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五.竜と囚われの姫

 咲花と出会った日を思い出していた。

 公園で別の友達と遊んでいる処に、咲花が母親に連れられてやってきた。

 咲花は今よりずっと小さくて、公園で遊ぶ無邪気な子供たちの声にも怯えていた。

 何日も何日も母親の元を離れようとしないから、母親の傍が彼女にとって居心地のいい場所なんだって決めつけていた。

 彼女の眼がじっとこっちを見ているのには気づいていた。

 できれば一緒に遊びたかったけど、彼女が何もいわないから、遊びたくても話しかけちゃいけないんだって思っていた。それが彼女の為だと思っていた。

「ねえ、あの子も誘ってごらんよ、あの子も一緒に遊びたがってるんだよ」

 きっかけは両親の言葉だったのかも知れない。

 次の日、話しかけたんだ。

 今思えば、弱くて引っ込み思案な自分に嘘吐いて、誰かの求める別の何かに変わろうと思ったのはその時が初めてかも知れない。

 内にこもってばかりいる彼女の求める外の世界に連れ出してくれる友達になったんだ。

 手を取って自己紹介して、一緒に遊ぼうって話しかけた。

 そうしたら、俯く顔しか見せなかった咲花は花が咲くように笑ったんだ。

 その笑顔を一生忘れないだろう。


 風景が変わる。別の記憶だ。

 咲花の家でのことだ。

 夕方になるのに明かりも何もついていない。

 咲花は一人、影の濃い何もない部屋の隅で泣いていた。

 引っ越しの準備も済んで、おじいさんが迎えに来たっていうのに、咲花が部屋から出てこないから、おじいさんが当時一番の友達だった自分を呼び出したんだ。

 咲花は、大人は嘘をつくから、といって、大人たちを外に追い出して、部屋には二人だけが残った。

 咲花は十字架を胸に抱いて、闇の向こうに在る何かにずっと祈りを捧げていた。

 其処には何もないよ、といっても咲花はやめなかった。

 みんなが待ってるから外に出ようよ、といっても咲花はやめなかった。

 その時は、咲花がなんで泣いているのか判らなかった。

 悲しくて泣いているのか、安心して泣いているのかすら判らなかった。

 その時、彼女に何かお願いされた気がした。

 その願いを聞き入れてくれる人は他にもいる気がした。けれど、その場には自分しかいなくて、咲花は自分だけにお願いしてきた。

 咲花にとってすごく重要で、簡単に答えちゃいけないような内容だったのは子供ながらに理解できた。

 涙を流しながらのお願いだったし、当時の自分は彼女の願いはすごく簡単なことだと思っていた。

 だから、いいよ、って答えた。

「大地君、ありがとう」

 咲花は最初に挨拶した時と同じように花が咲くように笑ってくれた。

 別れ際、おじいさんの車に乗った咲花は口にした。

「約束だよ」

 ――後で聞かされた話によると、旅先の事故で咲花の両親が亡くなったので、母方のおじいさんに引き取られることになったらしい。

 数年後に咲花は戻ってくるが、約束を守れないまま、何年も会わない期間が続いた。



「――大地君っ!」

 名前を呼ばれた気がして目覚めると、宿部屋の天井が目に入った。

 視界の隅には長髪の美女、もへこの顔があった。

「大地君っ! 良かった目が覚めて」

 もへこが起こしてくれたらしい。

 なんだか、頭がふらふらする。体も重い。少し、寝間着が窮屈なような気がする。

「ちょっと待ってね、束縛蛇バインドスネーク解くから」

 刃物による刺突の音と蛇の断末魔の後に、窮屈さから解放される。束縛蛇と布団によって簀巻きになっていた大地を、もへこが解放してくれたらしい。

 強盗に襲われたのかと思ったけれど、机の上に置いていた金銭とカードは無事だ。

「もへこ、お陰で助かったよ。……でも、どうして此処に?」

「異空間から見たこともない強力なモンスターが出てきたから、気になって様子を見に来たんだよ」

「強力なモンスター?」

「竜の居城ドラゴンズキャッスルへの入り口を守るように動かないでいるんだよ。赤銅商会の兵士が少し前まで戦ってたんだ。……それより、咲花ちゃん知らない? 何処にも見当たらないんだけど」

