4 前世と今と……
「君の作る料理はおいしいな」
「そう? 普通の家庭料理だけど」
「なんだか懐かしい味がするんだ」
今日のお昼はオムライス。ふわトロのじゃなくて薄い卵焼きを乗せるレトロ版。
トロトロも好きだけど今日の気分はこっち。
ロック鳥という巨大な鳥が今日の成果だったので鳥料理にした。
ライスと名前がついているけど、実際は黒の森に生えている麦っぽい何かだ。
炊いたらお米っぽかったから庭にも植えて主食にしている。
オムライスの横には唐揚げと、すっかり定番になった家の周辺に生えている草サラダがドレッシングをかけて添えてある。
あの時は青臭さが強かったけれど、しっかり洗って水につけて灰汁を取ればちゃんとおいしかった。
「おいしい?」
夢中で食べ進める腰ミノへ声をかけると、手を止め顔をあげて笑う。
もじゃ髭に覆われているけれど表情がかなり読み取れるようになって来た。
「うん。俺は特に唐揚げが好き」
「腰ミノ、それ好きよね」
「凄くおいしいよ」
硬めの歯応えになるように厚めにつけた衣を、フォークで刺してザクザクと音を立てながら食べる。
衣は薄めだったり、木の実を入れたりしてみたけど、ザクザク衣が一番気に入って貰えたみたいだ。
私も好きだから食の好みが合うのはありがたい。
「胸よりモモの方が肉汁が多くて好みだ」
「胸もさっぱりしてて悪くないわよ」
「君が作ってくれるものは何でもおいしい。いつもありがとう」
髭もじゃの下で満面の笑みを浮かべる腰ミノ。
その髭の下の素顔を見たい気持ちは幾度となく浮かぶが、無理やり押さえつける。
「どういたしまして。これが健康で文化的な生活よ、腰ミノ」
「最高な生活だ」
満足そうな腰ミノを見ていると胸が一杯になる。
最初に会った時にはしゃがれていた腰ミノの声だが、一緒に暮らすようになって随分落ち着いた。
なんでも久しぶりに話をしたら喉が機能しなくなっていたんだそうだ。
三年も誰とも会話をしない生活をしていればそんなこともあるか。
すっかり元に戻ったという腰ミノの声色は耳に心地よく優しい。
「オムライスのおかわり、ある?」
期待に満ちた視線は私が用意していることを知っていてのおねだりだ。
「あるわよ。唐揚げも食べる?」
「食べる!」
頷く私に顔を輝かせて髭の奥で嬉しそうに笑うのが分かり、つられて笑ってしまう。
髭のせいで正確な年齢は分からないけれど二十台後半くらいなんだろうか。
けれど、私と接する腰ミノは子供みたいに甘えて来る。
そんな態度はちっとも嫌じゃなくて、むしろ可愛いなんて思えてしまうのがなんだか悔しい。
私はその腹いせに隙を見て、自分の分だけこっそりチーズを乗せた。
「君、何かオムライスに載せた?」
「目敏いわね」
「何したの? 俺も欲しい」
お願いすれば私が嫌だと言わないのを信じて疑っていない。
そんな信頼が悔しくて擽ったい。
「チーズよ、いるの?」
「いる!」
「しょうがないわね」
あげないなんて選択肢はない癖に、私は勿体ぶりながら皿を寄こすように手を出す。
「やった!」
腰ミノは、嬉しそうに食べかけのオムライスの皿を差し出してきた。
ないはずの犬の尻尾の幻が、千切れんばかりに振られているのが見える。
買い物には行けないし、牛乳がないから使い切ったら終わりの貴重なチーズ。
けれど腰ミノとおいしいと言い合って食べられるなら惜しいとは思わない。
薄く切ったチーズをお代わりのオムライスに置いて戻してあげると、早速食べて顔を綻ばせている。
食事を終えて二人で片づけをして、それぞれの部屋へ戻った。
ベッドに倒れ込むと、カーテンを閉めていない窓の外に明るい月が見える。
「……はぁ」
私は大きくため息を吐いた。
そろそろ自分の心を誤魔化すのが難しくなって来たのを感じる。
共に暮らす時間が長くなるほど腰ミノの人間性へ徐々に惹かれていった。
一を話せば十を理解し、覚えたことは忘れない。
それでいて、私が知らないことがあっても丁寧に教えてくれる。
人を侮らない懐の広さもある。
そして指摘を素直に受け入れる寛容さ、優秀さを鼻にかけるようなこともしない。
接していれば誰だって、こんなところに引き籠っていていい人材ではないことが分かる。
髭もじゃの奥に見え隠れする優しい瞳。
柔らかい声。
偶然のように触れた優しい大きな手。
転びかけて抱き留めて貰った広い胸。
私は……。
「私、腰ミノが……」
そこで言葉を止めて頭を抱える。
一緒に暮らし始めたのはただの勢いだった。
その時はまさか自分がこんな風に腰ミノを見るなんて思いもしなかった。
だって腰ミノ男に惚れるなんて一体誰が予想できる?
