよね。お客さんは選ぶものよ。」

春月がウインクする。

「な、成る程…。」

選べる立場にあるということは、

つまり春月は売れっ子なのだろうと公主は推測する。

見れば、春月はもう自分の髪を編み上げている。


「本当は髪結いしてくれる人がいたりするんだけど、

時間外なのよね。麗ちゃんも次、頼んでみるといいわ。

私より上手いから。」

そうは言うが、手際良く自分の髪を整えると

公主にかけていた時間の半分で支度を終わらせる。

公主が呆気に取られているのを見て、春月は笑った。

「何か珍しいものでも?」

「ええ…。支度が早いんだなって。」

「麗ちゃんもじき馴れるわ。

きっと皇宮にいた時は自分で着付けたことが無かったんでしょう?」

「その通りです…。」

公主は春月の察しの良さに舌を巻いた。

一方の春月は何やら難しい顔をしている。

「どうかしましたか…春月さん?」

「うん…ところで麗ちゃん…今気づいたのだけれど、さすがに顔を隠すのに妓楼では笠を被れないから、どうしよう…。」


__すっかり忘れていた。


「…覆面とかどうでしょう?」

公主がおずおずと尋ねる。

「不審者っぽくない?どんな覆面かにもよるわね。

そうだ…面紗(ベール)があったわ…確か香媛が持ってたわね…。」

そう一人で言って、一人で納得すると春月は部屋を飛び出していった。


部屋の主がいなくなったので、公主は改めて春月の部屋を見渡した。

棚が二つ、牀、円型のテーブルが一つずつ。

無駄な装飾が一切ないデザインだが、しっかりした作りだ。

棚に入っていた彼女の私物はかなり豪華で派手な物が多いというのに。

それらはきっと客からの貰い物か、支給されたものか。

「なんだか春月さんらしいわね。この部屋。」

「…おまたせ、借りて来たわ。」

何気なく観察していたら、いつの間にか春月が帰って来ていた。


「この面紗を借りた香媛も西域出身なのよ…って麗ちゃん偽西域人だった。

まあ、これであっちの人は顔を隠したりするそうよ。…ほら。」

そういってグルグルと布を巻きつける。

「うんいい感じで目だけ出ているわね。これじゃ分からないわよ。ホント。」

「折角髪を結って貰ったのに大部分隠れてしまいましたね。」

「いいのよ、気持ちの問題。髪を結っているだけで楽しい気分になるでしょう?

…それに『肝心な部分』は出ているから。」

「『肝心な部分』?」

春月は黙って後頭部を指差した。

「ああ…簪ですね。」


その時、扉の向こうから声がした。

「春月さぁん。李瑛様達が今来られたのだけど、相手してくれない?

