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D.H.  作者: yua
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ACT 9-10



 彼女が夕食の準備をしようと重い腰を上げた頃合、ジンは腕を組んで考えていた。

 ユウスケが眠っている件についてである。恐らく、彼の睡眠は疲労によるものだとジンは考えていた。そして彼は情報を集める為に朝から外に出ており、それにあわせるかのように中心街の方に覚える違和感。

 これらが物語っているのは、あそこで戦いが起こっており、ユウスケは何らかの理由でそこから離脱してきた。その理由がなんなのかジンは存じないが、彼にとって不利な状況があそこにあると云う事なのだろう。

 ジンがこの世界に現れてから五日ほど経過した。その間にジンが経験した戦闘は二回。最初の戦闘はあくまで敵の攻撃を受けただけであり、その後敵は撤退した為に長くはなかった。後の二回目の戦闘も、一方的に狙撃されていただけであり戦闘とはいえない経験となった。とは言え、敵の情報を手に入れられたのはそれだけでも大きかった訳だが。

 つまり、ジンにもユウスケの行動が解っているのだ。

 如何に、戦いにおいて情報が重要であると云うのか。

 ユウスケは情報収集は自分の役割だと言っていた。そして直接戦闘するジンは前線に出る役割。情報は互いに共有し、戦いを有利に進める。果たして、本当にその通りになるのだろうか……?

 ジンには疑問であったが、優愛は信じている。彼女の気持ちが解らない訳ではない。だとしても、自分だけがこのままでも大丈夫なのだろうかと、ジンは考えていた。

 再び窓の外を見る。まだ、違和感は続いている。それは当然優愛も感じているだろう。心の武器を持った人間であるのなら、ジンと云う心の武器の所持者である優愛もまたそれを感じているであろう。

 悩みはひとつ。それは先ほど優愛と買い物に出掛けたとき、あの場所での違和感を感じた瞬間から思っていた事である。

 あの場所に、行ってみたい。

 そのような悩みである。

 あの場所に赴き、そしてどのような戦いが繰り広げられているのか、確認してみたい。それは自分たちの為であるが、これから先優愛を安心させる為にも、言葉だけではなく直に確認してみたいのである。そしてそれは、優愛と行動を共にしている以上は敵わない願いである事も解っていた。そう、彼女を守る為にも彼女のもとを離れる事は出来なかったのである。

 しかし、現状ならそれも大丈夫だ。彼女はこのまま家の中に居るであろうし、何かあれば、ユウスケが対応する。……若干の不安はあるものの、ユウスケを信用しなければ、このまま周囲が行っている状況を飲み込めないまま戦いに赴かなければならない。それは、とてもリスキーだ。

 先日の狙撃手との戦い。事前データのない完全な初見戦闘であった。ジン自身の頑丈さがなければ、恐らく並みの人間なら無警戒のまま致命傷を負っていたかもしれない。

 手の内が解らないうちに攻め切られる可能性を考慮すれば、その対応策を手に入れておくのに越した事はない。そして、あの場に行けば、すべてではないにしろ、敵の情報を得られるかも知れないのだ。

 だが精神が磨り減っている彼女を置いて、この場から消えてしまうのはどうにも忍びない。その上、不安を与えてしまうかもしれない。その懸念が、どうしてもジンの行動を邪魔していた。

 彼女は出来る限り外に出たくないと言った。そしていま、彼女は自らの部屋に戻ってきている。ここから外に出る事は恐らくないだろう。丁度いい具合に、彼女は今台所で準備をしているところだ。

 …………決めた。そこまで時間は掛けないつもりだ。ほんの三〇分ほど、時間を貰おう。それぐらいなら彼女も大丈夫だろう。

 優愛がレトルトを物色しているところを確認して、ゆっくりと、ベランダに出る。まだ、彼女はベランダが開け放しであるのに気づいていない。まだ季節ゆえに外は若干明るいが、それでも夏本番に比べれば随分と暗くなった。優愛がそれに気づいてベランダの扉を閉めるのは時間の問題だろう。そうなる前に、ジンは事を済ませたかった。最悪、帰りは玄関からでも良い。

