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D.H.  作者: yua
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ACT 5-3



 優愛が絵を描くとき、ベッドの上に腰を掛けて、リラックスした状態で描く事が多い。今日は、ジンに加えて悠里までいるので少し緊張しているようだ。筆持つとき、いつもより力が入ってしまい、描き始めを何度か失敗してしまった。

 テレビはBGMになっているが、今日は悠里の話を聴く為に少しボリュームを下げた。ジンは壁に背中を預けつつ、胡坐を掻いてリラックスした体勢で話を聴こうとしている。

 悠里は紅茶を一口含んで、視線をテレビに向けている。……話はまだ始まらない。部屋には、優愛の絵を描く音だけが響いている。

 静かな空間は好きだが、このように他人が居るのに静かな空間は逆に怖くなってしまう。腹の内に何を抱えているのか、口に出して居ないだけでも、恐怖である。

 悠里はテレビに視線を向けて、クッキーをつまみながら紅茶を飲んでくつろいでいる。その様子を苦笑しながらジンが眺めている。優愛は絵に集中する。本当に彼女はなにしに来たのか解らない。このままでは、ただ我が家にくつろぎに来ただけなのではないのだろうかと思ってしまう。

 他人がこんなに自分の部屋に居る事などなかった……ジンの時にも思ったと云うのに、さらにそこに魔女も加わって、もはや訳の解らない状態になっている。

 いつも通り筆を握っているのは、自分だけ。いつもと変わらないのは自分だけだ。部屋の様子、散らかり具合も、いつもと違ってしまっている。

 ……優愛が筆を置いて絵の全体的なバランスを確認している頃合になって、ふと、悠里がこちらを横目で覗いているのが解った。カンバスに顔を隠して、下を向く。自分が絵を描いている姿を見られるのは苦手である。

 カンバスに顔を隠したのも、相手からの視線を遮って、自分の世界に入る為だ。

「昨日の話よ」

 突然、話が始まった。

 いつまで経っても始まらないので、ジンは多少船をこぎ始めていたが一気に現実に戻された。優愛の方を一度見て、ジンは話途中だと云うのにおもむろに立ち上がって、台所のコンロに火をつけた。

 コーヒーでも入れるのだろう。優愛は、ジンの姿を視界の隅に捉えて、棚の中からインスタントコーヒーを取り出す彼を見た。

 それはともかくとして、悠里の話に意識を戻す。

「『心象』の戦いを開会する宣言が、観測者によって行われた。つまり、わたしね」

 口調はまだ優しい。あの口調の人格が出て来ない。

 逆に、こう云う話はすべてその方の人格に聴いていただけに、優しい方の彼女が〝外れた〟話題をしているのに、また違和感を覚えてしまった。

 違和感。

 そう、違和感だらけの今だ。

 なにをするのにも、付きまとう。

「心象は基本的に、この開会の儀式が終わらないと、戦いを始めてはいけない約束ごとがあるの。……まぁ、フライングしたのも居たんだケド……」

 ちらりとジンの方を見る。あれは不可抗力だ。寧ろ、フライングした人間が襲ってきたので、ジンが対応したに過ぎない。

「で、最後の参加者が決まった。優愛ちゃん、アナタが『心の剣』に選ばれたタイミングは、残り参加者二名の空きがあっての目覚めだったの。

 でも……アナタの参加が出た時点で、戦いの参加者は揃ったわ。恐らく、同時だったのか、それともアナタが『セカンド』と『キャッチャー』から逃げている間に目覚めたのか……」

 戦いが……始まる。

 彼女はそれを告げにきた。

 絵を描く手が止まり、震える。筆についた絵具が、床に、ベッドのシーツの上に、垂れていくのが解る。優愛自身の脚の上にも絵具は垂れていくが、今はどうでもよかった。恐怖と云う圧倒的な感情が、彼女を支配している。

