二.偽造世界
「君とは何処か出会った気がするよ。君もそうだろう」
ベルに紹介された教会で出会ったのは、神父とは名ばかりの変態だった。
咲花を見るなりその手を握り、まるで大地なんて目に入らないかのように振る舞う。
困惑する咲花の手に口づけなんてしようとし始めたので、咲花を背中に隠す形で擁護することにする。
眼鏡をかけた僧衣の男。神父というより神父の格好をした伊達男といった印象だ。十字架もしていない。
「私のことは神父と呼んでよ。私の迷える羊ちゃん(マイドーター)。其処の付属品は神父様と呼べよ。判ってるだろゴミが」
神父は言葉一つ一つが感に触るが飛竜から逃れてきた大地たちに無償で食事や寝床を提供してくれるという。
暇。というのは本当のようだ。後に控えていただろう教会内の掃除などの作業の何もかもを投げ打ち、大地たちに食事の準備をしてくれた。
「初心者かい、珍しいね。久しぶりに見たよ」
食事が一段落した頃、この世界に来たばかりで困惑しているというと、咲花に対して安い笑顔を返した。
「この世界は『偽造世界』。この世界で生活する人間の多くは別の世界から来たか、その子孫かのどちらかだ」
私も別の世界から来たんだよ。と神父は軽い調子で続けた。
「この世界は不完全で、不定期に他の世界を模倣して土地を生み出す。この街がその例さ。君たちのいた世界に似てるんだろ」
「瓜二つだ。一見、本物みたいだ」
「お前に話してねえよ。咲花ちゃんに話してるんだよ。ねー」
同意を求められた咲花は、はあ、と簡素な返事をする。こんな神父は嫌だ。を体現するような彼のことが生理的に受け付けないようだ。
「この世界には魔法が在る。君の世界にはない物じゃないかな」
神父は何処からかカードのようなものを取り出す。
「『出現』」
カードはその平面から立体的な何かを吐き出した。現れたのはパンだった。手の平より少し大きいくらいのパン。
今度はそれを手でちぎり二つに割る。
「『解放』」
ちぎられたパンが神父の声と共に消えた。代わりに現れたのは温かな光の玉。
神父が指を動かすと、生き物のようにその指さす方向へ飛んでいって、最終的にはテーブルの上の燭台に火を灯して消えた。
「今の一回切りの使い捨てが『代償魔法』」
驚く間もなく、神父は続ける。
「今度はこれを見てごらん。『出現』。そして、『解放』」
神父は先程と同じようにカードからパンを取り出し、同じような所作で光の玉を取り出し、別の燭台に火をつけた。
違うのは今回はパンをちぎらなかったことと、そのパンが消えないという処。
「これが『神位魔法』、道具を介して使うのは同じだけど違いは繰り返し使える処。望むならいつ如何なる時でも永遠に使い続けることができる」
ただし、と前置きし神父は顔を近づけた。
「持ち主にしか扱えない」
つまりはこういうことだろう。
LAとベルの二人組が先程使っていた魔法は全て『代償魔法』。魔法道具を消費して使う一回切りの魔法。ブレスレットも馬上槍も呪文と共に消えた。
咲花が大地を治療する為に使ったのが『神位魔法』。魔法道具を介して使うが何度でも使える上位の魔法。その証拠に咲花が大地に対して治癒する魔法を使った後でも魔法を生み出した道具である十字架は消えずに残っている。
咲花が使う『神位魔法』は『回復魔法』に分類される。神父のいうことを信じるならばいつでも好きな時に永遠に使い続けられるらしい。ただし、咲花しか扱えない。
「何で咲花がそんなすごいもの持ってるんだよ」
「え?」
「そんなに不思議なことではないんだ。誰かが『偽造世界』に招かれた時に、一つだけ元の世界から持ち込むことが許される。それは必ずだ。全員に平等に与えられる権利。持ち込むことができるのは、本物は一つだけ、後は全て偽物」
「そうはいわれても、」
ピンとこない。
「衣服も前の世界から持ち込んでいる。しかし、それらは簡単に破損される」
神父のいったように、確かに矮小竜と対峙した時に脇腹や脚をかすめていった炎によって衣服は破れ簡単に燃えた。
でも妙だ。そのいい分だと、まるで、咲花の十字架はそうでないかのようではないか。
大地が頭に疑問符を浮かべていると。
神父がカードから包丁とまな板を取り出した。