 ベランダに出ると、そのまま柵から乗り出して……飛び降りる。幸いな事に、優愛の部屋の下の住人は出掛けているらしく、彼の行動を間近で見たものはいなかった。

 さて―――、とジンは小さく呟き、自分の体を確認する。調子は悪くない。先日の戦闘の疲労や傷も、一日の休息を得て回復し、万全の状態である。

 脚に力を入れて、跳躍。そのまま塀を軽々と越えて、民家の屋根に足をつく。屋根の主が気づかぬ内に少し間を空けて再び跳躍して、二、三軒ほど一気に飛び、次の屋根に足をつく。以降はそれの繰り返しである。

 一分もしないうちに、優愛の住むアパートは見えなくなってしまい。既に、買い物に訪れるショッピングセンターや、コンビニエンスストア周辺までやってきた。一分でこれなのだから、中心街につくのにはそこまで時間は掛からないだろう。そもそも歩いて二〇分ほどでたどり着ける場所だ、ここまで来るのに一分なら、もう一分ぐらいでたどり着いてしまうだろう。

 一旦、跳躍する足を止める。民家の屋根の上に居ると目立ってしまうので、人気を気にしながら道に下りる。

 夜の空気は生ぬるい。人々の姿はまだまだある。時刻的には帰宅ラッシュの時間帯と云う事もあり、さらには本日一〇月二日は金曜日である。これからひとつ、夜の街に繰り出そうと胸を躍らせる男女の姿、スーツを着た人間が多い。そんな人間たちが目指すのは当然中心街なのであるが……

 その中心街の一帯に近づける人間はどれだけいるだろうか?

 ジンはその場所から、中心街を眺める。

 表現するのなら、巨大なドーム。お椀をひっくり返したような感覚。中心街を覆っている不可視の結界は、その大きさをさらに広げていた。

 それはジンが先のショッピングセンターで買い物をしていたときに感じたものより大きい。寧ろ、ここから視認―――不可視のそれを視認と表現するのはおかしな話だが―――出来るほどの巨体へと変化していたのである。

 戦いは続いている。しかも、その規模は大きくなっている。一体、どれだけの力を持った人間がそこで戦っているのか想像もつかない。街を丸ごと飲み込んでしまう巨大な結界の中で繰り広げられている戦いの光景を想像しつつも、ジンは今度はゆっくりとしたテンポで結界に向かって跳躍する。


 台所でレトルトカレーを取り出す。電子レンジに入れようとしたところで、ふと、部屋の方に視線を向けてみる。

「…………ジン……?」

 先ほどまでそこで座っていたはずの彼の姿がなかった。部屋の中から忽然と姿を消したのである。驚きもする。

 レトルトカレーの袋を台所に置いて、部屋の方に戻ってみると、そこには横になっているユウスケしかいなかった。玄関に出るには台所の後ろを通らなければならないので、外には出ていないはずなのである。優愛が少し目を離した間、台所の後ろを通る気配はなかったはずである。

「ジン?」

 襲うのは不安。嫌な予感。自分では制御できない、どうしようもない現状に押しつぶされそうになる。

 何かあったのではないのだろうか? 彼が居なくなってしまう事はつまり、自分の身の安全を保障してくれる人間がいなくなってしまうと云う事なのだ。……とりあえず、ユウスケは居るのだが、寝ているので現状は信用出来ない。

「ジン?」

 部屋の押入れの中を物色する。この中に隠れて、自分を驚かそうとしているのかもしれない。そうであってくれればどれだけ良かったか。残念ながら、押入れの中に彼の姿はなかった。布団が重ねてあるだけだった。

〝そういえば……ジンのお布団……考えてなかったな……〟

 なぜかそんな思考をした。いままで、彼は床にそのまま寝ていたのだ。寝る、と云う概念が剣にあればの話だが、そもそも彼が寝ている姿を、優愛は見た事がなかった。

 押入れの中身を取り出し、奥の方を無駄に物色するのだが、そのような行動が意味がないのを優愛自身よく解っていた。すぐに「やめよう」と思って荷物を中に入れなおす。

 と―――

「大掃除か?」

 ―――後ろを振り返ると、上半身を起こしたユウスケがこちらを眺めていた。

「…………っ」

 ユウスケは少し、申し訳なさそうな顔をした。

 手前にある、今にも泣きそうな顔をした優愛の姿を見たからである。だがその表情は同時に、ジンが説得に失敗した事実も教えてくれていた。ユウスケは内心でため息を吐くが、薄々こうなる事も予感していた。