もうそろそろ認めるしかないんだろう。
けれど、惹かれていると思うと同時にブレーキもかかる。
最初こそ粗野な原人ではあったけれど、ふとした時にみせる所作がとても美しい。
仕事上貴族を相手にしたこともあるから分かる。
腰ミノの美しい立ち姿勢や食事の仕方はしっかりとした教育で培われたもの。
上流貴族であると裏付ける決定的な証拠は、彼が持っている膨大な魔力と多彩な魔法にある。
複数の異なる属性魔法を使うのは、並みの魔力量で出来る芸当ではない。
膨大な魔力を持つのは、イレギュラーを除けば血統による遺伝のみ。
魔法使いの出自を辿れば、数代前には当たり前のように貴族の血に行き当たる。
腰ミノはそれだけではなく、息をするように魔法を無詠唱で使う。
そんなことが出来るのは、高度な教育を受け上位の魔法使いに教えを受けられる貴族しかいない。
それも国でもごく一部の王族か王族に近しい最上級貴族。
どう足掻いても平民の私には手が届かない遠い存在。
例えここで恋仲となったとしても、それは一時の幸せでしかない。
この小さな世界が終わると同時に全てが消え去る。
身分の違う人間と関わっても碌なことはない。
それは前世の経験で嫌というほど知っているし、味わった。
あの身を引き裂かれるような別れはもう二度としたくない。
私は胸の中にわだかまる重い空気を吐き出した。
「月は異世界でもあんまり変わらないのね……」
前世で見上げたのと同じ月を見ながら昔を思い出す。
私の前世の名前は中野那美。那美には愛した人がいた。
相手は大財閥の一人息子、西園寺琉夏という。
容姿端麗、成績優秀、温厚篤実。
おおよそこの世の持てる物を全て持って生まれて来た人だった。
同じ大学でとにかく目立つから噂程度の情報は知っていた。
けれどあまりに自分とは違う世界で生きている人だと思っていたから、関わる気はなかった。
ある日喉の渇きを覚えた私は自動販売機を探そうと辺りを見渡した。
「……確か、この辺に」
校舎の角を曲がった行き止まりに自販機がある事を思い出し、そちらに足を向ける。
いつもは人影のない場所だけど、今日は機械の前を困ったように往復しながらうろつく先客がいた。
普段ならお節介なんてしない。
けれど自販機を前に困惑している背中があまりに哀れで、私は思わず後ろから声をかけた。
「どうしたの?」
「あの……、これはどうやったら買えるのでしょうか?」
振り向いたのは西園寺琉夏、その人だった。
薄茶色の柔らかそうな手入れの行き届いた短い髪、ブランド物を嫌味なく着こなした適度に鍛えられた体。黒い瞳はキラキラと輝き嘘みたいに整った顔をしている。
黒髪を一つに纏めて野暮ったい眼鏡をかけた平凡な私にはあまりに眩しかった。
私はなるべく顔を見ないように顎辺りに視線を固定して話を聞いた。
ここにあるのは古い型の自販機で、電子マネーも札も使えない。
小銭を持ち合わせていなかった彼は、どうにか目当てのジュースが買えないかと色々模索していたようだ。
珍しく取り巻きは誰もおらず一人で、自販機と私を交互に見ながら縋るような視線を向けて来る。
その様子が実家で飼っていた大型犬に似ていて、あまりに哀れで可愛かった。
「奢ってあげる。どれがいいの?」
笑いを必死で堪えながらそう言うと、彼はぽかんと口を開け私の顔を見て固まった。
「え……」
奢ってあげると言われた彼は天地がひっくり返ったような衝撃を受けた顔をしていた。