人手不足で…。さっき言っていた子と一緒に!」

その言葉に公主は全身が固まるのを感じた。

そしてついでに冷水を掛けられたような悪寒がする。

だが嫌そうな顔をしたのは春月も同じだった。

「あの…香媛さん。李瑛様は宜しいのですが

…『お友達』も御一緒なんですか?」

扉の向こうの人物は笑った。

「何言っているんですか?春月さん。当然じゃないですか。

李瑛様は伯勇様に連れられてここに来るのがセオリーですよ。

じゃなきゃあの方、朴念仁だから来るかどうかも怪しいです。」

ああやっぱり、と額を押さえた春月の様子を見て、

公主は彼女が追っ払いたい男が誰か分かった気がした。



春月がああだ、こうだと公主を着飾らせている時、

李瑛と伯勇は妓楼にやって来た。

因みに今日は伯勇の奢りである。

公主が逃げて、ヘッコんでいる李瑛を伯勇が慰めてやろうと男気を出したからだ。

豪気な自分を演出することにより、イイ気になりたいという願望もあったが。

妓楼に着くなり、李瑛は誰を呼ぶかウキウキしている伯勇を横目に、

ヤケ酒を飲み始めた。それはもうグビグビと。

「…おいおい、ちょっとペース早いんじゃないか?李兄?」

からかうように軽口を叩く伯勇を横目で李瑛は睨んだ。

目がかつてない程すわっている。早くも酔いが回ってきたようだ。


「…これが飲まずにいられるか…ようやく手に入ると思ったのに…。

大体お前はいいよなぁ。伯勇。

清流派筆頭の『四世三公』の家系で。お前の家、今を時めいているじゃないか。

皇帝陛下やその異母弟、黄堅様の母后達はお前の家の出身じゃないかぁ…。」

伯勇は言葉に詰まったようで、困り顔をした。

「………ときめいているのは、お前の家だって一緒だろ?李貴人だってお前の妹じゃん。」

「いいや、違うね。俺の家がどんな家かはお前、知っているだろう?」

李瑛が言わんとすることは承知していたが、伯勇はおどけたように切り返した。

「…はぁぁ、李兄…。そんな余計なことに気を回すなら、

もう俺はお前に酒を飲むことを注意したりしない。さ、飲めよ。

俺は可愛い子ちゃんと遊ぶから。お前抜きで。

最近女は全員お前に靡くから丁度いいぜ。」

誰にしようかなー、なんて軽口を叩きながら李瑛の杯に酒を注ぐ。

「…絶対何か言われる。絶対。また侮辱されるんだぁ…。」

伯勇の慰めなんて意に介さず、李瑛は机に突っ伏した。


「…それについては仕方ないだろ…まあ、諦めろよ。さっさと公主を見つけだして、結婚話を纏めればいいじゃないか。酒は要るか?」

「…要る。」

ゾンビのように杯を突き出す李瑛に伯勇は苦笑した。

その杯に並々と酒を注いでやる。

「酒に飲まれて女に幻滅されろ。李兄。」

「…公主以外の女に幻滅されるならかまわないさ。」

伯勇がクスリと笑った。

「李兄は本当に一途だよなぁ。どうしてそんなに公主に拘るんだ。

姿を見たこともない、声すら聞いたことがないのに。

常々不思議に思っている。結婚することでお前の家に箔をつけるとか、

皇位継承権を持つ人間として政治の駒にするなら分かるけど。」


李瑛はボンヤリと上気した顔を伯勇に向けた。

「惚気てて小っ恥かしいからさ…お前には言ってなかったし、言う予定も無かったんだがな…今日の酒の返礼もかねて教えてやる…。」

「…臣某は恐れながら耳をかっぽじって聞いておりますので、どうぞ。」

おどける伯勇にあのなぁ、と李瑛は何かを言いかけたが飲み込んだ。

「…絵だよ。」

「ん?」

「だから…絵だって。

家格を馬鹿にされるのが嫌で、仕官する気が全く起きなかった幼い俺に、父上が公主の絵姿を見せた。」

「………。」

「その時俺は『四国演義』にハマっていた。今でも一番好きな小説だ。小説は経書に比べると低俗とされるが、俺の家なら皆、納得だろう?」

自虐的に李瑛は微笑んだ。そして一泊の後、続ける。

「…それで『四国演義』には王蝶という登場人物がいるだろう?

…英雄を虜にした傾国の美人。俺は彼女に恋をしていた。彼女がいたらどんな女性なのか想像していたんだ。その時に公主の絵姿と彼女の母である麗銀容の噂を聞いて俺は彼女のことが気になりだした。気になったら寝れなくなっていた。

だからお前が通っていた桑先生の塾に通って、科挙を志したんだ。

でも一方で公主を得れば、俺の家のイメージの改善になると考えたのは否定しない。

…酒くれ。」


ハイハイ、とまた杯に酒を注ぎながら、伯勇は唸った。それにしても、

「…絵でそこまで妄想出来る李兄の想像力が凄すぎるよ。

ところでさぁ、考えてみれば…皇帝陛下の信任厚いお前の祖父、李靖様ならお前を推挙することも出来た筈なのに、どうしてそうしなかったんだ?

まぁ、『郷挙里選』は他の豪族の合議で決められるから、お前の家の事情もあるから無理にしても…、『辟召』なら…別に問題無かったんじゃないのか?」

禎には官僚を登用する際に主に三つのやり方がある。

有力豪族達が朝廷に人望ある者を推挙する『郷挙里選』。

有力豪族が自分の幕下に有能な者を招聘する『辟召』。

最後に…能力ある者を、経学にどれほど通暁しているか

試験ではかり、登用する『科挙』。

李瑛ならば『辟召』という方法が取れる筈なのに、と

伯勇は考えているらしかった。

「…他の奴らを黙らせたかったんだよ。純粋に俺の実力を認めさせたかった。」

「あんまり黙らせられている気はしないけどね。」

そして伯勇は顔にニヤニヤした笑みを張り付けた。

「…感謝してほしいなぁ、李兄。この『四世三公』の家系の俺がお前の味方だ!」

「お前は、だろう?お前の親父の支援が欲しい。正直。」

「善処…します。それについては。」

神妙な顔で伯勇は頷いて見せた。

「…ていうかさ、李兄。お前の愚痴を聞く為だけに

ここに来たわけじゃあないんだよね、俺。

まあ…聞いてやらんでもないけど…メインは女の子だろ?春月ちゃんだろ!」

「ああ…お前は誰にしようかなー、とかいって結局春月を呼ぶのか。」

呆れたように呟くと、伯勇の頬に朱が差した。

「春月ちゃん可愛いだろ。なんか文句あるのか?」

「いや俺はいいんだが…果たして彼女が来るかが問題じゃないか?

彼女、お前のこと避けてないか?」

分かってないなぁ、李兄、と伯勇が言う。

「…なんだかんだで、彼女はやって来るんだ、いつも。

それは俺のことが気になっているからじゃないのか?」

「…どうだか。お前が後で待ち伏せしたりして面倒臭いからじゃないのか?」


李瑛の家については次回以降詳しく書いて行きます。

権勢家でありながら、蔑まれる家、とくればピンとくる人がいそうですね。

不定期更新なのですが、頑張ります。


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