ACT 9-16
「消えない?」
顔だけ上げて、やっと、口にする。
「私の魔法で、なんで消えないの?」
「いや、僕に言われても困るよ」
始めて、会話が成立した瞬間であった。
魔法。なるほど、とジンは一瞬ユウスケの顔を思い浮かべる。彼と同じく、魔法なるものを使う存在らしい。つまり、彼もその気になればこれぐらいできるのだろうか? 一帯を更地にし、人間を消失させること。言葉にすればとんでもないことであるが、現に、少女はそれをなんらかの方法で実現している。
顔を上げる。少女がこちらを見下ろしている表情が見える。心なしか、先ほどよりも近づいてきているようだ。手を地面につけて、体を持ち上げると、やっと上半身が地面から離れる。すぐに立ち膝をついて、そこでひと息つく。彼女に攻撃されれば、またすぐに地面とぶつかることになる。それなら、少しぐらい地面に近いほうがいいだろう。
目を見開き、苛立ちの表情をつくる。少女の腕が上がる。攻撃の合図だ。感情のままに振り上げた腕が、気に入らないソレに振るわれる。
あがいてみようと思った。ジンも同じタイミングで腕を振るう。横に一閃。どうせ、吹っ飛ばされるのであれば彼女に攻撃をしてみようと思ったのである。無論、殺さない程度に、加減をして。この状況で手加減するほど余裕がある訳ではないが、それでも、優愛と同じ少女に手をあげることは彼のなにかに反していた。
異変は、すぐにでも訪れた。
……ざざ、と鈍い、砂嵐のような……
ほんの一瞬、この更地の空間が、もとの姿を取り戻す。しかしまたすぐに、更地へと姿を変える。
「え―――」
驚きの声は、少女のものであった。
なにが起こったのか解らなかった。そしてそれは、ジンとて同じ。
「―――?」
振るった腕はそのまま。先と違うのは、光弾はジンを直撃しなかった。それどころか、そんなものは最初からなかったかのように、この場から消えうせていたのである。発射せず、待機していた光弾はまだ宙に浮いているが、彼女が命じて発射された光弾は跡形もなくこの場から消えて、地面に直撃した痕跡すらなかった。
一〇秒だ、その場でふたりが立ち尽くしていたのは。先に我に返って行動していたのは少女のほうであった。
命令は簡略に「全弾発射」。停滞している光弾がすべてが発射される。中心に立つ、ひとりの男に対してすべて。発射されたそれらは、ジンの肉体を破壊し、塵ひとつ残さないだろう。それだけの威力をもっている。
遅れて反応したジンだったが、それ以外の方法を知らなかった。そう、腕を振るい続ける。全身が武器、全身が刃と同じである以上、彼の武器は自分自身の肉体なのだから当然の行動だ。
交錯するひとつの影と、無数の光。少女は今のうちに距離をとり、次の攻撃に備える。もし、先と同じ偶然が起こったのであればそれは紛れもなく―――
交錯した刹那、光弾は消えうせる。
―――脅威(天敵)だ。
■■■
リミッターは忌み嫌われる。それは、常人では到達できない存在であるからだ。最初から人間であることを否定され続け『化け物』としてのレッテルを貼られ続けていたそれらは、いつしか壊れてしまう。壊れるだけならまだいいのかもしれないが、それゆえに自分の力を持って世を混沌へと導く存在になれば、人類側としてはたまったものではない。
ゆえに、リミッターには、リミッターを止めるための「アンチ・リミッター」が用意される。そのリミッターを止める〝だけに特化した存在〟。
何百人―――否。
何千人―――否。
何万人―――否。
何億人―――否。
人類すべて―――否。
この世界―――否。
『このよたるすべて』を探しているか居ないか。化け物を律するための化け物。化け物は見つかるだろうが、化け物と対になるような化け物かどうかはまた別の話である。
そして、彼女には自分を律する化け物は存在しなかった。
地面を蹴る音が五月蝿く感じる。走る影に目をやり、あるだけの魔法を展開する。彼女が持ちうる、現状使える最大の迎撃。それは『この世界』でなければ放つことすら許されない。街を滅ぼすだけの力を持った力。―――とはいえ、頭に血がのぼって一度は放ってしまっているが。今回は違う。あのとき放った光線は一発。今度は五発だ。さすがの彼女にもそれには準備が掛かるが、それでもほんの数十秒あれば充分だ。