「俺、奢ってやるなんて言われたの初めて……」
まぁ、そうだろう。大財閥の御曹司にたかる相手はいても奢ってやるなんて人間はいなさそうだ。
突然のことに思考停止したようで、ただ私の顔を見るばかりの彼にもう一度声をかける。
「どれが飲みたいの?」
「えと、これ」
ためらいながらそっと見本を指さす。
「……プッ」
彼が飲みたかったのはドリアンソーダ。そういえば誰かがキワモノが入荷したなんて言っていたけれどこれのことか。
望めば何でも手に入るような人が、こんな奇抜なジュース一つ買えなかったかと思ったらおかしくなってしまった。
「こ、これね……ふっ」
私は一生懸命笑いを堪えながら小銭を入れてドリアンソーダのボタンを押した。
重い音を立てて落ちてきたそれを取り出し口から出して彼に差し出す。
「はい」
「……ありがとう」
少し戸惑いながらそれを受け取った。
「こういうキワモノ系統のドリンクは、小銭しか使えない自販機にしか入らないわ。今度から小銭持ち歩くといいわよ」
「……うん」
私の言葉に素直に頷く彼は、ドリアンソーダをもって満面の笑みを浮かべている。
見えない尻尾がブンブン振られているようにも見えて、どうしても実家で飼っていた犬のイメージが拭えない。
私は笑いを殺しながらじゃあねと言ってその場を後にした。
完璧な人だと聞いていたのに、あんな可愛いところもあるのだなと私はその日の思い出を胸にしまった。
どうせもう二度と関わることはないから忘れてしまって構わない。
……はずだったのに翌日から何故か彼に付きまとわれ、気づいたら私たちは恋人同士になっていた。
だって、あんなに可愛くて素敵で面白い人。好きにならないわけがない。
やっかみで嫌がらせされたり、皮肉なことを言われたりもしたけれど彼が私を好きだと真っ直ぐ愛してくれたから気にならなかった。
大勢の人に囲まれている時はガラス玉みたいな瞳が、私と話すときには鮮やかな感情を湛える。
私はそれを見るのが好きだった。
でもそんな日々は長くは続かない。
卒業が迫ったある日。
彼の母だと名乗るマダムが自宅へやって来て、強引に玄関の中へ押し入って来て勝手に話し始めた。
「卒業するまでは自由にさせてあげてたけれど、社会に出たらあの子にはきちんとしたお宅のお嬢さんを嫁に迎えて貰わなくてはならないの」
ブランド服に身を包み、黒服を連れた彼の母はわかってくれるわよねと高圧的な態度で私を見る。
「あなたにあの子は勿体ないの、分かっているわよね。別れてくださる? 勿論タダでとは言わないわ」
視線を送ると、黒服は内ポケットから厚い茶封筒を取り出した。
厚すぎて閉まらない口の端から札が入っているのが見える。
差し出されても中々受け取らない私に焦れたのか、黒服が強引にそれを握らせた。
その瞬間、怒りが爆発した。
「バカにするな!」
そう言って私は母親の顔に封筒ごと札束を投げつけた。けれど間に入った黒服の腕に当たり玄関に札がばら撒かれる。
「もう十分楽しんだでしょ? 恋愛ごっこは終わり。金輪際息子に関わらないで。身分の違いというものを知りなさい」
表情一つ変えず、散らばったお金をそのままに玄関を出て行く。
その日のうちに彼とは連絡が取れなくなり、住んでいた部屋からも消えてしまった。
そうして私たち二度と会えなくなった。
諦めることも消し去ることも出来ない彼への想い。
燻る恋心を抱えたまま私は就職して二年後。