「…………いつから、起きてたの?」

「いや、今だよ。物音で目が覚めた」

 優愛の問いに対して、ユウスケは押入れに指をさしながらそう答えた。どうやら、押入れを物色する音で目が覚めたらしい。どれだけの音が出ていたかは解らないが、少し我を失っていたらしい、と優愛は反省する。

 少し気が抜けたせいか、優愛はため息をひとつ吐いて、その場に座り込んだ。

 ユウスケは頭を掻きながら部屋の中を見渡している。優愛からすれば、どうしてここにいるのだとか、どうやって部屋の中に入ったのか、聞きたい事は山ほどあったが、とりあえず今は聞かない事にした。そんな気力もなかった。

 そうしてやっと気づいたかのようにユウスケが相槌をうつ。

「ジンはどうした?」

「…………さっきから姿が見えないの」

「ははぁん。だから押入れを物色してたのか」

「…………」

 鋭い、と云うよりも完全に行動を読まれていて優愛は赤面する。

 ユウスケは腰を上げると、再び部屋の中を確認する。台所の方に歩いていき、そこにあるレトルトカレーを発見すると、すぐに部屋に戻ってきた。そして、ベランダの方に向かうと、窓を開けて顔を出す。

「なるほどね」

 納得がいったかのように、ユウスケは頷く。優愛には、何を勝手に納得しているのか解らなかった。

「まぁ、心配ないだろうよ。どうせ、すぐ戻ってくる」

 呑気にそんな事を言った。

 何かを言い返そうとしたのだが、優愛はそれを喉の奥に飲み込んだ。少し、心が軽くなったような、そんな気がしたからだ。「心配ない」「大丈夫」―――そんな言葉を投げられただけだと云うのに、優愛の心は少しの安心感に包まれたのである。

「……カレー、食べる? レトルトだけど……」

 珍しく、優愛からの言葉にユウスケは目を見開いて驚く。しかし、すぐに驚きの表情は笑みに変わる。

「腹減ってるんだ、ありがたく頂戴するぜ」

 そう返す。

 つられて、優愛も微笑する。最近あまり笑う事がなかった為に、自分の心がまだ完全に壊れていないのだと気づく。自分の事だと云うのに、自分自身の心の状態が今ひとつ解っていないのは、不思議なものだと優愛は思う。

 優愛も腰を上げて、台所の方に戻っていく。ユウスケはテーブルのところに座って、テレビを眺め始めた。話は食事をしながらでも出来るだろうし、ジンが戻ってきてからでもいいだろう。今は少し安心したこの心の状態に浸っていたい。

 台所のレトルトカレーを取り出すと電子レンジに入れて、温める。その間、優愛は棚の中に入っているはずの電子レンジで温めるタイプの白米が入っていたはずだった……のだが。

「あれ」

 ここ最近コンビニエンスストアの食事ばかりで、白米を自分から使う事がなかったので失念していたらしい。棚には電子レンジタイプの白米は存在しておらず、調味料の類しか入っていなかった。

 ユウスケの方に視線を向ける。彼も男だ、女である自分よりもそれなりに食べるだろう。ジンですら、優愛より食べるのだから。世の中には少食の男もいるとは知っているが、ユウスケはそのようなタイプには見えなかった。……あくまで偏見であるが。優愛としてもカレーはカレーではなく、カレーライスとして食べたかった。

 向けていた視線を今度は部屋の出口の扉へと向ける。外に出て、一番近いショッピングセンターに一〇分ほどでたどり着く。それは先ほどと同じ時間である。急いでいけば、一〇分も時間は掛からないだろう。同じように急いで白米を買って、急いで戻ってくれば一五分ぐらいで戻ってこれるのではないのだろうか。

「…………ちょっと、買い物行ってくるね」

「あん?」

 ユウスケは不思議そうな顔をする。

「さっきまで出掛けてたんじゃねぇの? あとカレー作るんじゃねぇのか?」

「……ご飯が無いの」

「あぁ、なるほど」

 納得した様子である。

「すぐ……戻ってくるから……」

「ん」

 優愛としてもひとりで行くのは気分が良いものではない。いつ、自分が敵に狙われるか解ったものではないと云うのに。しかも、一度は狙撃をされている身だ。ジンがいないとき、ひとりで外に出たいとは思わない。

 しかし今の優愛は先ほどのユウスケとのやり取りで少しの心の余裕を持っていた。単純なものだ。

 少しの時間なら大丈夫だろう。

 そんな念が優愛にはあった。

 ユウスケは―――出て行く優愛を止める事はしなかった。


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