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6/6

6 やっぱりどこか抜けている。


 私はカーテンを開け窓へ目をやると、七色の欠片が空から降り注いでいるのが見えた。

「何の音!?」

「俺の張った結界が壊された」

 ベッドから慌てて服を整え二人で飛び起きた。

「え、結界が壊れたの? じゃあ魔獣が襲ってくる!?」

 焦る私に、レインが否定をする。

「いや、魔獣じゃない。これは、人間の魔法使いの仕業だ」

「!?」

 結界は対象と強度が同じものが接触すると、共鳴を起こし壊れるのだとか。

 この破壊のされ方がそれを物語っているとレインが説明をしてくれる。

 レインが張ったのと同じ強度の結界をぶつけられるのは、複数人か上位の魔法使いが来ている証。

 少なくとも魔獣たちによって壊されたわけではない。

 結界はかなり広く張られていたから、壊した相手はまだ近くまでは来ていない。


 外へ出て森が騒めいている方向へ目を向けた。

 まだ薄暗い東側の森の端が赤く照らされ、時折炎が舞っている。


「何あれ」

「まさか、森を焼いているのか? 馬鹿な」


 過去にここを開拓しようとした貴族が森に火を放った。

 最初は順調に思えた開拓だったが、範囲が広がるたびに魔獣の出現率が増していった。

 そして森の奥へ進み、対処しきれないほどの魔獣が開拓者たちに襲い掛かり数日後には部隊が壊滅。

 その後棲みかを奪われた魔獣たちの怒りが収まらず、徒党を組んで人里へ押し寄せる事件が起きる。


 怒り狂って暴走した黒の森の魔獣たちは近隣の人里を飲み込んだ。

 それだけでは収まらずさらに開墾を企てた黒の森へ面していた貴族の領地へ向かい、全てを更地にしてようやく事態は終息した。



 百年以上昔の話だが、未だにそれは教訓として語り継がれている。

 黒の森へは手を出すな。

 子供に親が必ず語って聞かせるその話を知らない人間はいない。


 その禁忌を侵している者がいる。


 どんな理由があっても許されない。


 風魔法を利用して上空へ上がったレインは、慌てた様子で降りて来た。


「火の手は真っ直ぐこっちへ向かってくる」

 レインが張った結界を見て、こちらの方向に狙いを定めたんだろう。

 広範囲というよりは、一直線に道を作るよう森を焼いている。

 ならば開拓が目的ではない。

 ……狙いはレインか私。

 