自然な仕草でまな板を敷き包丁を、『神位魔法』を出現させたパンへ振り落とす。
振り落とした包丁の方が歪み、後は傷ひとつないパンが残った。
「本物は壊れない」
『一つだけ元の世界から持ち込むことが許される』もの、例えば咲花の十字架も同じように壊すことができないということなのだろう。反対に、衣服やポケットティッシュなどの所持品は前の世界から持ってくることはできたが、神父の言葉を借りればそれは本物とはいえない偽物で、破り引きちぎることが可能ということのようだ。
「『神位魔法』は持ち主の願いを具現化した結果だ。ちなみに私の願いは人々の生きる糧になりたいというものだ。その願いを反映し、人々を照らす光を生み出す魔法を起こす」
咲花の十字架や神父のパンは、持ち主の願いを反映した形の奇跡を起こすらしい。
咲花の場合は、人を死なせたくない、とかそういったものかも知れない。
「さらに、本物からは偽物を作り出すことが可能だ。ちょっと、これを手に持ってくれるかな」
神父は貴重な筈の、傷の付かないパンを咲花に渡した。
そのパンに、神父が右手をかざす。
「『複製』!」
咲花の手の中のパンが二つに分裂した。片手では持ちきれなくなったパンを落とさないように咲花は両手を使って防ぐ。
「片方は『代償魔法』を生み出したものと同じ偽物だ。簡単に作り出せる分、簡単に壊れる。便利だけど複製は自分一人ではできないし、一日に一回しかできないから注意が必要だ。このパンは咲花ちゃんにあげよう」
神父は咲花の手の上の元々存在していた方のパンを取る。咲花の手には複製されたパンが残った。
神父は何かを期待するような目で咲花をじっと見る。
「できれば、咲花ちゃんも『複製』して、複製されたものを私にくれたら嬉しいんだけど」
「――嫌っ!」
突然の声に大地は身構える。
咲花がこんなあからさまに拒絶の声を上げるのは珍しい。普段なら、どんなに自分に不利益でも円滑な人間関係を保つ為に不利益を飲み込む処が在るのに、今日に限っては、無償で食事や寝床を用意してくれるという神父の願いを聞き入れようとしない。
「咲花、どうしたんだ。それくらい良いだろ」
「ダメっ! コレは、誰にも渡さない!」
「複製品をつくって、複製品の方を渡すだけだ。それ自身がなくなる訳じゃないだろ」
大地は説得しようとするが、咲花は首を横に振るって話を聞こうとしない。
「無理いってごめんね。今の話は忘れてくれて構わない。『神位魔法』を生み出す道具には持ち主の強い願いが篭もっている。簡単に偽物を造って他人に使われるのを嫌がる人も少なからずいるんだよ。それに、『神位魔法』はその人にとって必殺の切り札だ。追い詰められた状況を簡単にひっくり返すことができる。良く知りもしない他人に易々と自分の切り札を見せるようなものじゃないのも確かだ。本当に無理をいってごめんね、パンはあげるから許してよ」
気まずい雰囲気のまま少し話を続け、その日の話の場はお開きになった。
咲花は何故そんなにもエミエルを複製されるのを嫌がったのだろうか。本物は手元に在るのだから、いくら偽物を量産しても良いではないかと大地は考える。
或いは、奇跡を叶える程モノを大切にする人間の気持ちは大地には判らないのかも知れない。
神父は『全員に平等に与えられる権利』ともいっていた。つまり、大地にもその権利が与えられるということだ。けれど、大地はそんなものに心当たりがなかった。
大地の所持品はポケットティッシュと財布くらいしか持っていない。何処かで落としたとしたら大事だけれど、咲花にとっての親の形見のような陶酔する程の何かが自分に在るとは思えない。
双葉大地には何もない。
自分自身さえも判らない大地には他の何かを愛せるとは思えなかった。
大地の人生の多くの場面に、両親がいた。友人がいた。数々の人々が大地の人生には関わってきた。
双葉大地は彼らによって生かされていた。
自分のない双葉大地は周囲の人間の求める自分をその場その場で選び取り出すことで自分を保ってきた。
彼らがいないと、大地は自分の心が判らない。
今はまだ咲花がいるから双葉大地を保っていられる。けれど、咲花を失ったら誰からも何も必要とされない心だけが残されてしまう。
咲花に必要とされる自分であろうと大地は思う。