 急いで咲花の宿泊している隣の部屋に入るが、確かに誰もいない。

 昨日、咲花が帝国や盗賊に狙われるかもと聞かされている。

 嫌な予感がした。

 咲花がいないことと、モンスターの出現が無関係とは思えなかった。

 モンスターが現れたという竜の居城ドラゴンズキャッスルへの入り口の場所なら判る。一度、神父に連れられて通ってきた処だ。

「もへこ、先に行っててくれ」

 一旦、自分の部屋に戻って、戦闘の準備をして、竜の居城ドラゴンズキャッスルへの入り口を目指す。

 外に出ると太陽の高さに驚く。時間はお昼に差し掛かっているようだ。

 なんで咲花が大変な日に限って今みたいな時間起きるんだよ、と大地は自分自身に怒りを覚えた。

 モンスターは全部で三体だった。

 室内に在った筈の空間の裂け目は、周りの壁や天井を壊されることで外に出ていた。

 三体のモンスターは、竜の居城ドラゴンズキャッスルへ続く空間の裂け目を守るように立っていた。。

 二体は細長いフォルムの黒い兎の騎士だ。黒い肌を銀の鎧に隠し二本足で立ち、手にした槍を地面と垂直に構えている。いつでも攻撃できるぞと油断なく鋭い視線を周囲に送り牽制している。

