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D.H.  作者: yua
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ACT 2-1



 1998, 9, 25



 いつも通り、六時半に起きた。相変わらず代わり映えしない朝に、ため息すら覚えるぐらいだが、これはこれで楽しんでいる。劇的な変化は逆に自分に嫌な事しか齎してくれない。

 ただその日はいつもと違っていた。テレビの内容が、いつもと違っていたのである。

 変わらず部屋の掃除を始めて、テレビを点けると丁度良いところでその場所が出ていた。

 内容は、この街のビルで爆破騒ぎがあったと云う内容であった。有名なテレビレポーターが自分の近所に居る光景を見ると、何かくすぐったい。

 爆破事件があったのは、いつも通っている中心街の中にある、とあるビル。現在は爆破によって引き起こされた火災は鎮圧されているらしいが、現場検証が続いており、野次馬が大量にビルの周りを取り囲んでいる。

 野次馬が取り囲む光景を優愛はあまり好きではなかった。今回はビルと云う無機物だからよかったものの、それが犯罪者や、事件の被害者などを取り巻く野次馬だと、まるで犯人をもっと責めたてる、被害者の辛い記憶を呼び起こすような真似に見えるからだ。警察や警備員が必死にそれを取り押さえているが、あまり機能していないように見える。

 近所と云う事もあり、多少の恐怖は覚える。未だに何故爆破が起きたのか、テロなのか解っていない。ただ、爆心地は屋上だと思われているらしい。一番劣化が激しい場所が屋上らしいと、ニュースでは言っている。

『そもそも火の気のない屋上での爆発とは……やはりテロのようなものなのでしょうかね?』

『自然発火は考えられないですね。火器のようなものはなかったようですし、偶然、そこにC‐4があれば別ですけどね』

 と、専門家は述べている。自然発火と云うものがどのような状況下で起こるのかを、ボードにイラストを交えながら説明している。

 屋上には何もなかった。そこで勝手に発火するような事は天文学的偶然が起こらない限りはない、と述べられている。

 ではやはり人為的なものと云う事になる―――と云うのが専門家の意見だ。ただの自然火災ではなく、何せ爆発だ。余程の事がない限りは現代社会において起こらない現象に人々は驚き、そして恐怖する。遠い国の、戦争をしている場所でしか起こらないものだと優愛も思っていた。

 それが国内、よもや自らの近所で起こるとは前述したようにまったく思っても見なかった出来事なのだ。

『もし、テロと云う事であるならばどう云う意図があると思われますかね?』

『まぁ当然のようですが、何らかのメッセージ。国に対する不満とか、あとは宗教がらみ何かが考えられますね』

 いつの時代もそのようなメッセージを送るのに過激な行動をとる輩は多い。過激な事は多くの人間に注目浴び、自分の言いたいメッセージを伝えるのには効果的なものだからだ。ある意味では、紛争なども国の方針に対する反感のメッセージだと言えよう。

 洗い終わった食器をしまい、昨日使ったバケツをベランダの物干し竿に掛けて、優愛は一通りの掃除を終える。

 そろそろ出なければならない時間に差し掛かっている。テレビを消して、戸締まりをすると部屋から出る。がちゃり、と鍵を回す音。鍵が掛かったのを確認して、アパートから出た。

「……」

 いつもと空気が違った。何も変わっていないはずだと云うのに、いつも見ている光景とまったく同じだと云うのに……優愛にはまったく違った色の世界に見えた。

 背景に一枚灰色なフィルターを付けたかのような不自然さ。優愛の感覚に例えるのであればそんな感覚だ。

 ただ単に、自分の知らないところで、自分の知らない人が非日常な事をしている。それだけだと云うのに何故かそれが自分の心理世界にまで影響を及ぼしているのだ。不思議だ、どうして人はそこまで他人の感情に関心を持てるのか。優愛も同じ人間だが、不思議でならない。

 呆、と、その場で立ちつくしていた。道端で立ったまま動かない彼女の姿を見て周囲の人間は不思議に思っただろう。―――が、そのような場面では他人とはどこまでも無関心であった。

 考えているだけ無駄だと気付いたのには二分ほどを要した。その辺りは心理を専門にしている学者にでも任せておけばいいだろうと思ったのだ。そして自分は心理学者ではなく、単なる絵描きである。