咲花の望みを叶える自分であろうと大地は思う。
咲花の今の願いは何だろうかと考える。
両親がいないにしても、咲花は元の世界に数々の知人友人を残してきたことだろう。突然、彼らと会えなくなった。
咲花は元の世界に戻りたがっている。口には出さないが、それは間違いないだろう。
彼女を元の世界に戻してあげよう。
その為に、大地は双葉大地という肉体に、彼女の求める自分を選び入れ込むことにした。他の何者でもない彼女の為に。或いは何者でもない自分自身の為に――
無料程高いものはない。というし、念の為咲花を守る目的で、大地は咲花と同室で寝ることにした。
翌日目覚めると、トイレに行く道すがらで神父に会った。
「……けっ、変態が」
神父の言葉は聞かなかったことにする。
制服が穴だらけになったので衣服を貸してもらっているが、聖歌隊が着るようなもので布の無駄が多い。こんなことでは、嫌がらせでそんな服を渡したんじゃないかと勘が嫌な方向へ働いた。
大地たちは他にもこの世界にまつわる色々な知識を教えてもらった。
灰色の触ると壊れてしまうものを総称して『粗悪品』といい、『代償魔法』を出現させる物質を総称して『模倣品』。『神位魔法』を出現する物質を総称して『真性品』ということを教えてくれた。
『偽造世界』にある物質は全てこれら三つのどれかに当て嵌まるらしい。昨日口に入れた食事も何もかもがそうだという。
誰が名付けてるんだと聞くと神父はその格好で、神様たちですよ。と平気でいう。
神を信じてる人間が、聖職者の格好でそんな行い悪くしているなんて正気とは思えなかったが、考えてみれば知識のない大地たちに無償でこの世界の理を教えてくれるとは、それだけ聞けば人が良いとも取れる。
今日は、神父が他の人間がいる場所へ連れて行ってくれるということになっている。
何かいいようのない薄気味悪いものを感じるが、言葉に甘えることにしよう。
咲花は昨日のことがあってか、少し気まずそうだ。
咲花、もう少しの辛抱だ。奴から搾り取れるもの搾り取ったらすぐに此処を出て行くからな、と大地は聖職者に対し実行するには恐ろしい算段を立てていた。
大地は聖歌隊姿だけれど、咲花は制服を尚も着ている。
用意された寝間着には着替えていたが、昼動く時の服装は自分の服で過ごしたいようだ。
不必要に聖歌隊のような恥ずかしい格好になる必要もない。
「『竜の居城』は『RPG』でいえば中盤のポイントだよ。まずは『始まりの村』で装備整えなきゃ」
神父の言葉は専門用語が多すぎて、そろそろ何が何だか判らなくなってきたが、どうやらこれから行く場所は大地たち初心者向けの処らしかった。
「『レベル』が二十くらいになるまではまだまだ『竜の居城』は危険だからね。といっても『レベル』二十になったからって一人や二人で特攻しちゃダメだよ。ちゃんと『パーティ』組んで、可能なら八人くらいで。かつ、経験豊富な『プレイヤー』が一人くらいいないと攻略は無理だよ」
例えば私のような、と神父は笑った。
無言の咲花に対して、そろそろその一方通行は苦しくないのだろうかと大地は思うが、本人は実に楽しそうなので杞憂と割り切ることにする。
それにしてもレベルって、水準? だっけ。なんのこっちゃ。
神父は大地たちを教会と併設されているコンクリートで囲まれた納屋の扉の前へと連れだした。
「この先が『始まりの村』だ」
扉を開けると、納屋の中心に何度か見た平面状の円が開かれていた。
竜や蛇を生み出した円とは違い、色が黒ではなく、何か景色のようなものが映し出されている。
穴の中の景色には色彩があった。納屋とは質感の違う木や藁でできた非近代的な建物の内部のように見えた。
意識すると平面から藁の匂いが香ってきた。
「『始まりの村』は小さな集落だけど、不完全なこの街と違って、完全に偽造できているから、生活するのに必要なものは手に入るよ」
「不完全なこの街?」
神父の言葉が気になった。
「この街は『偽造世界』に招かれた人間が数年前に持ち込んだ、元の世界の不完全な偽物なんだ。徐々に色を褪せていった訳じゃなくて、生み出されたその時点で色あせていた。元の世界を完全に偽造できなかったんだ。衰退してる訳でも未完成な訳でもなく不完全で終わっている。……これから行く処はそんなことないから、安心するんだよ、咲花ちゃん」