 一体は重戦士を思わせる巨大な灰色の兎。肥満体のクマを連想させる巨大さだ。強力自慢のようで手にした斧で地面を粉砕した跡が在る。

 赤銅商会の兵隊と何度か戦ったような形跡は在るが、現在は小康状態のようだ。

 三体の兎も、竜の居城ドラゴンズキャッスルへの入り口へ近づかなければ手出ししないようだ。

 空間の裂け目を抜けた先には、変態神父が住んでいる教会が在る筈だ。

 一瞬、神父の身を心配したが、心配した先の眼鏡姿の伊達男が野次馬の最前列にいたので安心する。見るからには無事なようだ。

「……あー、なんだ、カスか」

「今日は何で始まりのファーストヴィレッジに来てたんだよ」

「偶々、昔の知り合いが近くまで来ていたから、遊びに来てやってたんだ」

 神父は何処か不機嫌そうだ。

「それより、咲花ちゃんだよ。咲花ちゃんが見当たらないんだけど、何か知らない?」

「もしかしたら、咲花の『神位魔法ディーファイアート』の所為で誰かに連れ去られたのかも知れないんだ」

 顔面蒼白になる神父。

「咲花ちゃんの身に何かあったら大変だ!」

 神父は何処からかカードを取り出すと、呪文を唱えずにいくつか実体化させる。

 現れたのは、地図と、先に錘が付いた細長い鎖。ダウジングがしたいらしい。

「『解放バースト』『妖精の道しるべ(フェアリーテール)』」

 壊された鎖が醜く変形した。

 変形した鎖は光を放ち、地図の一点を指し示す。しばらく指し示した後、光となって消えた。

「竜の居城ドラゴンズキャッスルだ。咲花ちゃんは空間の裂け目の向こうにいるぞ」

 神父の言葉が本当なら、大勢の訓練された赤銅商会の兵士ですら敵わなかった三匹の兎を相手にしなければ咲花の元へ行けない。

 咲花がトラブルに巻き込まれているという予感が強くあった。

 咲花が竜の居城ドラゴンズキャッスルに一人で向かう理由がない。

 咲花は『偽造世界フォルス』に来て日が浅く、戦闘経験も浅い。一人でドラゴンと戦いに行くだなんて在り得ない。

 神父に用事があったかと思えば、神父は此処にいるし、何故竜の居城ドラゴンズキャッスルなんかにいるのか判らない。

 誰かに連れ去られたと考える方が妥当だ。

 赤銅商会の兵隊たちの方に動きが在るようだ。

 死傷者を出す必要もない為、三匹の兎には手出ししないことに決めたらしい。

「竜の居城ドラゴンズキャッスルといえば、ベルとLAが飛竜ワイバーン攻略に向かっている筈だ。ベルがこんな高位のモンスターを操れるとは思えないが……」

 赤銅商会の部隊長に当たりそうな立派な装いの兵士がつぶやくように口にする。誰に宛てた訳でもない一言だったが、もへこが彼の言葉尻を拾って大きな声を出した。

「モンスター召喚といえば、黒金帝国の得意分野だね」

 もへこの言葉に、うるさかった野次馬たちが静かになる。赤銅商会の兵隊たちも無言になった。

 しばらくして、ひっちゃかめっちゃかに逃げ惑う人で周囲は騒がしくなる。

「帝国が攻めてくるぞー!」

「帝国が攻めてくるぞー!」

 もへこの一言の所為で、少女一人助ける為に手を貸してくれ、とはいえない状況に陥った。

 数え切れない程いた野次馬や兵士が、緊急避難の旅支度で忙しくなったようで残らず消え去った。

 大地の他には、もへこと神父しか残っていない。

 三匹の兎は、大地たちに目を向けているが、襲ってくる様子はない。近くに寄りさえしなければ、攻撃してこないようだ。

「束縛蛇を使ってみよう」

「それなら、赤銅商会の兵士が真っ先に使ったよ。……簡単に引きちぎってたけどね」

 割られた地面を見る。地面に大穴を空けるくらいの膂力ならそれくらいやっても不思議ではなかった。

「別に真っ正面から行く必要はないだろ、もへこ、ミジンコ、コレを使うぞ」

 神父が取り出したのはカードだった。

 カードは『空のストレート 竜の居城ドラゴンズキャッスル』と書かれた物が一枚と、『空のストレート 始まりのファーストヴィレッジ』と書かれた物が二枚。

 神父は『空のストレート 始まりのファーストヴィレッジ』と書かれたものを、もへこと大地に一枚ずつ渡してきた。

「フィールド移動の『代償魔法インスタントアート』だ。咲花ちゃんを見付けたら、渡したカードを使ってすぐに戻ってこい」

 いうが早いか、神父はカードを中空に投げる。

「『解放バースト』!」

 神父の声にしたがって、中空に穴が空く。

 立体世界に生まれた、平面の円。

 人一人が通れる程の大きさの平面の円の向こうには灰色の街が見えた。

「ちんたらするな、さっさと行け」

 神父にいわれるまま、もへこは平面の円に体を埋め込んでいく。次は大地だ。

 この先に咲花がいる。早く救い出さないと。

 平面に足をさしかかった頃、すぐ後ろに在ると思っていた神父の気配が遠くに在ることに気が付いた。

「神父は? 神父は来ないのか?」

「後で行く、援軍を連れて、な。咲花ちゃんを頼む」

 大地が平面の円に完全に体を入れると、すぐに平面の円が収縮し、完全に消えた。

 もしものことが起きた時の為に、神父は援軍を連れてくるつもりなんだろう。

 その、もしものことが起きないように、大地が咲花を見付けて戻らないとならない。。

「――大地君、武器を出して」

 鋭いもへこの声で我に返る。

 もへこにいわれた通りに、木刀を手にすると、ようやく周囲の状況が判ってきた。

 車のない灰色の通りに大小様々な矮小竜の姿があった。

 それも一匹や二匹ではない。

 空を飛んでいるものを含めれば、四方を十匹程の矮小竜に囲まれていた。

 一匹の矮小竜が最初の火球を飛ばしてくる。

 大地に迫る火球を、もへこが大剣で真っ二つに切り裂き、軌道を変える。

 先程火球を飛ばしてきた矮小竜は、中空にいくつもの火球を作り始めた。

 いつ飛んでくるか判らない火球の群れに向かって、もへこは猛然と正面から走り寄り、火球ごと袈裟斬りをしかける。

 堅い鱗で覆われた矮小竜の体は、もへこの一撃で一刀両断された。

 大地からしたら、死と紙一重に見える行動だけれど、もへこは躊躇なく行動し傷一つなく生還した。

 大地は半信半疑だったが、もへこが『経験豊富な冒険者』なのは間違いなさそうだ。

 戦い方は頭の良い戦い方とはとてもいえないが、魔法を使うことなく矮小竜を倒すだなんて大地からしたら信じられない強さだ。

 矮小竜たちにも仲間意識が在るようで、仲間を殺したもへこが矮小竜たちの標的にされる。もへこは迫る火球による連続攻撃を走り抜けることで躱す。大剣を手に持っているとは思えない速度で走り抜ける。