右手を前に出せば、五。一発だけで視界を覆うだけの太さを誇るそれは、間違いなく人間を跡形もなく消し去る殺人光線だ。それが五発。真中に一発を放ちつつ、同時に二発を左右に、少し遅れて三発の上に二発。合計五発。真直ぐに走り来る忌々しい影に向かって放つ。
避けるなどできない。視界すべてが光なのだから、それを避けるなど、できるはずがない。こちらも相手の姿を視認することはできないが、光線をすべて撃ち尽くしたあとで後ろに下がる。
消滅の光は、地面に直撃してもその威力を遺憾なく発揮し、巨大クレーターをこの場に残す。
はずだった。
斬。一閃。
何事もなかったかのように、その場に立つ男は、男自身もその出来事を理解していないような表情だ。
光線は消えた。最初から、そんなものはなかったかのように。跡形もなく。―――ざざ、と空間が。
舌打ちした。そこで、は、とする。自分が魔法のことで舌打ちをするなど、どれぐらいぶりのことだろうか。常に、異才を放ち、その力のなかでは自分よりも上にいるものも、横にいるものもいない。下は差が開きすぎていて、まったく相手にならない。『自分の空間』でなければ、全力を出すこともできず、本当の全力を出してしまえば、自分自身すら破壊してしまうその力。
圧倒的だった。圧倒的、そう圧倒的だったはずなのに。
なぜ、手前の男は平然とこちらに向かって走ってくるのか。
砂利、と音を立てる足元。自分がまさか後ろに向かって走る羽目になるとは思ってもみなかった。距離を詰められれば、こちらが負ける。もっと広範囲に、相手が相殺できないぐらいに、広く、大きく、細かく、撃ち続けなければ。
まけ―――、と、きたところで、その結論を飲み込む。あり得ない。自分が。その言葉にたどり着くなどあり得ない。こんなところで、自分自身の最強であるプライドが勝る。
走る最中でも、魔法を組む。一流の魔法使いにでも必要な呪文詠唱は、超一流である彼女には必要のないことであった。頭の中で式を組み立てて、それを実現する肉体があればいい。この体こそ、存在こそが魔法であり、呪文であり、詠唱なのだから。
今度は量を重視する。先に光弾を男の周辺に停滞させたのと同じ要領。今度は弾幕だ。少女の目の前に無数の光弾が姿を現し、待機。その際、発射される光弾とは別に、幾つか特殊な軌道を描く光弾を用意しておく。彼はその能力こそ不明、肉体能力は優れているようであるが、反射神経などは人間のそれと大差ない。なら、手前に弾幕を張り正面に集中させることで、後ろからの不意の一撃を加える。今度は、あのときよりもずっと量も、威力もある。
一斉掃射。頭で命令を下した瞬間に、無数の光が弾幕を作る。一直線に走ってくる男めがけて、数え切れぬ無数の光が彼を襲う。その間に、例の特殊な光弾を両手のひらにひとつずつ作り、弾幕の光に紛れて発射させる。
光弾を捌くジンであったが、正直、どうなっているのかよく解っていなかった。とにかく、超威力、超弾幕のそれらを目で見て迎撃することは不可能であり、できることなら手前に巨大な盾でも張ってしまいたいものである。が、そんな芸当はジンにはできなかった。仕方なく、出鱈目ではあるが、正面に無茶苦茶に腕を振るって、ごまかしているに過ぎない。目で見て反応してどうにかする、と云う量ではないのだから仕方がない。端から見れば滑稽な姿であろう。
だがこれでどうにか五分、といったところだろうか。こちらとしてはなんとしてもこの弾幕を辞めさせたい。彼女に近づき、こちらの切れ先が届く距離まで詰められればこちらのものであるが、そうはいかない。相手は近づけさせないように弾幕を貼り続ける。先ほどのように、威力の高い光線を放つほうが楽だった。一閃ですべてが済むからである。しかし今のように量で押し続ける状況はよくない。
攻め口は正面しかないと云う訳ではない。光弾を躱して、一気に距離を詰めることもできるだろう。で、あるが、この弾幕を捌き続けている以上それは叶わない。喩え、できるだけの隙を作ったとして、どこから攻めるか。横では駄目だ、彼女の攻撃範囲は横は完全にカバーしている。作戦としては、上から、とまではジンの中では決まっている。どうやって、その上に跳ぶ隙を作るかだ。