神父は咲花にそういうと、平面へ片足を入れていった。
平面の向こう側から手招きする神父。
ついて行かない訳にも行かないので、大地は咲花と共にその後に続いた。
「鉄の剣が五十ゴールドなのに対して、何故か木刀が二百ゴールドで、林檎が五千ゴールド! ……ダメだ、相場が全く判らない」
村の大市場で大地は頭を抱えていた。
市場というだけあって、色々な人種の人が道を行き来する。中にはモンスターにしか見えない亜人種も平気な顔で歩いている。周りも慣れた様子なので、それが普通のことのようだった。
「神父様からもらったゴールドが二人で五百ゴールドなんだから、節約しなきゃダメだよ。装備も調えて武器も揃えて役立つアイテムも補給しなきゃ」
いつになく張り切りを見せる咲花。
如何に手に入れたいものを安く仕入れ、無駄を省き、どうやって与えられた金銭で納めるか。咲花にはこの買い物に対して全身全霊で挑むような気迫が感じられた。
昨夜会ったばかりの大地たちに、神父がお金を出したのは驚いた。もしかしたら神父は道楽で神父をやっているだけで、実はお金持ちなのかもしれなかった。気まずそうにしていた咲花がまるで小学生がお年玉をもらったようなはしゃぎようを見せたので、神父は金銭以上の何かを得たのかもしれなかった。
神父は用事が在るからと大地たちに告げて、今は村の何処かへと消えていった。
いつまでも神父が貸してくれた衣服でも悪いので、防具は買いそろえなければならない。そもそも聖歌隊のような格好は異世界といえども異質なようで人目が突き刺さる。
得物はもっと大事だ。
武器を見ている中で、何が自分に合っているかと考えた。
剣も置かれていたし、弓もあった。屋根のない店舗には多種の武器が並んでいて、その中にはLAが扱っていた馬上槍と同じものが置かれていた。試しに持とうとしてみたが、構える以前に持ち上がらない。そうは見えなかったが、LAは肉体そのものに魔法を使っていたのだろうか。腕力を上げるような魔法を使っていると考えればあの青年が同じものを軽々と扱っていた理由となる。一度考えればそうとして考えられなくなっていた。
「ちょっと、其処のかっこいいお兄さん、こっち来てごらんよ」
周囲を見渡すが、女性の声が差すような人物は見当たらない。
「あんただよ、あんた」
どうやら、大地に声をかけてきたらしい。市場で買い物する聖歌隊姿の人物をかっこいいと表現するとは斬新な趣味だと大地は思う。
どうやらペット屋らしい。
いくつものペット用のケースがあって、人なつっこくしっぽを振る柴犬や不機嫌な三毛猫などの元の世界でも見覚えが在る種類の動物たちもいたが、ペットに最適とは思えない奇怪な生物もいた。
「お兄さんを見た時から。この子がお似合いだと思っていたんだよ」
店員のお姉さんが奥から鳥かごを取り出してきた。
瑠璃色の美しい鳥だ。
店員が鳥かごに付いた簡素な作りの扉を開ける。
逃げ出すんじゃないかと不安に思ったけれど、瑠璃色の鳥は外に飛び出すと遠くへ逃げる様子もなく頭上の空を大きく旋回すると、大地の肩にとまった。
かわいらしく喉を鳴らす。
「まあ、ぴったり。まさに完璧」
店員のお姉さんが自分の感性に対して感動の声を上げる。
それって、聖歌隊の格好をしていれば誰でも完璧になるんじゃないかと大地は思う。
試しに歌ってみて、と恐ろしいことを頼まれる予感がしたので、早々に瑠璃色の鳥をかごに返すことにした。ペットを養う余裕もない。
大地が指を近づけると、賢い鳥は差し出された指に飛び乗る。大地はその細い足の片方に小さな布がくくりつけられていることに気が付いた。
店員のお姉さんが大地の視線の先に気付く。
「彼の『心の拠り所』だよ」
「『心の拠り所』?」
また、専門用語かと辟易する。
「ペットは私達よりずっと死にやすいから」
悲しみを通り過ぎた者だけが出せる達観した声を出す
「死んだ後に、死んだ時持たせていたアイテムを良く似た個体に付けてあげるんだよ。そうすると、記憶と経験値を取り戻して、また商品に――おっと、またお友達になってくれるんだよ。ペット限定の効果なんだけどね」
