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D.H.  作者: yua
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ACT 1-2

 放課後はひとり。学校に持って来ていたカンバスをまた持って学校を出る。カンバスを態々家に持って帰る人間などあまりいない。普通は学校に置き放しにするのだが、優愛は違った。毎日持って帰っている。

 学校で授業を受けているだけで時刻は一六時を過ぎる。居残りで課題をやっていればさらにその時間は伸びる。優愛が学校を出る頃には一八時を過ぎていた。まだこの時期なら充分明るい。

「まだ居たのか、神代」

 美術室の扉が開いて美術担任の教師が声を掛けてきた。これも大体いつもの事だ。

「今帰るところです」

 微笑しながら答える。

「そうか。……熱心なのは良いが、無理はするなよ」

「はい」

 最後に教室の電気を消して、学校を出る。

 このあとの優愛の予定は直帰ではない。帰路の途中にある中心街で寄り道をしていく。主に寄って行くのはCDショップぐらいだ。

 優愛の美術に関係するもの以外での表立った趣味と言えば音楽ぐらいだ。―――と言っても、演奏ができる訳でもない、カラオケに行く訳でもない、作曲家や歌手の名前などに詳しい訳ではない。聴く事が純粋に好きなだけだ。

 毎日通う。別に毎日新しいCDが発売される訳でもないのに、毎日通うのだ。何気なく、ただひたすらに通い続ける。

 義務感でもなく、本当にCDショップに行くのが好きなだけ。彼女自身、どうして続けているのか解らない。

「新しいCD……買おうかな」

 ただその日は新しいCDを買おうと云う気であった。財布の中身とにらみ合いをして、これからの生活など色々と計算して一枚ぐらいなら買おうと思った。

 好きなジャンルはない。基本何でも聴く。クラシックも聴く、流行りは知らないがテレビで出てくるような人気歌手の歌も聴く。音楽なら何でも良いのかもしれない。今のところ、酷い、と思った音楽と出会った事がない。

「いらっしゃいませー」

 店の中に入ると陽気な声が響く。いつも見る店員と同じ。この時間帯は長髪を後ろで縛った青年がレジをしている。

 ぐるりと一周すると、今日はどんなCDを買おうかと悩む。前に買ったのは流行りの歌手のCDアルバムだった。……歌手は……誰だったか……

「今日は何をお探しで?」

 いつの間にレジから抜けて来たのか、店員の青年が後ろから声を掛けてきた。

「……レジ、良いんですか?」

「ご覧の通りで」

 大げさなしぐさで青年は手を流す。もう一度ぐるりと店内を見渡すと、客は自分しかいない事にようやく気付く。

「え、と……。今、売れてるCDはなんですか?」

「そりゃアレでしょ」

 指差す先にあったのはアイドルグループのCDのようだが……

「流行ってるしねぇ。あと、何だっけなぁ……何かのアニメの主題歌のCDも売れてるね」

 別の方向を指差す。

 どちらが良いか悩むところであるが、このような部分では優愛はあまり財布の中身を惜しまない傾向にあった。

「じゃあ、両方買います」

「ありがとうございますー」

 予想外の出費ではあったが良いだろう。別に今月の生活に困ってはいない。それに趣味に使う金はCDばかりであり、余裕はかなりある方だ。毎日買っている訳でもない。

「最近物騒だから気をつけて帰るんだぜ」

「ありがとうございます」

 最後に頭を下げて、店を出た。まだ明るい、暗くならない内に家に戻ってしまおうと早足になる。

 途中で朝はまだ開いていなかったショッピングセンターに寄っていく。冷蔵庫の中は別に問題はなかったが、飲料水が欲しかった。

 優愛は水道水を飲まない。料理に使うには水道水を使うのだが、普通に飲む時は市販されているミネラルウォーターしか飲まない。ジュースの類もあまり飲まない。オレンジジュースも、コーラも、飲まない。飲むのは基本水だけだ。

 カゴにペットボトルの水を三本入れて、レジで精算すると、すぐに出る。これでもう寄って行く場所は無い。家に帰るだけだ。

 一九時を過ぎれば、もう辺りは暗くなっている。街灯が次々と明かりを灯し、道を照らす。

 早く帰ろう。今日二度目の思考。

 幸いな事にこのアパートまでの道のり、人ひとりともすれ違わなかった。

「ただいま」

 誰もいないのに、そう呟いた。まるで誰かが部屋の中に居るかのように、毎日、家に帰ってくる度に呟いている。

 冷蔵庫の中に買ってきたペットボトルの水を二本入れて、一本はそのまま持っていく。カンバスを部屋の壁に立てかけて、MDプレイヤーをポケットの中から取り出すと充電機につける。買って来たCDはこれからMD&CDのコンポに入れてMD側の方にダビングする。

