第99話:うさぎとかめと
第5階層。
美しく光る珊瑚の合間をイルカたちがくるくると回遊し、体を包む重力の違和感にも、まどかといろははようやく慣れてきていた。
水中というより、星の海を泳ぐような不思議な浮遊感。
まるで夢の中にいるような静けさが、この階層にはあった。
「……ねえ、今のところこの階層に、攻撃してくるモンスター、いないよね?」
「うん。今のとこはね。むしろ観光地になってもおかしくないくらい綺麗……」
まどかが頷く。
この幻想的な空間を眺めているだけで、戦闘の緊張もどこか遠くへ流されていくようだった。
だが、そのとき──視界の端に、明らかに異質なシルエットが現れる。
「……魚じゃない、なにあれ?」
「……え、あれ、うさぎじゃない?」
2人が視線を向けた先、柔らかい岩棚の上に、ひとつの白い毛玉のような生き物がいた。
大きな耳、つぶらな赤い瞳、真っ白でもふもふとした体毛。
それは間違いなく──うさぎだった。
「……え、餅、ついてる……」
「いや、ほんとに?」
まどかはじりじりと近づき、目を凝らす。
うさぎは、ちいさな臼に前足を添え、後ろ足でぺったん、ぺったんとリズミカルに餅をついていた。
まったくこちらには目もくれず、ただただ餅を、つく。
どこか無心で、ひたすらに、餅を。
「……やば、かわいい……」
「これ、撮っておいていい? 絶対サムネに使えるよね……」
いろはがきらきらと目を輝かせながら魔導珠に録画指示を送る。
その隣で、ぶさかわがじっとその餅つきを見つめていた──が、やがてぴょこりと立ち上がり、ぽすっ、ぽすっとぎこちない動きで餅つきの真似を始めた。
「ぶさかわ、負けず嫌い出してきた!? でもそれ、なんか……餅つきというより……雨ごいでもしてるみたい……」
▶「うさぎきたーーーー!!」
▶「餅ついてるwww」
▶「ぶさかわのモチツキはじまった」
▶「このダンジョン癒し要素つよくない??」
「ねえ、まどにゃん。さすがに癒されすぎて、忘れそうなんだけど、ここ……一応ダンジョンだよね?」
「うん、たぶん。でもあのサメさえいなければマジで観光地でもいけると思う……」
その時、うさぎの向こうから、何かがゆっくりと近づいてくる気配があった。
「……あれ、影?」
「今度は何だろ……あ、亀……?」
ゆっくり、のそのそと、岩の隙間から顔を出したのは、これまた魚介類とは違う生物──亀だった。
悠然と足を運び、少しずつ、少しずつ、うさぎのもとへと近づいていく。
「いやいやいや、お前も泳げよ。なんで歩いてんの?」
ようやくうさぎのもとへたどり着いた亀は、そこでようやくうさぎに目を向ける。
すると、それまで一心不乱だったうさぎがぴたりと動きを止め──
「……喧嘩、始まった?」
「え? うさぎと亀が喧嘩!? 童話と違うんですけど!?」
互いの額をごっつんごっつんとぶつけ合い、耳と甲羅で地味な攻防を繰り広げること数十秒。
やがて、うさぎがぴょこっと飛び上がり、くるりと背中を向け──
そのまま、亀の背中にぴょこんと乗った。
「えっ!? 仲直り早ッ!!」
「乗るんかい!」
互いに目を合わせると、うさぎと亀は──そのまま一緒に泳ぎ出した。
水中をすいすいと進む姿は、まるで何かの儀式のように整然としており、見惚れてしまうほど。
だが、そのとき。
まどかの目が、ぴくりと動いた。
「──いろは。あれ、たぶん……“浦島太郎”だ」
「……え、なに?」
「亀に乗ったうさぎって、たぶん浦島太郎的なポジションなんだよ。つまり、あれを追っていけばたどり着くのは──」
「──竜宮城!」
2人の声が重なる。
「まどにゃん、天才!」
「これは間違いない。絶対、あの先にボスか、ダンジョンの最奥がある!」
▶「追跡フラグ立ったw」
▶「うさぎとかめがいつの間にか浦島太郎に……」
▶「今度は海の童話ラッシュ?」
▶「おい、玉手箱あけるなよ!?」
うさぎとかめは、ゆっくりと、だが確かにこちらを引き離すように進んでいく。
スピードはそれなりにあるが、まどかといろはであれば追いつける範囲。
「よし、追いかけるよ!」
「りょーかい! ぶさかわ、準備オーケー?」
「きゅっ!」
2人と1匹は、ぴかぴかと光る海の道を泳ぎながら、うさぎとかめを目印に、ダンジョン最深部を目指して進み始めた。




