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3 さらば原始人

「凄い、ちゃんと家だ」

「当たり前よ。私が暮らしていた家を丸ごと持ってきたんだから」

 水回りは魔道具で床部分に収納されているいて、土台から持ってきてしまえば配管がないなんて問題は起こらない。

 工房があった跡地は四角く抉り取られた土地だけ残されている。



 私は玄関を開けて腰ミノを中へ促すと、素直に入って来た。

 腰ミノは私に対する警戒心をどうにも持ち合わせておらず少し心配になる。

 けれど従順なのはありがたい。


「まずはお風呂に入りなさい」

「風呂……」

 私は腰ミノを風呂場へ連れて行きドアを開けて中へ押し込んだ。

 この工房は私が便利に使えるように、殆ど前世に近い仕様となっている。

 広めの浴槽、水とお湯が出るシャワー。お風呂椅子に液体タイプの洗剤とポンプ式ボトル。

 この世界にない物ばかりだから、何も言わず放り込まれても使い方は分からないだろう。

「洗髪は青の入れ物、整髪剤は黄色、体を洗うのは白だから。ここを押すと出るから適量出して使って」

「……あ、ああ」

「このレバーを下ろすとお湯が出て、上げると止まる。適温だと思うけど、熱かったらこっちのハンドルを手前に回す。理解できた?」

 私が実践してみせると腰ミノは頷いた。それを確認してから外に出て風呂場のドアを閉めて声をかける。

「いい? 綺麗になるまで何度でも洗うのよ」

「……」

「流して水が透明になるまでよ?」

「分かった」

 腰ミノの返事が聞こえ、そう時間もかからずシャワーから水の流れる音がする。

「大丈夫そうね」

 私は安心してそこを離れた。


「それにしても靴さえ履いてないってどうなのよ」

 

