第100話:玉手箱と狂った兎
追いかけること数分──
浮遊感に慣れてきた身体を月の海に馴染ませながら、まどかといろは、そしてぶさかわは一行の背中を見失わないように慎重に追い続けていた。
そして──視界が、ふわりと開ける。
「──ここ……!」
「めっちゃ、にぎやか……!」
目の前に広がるのは、それまでの静けさとはまるで違う、きらびやかで活気に溢れた広場だった。
珊瑚や海藻、色とりどりの貝があちこちに配置され、光る魚たちがくるくると回りながら踊っている。
見覚えのあるモンスターも多かった。1層からここまでで戦った──あるいは眺めただけだった──イルカ、タイ、ヒトデ、そして……あの、もちをつくウサギ。
「えっ、なんで全員集合してるの!?」
▶「ダンジョン内イベント開催中!?」
▶「和平だなー」
中央に、ひときわ目立つ建物がそびえていた。
派手な金の装飾と、虹色の貝で縁取られた入口。屋根の上には龍の飾りが乗っている。
「──竜宮城、だよね……絶対に」
一行の目の前で、例の亀が竜宮城の前で立ち止まる。
その背中に乗っていたウサギが、ぴょんっと跳ねて降りると──
亀の体が、光の粒子に包まれる。
「あれ……変わって……?」
浮かび上がったのは、透明な羽衣をまとい、艶やかな黒髪を揺らす、まるで天女のような姿の女性。
緩やかに流れる水の中で、彼女──亀だったもの──は穏やかに微笑んだ。
「えっ!? そのカメが乙姫なの!?」
「今まで何回驚かせれば気が済むの……!!」
▶「謎の変身演出w」
▶「乙姫、いたんかい」
▶「今の誰得だよwww」
乙姫(仮)は、懐から玉手箱のようなものを取り出し、もちつきウサギに手渡す。
「──いや早い早い早い!!」
「何もかもが急展開すぎるんですけど!?」
驚きながらも玉手箱を受け取ったウサギは、ふたをそっと開けた。
途端に、空間がぐにゃりと歪む。
「っ……!」
まどかがナイフを握り直す。
ウサギの体が、みるみるうちに膨れあがり、まるで風船のように膨張していく。
そしてその膨張の中に、乙姫、近くにいた魚、踊っていたヒトデたちが、ひとり、またひとりと吸い込まれていく。
「吸収……してる!?」
光の爆風とともに、それは“変貌”を遂げた。
──ウサギの姿はもはやなかった。
そこに立っていたのは、紅と銀に彩られた魚の鎧をまとい、両手に巨大なハンマーのような杵を構えた、体長8メートルほどの“怪物”。
ウサギの顔の面影は残っていた。
だが、あのつぶらな瞳は今や真っ赤に染まり、狂気としか言えない光を放っていた。
「……もうめちゃくちゃだよ……」
「これ、童話なぞる気……あったんだよね……?」
▶「急なボスきたあああああああ!!」
▶「乙姫食われてて草」
▶「うさぎさん、どうしてこうなった……」
そして、目の前に文字が浮かび上がる。
【LV48 餅つきウサギ・ルナティック】
「ルナティック……?」
いろはがつぶやく。
「……“狂気的な”“非常識な”“狂人”……そんな意味だった、はず」
「うわぁ……今のこいつにぴったりだね……」
竜宮城をバックに、巨大うさぎは低く唸るような声を上げると、背中の魚鎧から何かを射出した。
──飛んできたのは、たくさんの魚だった。
「!? 飛んでくる! いろは、避けて!」
「うわっ!光彩符!!」
射出された魚は、まどかのスカーレットレインによって撃ち落とされ、いろはの展開したバリアに当たって跳ね返される。
「……遠距離攻撃はなんとか捌けそう!」
「うん、こっちも角度調整すれば弾ける!」
だが──
問題は接近戦だった。
「っ……!」
まどかが懐に飛び込もうとした瞬間、怪物はハンマーを振り下ろしてきた。
その一撃はまるで隕石のようで、受けたらひとたまりもない。
まどかは咄嗟に横へ飛ぶが、衝撃だけで空中に跳ね飛ばされてしまう。
「……っ! 近づくと振ってくる、しかも避けても距離がまた空く!」
「これは、地上の戦闘とはまったく違う動き方が求められるね……!」
広いフィールドを生かして、魚弾で遠距離を制圧し、接近者には餅つきハンマーで迎撃──
「どう攻める……まどにゃん……」
「……あのリズム。見たことある。元のうさぎの餅つきと一緒だよ。なら、たぶん読み切れる!」
「了解! バフ盛るね!」
「いくよ──!」
まどかは再び、浮遊する身体で反転しながら、真っ直ぐに“狂兎”へと飛び込んだ。
▶「やっぱりまどにゃん飛び込んだ!!」
▶「餅リズム対まどにゃん読み合い勝負きたw」
▶「やるぞーまどいろ!!」
竜宮の奥で始まる、異形のウサギとの一騎打ち。
まどかの視線は、ただその振り下ろされる杵の軌道を──読み切るためだけにあった。