 カンバスを抱えている腕は絵を描く為にある。ずっとそうしてきた。それ以外の事はあまりせず、絵を描く事だけを考えて、そして今通っている学校に入学したのだ。

 一歩、前に出た。そして次に一歩。学校に向かって歩き始めた。

 いつも通りの道を通って、いつも通りの光景を目にして。……いつも通り、コンビニエンスストアに入って食べ物を買って、MDプレイヤーから流れる音楽に耳を傾けながら登校する。口にはおにぎりを頬張り、腹を満たす。

 一〇分以上歩いて商店街に着くと、ふと、足を止めた。嫌でも目についたのは、その人の数である。

 商店街の至るところに車が止められており、それがテレビ局のものだと知る。見知っているテレビ局のマークが車には描かれている。この辺りは駐車禁止なのだが、どうやら彼らはお構いなしらしい。

 そう、この商店街の向こう側にあるビルこそが、今朝ニュースに出ていた爆破のあったビルである。優愛が登校に使う道とは明らかに違う場所にある為、まじまじと見る事はない。一体何の会社がその中にあるのかも知らないし、知る必要性もない。

 ただ、邪魔だとは思う。ただでさえ狭い商店街の道だというのに、こんなところに車を止められるとこの時間帯は邪魔で仕方がない。

 周りの人間も同じ気持ちだろうな、と思いつつ、テレビ局や野次馬の車の間を抜けながら先に進んで行く。カンバスを持っている事もあり、車を傷付けないように通るのに苦労した。人通りも多く、なかなか前に進めない……いつもはスムーズなこの道も、こうなってしまってはどうしようもなかった。

 MDプレイヤーにはディジタル時計が入っている。目をやると、もうあまり時間は残されていない。少し早歩きになってでも行きたいのだが……如何せん前に進まない。それだけこの辺りには野次馬たちや、様々な人間で溢れかえっているのだ。

 仕方ない、とばかりに次々と人々はその道から外れて路地裏の方から、裏手に回って先に進もうとしている。当然、そちらの方も大混雑である。

 少しずつ進んで行く。この商店街の道を出るまでの辛抱である。カンバスを前で抱えて歩く。失くさないように、大事に運んでいく。

 商店街の道を抜け、学校への一直線の道を歩く頃にはもう時間も危ない頃合であった。駆け足で学校に急ぐ。そこまであの場所で時間を食っていたようには思えなかったのだが、何故か、時間もぎりぎりになっていた。……妙な時間感覚だ。

 校門に立っている生徒指導の先生に頭を下げて、校舎の中に入る。いつもであれば余裕であるのに、今日は遅刻寸前であった。

 教室に入ると、殆どの生徒が揃っていた。しかし優愛の方を誰も見向きもしなかった。後ろからゆっくりと、息を整えながら、自分の席に向かって歩いて行く。いつもは冷房が効いて寒い教室も、走ってきた今日の優愛の体には心地いい涼しさであった。

 席の横にカンバスを置いて、ゆっくりと座席につく。担任の教師はまだ来ていないが、昨日の事もあって早めにMDプレイヤーのイヤホンを耳から取る。

 周りの生徒たちの話題は、やはり、ビル爆破事件について持ちきりであった。

 皆、一体何者が起こしたのか? 目的は何なのか? テロなのか? ―――様々な思考を巡らせていた。優愛が聴き耳を立てているグループのすべてがその話題だった為、どれだけ皆がこの事件に関心を寄せているのかが窺える。

 当然の事ながら、それは彼らが当事者ではないからこそできる会話である。あの事件での犠牲者は幸いな事にゼロだ。ビルの管理人や会社側からしてみれば大きな損害である。テロで無かった場合だとしても、会社の信用を落とすのには充分過ぎるレベルだ。ここに居る生徒たち―――無論、優愛自身も含める―――は、彼らがどうなろうと自分たちの生活に何ら影響は無いと解っているからこそ、こうして談笑の中に話題を入れる事ができる。

 燃えたビル、破壊されたビル。あの時商店街で見えていた、ビルの屋上……

「……ッ!」

 頭が痛い。ビルの造形を思い出した時、優愛に突然の頭痛が襲う。

 ―――そうだ…………昨日見た夢も、あんな場所じゃなかったか…………? あんな、ビルの屋上で、異形の剣を握って、戦っていなかったか…………?