事故に合い未練を残したまま前世は終わった。
ずっと一緒に居たかった。
あの人と共に居られるためなら何でもしたのに……。
せめて彼の人生が幸せでありますように。
転生した今もそう願う気持ちは変わっていない。
心はあの人に囚われたまま、他の人に心が動くことなんてないと思っていたのに。
……私は腰ミノを好きになってしまった。
また前世と同じ身分違いの恋をした。これはもはや呪いに近い業なのではなかろうか。
呆れていいのか悲しんでいいのか分からない。
腰ミノと暮らしてそろそろ二年が過ぎようとしていた。
健康で文化的な最低限の生活にはもう十分。
腰ミノはもう腰ミノじゃないし、原始人でもない。
とっくに私がここにいる理由なんてなくなっているのに、居ていい言い訳を探している。
けれどこれ以上はもうダメだ。
時間が過ぎるほどに好きになっていく。
いつか訪れるかもしれないあの身を割かれるような寂しさと悔しさ。
それから腰ミノと共に居られる幸せを天秤にかける。
考えて、模索して、葛藤して……。
最終的に出た結論は、これ以上関係が深まる前にここを出ることだった。
あんな別れが来るのだと思ったらもう一緒に居てはいけない。
今ならまだ健康で文化的な最低限の生活をさせるために私はここにいて、それが達成されたのだから出て行くという理由がある。
離れてしまえば夢を見たのだと諦められる。
……忘れられる。
何も言わずに去りたい。
告白して玉砕するならそれはそれですっきりして出て行ける。
けれど逆に受け入れられてしまったら……?
好きな人と一緒に生きたいという前世の夢が叶うなら私はそれを選んでしまう。
永遠にここで引き籠って暮らしていければ幸せだろう。
けれど不安を抱えたまま生きていくのは、思った以上に精神的負荷がかかる。
それにもう大丈夫だと油断した瞬間、全てを取り上げられたら……。
私はおそらく生きていられない。
少しずつ気付かれないように身辺整理を始めた。
この家は腰ミノにあげよう。
私には二年間の生活で作り上げた魔道具があるし、しばらくは誰かのところに弟子入りでもすれば生活は問題ない。
家の魔道具は、魔石を補充すれば半永久的に動くから快適な生活は保障される。
魔石は大量にあるし、なくなっても腰ミノなら自分で捕ってこられる。
もし家ごと持って行ってしまったら腰ミノは、またあの土壁ハウスの生活に戻ってしまうに違いない。
そうなったら健康で文化的な最低限の生活ではなくなってしまう。
腰ミノは原始人に戻るのにもしかしたら抵抗がないかもしれないけれど私が嫌だ。
腰ミノには幸せになって欲しい。
少しずつ残していくものと持っていくものを選別して魔法鞄へ入れる。
出発は三日後。年に一度だけ日の出が早くなる日がある。
その日の早朝に出て行こう。
結界の外で素材を探すために開発した、姿と気配を消すマントを纏えば黒の森と言えど無事に抜けられる。
何せこの森の主であるブラックドラゴンの鱗を使っているんだ。
近寄ろうとする魔獣などいない。
そういえばロシナンテはどこへ行っただろうか。
あの子がいれば森から出た時に街まですぐいけるのに……。
私は出て行く直前まで保存食を作って食糧庫を埋め、こっそり夜中に起きて料理を作り冷凍庫に詰め込んだ。
腰ミノにばれないよう、夜中に魔道具で音を消して作業は続く。
けれど自分の事ばかりに没頭していた私は、腰ミノが注意深く観察してることに気付けなかった。