 今すぐ家をしまって逃げてもいいのだけれど、もしも私たちのどちらかが目的なら見つかるまで森を燃やし尽くすかもしれない。

 そうなってしまったら火事の規模に応じた災厄級の魔獣の暴走が起こる。

 下手をしたらこの国がなくなるかもしれない。


 どれほどの命が犠牲になるのか想像もつかない。

 そう思ったら血の気が引いて行く。


「どのくらいで到着しそう?」

「このままだと半日後、昼過ぎにはここに来る」

 ここまでかなりの距離がある。半日も森を焼かせるわけにはいかない。

「様子を見に行きましょう」

「君は残っ……」

「一緒に行くわ」

 残れと言おうとした言葉を遮ると、私の目を見たレインが諦めたようにため息をついた。

「はぁ、分かった。ナディアは言い出したら聞かないから」

「どの口がそれを言うのかしら?」

「痛い、痛いよ。頬を引っ張らないで」

 頬を片手で引っ張りながら横からしがみ付くと、止めてという割に嬉しそうなレインが風魔法を発動する。

「ナディアに抱き着かれるのは嬉しい」

 デレデレと頬を緩めるレインに、私は緊迫感を持ちなさいと叱りつけた。

「緊急事態よ、気を引き締めなさい」

「分かってるよ、君を傷つけるわけにはいかないからね」

 真剣な表情になったレインは私の腰に腕を回し、あっという間に屋根の高さまで浮かび上がった。


「やっぱり魔法は便利よねぇ。魔道具でも空を飛ぶ道具を作れないかしら」

「ナディアはいつでも魔道具の事ばかりだな」

「だって、私は魔具師だもの」

「ナディアらしい」

 私たちは笑いあった後、表情を引き締めて炎が上がる先を目指して空を飛んだ。




 火事の元に近づくと煙が体に纏わりついてくる。

 風魔法に阻まれて私たちに届くことはないけれど、地面に降りて歩いたら風向きのせいで燻されていたかもしれない。

 煙に隠れ慎重に様子を伺うと、何人もの魔法使いが見えた。

 乱雑に火を放つ者と、森の奥へ向かって風を吹かせる者がいて、効率よく炎を広げている。

 火は風に煽られ見る間に燃え移り、木々が焼け倒れていく。

 後ろには兵士がいて森から出て来る魔獣を倒していた。

 距離を空けてついてくるさらなる一行もいて、総勢で百人はいるかというような大所帯。

 森の外から横幅十メートル以上の道を拓き徐々に奥へ進行している。


 開拓というよりはやはり思った通り、奥へ進むことが目的のようだ。


「森の奥へ行きたいのなら普通に入ってくればいいのに、なんでこんな……」

「火の広がりが早い。これ以上は中級以上の魔獣が棲む領域に入る。ただでは済まないぞ」

「早く止めなきゃ」

 今侵入者の前に現れているのは小型ばかりだが、いつ私が最初に私を襲ったサーベルタイガーのような大型魔獣が出てくるかわからない。


「止めよう」

「ええ!」

 私が魔道具で透明な盾を張り煙の侵入を防いで、レインの風魔法で焼ける森の上に躍り出た。


「火を放つのはよせ! 魔獣たちが暴走するぞ」

「知らないわけないわよね!」


 突然現れた私たちに驚き、ざわつく集団。

 もしかしたら何も知らない他国の者かと思ったが、会話は聞き慣れた言語だった。

 この国の者ならこの森を焼く愚かさを知っているはずなのに、こんな暴挙に出るなんてイカれてるとしか思えない。


 そう指摘をするがざわざわと騒ぎが広まっていくだけで森を焼くことをやめない。

「森を焼かないで!」

「早く火を消せ!」


 兵士と魔法使いは私たちを一瞥した後、ただ黙々と森を焼き続ける。

 