「へー」
「大地君、何やってるの。ペットを飼う余裕はうちには在りませんよ」
背伸びしたいい方で大地をたしなめる咲花。視線はペットへの強い興味を示している。
「かわいい新婚さんだね」
冗談が酷い。
年齢的に大地たちが結婚できる年に見える筈がないが、咲花の方は嬉しそうに体をくねらせていた。
「行こうか。咲花のいうとおり、ペットを飼う余裕はない」
先程の店員さんに手を振る咲花を連れて、その場を去る。下手したら二人が意気投合してお金もないのに長いと噂の女子のウインドウショッピングに持ち込まれる可能性を大地は感じていた。
咲花の手には神父と別れた時には持っていなかった荷物が在る。
「何か買ったのか」
「うん!」
満足そうな声が返ってくる。咲花は買い物を充分楽しんだようだ。
「僕も早く買い物済ませなきゃな。武器は何が良いかで迷ってしまって」
いっそ銃や鉄扇にするか、と武器屋で腰の高さに在る商品を手に取った処で、咲花の指先が肩を小突いてきた。
「なんだよ咲花。僕は真剣に悩んでいるんだから邪魔するなよ」
「買い物なら終わったよ」
彼女が何をいっているのか、理解が追いつかなかった。
え? という疑問の声を上げるのも数秒遅れたくらいだ。
「はい!」
困惑していると、咲花に何か手渡される。
「さあ、バッシバシ敵を倒してゴールド貯めるよ」
咲花は木刀を構えて架空の敵に向かって袈裟斬りをして見せる。
大地の手元には防具と弓矢があった。
まさか、弓で戦えと。
不満があったが、前線で戦う衛生兵はそれはそれでかっこいいと大地は思った。
咲花が持ってきた防具をその場で着込むことにする。
「『封入』」
着ていた聖歌隊の服をカードへと戻す。出現させたものをカードへと戻す呪文は昨晩神父から教えられたものだ。
「大地君、こんな処で着替えないでよ」
非難の声を無視して着替えを続ける。
咲花が買ってきた防具は革でできた肩当てが付いた動きやすさを重視したものだった。咲花の方は制服姿のままだ。ゴールドがもったいない、とのことだ。
お金がもったいない、とはいうが、きっと別の理由が在ることは判っていた。
元の世界で学生をしていた自分と今の自分とを繋ぐ唯一の繋がりだ。
咲花は学校に行く必要のなくなった今でも制服を着込むことで繋がりを切らないようにしている。大地も穴が空いてさえいなければ咲花と同じ理由で制服を着続けただろう。
それだけ、元の世界との繋がりは大地たちにとって重要な要素になろうとしていた。
五百ゴールドは、木刀と弓と防具、そして少しばかりの食料に変わった。
武器を手にしたら、腕試しの一つでもしたくなるのは仕方がないことのようだった。大地もそうだったし、咲花もいつまでも空中の動かない仮想敵との斬り合いではつまらないだろう。
村から少し歩いた処に在る森で、大地たちは緒戦に臨んだ。
「『遭遇率』が高いね、この森」
「演歌なんだって?」
『初心者』向けと看板が立っているだけ在って、出てくる敵は反撃の機会を得ずに倒されていくものばかりだ。
饅頭を連想させる奇怪な生命体。饅頭に三毛猫を連想させる模様がついた奇怪な生命体。饅頭にうさ耳が生えた奇怪な生命体。
その悉くを、咲花が駆け寄るより大分早くに矢で射殺す大地。
モンスターを発見するは咲花の方が早いのだけれど、遠距離攻撃ができる分、弓矢の攻撃の方が早い。
「お、レベルが上がった気がする」
「あ、ずるい。良いなあ」
「咲花は全然レベル上がらないな。ちょっと今のレベル僕に教えてくれ」
「ダ、メ。絶対ダメ。見たら絶交だからね。本当に絶交だからね。……大地君が先に倒しちゃうから経験値が入らないんだよ」
咲花は何処か拗ねていた。
「ねえ、やっぱり装備交換しよ」
咲花が、名案が在る、といいたげに思ったことを口に出す。酷い申し出だった。
「えー、ようやく慣れてきた処なのに」
「良いでしょ。しようよー」
いわれるがまま、木刀を握る大地。
「んー」
試しに横に薙ぐ。
弓矢とは勝手が違う。弓矢も正しい姿勢とか意識せずに自己流だったが、木刀も木刀で正しい振るい方なんて見当もつかないが、正道に拘らなければ弓矢よりは慣れるのが早そうだ。