 腰ミノは防御力がなくてお尻はほぼ丸見えだったし、セクシーすぎて目のやり場に困ったわ。


「さて、次に文化的な生活に必要なのは服! まずはパンツを履け!」

 私は工房の棚の引き出しから下着と服を一式取り出す。

 これは自動的にサイズを合わせてくれる服。

 どんな体系の人が着てもぴったりになるようにしたかったんだけど、一度サイズを固定してしまったら変更が出来なくなってしまった失敗作。

 未使用の男性服一式を取り出した。

 クリーム色の長袖カットソー、黒いチノパン風の丈夫なズボンとベルト、それから膝までの茶色のミドルブーツ。

「男性用は試してもらう前に欠陥が見つかったから、作っただけで終わっちゃったのよね」

 異性の知り合いなどいないし、あげる相手もいなかったからしまい込んでいたそれがこんなところで役立つとは。

「やはり、備えあれば患いなしね!」

 とりあえず、これで腰ミノにパンツを履かせることが出来る。

 一式を脱衣所の籠の中へ服を入れた。

「腰ミノ! 外に着替えあるからそれを着てね。腰ミノは足元にある籠の中へ入れておいて。捨てるわよ?」

「……わかった」

 返事を聞いて脱衣所を出る。

 他に何か要るかと考えていた私にハサミが目に入った。

「髭や髪は……、腰ミノの意志に任せるか」

 素顔は晒したくないかもしれないし、本人から言い出すまでは放っておこう。

 私はハサミを渡すのをやめてキッチンに移動をして鍋を取り出す。


「そういえば、あれ何の肉だったんだろ?」

 冷蔵庫の中には私が入れた食材がまだ入っていて、二人で食べても一か月程度は補充しなくても足りる。

 とりあえず冷蔵庫に入っている食材を取り出してスープを作った。

 いつもの手順で作ったスープの香しい香りにお腹が鳴る。


「……! 私、自分で料理すればよかったんじゃん!」

 気分が動転していてすっかり失念していた。

「まぁ、でもあれがなかったら腰ミノの生活も知れなかったし結果オーライ」

 初めて食べた野生の味を思い出し思わず眉間にしわが寄る。

「……あれは、ナイ」

 腰ミノや住まいもそうだけど、やっぱり一番の決め手はあの食事だ。

 鍋をかき回し思い出しそうになった味を、スープの香りで上書きしていく。

「ふぅ。やっぱり人間は健康で文化的な最低限の生活をするべきだわ」

 人の幸せの尺度はそれぞれだと分かっているけれど、改善出来るならした方がいい。


 やがてドアが開き、平素な平民服を纏った腰ミノがキッチンに入って来た。


「あら……ゴールデン・レトリバーみたい」

「ごーる……?」

「なんでもないわ」

 綺麗になった腰ミノの髪と髭は美しい金色だった。

 洗ったことでぼそぼそだった髭や髪がさらさらと流れ、ふさふわのその毛質は昔飼っていた大型犬を思い出させた。

 思わず頭を撫でなくなってしまう。



「服のサイズはどう? 腰ミノ」

「大きいと思ったんだが着たら丁度良くなった。凄いな」

「ふふん、そういう魔道具だからね」

「これも魔道具……。君は本当に凄い魔法使いだ」

「魔法じゃないだってば」

 貴族の家で雇う使用人は魔法が使えることが必須だった。

 私は詳しくは知らないけれど、その生活の大半が魔法によって維持されていると聞いたことがある。

 魔道具は魔法が使えない庶民が快適な生活を送るために開発したものだ。

 それを知らないということはやはり……。

 湧き上がってくる疑念が形になる前に、腰ミノが話しかけて来る。

「でも久しぶりに服を着ると、なんだか窮屈な気がする」

「腰ミノ卒業ね。腰ミノ!」

「……腰ミノじゃなくなっても俺は腰ミノなんだね」

「スープを作ったわ、腰ミノ。食べる?」

「腰ミノじゃなくなったんだってば」


 どうせ本名を名乗る気はないのでしょう? だったら腰ミノで十分だ。

 仮に名乗られても私は聞こえないふりをするし。


 腰ミノがどこの誰かなんて知らない方がいい。

 どうせ碌なことにならない。そんな予感がひしひしとする。

 私は腰ミノに健康で文化的な生活が出来るよう基礎知識を叩き込んだらここ出て行くんだから。


「これが人間の食べ物よ、腰ミノ。さぁ、たんとお食べ」

「俺を犬か何かと思ってる?」

「犬と思ったらスプーンなんて出さないわ」

「それもそうか」

 あっさりと納得してくれる腰ミノ。

 それでいいのか。まぁいいか。素直さは美徳よね。

 腰ミノの前にスープと買い置きしていたパンを置いて、自分の分もよそってテーブルに着いた。

「いただきます」

「……いただきます」

 腰ミノが私の真似をして手を合わせる。



 私は食欲のそそる香りを立てる野菜のポタージュをスプーンですくって口に入れた。

「くぅ……沁みる……おいしい、おいしいよぅ。食事ってこれだよねぇ」

 すきっ腹に染みわたる優しい味。

「おいしい……」

 私の様子をじっと見ていた腰ミノも、スプーンを口に運び言葉を零した。

「ね、おいしいでしょ! これが食事よ」

「そうか、うん。おいしい」

 そこから無言でスープを飲んでパンを食べる。

 張り切って寸胴鍋一杯に作ったスープが空っぽになって、ようやく私たちの食事は終わった。


「文化的な料理の味、どうだった?」

「おいしかった」

 満たされた表情で柔らかく微笑む腰ミノの様子に、私も嬉しくなった。

 おいしい食事のありがたみが身に染みた。

「ちょっと食べ過ぎたわ」

「俺も……」

 二人だとしても十二リットルの寸胴を空にしたのはやりすぎよね。

 腰ミノの方が多く食べたとはいえ、我ながら呆れて笑ってしまう。

「誰かと一緒に食事をするのって楽しいわ」

「うん」

 思わず零れた言葉に間髪入れず同意をされ、頬が緩むのを止められない。


 自分の作ったものをおいしそうに食べて貰えるのは嬉しい。

 そんなことを思い出し、私は幸福感で満たされた。


「あーお腹がいっぱいすぎて動けない」

「俺も……」

 顔を見合わせ笑い合う。

 

 

 満腹で動けない私たち。でも、それがとてつもなく心地よい。


 こんなにゆっくりした時間を過ごすのはいつぶりくらいだろうか。

 腰ミノとは気が合いそうで、問題なく暮らしていけそうだ。

 これからの生活への不安が少し払拭された気がした。

 


 快適な住居、柔らかいベッド、心地よい衣服。それからおいしい食事。

 それらを手に入れた腰ミノは、徐々に原始人から解脱していく。

 今では原始人の名残は顔面の髭もじゃくらいだろうか。

 服も完璧に着こなしている。



「狩りに行ってくる」

「気を付けてね」

「うん」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 外に出ると言った腰ミノに何気なく行ってらっしゃい気を付けてと声をかけたら、腰ミノはそれをいたく気に入ったらしい。

 毎回私が言い終わるまで玄関を出て行かなくなった。

 言い忘れた時はそわそわと言われるまで私の顔を見つめたまま動かない。

 金色のふさふさした髭と髪も相まって動物感が半端ない。


 しょうがないと思いながらも、そんな腰ミノを可愛く思う。


「一度あの頭を思い切り撫でまわしたい……!」

 言えば触らせてくれそうだけど、やってしまったら私の中の何かが壊れる気がした。


「さて、じゃあご飯の支度をしておきますかね」

 思考を振り切るように私は腕まくりをしてキッチンへ向かう。




 食糧は黒の森で腰ミノが調達してくれる。

 どんな方法かは知らないし、聞かない。

 狩りに行った腰ミノが獲物を持って帰ってくる。その事実だけあればいい。

 腰ミノが持って帰ってくるのは成っている果物や食べられる植物、そしてこの森の魔獣。

 人里近くで発見されたら大騒ぎになるような狂暴で強いのを平然と狩ってくる。


 冒険者ギルドへ行ったときに手配書で見た高ランクの魔獣が、家の庭に横たわっているのを見た時には思わず悲鳴を上げたわ……。


 そして、腰ミノはやはり肉の処理なんて知らなかった。


 今までは倒した後、必要な部分だけを切り取って死体を放置していた。

 魔獣は皮から肉骨、牙や爪内臓まで全てが素材として使える。

 捨ててくるなどとんでもない!