 突然現れた私たちを攻撃する気はないらしい。


 だったら先に火を消してしまおう。


「レイン、説得は無駄みたい。先に火を消しましょう」

「うん、その方がいいね」


 レインが風魔法で私たちの体を空中に固定したまま水魔法を使う。

 火の上には平たい水の塊が浮かび、そこから絶え間なく雨を降らせる。

 私も腰を抱くレインに体を預け、魔法鞄から散水ノズルを模した魔道具を取り出した。

 そして噴射レバーを握って水を撒き、火を消していく。

 周囲にも盛大に水撒きをして、魔法使いも兵士も含めて辺り一帯を水浸しにした。

 これなら全てが湿気ってもう火をつけられないはずだ。


 豪雨さながらの水撒きに燻っていた炎も全て鎮火して、炭化した木の残骸がわずかな蒸気をあげるだけになった。


 森の奥では魔獣たちのざわめく気配がして、もう少し遅かったら襲い掛かっていただろう。

 そして全てを倒しても気が収まらない彼らは、人の街を蹂躙しにいったはずだ。

 危ないところだった。


 私とレインは顔を見合わせほっと胸を撫で下ろした。


 そんな私たちの足元で兵士の一部が慌ただしく動き出す。


「目標発見。旦那様と奥様へ報告しろ」

「伝令ー!」

 兵士たちが走っていく先には、明らかに質が違う装備を纏った騎士たちがこちらへ向かって進んで来るのが見えた。

 全員馬に乗り旗やマントにはその存在を誇示するように家紋が掲げられている。


「レインさん」

「なんだい? ナディア」

「あの騎士団の紋章。お宅のものでは?」

 商売で何度か目にした貴族の家紋。

 あれは間違いなくカリオグラ公爵家のものだ。

 レインもそれに気づき顔を青くしている。

「どうやらお迎えがいらしたようですね」

「はい、そのようです……」

 自信満々に大丈夫だと言い切った後、速攻フラグ回収だなんてレインらしいといえばらしいか。

 私は小さくため息を吐いた。

「何がもう探してないよ。来てるじゃん」

 それ見たことかと顔を見れば、レインは心底分からないといった表情で首を傾げる。

「だってもう五年だよ?」

「まだ、五年よ」

「そんな……。だって俺の葬式したのに?」

「葬式と諦めるは別問題でしょう」

「えー……」

 そんな会話をしていると焼けて開けた場所に装甲馬車が入って来た。


「まさか、馬車が通るために森を焼いたのか?」

「歩きなさいよ……。お宅ではどういった教育をなさっていますの?」

「いやはや、なんとも非常識で申し訳ない」

 恐るべし、お貴族様。

 自分たちの為に災厄が起こるある森を焼くか……。

 通るだけならオッケーとでも思ったのか? 勝手が過ぎる。

 呆れて言葉も発せないまま、近づいてきた馬車を見下ろす。


 自分の利益の為手段を選ばない貴族は多い。公爵家ともなればやりたい放題だろう。

 けれど、これはやってはいけない悪手中の悪手だ。



 やがて馬車から降りて来たドレスのご婦人が上空を見上げ、レインの姿を見つけて顔を輝かせた。


「レイン! 生きていたのね、信じていたわ」

 濡れて足場の悪い地面によろけながら、演技がかった仕草でレインへ向かって手を伸ばす。

 続いて馬車から降りて来た紳士も厳しい顔をしながら空を見上げる。

「生きていたならなぜ帰ってこない」

 涙を流しいかに自分が心配をして可哀そうだったかを訴える夫人。レインに教育のし直しだ貴族の義務だと偉そうな紳士。


 お互い自分の言いたいことしか言わず、家がどうのとか、貴族としてどうのとかそんなことばかり。

 そして公爵家に戻り貴族の義務を果たせと、二人ともそこに結論が棄却する。

 それこそがレインの生きる道だと信じて疑っていない。


 どうやって暮らしていたのかとか、何故ここに居るのかなどの問いかけは一つもない。


 レイン自身の気持ちなんて、この人たちには興味がないんだ。


 それに気付き、私は何とも言えない気持ちになる。


「レイン、あなたのご両親ちょっと薄情じゃない?」

「うん、そうなんだよね。ずっとこの調子なんだ」

「……まぁ、心中察するわ」

 虚無の顔で自分の両親を見下ろすレインの背中を慰めるように撫でる。

 凄いわ、表情筋が死んでいるじゃない。

 あなたそんな顔も出来たのね。


 あまりに身勝手な言い分に、一瞬ここにいるのはレインじゃないと言い張ってやろうかと思った。


 けれど私はじっとレインの顔を見て、諦めた。

 こんな輝くイケメンでは誤魔化せないじゃない。

 これは見間違えようもない唯一無二の美貌だ。

 美しさって罪だわ。


 腰ミノ髭もじゃのままだったら違うと言い張れたかもしれなかったのに。


 そして私の存在丸無視。

 何だかなぁとは思うけれど貴族ってこういうものよね。

 ある程度の身分を持っていないと人間として扱わない。

 養父母があれほど爵位に拘った理由はそれなんだ。

 だからと言って私が犠牲にならなきゃいけない理屈はないけど。