咲花の方はどうかというと、弓矢に慣れるのに時間が掛かりそうだ。そうでなくとも、咲花は木刀を持っていた時にも敵に攻撃できるタイミングで躊躇する処が見て取れた。大地はそれを見て咲花の殺生を嫌う性格が表に出ているように感じた。
咲花が生物を殺す処を見るのは何だか嫌な気分だ。弓矢に慣れる以前に咲花は生物を殺すということを乗り越えなければならない。
咲花が強くなる必要はない。その分、大地が強くなれば良い。
大地は咲花の分まで動き、体力の尽きるまで奇怪な生命体を倒し果たした。
木刀をカード化し、これで大地の手元に在るカードは木刀と制服、食料となった。そしてこれは返す予定だけれど聖歌隊の服も在る。
元の世界から持ちこんだ制服が一枚の平たいカードになって手元に在るのはなんだか不思議な感覚だ。
この制服のカードからでも『代償魔法』は使用できるそうだ。
カードの触った感覚としてはプラクティックの只のトランプとの違いを見つける方が苦労するような代物だ。簡単に折り曲げられそうだ。カードには男子用の制服が描かれていた。矮小竜から受けた傷や一度火が付いた痕が生々しく残っている。一言だけ文字が書かれていて、文字は『揺り篭』となっていた。魔法名がそれらしい。効力は不明だ。使用するまでは効力が判らないものだという。
けれど、きっと大地はこのカードをいつまでも使わずに取っておくだろう。他の人から見たらただの『模倣品』だけれど、大地にとってみれば元の世界との繋がりをしめす特別なものだ。
そういえば生徒手帳もあった。
元々嵩張らないのでカード化してなかったが、生徒手帳も同じようにカード化してみる。
今回は封入の呪文を口にしない。
頭の中で唱えるだけで生徒手帳は難なくカード化された。
出現の呪文や解放の呪文も、同じように声に出さなくても効果を発揮することができる。神父が教えてくれたものだ。
カードには『手帳』と書かれていた。輪をかけてどんな効力が在るのか不明だ。
生徒手帳も学校の制服と同じ理由で元の世界へ帰るその日まで使うことはないだろう。
今となっては貴重な、元の世界のとの繋がりだ。
神父を見つけたのは中央市場でも一番目立つ大きな建物の中でのことだった。建物の一番高い処には赤色の旗が風になびいている。
看板もあった、『赤銅商会』と書かれている。
「『赤銅商会』は元々はその名の通り単なる一企業だったんだけど、自警団を組織してから発展した組織で、主に依頼の仲介業者をしてくれる。今はそれさえ知っていたら事足りるかな」
商会と紹介されたが、冒険者の為の施設だと認識した方が正しそうだ。
建物の中には冒険者の格好をした人が多くの割合を占めている。
神父の隣にいる女性も同じく冒険者らしかった。
近代的な服装でダッフルコートなんて着ているが大剣を背負っている。化粧っ気はない。黒く長い髪が印象的なかなりの美人だ。東洋系の顔だけれど、仮に冗談で海外の血が半分流れているといわれても信じられてしまう。そんな女性だ。
薄着でなくても身体はモデルやアスリートのように引き締まっていることが判る。
相手の美貌に気後れしているとその美貌の持ち主は、はろー、と手を振ってきた。年下の大地たちに合わせるような相手の態度にさらに怖じ気づく。
「彼女が咲花ちゃん。そして隣の屑には名前がない、かわいそうだが屑と呼んでやってくれ」
このままでは本当にそう呼ばれかねないので、訂正する。
「大地です。双葉大地。ほら、咲花も自己紹介くらいしろよ」
促すが、咲花は大地以上に怖じ気づいた様子で黙りを決め込んでいる。今だって、大地の背中で姿勢を低くしている。紹介された女性の視線を避けるようにしている。
この世界に来てから人見知りが激しい気がする。咲花はこんな少女だっただろうかと疑問に思った。
咲花が無言なので、今度は相手が自己紹介する段階に移ったらしい。
「もへこだ」
「もへこだよ」
童女のように元気いっぱい体全部を使って自己紹介する、美貌の持ち主。
「……」
演技とか、相手に合わせてとか、そういう可能性も考えたが、大地は目の前の彼女に対して得た率直な感想は『中身が子供』だった。
黙っていればやり手のキャリアウーマンでも通じそうだけれど、話し言葉や話す時の表情がそもそも子供のそれだった。良く見れば、もう夕方だというのに寝癖もそのままだ。