 死体は家まで持ち帰り血抜き、肉磨き、残った内臓や骨の処理の徹底を約束させる。

 適当にやって家の周りで腐肉が散乱なんて参事になったら目も当てられない。


 小さい肉塊なら私でも処理は出来るけれど、一頭丸々は無理だから腰ミノに覚えてもらうことにした。

 切れ味のよい解体用ナイフを作り、魔獣辞典を広げながら手順を説明して覚えてもらった。

 腰ミノは興味深そうに聞いて一度でそれを覚え次から完璧に処理を施す。

 本当に頭のいい人だ。


 切り分けられた骨や内臓は専用の容器に入れてもらい、私が綺麗に洗って保存する。

 魔石は報酬代わりに腰ミノに渡そうと思ったのだけれど、使い道がなくていらないというからありがたく魔道具を作るのに使わせてもらっている。


 今まで高くて手に入らなかった素材や、魔石の出力が足りなくて作れなかった魔道具が次々と完成していく。

 魔道具が完成した後自分たちで使うから、その恩恵を腰ミノも受けられるから損はしないはず。

 量産することを考えず作る一点物の魔道具は、私の職人魂に火をつけた。


 理想を詰め込み細部と機能に拘り、予算に糸目をつけず自由に作る。


 ここに来てまた魔道具作りの楽しさを再発見した。






 腰ミノは料理に使ったハーブや薬草を覚えていて森で採ってきてくれるようになった。

 元々家の周辺は腰ミノが体を張って選別した有益な薬草園となっており、新しく採ってきてくれた薬草やハーブを周辺に植えるとあっという間に増えた。


 だって腰ミノが頑張った成果なんだと思ったら、そのままにしておかなきゃって思ったの。


 一番最初に飲んだゲロまず草汁はこの薬草ミックスだと教えて貰って、効能を調べたら凄かったわ。

 疲労回復、滋養強壮、解熱、殺菌、免疫向上などが含まれた、高級ポーションの材料になるような凄い薬草が揃っていた。

 錬金術を使わない加工は鮮度が命。採ってすぐ磨り潰して清水に溶かして飲むのが一番効く。

 だからあれを飲んですぐ怪我が治って、疲労が取れたんだ。


 ただ、味は……。

 うん、忘れよう。


 私たちが暮らす時間に比例して、庭の畑が広がっていく。



 やがて季節が移ろい、様々な変化が私たちに訪れる。


 顔を合わせればよく話をするようになった。

 特に理由もなく同じ部屋で過ごす時間が増えた。

 ただ互いの存在が心地よく、会話をしなくて自然と傍にいるようになった。

 私の作業部屋がにも腰ミノはよく入り浸り、作業風景を興味深そうに見ていることも多い。

 誰かがいると集中できなかったのに、腰ミノは気にならない。


 熱中しすぎて寝落ちしてしまった私をベッドに寝かせてくれることもあった。


 家の中だけではなく、結界の中限定だけど二人で出かける。


 湖で釣りをしてみた。

 釣り上げた魚を追いかけて水面から巨大魚が跳ね上がり、竿ごと食べて湖に戻っていった。

 その大きさに腰を抜かしている間に、湖へ落ちて行ったその魚が飛ばした水飛沫でずぶ濡れになった。

 二人で濡れネズミになって指をさして笑い合う。


 ある日珍しい植物を見つけたと、葉っぱが赤色、根が茶色で二股に分かれた大根みたいな野草を腰ミノが採って来た。

 その野草は地面に置いた途端走り出したので、慌てて二人で追いかけて捕まえた。じたばたと暴れるその野草を調べるとなんとマンドラゴラ。

 専用の鉢を作って良い肥料を入れてあげたら気に入ったようで、そこに棲みつき栄養価の高い実や葉っぱを分けてくれる。

 渡す量が多くなりすぎてスープの具材に使われるようになった。


 家の周りの畑はどんどん拡大していく。

 害にならない小さな魔獣は結界をすり抜ける仕様で、畑の作物目当てに棲みつくようになった。

 人が珍しいのか寄ってきて食べ物をねだり、撫でさせてくれる。



 自由で、楽しいだけの日々が過ぎていく。




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