 一方大地は、もへこに攻撃が集中しているので難なく矮小竜の包囲網から逃げることができた。

「数が多いね、逃げようか。――よっ、と」

 もへこは大きなフォームで、大剣を大地のいる方向へ投げ付ける。

 投げた剣は大地の近くにいた矮小竜の一匹に深々と刺さった。

 絶命する矮小竜。

 もへこは四方八方から来る火球を躱しながら、投げた剣へ向かっていき、剣を回収する。

 そのまま、大地と合流して灰色の街を駆け抜けていく。

「どういうことだ、前来た時は、こんなにモンスターいなかったぞ」

 赤銅商会によるドラゴンを減らす方策により、灰色の街の地上部分では食料が足りない状態が長く続いている筈だ。食料のない中で今まで隠れていたとは考えづらい。

 黒い穴によって生み出された新しいドラゴンだと考えるのが自然だけれど、数が多すぎる。

「誰かがモンスターが現れる黒い穴をこじ開けてる」

「誰が? 何の為に」

「判らないけど、黒い穴をこじ開けてることができる人なんて『偽造世界フォルス』に何人もいない筈だよ。一匹二匹を召還するのと訳が違う。黒い穴をこじ開けて生命を複製する魔法なんて。少なくとも私は知らない」

 剣先で大地に進むべき道筋を指示しながら、もへこは語る。

「――噂ってだけなら、聞いたことが在るけど」

「どんな噂だ」

「私が『偽造世界フォルス』に来てすぐの頃、帝国が複製した生命を制御して戦争を起こそうとしてるって噂があったんだよ。けど。結局、一度も戦争がないまま平和な時代が続いている。帝国が自分の力を誇示する為に吐いた嘘だって、世間的にはいわれているんだよ」