 このまま喋らせていても埒が明かないと、レインは渋々口を開く。


「俺の葬式はあげただろう。もう俺は死んだ人間で、公爵家とは無関係だ」

「籍は残してあるわ」

「すぐにでも戻れる。安心しなさい」


 即答されたその言葉に私は肘でレインの横腹をどついた。


「こら、レイン。何が大丈夫だ?」

「ごめん~。まさか葬式あげてるのに籍残してるなんて思わないよ」

 情けない顔をして横腹を庇う仕草をするレイン。

 大げさね、そんなに痛くなるようにはしてないわよ。


 レインがここに居ることが発覚した原因に一つ思い至ることがあった。


「前に街へ行った事があるって言ったよね?」

「うん」

「その時どんな格好で行ったの?」

 変装をしたとは言っていたけど、レインの事だ信用できない。

 何かやらかしている可能性の方が高いに決まってる。

 この男、優秀だがどこか常識が抜けているところがあるんだ。


「服はないから適当に拾ったぼろきれを体に巻いたよ?」

「ああ、腰ミノではいかなかったのね」

「俺をなんだと思ってるの? 森の中だったからあの格好をしてただけで、人前に出る時は一応考慮するよ」

 遺憾ですという表情で私を見る。

「その時、顔は隠した?」

「え? 髪も髭もそこそこ伸びてたし、そのままだけど?」

「このおバカっ!」

 魔法鞄から取り出した即席ハリセンで思い切り頭を叩き流れるようにしまった。

 ハリセンが放つ聞きなれない破裂音にその場に居た全員がびくりと体を竦ませる。

 今までは遠慮していたけれど、恋人になったからにはビシビシと突っ込みを入れていく所存。

 その意思表示のハリセンだ。


「シリは出しても頭と顔は隠しなさい! あなたの顔は目立つのよ」

「別にどこにでもある顔だろ。それよりお尻は隠すよ。恥ずかしいじゃないか」

「腰ミノの時は丸見えだったわ」

「言ってよ、恥ずかしい」

「面白かったから黙ってた」

「ナディア酷い!」


 自分の顔がどれほど目立つか、生まれたころからその美貌と付き合って来たレインには分かっていないようだ。

 下を見れば夫妻も整った顔立ちをしているし、周りもきっとあんなキラキラな容姿の者ばかりだったんだろう。

 レインが事故にあって、公爵家が葬式を上げるまで一年。

 一年ではまだ髭も髪も中途半端な長さで、美貌は完全には隠せていなかったはずだ。

 この美しさと培われた気品は、ボロを着たところで、いやボロを纏ったことでむしろ悪目立ちしたに違いない。

 それが噂にならないわけがない。

 そして情報が回りまわって公爵家に届いたとしても不思議じゃない。


 遺体もない状態で行われた葬式。

 もしかして生きているかもと希望を持ち、死んだはずの息子の籍を消すことが出来なかった。

 そしてきっと国中を探して、見ていない場所はもうここしかないと黒の森へやってきたんだろう。

 諦めることを知らないレインへ対するあまりにも重苦しい執念と執着。


 その恐ろしい偏執はついにレインを見つけ出した。


 ってところだろうか。

 どっちにしろ、レインが迂闊なことをしなければ見つかることはなかった。


「レインは詰めが甘いのよね」

「うっ……、ごめん」

 眉を下げて申し訳なさそうな顔を見ると意地悪する気も失せてしまう。

「今更言っても仕方ないわ」

「ナディアっ!」

 許されたのを感じたレインが嬉しそうに私を抱きしめる。


 人目を憚らずイチャイチャしていると、下の方から金切り声が聞こえた。


「あなたは何なの!? レインに気安い口を利いて!」

「その小娘はなんだ! お前は相応しいご令嬢と結婚してカリオグラ公爵家を継いでもらわねばならん!」


 あ、やっと私を認識したんだ。

 散々無視した挙句、ゴミを見るような目で見られるのはさすがに腹が立つ。


 私は見せつけるようにレインへしなだれかかった。


「何って……、何かしら? レイン?」

 とぼけた口調で言いながらあなたが言って差し上げてと顔を見ると、レインは満面の笑みで私の腰を抱き寄せた。

「俺の恋人だけど?」

「どういうこと!?」

「お前の相手はこちらで決める。そのような貧相な小娘など比べ物にならないご令嬢たちだ」

「そうよ、お母様が一緒に選んであげるからね」


 相変わらず同じ言語で話しているのに会話にならない。


「はぁ……」


 レインは私の腰を抱いたまま大きなため息をついた。


「もう、うんざりだ。家は兄さんたちがいるだろう? 二人もいるのに何で今更俺が必要なんだ!」

「お前は高貴な血を持つ貴族なんだぞ。その血は同じ濃さの血と混じり繋いでいかなければならない」

「そうよ! あなたの子はきっと優秀でしょう? お母様が立派に育ててあげます」

 ようは誰よりも強い魔力を宿すレインの血が欲しかったということか。

 魔力が高いほど貴族としての格が上がる。

 上の二人の兄たちより優秀なレインは、この人たちにとって手元に置いておきたい駒なんだ。

 子供は親の便利な道具じゃないのに。

 