現実の場所と違い、ここは更地。述べたように、踏み台にする瓦礫すら存在していない。地面は堅く、ジンの攻撃では抉ることすらできない。多少、掘ることはできるが、どれだけの時間が掛かるか解ったものではない。
だから現状、走るしかない。彼女に向かって一直線に。横、後ろからの攻撃はこの際仕方がない。
放たれる光の弾幕は止まることをしらない。彼女の腕から―――弾幕によって良く見えないが、恐らくそうだと思われる―――放たれ続ける光弾は、間違いなくこちらを消滅させるために放たれたもの。それが無数に。
ざざ、と、空間がぶれる。何度も振りかざす腕、止まらない光弾たち。ぶつかれば消滅するそれら。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、―――、数え切れないだけの発射と消失を繰り返すなか、ごく稀に、この空間は元の姿を取り戻す。しかしそれは一瞬で、すぐにでも更地へと姿を変える。
「この、くそ!」
勢い良く腕を振るう。果てがないと云うのにも困りものだ。思わず口で悪態をつく。
異変はそのあとすぐ。
「ぃ、ぐっ!」
突如、背中と、頭に襲った衝撃。体が壊れるかと思った。それによってジンは体を地面に叩きつけられる。
は、とした。このままでは、光弾の弾幕を捌くことはできない。急いで体勢を立て直して、腕を振るわなければならない。
だがそんな思考はもう遅い。叩きつけられた次の瞬間には、無数の光弾が上空から無防備なジンに向かって降り注ぐ。
思わず転がって避けようとする。弾幕の規模は避けられるような規模ではない。もっと、多い。その程度で避けられるようなものではないのは解っている。それでも、そうしてしまったのはきっと、反射神経。無意識のうちに。
鈍い音。それは地面を抉り、破壊しつくす音。そのなかに、ひとつの存在がある。それを滅するために、膨大な魔力と、膨大な数の魔法を放った。ただ、破壊と云う一文字に尽きるその魔法は、悉く彼に消失させられたが、単純な方法で決着をつけることができたと思う。
やはり、同じ。しかし、一時とはいえ、自らに「恐怖」を感じさせたこと。自分の力を相殺する能力。それを思うと、強敵、だったのだろう。結果として、いつも戦いを行ったあとと同じ光景になってしまったが。命知らずにも、彼女に挑んだ存在は、常に巨大な力によってねじ伏せられ、瓦礫ひとつ残らない世界で、跡形もなく、死すら認識されないまま、消えていく。
「殺人鬼」
呟く。ずっと感じていたこと。だが、自分ではどうしようもない。向かってくる相手はねじ伏せるのみ。自分の気に入らない存在はすべて排除する。いつも通りだ。
後ろに逃げていた足を、今度は前に進むために一歩踏み出す。歩いて、そこにできた巨大なクレータが見える場所に移動する。
案の定、そこにはなにもなかった。綺麗に、すべてが消失していた。瓦礫ひとつ残さず、まるで特大スプーンで地面をすくったかのように、綺麗に、抉られていた。
「…………」
しばらく、そのあとを眺めていた。―――ざざ、と空間が、抉れる。
跡形もなくなってしまったその場所を目に焼き付ける。―――ざざ、と、なにかが。
いつもと同じ光景だが、綺麗になくなってしまった場所を見るのは、爽快感がある。やっていることは最低だが、やったあとの気分は最高だった。―――ざざ、と、現れる。消える。
【接続】
自分のなかを歩いている。
瞬く間。反転した暗闇の世界。しかし、ここがどこなのかすぐに解った。慣れた場所だ。一度も来たことがない、見たことがない場所だというのに、安心するこの場所。元々、自分はここにいたのだ。なにもないが、確かにどこかにある、よき隣人としてここにあり続けていた。干渉することはあまりなく、ただ観測することを続ける。ある意味『魔女』よりも『観測者』らしい。