「う……ぇ……」

 恐ろしいほどの吐き気が襲う。自分でも解るぐらいに震えていて、突然襲った自分の身体的、精神的以上に目を見開く。

「……神代さん?」

 偶々自分の横の席の生徒がそれに気付いたらしい。周りに気にかけて、小さな声で言葉をかけてきた。

「大丈夫? 具合悪いなら……」

「……大丈夫」

 手でそれを制して、優愛は必死で自分の中ですべてを処理する。隣の同級生もしばらくそれを見ていたが、優愛の気持ちが落ち着いてきた辺りで視線を別の方向に向けた。

 何度が大きく息を吸い込み、吐いて、を繰り返し、優愛は落ち着く。

 ……正直、まだ体調は良くない。だが、突然こんな事になる経験などなかった。つい数刻前まではまったく問題なかったと云うのに突然体調が変化するなど……あり得ないと思った。しかし、急性の病気も存在している事からも解るように、急激な体調不良に見舞われてそのまま命を落としてしまうケースもあるのだ。

 恐怖からそれを押し留める。もし、本当にそんな病気であるのなら、自分がそうなる訳がない。自分は大丈夫。自分はならない。絶対に大丈夫だ。―――そう自分に言い聞かせる。

 落ち着いた頃合に教師が教室の中に慌ただしく入ってきた。時計の方に目を向けると朝のHRの時間は五分ほど過ぎている。

「いやすまない! 皆も知っての通り、昨夜近くのビルで爆破事故が起きた。それについて警察から現場に近づかないように注意喚起とかあってな。それの対応とかがあってなぁ」

「せんせー、それによって授業が短くなるとかないんですかー?」

「それはないなぁ、残念ながら」

 その解答に周りの生徒からはブーイングがあったものの、実は誰も期待はしていなかったらしい。すぐに収まった。

 いつも以上に周りの人間の声が耳に響く。頭は鈍器で殴られているかのように、断続的に痛んでいる。眉間に皺をよせて、顔を苦痛に歪めながらも優愛はそれを抑え込む。

 HRが終わったら保健室に行こう、と、優愛は心に決めてHRの内容に耳を傾ける。

 内容の大半が、昨日のビル爆破事件に対して現場に近付かないようにとの達し。現在調査中であるが、事件性は現時点では薄いと判断されている為に学校側は通常通りの授業を続けると云う話もあった。法治国家日本、銃器や様々なものが規制されているこの国では、どこかの国とは違いそのような事は起こらないと上の人間は踏んでいるのだろう。

 この国は終戦以降、恐らく危機感と云う感情がどこか壊れてしまったのだろう。強国と云う、母親の腕の中で抱かれたまま生きている近年では、何があってもその国が何とかしてくれる……そう思っている節がある。

 一般の人間に過ぎない優愛にとっては、どうでも良い話であるが。

 朝のHRが終わると、優愛は真先に席を立ち、痛む頭を抱えながら教室を出て保健室に向かった。

 述べたように、普通学部と芸術学部が存在し、広い校舎を保有しているこの学校。しかし保健室はひとつしかなかった。主に演劇など、体を資本としているような芸術学部に所属する生徒の中には、少しの体調不良でも保健室に行く。……その頻度から、やや芸術学部の校舎寄りに保健室は設置されていた。

 芸術学部の校舎にある、教師専用の玄関なるものが、事務室と共に作られており、その事務室の横に保健室はある。優愛の所属している2‐Cから行くには、近くの中央階段を降りて一階に行き、そこから真直ぐ廊下を歩くだけの距離にある。―――ちなみにいつも彼女が教室に行く為に登っている、生徒用の下駄箱の近くにある階段は、B階段などと呼ばれている。

 歩き始めると意識が朦朧として、足元がおぼつかなくなってきた。体中が熱い……熱があるようだ。一限が移動教室の生徒たちの間を抜けて、階段までたどり着くのに一分弱。落ちないようにゆっくりと階段を降りていく。

「―――ぁ」

 …………視界がぶれた。

 どこか高いところから落ちた…………視界が一回転して、前を移していたのが、いつの間にか天井になって、浮遊感が体を襲う。それも一瞬だった、すぐに背中を凄まじい痛みが襲って、優愛の意識は完全に飛んだ。




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