 今のもへこの話と似たような話を何処かで聞いた気がした。

 ――帝国が量産化を計画していた兵器。

 ――魔法でいくらでも量産が効く。

 人間と変わらない心を持つのに、人間とは認められない青年の姿が脳裏に浮かんだ。

「――大地君、彼処っ!」

 もへこの指し示す先、スクランブル交差点の前に、二つの人間の影があった。

 大地が咲花と共に『偽造世界フォルス』に招かれた最初の場所だ。

 大地にとって思い出深い場所だけれど、地面が抉れ、火炎が上がり、見たことのない風景と化していた。

 金髪の青年とロリータファッションの少女が、空を見上げて身構えている。LAとベルだ。

 ビルの屋上、彼らの視線の先に隻眼の飛竜がいた。

 大地が前に見た姿より、随分と弱っている。

 宿屋で酒客が『餓竜』と呼んでいることを思い出した。

 食料もなく生きるだけ生き、今更食事を摂っても死を回避することはできないだろうと判る程に飛竜は弱り切っていた。

 飛竜は咆吼する。

 少ない体力を削り、LAたちへ向けて飛行する。

 殆ど落下するようなものだ。

 LAたちの前に降り立つ。

 それだけで、LAたちの足場が半ば崩れた。

 飛竜はトラック程の大きさが在る頭部を使い、LAに牙を立てる。

「――っ」

 LAが両腕を使って飛竜の顎の勢いをとめ切る。人の形をしたダイヤモンドに挑んでるかのように、鋭い牙で一切肉を削ることなく、かみつきを中断させ、静止させる。

 大地と退治した時にLAが見せた偽装した『砕けぬゴーレムハート』の効力によるものだと判る。

 鉄壁の防御を見せるLAだったが、顔には疲労の色が濃く出ている。

「『解放バースト』、『道化師の茶目っピエロズナイブズ』」

 ベルの詠唱が複数の光の短剣を生み、飛竜の四肢に突き刺さる。翼と一体化した腕への攻撃は特に致命的な一撃に見えた。

 しかし、飛竜は顎を引っ込めると、飛翔して距離を取る。

 傷付いた翼でも空には飛べるらしい。

 ビルの上に来た飛竜の口元に青白い光が収縮していく。

「ベルっ!」

「判ってます!」

 雷で造られた野太い柱が飛竜の口から吐き出された。

 飛竜の口から放たれた雷の電磁砲は横薙ぎに放たれる。

 辺り一面を焼き払う電磁砲が飛竜によってもたらされた。人間なんて瞬時に消えてしまうような強力な威力だ。

 それでも、光に眩んだ目が徐々に慣れてきて、大地はLAとベルが生きているのを確認した。

 ベルの『神位魔法ディーファイアート』『権力者の鳥かご(ルーラーズテスティモニー)』が王冠型の絶対防御の魔法壁を作り、竜の攻撃を防いでいた。

 飛竜はそれを確認し、今度は空高く完全に飛翔した。

 LAはその場で膝をつく、極度の疲労がLAの体をそうさせたのだろう。けれどしばらくすると油断なく空へ視線を移す。飛竜が逃げたとは考えていない目だ。

「ベル、今のうち休め、すぐ来るぞ」

 気遣われた方のベルは答えない。息を切らし、自分の足先へ力なく視線を向けている。

 何度目の対峙なのだろう、今日LAたちが飛竜と戦うのは一回や二回ではないだろう。地面が崩れ地下街が露出するくらいに何度も何度も対峙し、お互いに決定打が出せないまま時間が経過していく。

 マラソンに例えるなら、全力を尽くしきり、何度も足をとめ立ちどまりながら、それでも完走しようと諦めずに走るようなものだ。

 LAたちと飛竜の戦いは、触れがたい神聖さを孕んでいた。

「もへこ、咲花は此処にはいない。LAたちは予定通り飛竜ワイバーン攻略をしているだけだ。彼らの邪魔にならないように咲花を探そう」

「そう? 探してくれる人が多い方が良いと思うけど、大地君がそういうならそうしよう」

 大地が後ろ髪を引かれる思いで何度か振り返りつつ、スクランブル交差点を離れる。

 正面を向き、探していない方向へ足を向けようとした時、空が、暗雲に包まれていることに気が付いた。

 自然に生まれたとは到底思えない小規模な雷雲がLAたちの頭上に生まれ、恐ろしい速さで空を覆い始めた。

 雨が降る。

 空に、巨大な黒い穴が生まれた。

 立体の世界に生まれた、平面の円は異物を押し出すように、不定形の泥を吐き出すと収縮し完全に消えた。

 重力にしたがい地面を這うように広がっていた泥は、波打ちながら少しずつ山の形を作っていた。

 泥は次第に色合いを持ち、緑の鱗と巨大な牙を持つ竜を模っていく。

 竜は腕と一体化した翼を羽ばたかせ、飛翔した。

 飛竜だ。隻眼でも満身創痍でもない、万全な肉体を持つ飛竜。

 新たに現れた飛竜は雷雲の中を我が物顔で飛行する。飛行する生物にとって雷は天敵の筈なのに、飛竜はまるで気にせず翼を羽ばたかせる。晴天を飛ぶように生き生きと雄叫びを上げる。

「――っ!」

 二匹目の飛竜の登場にベルが明らかな怯えをみせる。

 LAも苦虫をかみ殺したような顔で二匹目の飛竜を見ていた。

 もへこの遠慮がちな声が大地を呼んだ。

「大地君、気付いてる?」

「何だよ」

「ビルの屋上に誰かいる。さっきの黒い穴が発生した辺りのあのビルの屋上に誰かいるんだよ。黒いローブで頭からすっぽり隠してるから顔までは見えないけど、多分、あの人が黒い穴をこじ開けた張本人だよ。もしかしたら、彼処に咲花ちゃんがいるのかも」