見える世界にプライベートなどは無意味だが、しかし、彼らにはそれをどのようなものかと感じる感情などは持ち合わせていなかった。あるがまま、光景だけを認識し、それを〝保管〟する。意味などは考えない。人類にとってそれがどれだけの悪徳非道な行為だったとしても、それに憤怒する心などは持ち合わせていない。なにしろ、感情らしきものがないのだから、当然と言えば、当然だ。
個々などではなく、個が全、全が個。暗闇の世界の彼らはそうあり続けてきた。恐らく、これからもそうだろう。態々、そのメカニズムを崩さなくても存在し続ける。では自分たちを変えようと努力するのは力と時間の無駄である。無限に等しい寿命を持つ彼らだが、死は、必ず訪れるものだと無意識に知っていた。であれば、有限の寿命をもっと有意義に使おうとするのは当然である。それに、ここでは変わることは意味がない。なにせ、世界自身が変わろうとしないのだから、それに適応させる必要がないのだから。
―――では、彼は一体、なんなのか。
ひとりだけ、スポットライトが当たる。暗闇を歩き続ける彼は、明らかにこの世界の住人とは違っていた。個が全であり、全が個であるこの世界の理に反する行動をする彼は、間違いなくこの世界に始めて存在する「個」であった。隣人と同じ姿を取り、その真似事を繰り返す彼は一体どこからきたものなのか。変化を求めていなかった彼らに突如として訪れた変化。無関心を貫くのには非常に大きすぎるバグ。
本質は基本的に変わりはない。ただ、姿やその行動が違うだけ。当たり前だ、隣人を模造したのだから彼らとは違う。
本質は基本的に変わりはないのだ。
汝、理を違えしモノ。
然、体には別の理を持ちしモノ。
御身、此の世界の座標を観測するのであれば。
是、その無限と有限の狭間を持つ。
―――なるほど。
とは思った。だが、意識は朦朧としていて、すぐにでも忘却に沈んでしまいそうな、そんな弱々しい状況であった。だとしても、理解を持って力を振るえるのであれば、まだやっていける。一瞬とはいえ、自分の意味と、自分の能力を知れるのだから。できることなら、理解し続けたかったのだが、いまは、どうにも、眠い。
【切断】
魔法とは、この世の不可思議現象である。この世界が創造された瞬間からそこにあり、古くの人類が「数学の果て」として作り出した、人間の計算式ではなく、世界に対する計算式。
手順としては、多くの魔法使いが、魔方陣を描く。そしてそれを式として、この世に魔法を生み出す証明を行い、初めて存在を許される。無論、そんな手順をいくつも簡略化する天才は多くいるが、手順自体を省く彼女のような存在は異質だ。
「魔方陣」
……呟いた。
自分で作ることはない。魔方陣とは本来他人に認識することはできないものである。他人に認識をさせるような、よくある御伽噺で出てくる魔方陣は、あくまで大魔法を行うようなときに使われる。大規模なものを行うときは、この世界に直接魔方陣を描くことで強い力を引き出すことができる。
では目の前にあるのはなんなのか。いや、解っている。魔方陣だ。そうではない、目の前にある彼の存在だ。クレーターの中央に突如として現れた魔方陣の中央に立っている彼の存在だ。
「出鱈目」
そんなことを呟いて、彼女は再び光弾を準備する。今度は正面だけではない。クレータに沿うように、無数の光弾を用意する。彼からすれば四方八方に光弾がある状況である。右も、左も、正面も、後ろも、上空も……すべてが、埋め尽くされている。
ざざ、と、空間が歪む。そして、またもとに戻る。
「今度こそ―――」
それを取り出す。あのとき、多くの心像参加者に囲まれたとしても、一切使うことはなかった。魔法使いとしてのプライドか、そんなものを使わなくとも、それを使っている人間よりも遥かに自分が優れていると云う自負か。
今度は、取り出す。
彼女自身の『心の剣』を。
「―――ぶっ潰す」
抜き終わった心の剣を振るう。それを見ていた彼は、顔色ひとつ変えなかった。
「リミッター、解除」
禁断の言葉を呟く。誰の手によっても、もちろん彼女自身の力でも外すことができないそれ。呪いをかけた本人でなければ外すことのできない最強の鎖を、心の武器によって壊す。
〝―――一〇年ぶり、本当の私〟