「俺がどれだけ心を殺してあの家に居たと思っている。何度も言ったはずだ、俺は家を出たいって!」

「あなたはカリオグラ公爵家の者なの。何度も逃げ出したあなたをそのたびに連れ戻すのは大変だったわ。あんまり我儘を言わないでちょうだい」

「貴族には貴族の義務がある。それを投げ出そうなどとは嘆かわしい。帰ったらもう二度とお前を屋敷から出さない」

 相変わらずレインの言葉を聞こうとしない。一事が万事全てこんな感じだったのだろう。

 自分たちの考えこそ正しいと言い募る公爵夫妻にレインは大きくため息をついた。


「子供を残す事が義務なら、俺はナディアと子供を作る」

「そんな貴族でもない女の子供なんて認められるわけないでしょう!?」

「血筋のいい令嬢なら見繕ってある。そんなのよりずっと素晴らしいぞ」

「ナディアはそんなのじゃない! 俺はナディアじゃなきゃ嫌だ」

「それほど言うのなら妾として連れてくることを許してやる」

「あなた!? 何を言うの」

「お前は黙っていろ。レインを連れて帰れさえすれば、あんな小娘どうとでも出来る」


 もしもーし、丸聞こえなんですが……?

 レインが戻るって言って一緒に私も同行したら殺されるやつじゃん。


 あからさまな嘘と殺意に恐怖よりも呆れてしまう。

 私はため息をつく程度ですんだけれど、腰を抱くレインの腕が怒りで震えているのに気付いた。


「いい加減にしろ! レイン・ル・カリオグラは死んだ! もうそいつはこの世に居ない」

 怒鳴りつけられ、驚き固まる公爵夫妻。

 生まれて初めてレインが向ける本気の怒気に、夫妻は気圧され言葉を失う。


 レインの周りには怒りの為魔力が雷のように渦巻いて、公爵夫妻の足元へバチバチと叩きつけられている。

「きゃぁ……!」

「レイン、やめなさい……っ!」

「黙れ!!」

 声と同時にひときわ大きな雷が夫妻の足元に落ちて地面に穴を開けると、悲鳴を上げることも出来ず地面にへたり込んだ。


「俺の話を聞け」


 怒りを湛えたままレインは、両親を睨みつける。


「ここにいるのは、レイン・ル・カリオグラではない」


 そして大きく息を吸って、私の体を深く抱きしめレインは高らかに宣言をした。


「俺は、レイン・ノリス・コシミノだ!」

「ぶはっ……っ」

 レインが名乗った名前に私は溜まらず吹き出した。


「は?」

「コシミ……?」


 ぽかんと口を開けて空を見上げる公爵夫妻。おそらく貴族らしからぬ表情ってやつをしてるんだろう。

 見ているだけで笑いが込み上げる。


「ここにいるナディアを伴侶として新しい家を興して生きていく!」

 私を抱きしめながら力強く言い切る。

 風魔法でも使っているのか、声は森中に響き渡り騒めいていた魔獣すらも静かになった。


 公爵夫妻を始め騎士や魔法使いも呆然と見上げている。

 そんな中レインの達成感で満ち溢れた顔を見て、私だけが笑いを止めることが出来ない。


「こ、コシミノは……ひぃ」

「いいだろ? 俺たちの出会いの証だし」

 したり顔のレイン。それがさらに笑いを誘う。

「ふふふふ、あはははは、レインってば本当に……っ」

 おかしいのもそうだけど、これほどはっきりと私がいいと言い切ってくれるレインに胸がすく。


「レイン、これを使って」

 魔法鞄から四角が複雑に絡み合った幾何学的な形の金属が絡み合う魔道具を取り出した。金属の中心に拳ほどの真っ青な魔石が嵌っている。

「これは?」

「この魔石に名前を刻んだ人物を記憶から消去する魔道具」

「何それ、最高」

「ふふふ、こんなこともあろうかと用意しておいたのよ」

 こんな風に追手がやって来た時、レインが私を選んでくれるなら使おうと思って作ったもの。

 いつか、来るべき時が来たら使おうと思っていた。

 それがこんなに早く日の目を見るなんて、元凶の公爵夫妻が現地までやってきてくれたのはラッキーだった。

「すぐ使おう」

 使い方を教えて欲しいと急かすレインに私は待ったをかける。

「凄く魔力を消耗するわよ。もしかしたら魔力を無くしてしまうかもしれない」

「ナディアと共に生きていくためなら魔力なんてここで失っても惜しくない。それに魔力がなくなったら魔道具の作り方を教えて欲しい。二人で魔道具を作りながらここでずっと一緒に生きよう」