 何故か今日は途轍も無く疲れた。

「多分……あの店員と話したせいだ」

 他人とのコミュニケーションは疲れる。相手の気分に合わせて言葉を選んで話さなければならない。地雷を踏むか踏まないか、気分を害さないように、思考を巡らせて会話をしなければならないのだ。これほど疲れるものはない。

 ……しばらく呆然とその場で座っていた。しかし腹も減り、明日も学校があると考えればあまりもたもたしていられない。ぼうっとしている間にも時間は進むのだ。

 重い腰を上げて、手始めに部屋のテレビを点けて、次にコンポの方の電源を入れる。新しく買ったCDの透明な包装が眩しい。なれた手つきで包装をはがすと、中のCD本体を取り出してコンポの中に入れる。

 CD音源で聴くのは買ったその日の夜が主だ。それ以降は聴くかどうかは解らない。コンポも大体がこう言う場合しか電源を入れない。あとは曲をダビングしたMDでしか基本は聴かない。

 買ったばかりのCDの音楽をBGMに、夕食を作り始める。冷蔵庫の中を見て何ができるかを考える。

 ちなみに優愛の料理バリエーションは少ない。ひとり暮らしを始めて早一年だが、一向に増える気配がない―――実際は彼女がバリエーションを増やそうとしていないからなのだが―――。焼くと煮る、このふたつができれば基本はおいしくできると思っている。

 今日も適当に冷蔵庫の中にあったものを適当に焼いて、炒めて、終了である。それでも冷凍食品を使おうとは思わない。何故なら苦労した気にならないからである。手間を掛けて料理を作ったと云う感覚が味わえないからである。

 今宵の、焼いて炒めて完成した回鍋肉―――らしきもの―――は、焼き肉のタレをつけているので基本は美味いだろうと云う独自の思想のもと、優愛は電子レンジで温めるタイプの飯と共に口に運ぶ。

 味に感想はない。長い間、自分で作った料理の味を食べているのである。不味い、と云う感想はない。

 彼女の食事速度は早い。あっと言う間に食べ終えると片づけ、食器の洗い物を済ませて、すぐにカンバスに向かう。これからの時間帯、彼女はこうしてカンバスに向かい、眠くなるまで絵を描き続けるのだ。

 疲労感はそこまで感じてはない。彼女にとって絵を描く事はとても楽しい時間なのだ。表情には出ないが、心の中ではその白いカンバスにどのような世界を描くかで心躍っている。買って来たペットボトルの水を置いて水分補給だけはしつつ、白いカンバスに自分の世界観を作り出していく。

 いつの間にかMD&CDコンポで流れ続けていた音楽は止まっており、静寂だけがこの場にはある。部屋の電気の下、ひたすらにカンバスに鉛筆で絵を描き、その上から絵具で色を縫っていく。

 動き時と言えば、トイレに行くか、喉が渇いた時にペットボトルの水に手を伸ばす時ぐらいだ。

 部屋は常に換気されている。夜の生温かい風が部屋に入り込んできているが、集中している彼女にはどうでも良い。

 …………眠気が襲ってきたのは時刻も既に一時を回ろうかと云う頃合。次第に視界が狭くなっていき、手元が狂うようになってきた。

 それでようやく気付くのだ。

「……疲れた」

 呟いて、筆を水の溜まったバケツの中に突っ込む。

 このままでは眠れないので、服を脱いでカゴの中に入れると風呂場でシャワーを浴びる。ボディソープで入念に体を洗うと、シャンプーで髪を洗い、コンディショナーで整える。ノブを回してシャワーを止めるとタオルで入念に体の水分を拭き取り、風呂場を出る。ドライヤーで髪を乾かすのも、彼女の持つ長髪ではかなり苦労する。

 髪の手入れが終わると、やっと寝る準備が整う。この時、眠気を覚えてから既に一時間近くが経過している。時刻は二時になろうかとしている。

 部屋の掃除は朝にやる。今やる必要はない。それよりもこの眠気をかみ殺すのがそろそろ辛くなってきた。一刻も早く布団の中に入って夢の世界に行きたいと願う。

 眠い目を擦りながら優愛はようやく布団の中に入る。目覚まし時計をいつも通り六時にセットして、彼女は目を閉じる。―――無は、すぐにでも彼女を襲った。


【接続】


 …………妙な場所だ。いや、そこは見慣れた場所だ。中心街に立っているビルの屋上だ。登った事はないが、登れば恐らくこんな景色なのだろうと想像はできる。見知った場所でも、そこはとても妙な場所に見えたのだ。

 どうしてこんなところに居るのかは解らない。だがすぐにその理由が解った。

 そうだ、これは夢なのだ。理解できた。

 不思議なのはいつも見ている夢とは全然違うところだ。いつもは、夢だと認知した瞬間に目が覚めてしまうのだが、今回はそんな事はなかった。

 では、この夢から覚める方法はたったひとつ。―――この夢の世界で死ぬ事だ。

 簡単な事なのだがそれが意外と上手くいかない。この世界はいわば自分の想像の産物なのだ。喩えこのビルの屋上から落ちたとしても死ぬのは難しいだろう。途中で物理法則など何ひとつ無視して空を飛んで、元の場所に戻って来るだろう。そう言う世界なのだ、ここは。