色々残念なお姉さん。もへこはそんな女性だった。
「もへこには初級クエストの選定をしてもらったんだよ。冒険者としては私より経験豊富だ。頭の中は見ての通りだが……」
「えっへん」
褒められていると思い込んで、これ見よがしに胸を張って見せるもへこ。
二人の後ろの壁には掲示板が在り、依頼内容と報酬などが書かれた紙が数え切れないくらい貼られていた。
「二人には私と一緒に『おつかいクエスト』をやってもらうよ。すごくすごく大変なミッションだけど、気を引き締めて一緒にがんばろうね!」
もへこは表情を造って年上振ろうとしているが、何処か締まりがない。
今回のクエストは、渋谷の地下深くに在るゴブリンの巣の見張り場に食料を持って行くというものだった。
地上は竜が出現するが、地下は割と安全らしい。ゴブリンは出るが彼らは好戦的な性格ではなくこちらから攻撃しない限りは安全とのことだ。
大地たちが地下街を歩いた時には遭遇しなかったが、もっと暗い地下深くにそのような施設があったらしい。
話を聞く上では、本当にただのおつかいだ。
もへこは大地たちに困難な依頼だと印象づけたいようだけれど、とてもそうは思えなかった。もへこ一人でも達成可能な依頼だけれど、この世界に不慣れな大地たちを慣れさせる為に連れていくのだとすぐに判った。
依頼には他にも多種多様なものが在るようだ。
今回は初心者でも達成可能なものをもへこに選んでもらったけれど、今後は自分たちで依頼を受け付ける必要が在る。
依頼は依頼主が自由に貼って良いらしい。
システムとしてはその中から達成可能なものに名前を書き込み入札し、依頼を達成したら依頼主から報酬を得るというもののようだ。
依頼の内容は多種多様で、店番のようなものから、特定のモンスターを狩るといった冒険者らしいものもあった。
依頼の入札者の名前の欄に、小学生を思わす汚い文字がいくつか在ったので、解読してみると『へのへのもへこ』と書かれていた。もへこはこう見えても『経験豊富』な冒険者なので、他にも依頼を掛け持ちしているみたいだ。
『竜の居城』で達成可能な依頼を見てみると、入札者の名前に『ベル』と書かれた依頼を発見した。
間違いなく、昨日であった二人組のうちのロリータファッションの少女のことだろう。
ドラゴンが落とすらしい竜の鱗の採取依頼や、ドラゴンそのものの討伐依頼など、大地たちのおつかいと比べたら格上の依頼を受領していた。その中には『飛竜』討伐も含まれていた。渋谷の街で出会った巨大な顎を思い出す。あの巨大な生物をちっぽけな人間が太刀打ちできるとは思えなかったが、依頼の紙はベルたちがその困難を達成できるのだと主張していた。推奨レベルは三十となっている。二人だけで達成するとなると、推奨レベルより上のレベルが要求されるだろう。
「報酬も出るからがんばろう」
もへこの明るい声で、大地は我に戻った。
報酬と聞いて、咲花もやる気を見せる。
金髪のあの青年が竜を殺すクエストを攻略しているその下で、大地たちは『はじめてのおつかい』をやることになっている。
わずか五十ゴールドの依頼しかやらせてもらえない自分を、大地は何処か悔しく思った。
実際のおつかいクエストの決行は翌日にすることになった。大地たちは昼に倒した饅頭型の奇怪な生物たちが落としたアイテムを売ることで数日分の宿代を得ることができた。神父は当分は教会で寝泊まりすると良いと咲花に向かっていってくれたが、いつまでも神父に甘える訳にも行かないので、宿屋に宿泊することにした。
咲花とは部屋を分けている。
単なる幼なじみの若い男女が同じ部屋で一晩過ごすのは普通の仲じゃないし、朝一番の神父の言葉が脳裏によぎったのも在る。
咲花は見た目が幼い。身長や髪型の所為も在るが、見るからに柔和で小動物や赤ちゃんと同じベクトルの感情を見る者に与える。
中学の頃、大地の同級生が咲花のことを見て『見ると和む。のほほんとする』と口にした。美人とか、かわいいとか、ではなく第一に『和む』といわれてしまうのが咲花だった。大地から見て目鼻立ちは悪くないのだけれど。
大地がベッドの上で大の字に広がっていると、咲花が宿泊している隣の部屋から物音がした。いくら最安値の部屋だからといって隣の部屋の音が聞こえるなんて酷いなと思ったが、時間は深夜だ。
