Ep.18 ミナミノココロ
小さい頃の記憶はあまり覚えていない。世界と他人も、どこか霞んでいるように朧気な煙のように揺れていた。私にははっきりと掴むことが出来ないソレらに興味が沸き立つはずもなく、自分の気持ちが動かされるものだけに目を向けていた気がする。
十一歳の誕生日。夏休みまであと少しだったあの日。幼い私は、初めて人生の分岐点に差し掛かった。母に手を引かれた私。まるではじめから存在などしなかったように消えた父の痕跡。
連れていかれたその場所には何もなかった。もっとも、はじめから何ももっていない私には、ある意味でシンパシーのような妙な親近感を感じ取っていたのかも知れない。
私はそこで新しい自分を、「四十沢望南」を始めた。誰かに頼ることも、誰かに頼られるのも嫌いだった。関わるのは煩わしかった。
「お父さんは、もうここにはいないの。でも、大丈夫。ママと望南、二人で頑張って生きていこうね」
母は私の手を握っては、よくそう言い聞かせた。
十一歳の誕生日。蝉の声がやかましかったあの日。
私の中に、父の痕跡はほとんどない。母と二人で、新しい生活を始めることになった。
それは私にとって、ただの新しい始まりでしかなかった。それまで何も持っていなかった私には、失うものもなかった。東京の喧騒から離れ、二人で向かったのは、母の田舎だった。そこは、私にとって見慣れない場所だった。
東京とは違う、静かな街。
田んぼの匂い、土の匂い、そして草の匂い。
都会のコンクリートジャングルしか知らなかった私にとって、そのすべてが新鮮だった。
しかし、私はそこに、新しい生活を始めるための希望を見つけることはなかった。ただ、新しい環境に適応するだけの、空っぽな人形だった。
母は、精一杯に私を育ててくれた。
新しい学校に通い、新しい友達を作り、部活に入り、新しい生活に慣れていった。
私は、ただそれに従うだけだった。
それは、私にとって、ただの義務でしかなかった。友達と笑い、話し、遊ぶ。
それは、私にとって、ただの演技だった。
心の中には、何もなかった。
ただ、そこにあるのは、孤独だけだった。
「望南、どうして、そんなに一人でいるの?」
ある日、バレー部の女の子にそう聞かれた。
私は、ただ微笑んで、何も答えなかった。
心の中では、「どうして、そんなに人と関わりたがるの?」と問いかけていた。
私は、誰かに頼るのも、誰かに頼られるのも嫌いだった。
関わるのは煩わしかった。
それは、私にとって、ただの苦痛でしかなかったから。
「この子は、将来、立派な人になるわ」
母は、いつもそう言っていた。
私は、ただその言葉を聞き流していた。
私は、立派な人になりたかったわけではなかった。ただ、静かに、誰にも関わらず、一人で生きていきたかった。
しかし、母は、私を放ってはおかなかった。
母は、私に、勉強をさせた。
「望南は、頭がいいから、もっと勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って、立派な人になるのよ」
母の言葉は、私にとって、ただのプレッシャーでしかなかった。
それでも、私は勉強した。
それは、母の期待に応えるためではなかった。
ただ、私の中に、何かを埋めるための、ただの作業だった。
しかし、その作業は、私に、ある種の満足感を与えた。
私は、ただ、数字と向き合い、答えを導き出す。
そこには、人間関係の煩わしさも、感情の揺れ動きもなかった。
ただ、そこにあるのは、論理と答えだけだった。
私は、勉強を続けた。私は、いつも成績トップだった。それは、私にとって、ただの当たり前だった。
しかし、周りの人たちは、私を特別な目で見ていた。
「あの人、すごいよね」
「頭良すぎる」
私は、ただ、それを聞いていた。
心の中では、「どうして、そんなに特別な目で見るの?」と問いかけていた。
中学三年生になったある日、母に呼ばれた。
「望南、東京の高校、受けてみない?」
母の言葉に、私は驚いた。
東京は、私にとって、ただの過去の場所だった。
もう、二度と戻りたくない場所だった。ただ一つの心残りを除いては……
「どうして?」
私がそう聞くと、母は、少し寂しそうな顔をして言った。
「ママの母校なの」
その言葉に、私は、何も言えなかった。
母は、私に、自分の夢を託していた。
私は、その夢を叶えてあげたかった。
それは、私にとって、ただの義務でしかなかった。しかし、その義務は、私に、ある種の重圧を与えた。
「わかった」
私は、そう答えた。
そして、私は、再び東京へ向かうことになった。
東京のあの街は、私がいた頃とは少し変わっていた。
それでも、私は、その街の喧騒に、慣れ親しんだ。
私にとって、東京は、ただの過去の場所ではなく、新しい始まりの場所になった。
しかし、その始まりは、私に、ある種の孤独を与えた。
彼の家が会った場所には、三階建ての小さなマンションに変わっていた。
私は、再び、誰にも関わらない、孤独な自分に戻った。
それは、私にとって、ただの安心だった。