「レイン、あなた最高ね」

「惚れ直した?」

「ええ!」

 軽口をたたき合いキスをすると、下で公爵夫妻が言葉にならない何かを叫ぶ。


「ここに書けばいいの?」

 青い魔石の中心部分を指さすレインに私は頷いた。

「魔力を込めて指を当てればいいから」

「わかった」

 すぐ指先に魔力を集中させ文字を書いていく。

「レイン・ノリス・コシミノ、と……」

 魔法で文字を記していくレインの顔を見る。

「本当にそれ、名乗るの?」

「名乗るよ。さぁ、ナディアも」

「え、私も?」

「ついでに君のことも忘れて貰った方がいいだろ」

「確かに……」

 私も指先に魔力を灯しナディア・ノリス・コシミノと名前を書いた。

「これで私もコシミノか……」

「お揃いだね!」

 嬉しそうなレインの顔を見ていると、これでいいかと思えてしまうのが本当に恐ろしい。


 二つの名前が書かれた魔道具を二人で持った。

 この魔道具は触れている人間以外から、この名前を持つ人物に関する記憶を全て消し去れる。

 私は思い切り空気を吸い込んで発動の言葉を唱えた。

「消失、消滅、雲散霧消! 消えろ、跡形もなく!」

 眩しい光が辺りを照らす。

 時間にして十秒ほどだろうか。

 光が収まると兵士たちが騒めきだした。


「わたくしたちはなぜこのような場所へ来たのかしら?」

「なんてことだ。ここは黒の森じゃないか!」

「まぁ、ドレスが泥だらけじゃない」

「それどころじゃない、治癒魔法使い! 焼けた森を可能な限り元通りにしろ。全軍撤退!」

 慌ただしく魔法使いが動き出し、治癒魔法使いが燃やした森の再生を始める。


 もう誰も空を見上げることはない。


 森の魔獣たちは未だざわついているのを感じる。

 帰り際報復のように襲われても、そこは自業自得だと諦めて頑張って逃げ切って欲しい。


 時々魔獣に襲われながらも、やってきた一行は一目散に黒の森から逃げて行く。

 そして時間差で効果が表れて来た治癒魔法によって森は再生して元の姿を取り戻した。


 全てがほぼ元通りになった頃には、私たちは夕日に包まれていた。


「……終わったかしら」

「うん。やっと、終わった……」

 私を抱きしめながらレインは安堵の息を零した。


 養父母は自分の命とお金の方が大切な人たちだから、仮に私がここに居ると知っても探しに来たりしない。

 もう誰にも邪魔されることはないんだ。


「終わったね」

「ええ、でもまだ森がざわついているわ。大丈夫かしら」

 いつもより魔獣たちの鳴き声や走り回る足音が聞こえる。

「今から俺がブラックドラゴンに謝って来るよ。だから魔獣は暴走しないよ」

 自信満々に言い切るレインに私は首を傾げる。

「前から思ってたけど、気軽に鱗貰ってきたり、生え変わった牙や爪を貰って来てくれるけど何で?」

「え、友達だから?」

「ブラックドラゴンと? 黒の森の主でしょ?」

「うん、あの湖に棲むときに縄張り争いしてさ」

「縄張り……」

「引き分けたから譲ってくれた」

「……へぇ」

 もはや何と言っていいのか分からない。


 相変わらず私の常識では測れない人だわ。


「でもわざわざ行くまでもないかもねほら見て」

 レインが森を指させば、上空をゆっくり飛ぶブラックドラゴンが見えた。

 そして悠々と空を旋回してみせると、ざわついていた魔獣たちの声が引いて行き静かになる。

 レインが右手をあげて手を振ると、こちらを一瞥して山へ帰って行った。

「ね、大丈夫だろ?」

「うん」

「俺たちはずっと一緒に居られるよ、ナディア」

「そっか、これで……」

 これで私はもう愛する人と引き裂かれたりしないんだ。


 安心したら体から力が抜けて、意識が勝手に閉ざされていく。


「ナディア!?」

「……よかった」

 嬉しい。やっと願いが叶うんだ。


 心配そうなレインの顔に大丈夫だと答えながら意識を失った。







 懐かしい夢を見た。

 前世のあの人が私を迎えに来て、一緒に生きようと手を差し伸べてくれる。

 私は喜んでその手を取って彼の名前を呼んだ……。





「……ディア、ナディア」

「……」

 水滴が頬に落ちる感触に目を覚ます。

「レイン……?」

「! ナディア、よかった。目が覚めた」