まさか、神父が。と恐ろしい予感がしたので、木刀を持って咲花の部屋に乗り込んでいったが誰もいない。
先程の物音は咲花が部屋から出る音だったのか、と合点がいった。
トイレに行く為に出たのかと思ったけれど、トイレは部屋の中だ。安宿だけれどそういう処はしっかりしているらしい。
まさか一人で宿の外に出たんじゃないだろうな。
気がつけば大地は宿の外へ飛び出していた。
咲花が深夜に訪れそうな場所なんて想像がつかない。手当たり次第に小柄な少女を探す。
途中、赤を基調とした服装を見つけたので声をかける。
赤銅商会の関係らしい。
そういえば、神父に自警団がどうだとか説明されていた気がする。彼は犬を伴って夜の見回りをしていたらしい。
「そんな子は見かけてない」
断言している割に何処か自信なさそうだ。日雇いらしい彼は不慣れな夜間の仕事の為、見回りの最中に集中が途切れたのかも知れない。
昼間に咲花と回った森の前には別の赤銅商会の関係者が複数人いたので、村の外には出ようにも出れないようだ。
そう大きくはない村の中で、咲花は何処へ行ったんだろうか。
他に咲花が行く処が思い当たらず、ダメ元で、もへこの宿泊している宿へ向かった。去り際にもへこ自身が指さして宿泊している部屋の位置を教えてくれたのだった。大地たちが宿泊している処よりは上質でその分値段が高い。
見晴らしの良い、最上階の壁際の一角。
深夜に押しかけたら迷惑だよな。と思いつつも部屋の前まで来てしまったので、今更引き返せない。もへこの部屋には光が着いていた。起きているらしい。
ノックをすると、すぐに返事があった。入って良いようだ。部屋の中にはTシャツ姿のもへこが一人でいた。
「すみません、夜間に」
「ああ、LAかい、久しぶり」
「……大地です。昼に会った双葉大地です」
LAと大地を間違える処を見ると寝ぼけているらしい。ベッドの上で頭をうつらうつらと揺らして船を漕いでいる。こんな調子なのに部屋の明かりを点けているに対して不思議に感じたが、単に眠る時に明かりを消さない習慣かも知れない。
「敬語はやめようよ、私達の仲じゃあないか」
「はあ。……それより咲花来てませんか。深夜なのに部屋から消えてしまって」
「敬語はやめようって。……そういわれれば、さっきまで誰かが来ていたようなー、夢だったようなー」
睡魔と戦いながら、一生懸命頭を回転させようとするもへこ。うーん、と唸ったかと思うとその姿勢で鼻ちょうちんを造った。ダメだ、要領得ない。
咲花は此処にもいそうもないし、迷惑なようなので去ることにする。
「待ってよ大地くん。咲花ちゃんなら来たよ」
「え? 何をしに」
「何って、あれだよ。トレードだよ。『模倣品』同士を交換したんだよ。……って、あれ? 口どめされていたような、夢だったような。……そう思うってことは多分夢だったんだな。ムニャムニャ」
咲花があれだけ距離を置いていたもへこの元へひとりで来てわざわざアイテムのトレードをしたという。しかも深夜に訪れてだ。
もへこは口どめされたともいっているし、一連の行動は大地には知られたくないことのようだ。
本当のことだとしたら、咲花の意図が判らない。やましい処がなければ大地の目の前でトレードすれば済むことだ。
見れば、テーブルの上にはカードが置かれている。
制服だ。
カードに収まった姿は初めて見るが、咲花が日中着用していたものに間違いない。
これが、もへこの手元に在るということは、元の世界との唯一といえる繋がりを咲花が手放したことになる。
「もへこ、咲花は何を手にしたんだ」
咲花にとって重要な意味を持つアイテムを簡単に手放してまで手に入れたもの。
どうしても知りたかったが、それを答えてくれる筈の人物は限界に達したようで、何度揺すっても起き上がってはくれなかった。
もう出来上がっているものなので、短期間に、ずらずらとあげていく予定です。
感想やアドバイスなどありましたら是非。
また、下記URLで別企画進行中です。創作活動興味ある方はお声がけください。
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以上。