 もへこが指さす方向を見ると、確かに、何者かがビルの屋上からLAたちを見ている。

 黒いローブで頭からすっぽり隠してる黒衣の影だ。肩の上には白い兎のモンスターを乗っけている。

 あいつが咲花を攫ったのか。

 それだけでなく黒衣の影は安全な処で静観し、LAたちと隻眼の飛竜の神聖な戦いに水を差した。考えただけでも血液が沸騰するような怒りを覚える。

 咲花もきっと黒衣の影の処にいる筈だ。

「……もへこ、悪い。LAたちを助けてやってくれ」

 大地はもへこの返事を待たずに、ビルへ向って走り出す。

「あの真っ黒野郎をぶん殴ってくる」

「咲花ちゃんも頼んだよ」

「任せろ」

 大地はもへこに見えるように拳を高く掲げた。



 LAには心がない。全てを奪われた残りかすの自分には心がない。少なくともLA本人はそう考えていた。

 昔は人並みの感情がLAの中にもあった気がする。

 けれどそれもLAの複製元に魂があったというだけで、複製品であるLAには魂がないのかもしれなかった。

 LAは満身創痍の体に鞭打って、ベルを肩に担ぐ。

 少しでも飛竜の攻撃から遠ざける為だ。

「ベル、逃げるぞ」

「うん」

 いつも強気なベルもさすがに戦意を失ったようで、返事に力がない。

 二匹目の飛竜は、狩りを楽しむように悠然と、LAたちの動きを見ている。一撃で仕留めようとは考えていないようだ。

 逃げるLAたちの背を守る者がいた。

 もへこだ。

「もへこ、面倒に巻き込んで悪い」

「気にしないで良いよ、私たちの仲じゃないか」

 もへこは気楽な調子で応えるが、状況は気楽なものとはいえない。

 LAがベルを逃がす為に向っていた方向に、一度退避していた一匹目の隻眼の飛竜が腰を下ろした。

 逃がすつもりはないらしい。

 LAもベルも立ちどまる。

 LAの肩を借りていたベルが、LAの助けを振り切って一人で立つ。

 髪のセットは解け、頭の王冠は今にも落ちそうだ。いつも余裕を見せていた、ロリータファッションの少女とは思えない余裕のない姿だ。

 ベルは、もへこの背に話しかける。

「もへこさん、LAと私には攻撃の決め手が在りません」

 本当のことだ。

 LAの固有能力『偽装スタンド』は特定のモンスターのドロップアイテムを一度体内に取り込むことでそのモンスターの特性を偽装する。LAが使用できる『砕けぬゴーレムハート』は過去に取り込んだゴーレムの心臓をLAが体内に取り込むことで使用条件を満たした物だ。『砕けぬゴーレムハート』の偽装は自身の肉体を防御特化させ、物理系攻撃を受け切ることや重い物を持ち上げることには適しているが、攻撃への転用は他の手段に頼らざるを得ない。

 一方、ベルの『神位魔法ディーファイアート』『権力者の鳥かご(ルーラーズテスティモニー)』も防御に特化した魔法で、指定した対象一つに、あらゆる攻撃を防ぐ絶対防御の魔法壁を展開することができる。けれど、LAの『砕けぬゴーレムハート』と同じように、攻撃の手段は他に頼る必要があった。何度でも際限なく使用できる『神位魔法ディーファイアート』といえども、ベルの『権力者の鳥かご(ルーラーズテスティモニー)』の場合は一度に展開できる防御壁は一つだけ。一度展開しても数分の時間経過で自然と消滅する上、次の発動には充填時間が必要だったりと制約も多い。

 攻撃は『代償魔法インスタントアート』に頼らざるを得ないが、飛竜は『竜の鱗』という固有能力により、魔法による直接攻撃が通用しない。

 風の刃や、氷でできた槍など魔法効果で作られたような物質は有効だが、火炎や雷などのようなエネルギーによる直接的な攻撃を無効化する。

 有効な攻撃手段の多くは、一匹目の隻眼の飛竜との戦いで既に消耗していた。

 ベルは続ける。

「長期戦に持ち込めば消耗している私達の方が不利です。……お願いが在ります。LAと協力して、隻眼の飛竜ワイバーンを倒してください。その間、二匹目の飛竜の足どめは私が引き受けます」