 目が覚めたら自宅ベッドの上だった。

 この疲労感は魔力欠乏状態によるもので、体の脱力感からかなり酷い物だったことが分かる。

 何か大量に魔力を使うことをしたのだろうかと考え、思い当たった。

「あ、そうか」

 ノリで忘却の魔道具に私の名前も書いちゃったけど、あれ滅茶苦茶魔力を吸うんだった。

 うっかりしてた。

「三日も目が覚めなかったんだ」

 よかったと私の手を握り涙を零すレイン。

 それを見ているだけで愛しさがこみ上げる。

 右手を伸ばしレインの頬を撫でて涙を拭う。

「レインは泣き虫ねぇ」

「俺、ナディアがいないと生きていけないんだ……」

「知ってるわ」

「もう、君を失いたくない」

「まるで一度私を失ったみたいないい方ね。私は死んでないわよ」

 冗談を言って笑った私はレインが放つ次の言葉に声を失った。

「いいや、一度失ったよ。那美」

「……!?」

 突然レインの口から出て来た前世の自分の名前に、思考が止まる。

「君は、那美だろう?」

「な……、え、なん……!?」

 前世に置いてきた私の名前を、なぜレインが知っているの?

「どうして……? レインが」

 私の反応で確信を得たのか、レインが愛しそうに微笑み私の頬を両手で包んだ。

 アイスブルーの瞳が、かつて見た優しい茶色の瞳と重なる。

「俺は、琉夏。西園寺琉夏だ」

「う、そ……」

 私が愛して心を残してきた人。

 

「君がこの森へ近づいたとき、ブラックドラゴンが俺の魂に縁があるものが来たって教えてくれた」

「ブラックドラゴンが……」

「その時の俺に前世の記憶はなくて、何のことを言われているか分からなかった。でも、言われて行かなきゃいけない衝動に駆られた」

 だからあの時ブラックドラゴンとレインが一緒にいたんだ。

「君の顔を見た瞬間、前世の記憶が蘇った。一目で那美だって分かったよ」

「……言ってくれればよかったのに」

「君には記憶がないと思っていたんだ」

 優しい手が頬を愛し気に撫でる。

「君に記憶があってもなくてもどっちでもよかったんだ。だって俺、君ならどんな姿でも愛せる自信があるから」

 もう一度愛した人と生きるチャンスが巡って来たって思った。

 前世と変わらないところを見つけて嬉しくなって、違うところを知って惹かれた。


 そうして那美を愛したままナディアも好きになった。


「ナディアのままでも愛してたけど、寝言で君は琉夏の名前を呼んでくれたんだ……」

 レインは私の手を取り祈るように両手で包む。

「君も、覚えているんだね?」

「ええ、覚えているわ」

「嬉しい、奇跡だ。こんな世界を隔てた場所で君に会えるなんて……」

 私もベッドから起き上がりレインの頬に手を添える。

「腰ミノ男に惚れるなんて私はおかしくなったのかと思ってたけど、あなただったのね……」

「君は俺だって知らなくても好きになってくれたんだね、嬉しいな」

 違う姿で会ってまた恋に落ちた。


 偶然でも運命でも何でもいい。

 私たちはもう一度ここで、あの時の続きをやり直せるんだ。


 見つめ合って、どちらともなく抱き合った。


 そして少しだけ体を離して至近距離で見つめ合う。



「那美、君を愛していた。俺は君と一緒に生きたかった。でも、家がそれを許さなかった」

「ええ、知ってるわ」

「弱くてごめん。守れなくてごめん」

 泣くレインを抱きしめる。

「いいの、あなたはあの後幸せに生きられたかしら?」

 私の問いかけにレインは寂しそうに笑った。

「君がいなくなった世界は酷く味気なくて、気づいたら独り身のまま年を取って、寿命が来た」

「何をしてるのよ。せめてあなただけでも幸せになりなさいよ」

「だって、君がいなかったんだ。君こそ、幸せになる前に死んでしまって! せめて幸せでいてくれたら俺だって……」

「そう、そうね」

 私たちは二人で硬く抱きしめ合う。

「那美、ナディア……。俺と一生一緒に居てください」

「琉夏、レイン、そうね。今度こそ、一生一緒に居ましょう。よろしくね」



 今度こそ、愛した人と一緒に生きて行こう。

 もうこの手を離さない。






end



 

おつきあいありがとうございました。


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