 もうひとつ、問題があった。何故か体の自由が効かず、自分の考え通りに体が動いてくれないのだ。

 一人称視点であるのに、まるで三人称視点で自分を見ているかのようだ。自分が考えても居ないのに勝手に先に進んで行く。視線だけを動かして、自分の身なりを確認して見ると、いつも通りの学校の制服だった。

 異なるものがあるとすれば、それは自身が右手に握っているそれだろう。

 異形の何かを握っていたのだ。刃物のようなそれに何かが絡みついており、宝石のように綺麗な紫色をしている。まるで花のようだと直感的に思った。花とは似ても似つかないと言うのに、花だと思ってしまった。

 これは〝剣〟だ―――これもまた何故か解ってしまった。

 人を殺傷する剣―――違う。そうじゃない。それもあるがまた何か違った力を持っているような気がした。

 確証はない。ただ、そう思っただけだ。

 ビルの屋上には冷たい風が流れている。屋上ともなれば辺りの障害物も少なく、流れてくる風は直接人間にぶつかる。寒い訳だ。風で長髪が揺れる。

 ……ビルの中央に来ると、ようやく、その存在に気付いた。

 圧倒的な存在感。そこに立っているひとりの男に、優愛は目を奪われた。

 この辺りから少しずつ視界がぼやけてきた。それを他所に夢は続く。

「―――、―――、」

 何かを言った。目の前の男が、何かを口にした。内容までは聴き取れなかったが、口を開いて、言葉を発したのは解る。

 対して、自分は何も答えなかった。無言で、両手で異形の剣を握った。

 目の前の男を殺す気だろうか。

 次の瞬間、男の姿がぶれた。刹那、思わぬ方向に剣を構えている自分の体。消えた男と言い、自分の動きと言い、まったく理解ができなかった。

 乾いた音が響いた。見れば、男も何かを握っていて、それと自分の剣がぶつかりあっているのだ。

 不思議な事に、圧倒的に負けてはいない。男相手なら確実に力で負けてしまうところを、優愛は何故かその一撃を完全に受け切っていたのだ。

 歯を食いしばって、優愛の体が動くと、男の体が宙に浮いた。一瞬何が起きたのか解らなかったが……すぐに思考が追いついた。

 振るった腕、剣で男の体を吹き飛ばしたのだ。信じられない力で、剣でそのまま力任せに……。あり得ない、現実的ではない。それはそうだ、これは夢だ。

 男はあり得ない距離を吹っ飛ばされ、地面に背中から落ちた。普通なら死んでいる。だがその男は普通ではなかった。

 上半身を起こして、こちらを見た。そして、狂気に満ちた顔で何かを言っている。

 何を言っているのだろうか。思ったのも束の間、次の瞬間には自分は走っていた。剣を両手で握って、走っていたのだ。やけにアグレッシブだと、他人事のように思った。

 そして男に向かって剣を振り上げて、頭から斬りつける勢いで……振り下ろす。

 完全に殺す気で掛かっている。本気で、人の命を断とうとしているその行為に恐怖すら覚える。しかしそれを止める術はない。これは夢で、自分ではどうしようもない。夢なら人を殺したとしても犯罪にはならない。

 振り落とした剣は空を切って、地面に勢いよく叩き付けられた。乾いた音が静寂の屋上に響いたが、剣は折れなかった。

 その場に男は居なかった。顔をあげると、信じられないほど高く跳躍した男がこちらを見下ろしている。既に落下体制に入っており、握った剣が優愛を捉えている。

 剣を引き戻して構え直すのは間に合わない。腕はそのままに体を捻って、地面に転がった。とにかくその場から移動して、相手の一閃を回避しなければならない。

 何回転したか解らない。景色が解らなくなるぐらい地面の上を回転してその場から逃げた。自分が立っていた場所から乾いた音がまたして、男の剣が地面にぶつかったのだと理解した。すぐに体制を立て直さなければならない。

 今度は剣を片手で持って、もう片方の手で体を支えて体勢を立て直す。ここまでの一連の動きで既に肩を上下させて息をしている自分。一方息切れせず、涼しい顔をしている男。体力の差は歴然である。

 視界がさらにぼやけてきた。疲労感だけじゃない……恐らく、目覚めが近いのだろう。

 夢は寝ている時にしか見ない。目が覚めてしまえば夢は見られない。

 夢の中の優愛が剣を握り直して、次の一手の為の一歩を踏み出した刹那―――視界は完全に遮られて何も映さなくなった。


【切断】



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