 ベルは二匹目の飛竜を見据えると、王冠に触れる。

「『呪文強化ダブルダウン』『解放バースト』『権力者の鳥かご(ルーラーズテスティモニー)』!」

 王冠型の光の防御壁が、二匹目の飛竜を囲む形で生まれる。まるで飛竜を入れる鳥かごだ。

 飛竜の巨体からしたら狭すぎる光の鳥かごは風を遮り、飛行していた飛竜は光の鳥かごごと地面に落下する。

 『呪文強化ダブルダウン』は、数日間あらゆる魔法が使用できなくなる代わりに、『神位魔法ディーファイアート』の効力を増幅する高等呪文だ。魔法に精通していないと使用すらできず、制御が難しい。ベルも檻の方向へ手を伸ばし魔力を注ぎ続けることで、何とか維持ができている。『権力者の鳥かご(ルーラーズテスティモニー)』の『呪文強化ダブルダウン』は効果時間を長期化させる。

 LAは立ち尽くしていた。ベルを守るのが自分の役目だ。

 いくらベル本人の指示だとしても、無防備なベルを置いていける訳がない。

 もへこがもう一方の隻眼の飛竜へ駆け出し、LAが動かないのを見て振り返った。

「LA、何やってるの。ベルちゃんの頑張りを無駄にしちゃだめだよ」

 ベルは魔法の制御に専念している。

 ベルを守るべきなのか、ベルの命令を順守するべきなのか判断がつかない。

 隻眼の飛竜を倒すことが、結果的にベルを守ることになると信じて、LAは飛竜を攻撃するべく呪文を詠唱した。

 もへこも斬撃を与える為に隻眼の飛竜に向かっていく。

 隻眼の飛竜は油断なくLAたちを見据え、真っ向から勝負してきた。



 ビルの中は電気が通っていない。

 エレベーターは動かず、自分の足で登っていく必要があった。

 暗い室内を雷光を頼りに見渡し、階段を見付けた。

 一段飛ばしで登っていく。

 雷音と飛竜の咆吼が轟く中、大地は黒衣の影がいる屋上へ足を踏み入れた。

 扉を蹴破る勢いで出てきたが、その音は落雷によってかき消える。

 黒衣の影はLAたちの方へ視線を向けていた、大地には気付いていない。

 黒衣の影の肩には白い兎のモンスターがいた。

 黒衣の影は黒いローブを羽織った人物で、全身を隠すようにローブを羽織っている為に男か女かも判断つかない。

 白い兎のモンスターは、兎をモデルにしているのは何となく判るけれど、本物の兎とは大分違っている。擬人化された二本足歩行の動くぬいぐるみが最も近い印象だ。腹部には時計が埋め込まれている。

 捕らわれている筈の咲花の姿はない。

 大地は歯がみする。

 白い兎のモンスターが、黒衣の影に話しかける。

「『人形使い(ドールマスター)』、あの人たち殺すの? 『時計兎ホワイトラビット』、人死ぬの見る、悲しい」

「いいえ、『時計兎ホワイトラビット』、誰も死なせないよ。ちょっとだけ懲らしめて、ちょっとだけ私のお願い聞いてもらうだけだよ」

 人形使いと呼ばれた黒衣の影が、肩の上の白い兎のモンスター、時計兎の頭をなでる。

 悲しそうに俯いていた時計兎が嬉しそうに短い尻尾をぴんと立てた。

「お前!?」

 接近した大地に、時計兎は敏感に反応し、人形使いのフードの端を掴み、小さく引っ張る。

 人形使いは突然の大地の声に驚き、振り返った。

 その勢いで、人形使いの肩から時計兎が転げ落ちる。

 頭まですっぽり覆っていたフードが、それで取れた。

 思っていたとおりだ。

 『彼女』の声を聞いた時点で大地には判っていた。

 大地にとって最も身近な人物の声で、最も大切な人物の顔だった。

 見間違いなど在り得ない。

 大地は今回の事件の首謀者に対して、声を荒げた。

「『咲花』、此処で何してる!」

 竜の居城ドラゴンズキャッスルを閉鎖し、ドラゴンを街に撒き散らし、二匹目の飛竜をLAたちに差し向けた人物は、大地の一喝で気弱に俯いた。


もう出来上がっているものなので、短期間に、ずらずらとあげていく予定です。


感想やアドバイスなどありましたら是非。


また、下記URLで別企画進行中です。創作活動興味ある方はお声がけください。

http://kakikichi.com/neta/


以上。

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