「わたしが来たのは、その開会の儀式に参加しなかった参加者に対して、それを告げに来たって事」

「…………っ」

 そもそも、そのような儀式がある事すら知らなかった。悠里が気を利かせて教えてくれなかったのか、それとも……

「戦いは、正直今すぐにでも始まっても問題無いと思う。まぁ、わたしがここに居る間は誰も仕掛けて来ないでしょうけど。

 けど、そのときになって、アナタがそのまま何もせず死んでしまうのは、ちょっとアレだし」

 死ぬ。

 当たり前に発せられた言葉。現実世界では中々聴く事のない用語に、優愛は震えた。

 いや、よく耳にはする。戦争と云う概念が遠のいた、他人と云う存在が遠のいたこの現代において「死」と云う言葉は既に麻痺しているものだ。誰もが、気に入らない何かに対して軽々しく口にする用語だ。

 冗談ではなく、真なる意味での「死」。優愛が目の当たりにしているのはそんな用語だ。

 決して他人事ではなく、自分の身にも降りかかってくる最悪の自然災害であり、人災害でもある。そのどちらでもある今回の心象は、優愛にどうしようもない現実を突き付けてくる。

「覚悟はしておいてほしいの。正直、自分の意思でどうにもならない事も解ってる。アナタはたまたま、そのときの条件に合致していて、たまたまその素質を持っていただけなのかもしれない。けど、紛れも無く『心象』に……『剣』に選ばれた人間だと云う事は確かなの。

 勿論、心の剣を失えば、戦いには参加できなくなるし、敗北と云う事になる。アナタが死ぬ事は、そう言った意味では確率は低いかもしれない。だけど、死ぬ事もある―――と云う事だけは覚えておいてね」

 筆を動かす。

 手は震えるが、これ以上、自分の心を、普通を壊さない為に……ただ、一心不乱に筆を動かす。

「まぁ、わたしの情報によると、心強い味方をひとり引き入れたみたいだし、少しは安心かな」

「……お見通しか」

 その言葉にはジンが答えた。どうやら、優愛と星野ユウスケ―――『セカンド』―――が手を組んだ事を既に知っているらしい。昨日の話だったと云うのに、もう知っているとは恐れ入る。

「これでも『観測者』なんで。色々と、あなたたちが知らない何かを使ってるってこと」

「物事を観測する事は……特権、と言う事か……」

「ご名答。勿論、すべてを知っているワケじゃないし、すべてを観測できるワケでもない。わたしにも〝限界〟っていうものがある」

「『魔女』なんだろう? 普通の魔法使いとやらと違って、不老不死で、常人を越えた存在なんだろう?」

「……わたしたち『魔女』は、自分たちよりも格下の存在ならどうとでもなるわ。それは、この宇宙全体でも通用する法則。魔女よりも格上の人類だって、時にはいるわ」

 ジンは胡散臭そうなものを見る表情で悠里を見て、その後、怯える優愛の方を見た。

「魔女、アナタは味方か? 敵か? どちらだ」

 恐らく、今一番意味のない問い掛けだ。

「わたしは、誰の味方でもないし、公平な存在。魔法使いであり、魔女であり、観測者であるわたしに課せられているのは、そう言う立場なの」

 どっちつかず。一番、扱いに困る立場である。

 しかし、ジンはもう決めている。

「……僕にしてみれば、明確に彼女の味方でない限りは味方だとは思っていない。彼女は、キミを頼りにしているようだけど……」

 優愛はそれに対しては何も言わない。ただ、顔面蒼白のまま、手を動かしている。まともな絵を描けているかどうかは、こちら側では見えないので何とも言えない。

 魔女と言う存在や、魔法使いと言う存在がどのようなものなのか正直ジンには解りかねる。そう言った、人間を遥かに凌駕した存在に対する知識はない。それは恐らく、優愛の常識の範疇で存在が定着されているからかもしれない……彼女に都合の良い知識はつけられているが、本当にあるかどうかも解らないものに対しては機能していないのではないのだろうか……?

 曖昧な部分だが、解らないものに文句を言っても仕方がない。

「まぁ、お話はそんなところ。もっと詳しい話は正直時間の無駄だと思うし、優愛ちゃんが知りたい事じゃないと思うから割愛するね」

 他にも隠している事がある、と公然と宣言している。

「だって、優愛ちゃんは別に魔法使いとか、魔女とかの話を聴きたいワケじゃないでしょ?」

 優愛は、頷く。

「本当に今日は、アナタにこの話をしにきただけなのよ。まぁ、時間については謝るけど、ちゃんと起きてたでしょ?」

 こちらの生活までも把握しているようである。それもまた観測者としての能力なのだろうか。それとも魔女としての能力なのか……

 訳が解らなくなってきた。ジンは額に手を当てる。

 魔法使いと魔女、観測者。この山田悠里と言う人物に課せられた役職が多過ぎて、どれをどのような目で見ていいのかが解らない。現状では「とにかく、ワケの解らない特別な存在」と云う認識である。

 ……それっきり、話は終わった。本当に、それしか話す内容を用意していなかったのだろう。テレビの方に視線を向けて、また紅茶とクッキーに手を出し始めた。

 ジンはテレビの方を見る事を辞めて、視線を下に落としている。何かを考えている。

 優愛はと言うと、話がひと段落して、落ち着く時間を得た。手の震えはようやく止まり、そのせいでおかしくなってしまった絵の箇所を治す作業を経て、ようやく一枚の絵を完成させた。今回はそこまで時間もなく、手の込んだものでもないので、比較的短時間で終わった。

「出来ました」

 テレビ番組がCMに入った瞬間を見計らって、優愛は悠里に自分のカンバスを見せる。

 そこに描かれていたのは、写真に写っていたマリネと呼ばれる黒猫であった。ある程度のアドリブが加えられており、写真の方では単に黒猫が座っているだけの場面だったが、優愛によって尻尾の位置や、見えない体のラインなどが付きたされた。

 悠里はその絵を見るなり顔を輝かせて、そのカンバスの周りをぐるぐると回り始めて、最後に、また正面に立った。

「……あれ?」

 気づいたかのように、首を傾げた。

「ねぇ、この絵に、優愛ちゃんのサインが入っていないんだけど?」

「……えっ」

 思わぬ質問に、優愛は声を上げた。

 サインとはつまり、あの有名な画家などが自分の作品の端に自分が描いた証としてするものだろうか。

 確かに、学校の課題などを提出するときは自分の名前の書いた青色のカードを添えて提出するが、絵に直接自分の名前を描いた事などなかった。

「ここら辺に書いて欲しいなー」

 絵の右下ぐらいを指で示す。

「……良いですよ」

 断る理由などはなく、ただ今までそんなもの書いた事もなかったので驚いただけである。

 自分の描いた絵など、恐らく、何十倍も上手く他の人が描ける。同じような絵を、誰だって描ける。だから、自分が描かなくてもいつか必ず、自分と同じような絵が作られる。そんな気持ちで絵を描いている事もあり、優愛はサインなどはしていなかった。

 人生で初めて、自分の描いた絵に直接サインをする。緊張はなかったが、どのように書けばいいのか多少戸惑った。

 小さく、絵の右下、悠里に示された箇所の当たりに「You;A」と描いた。悩んだ末に、これが良いと思った。

 悠里はそれを見て何か言いたそうな顔をしたが、それを口にする事はなかった。すぐに笑顔に戻り、満足そうに頷いた。

「ありがとう! 大切にするわね!」

 自分の絵をまじまじと観察しつつ、笑顔を見せる悠里を見ると不思議な気持ちになった。その気持ちがどんなものなのかは……解る気がしたが、心の奥底に押しこんだ。今、この感情に浸るのは間違いだと思ったからだ。

 テーブルの上に置かれた紅茶の残りを一気に飲み干すと、悠里はカンバスを抱えて玄関の方に歩いて行った。

「それじゃ、わたしはもう行くねー。紅茶、美味しかったわ。あと絵もありがとう」

 こちらの言葉を聴く間などもなく、部屋から出ていってしまった。

 結局、自分のやりたい事、言いたい事だけ言って去って行った。

「……魔女と言うのは、皆あんななのかな……」

「…………さぁ」

 そればかりは、是非、本人に訊いてもらいたい。


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