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Ep.17 ツナガル③

「えと……、これって……?」


 床に散らばった数枚の紙を拾い集めながら、私は呆然と四十沢さんに尋ねていた。そこには、見慣れない設計図のようなものが描かれていたのだ。普段の彼女からは想像もつかないような、精密で、それでいてどこか未来的な線。私の心臓は、早くも不穏な予感を察知してドクドクと音を立て始める。


「……ちょっと、来て」


 四十沢さんは、私の手からその紙をひったくるように拾い上げると、まるで隠すかのようにそれを抱き抱え、私の手を強く引いた。その指先はわずかに震えている。突然の出来事に足がもつれ、私は彼女の後をよろめきながらついていく。


「え、ちょっ、あ、四十沢さん?!」


 私の手を引いて駆け出す彼女に、私は何度も声をかけるが、返事はない。彼女の背中は、いつもよりもずっと大きく、そして、何かから逃げているかのように見えた。廊下を曲がり、人気のない非常階段へと向かう四十沢さんの横顔は、焦りと、そして微かな恐怖に彩られていた。一体、あの紙には何が書かれていたのだろう? そして、四十沢さんは何を隠そうとしているのだろうか。私の胸には、得体のしれない不安と、抑えきれない好奇心が同時に込み上げてきていた。


 しばらくして別校舎まで辿り着くと、四十沢さんの足はようやく止まった。理由もわからないまま息を整える私とは対照的に彼女は静かに黙ったままだ。


「……黙っててほしい」


「え、な、何を?」


 四十沢さんは、私が拾い上げた紙を胸に抱いたまま、別校舎の薄暗い非常階段の踊り場で立ち止まっていた。そこは普段、誰も使わない場所で、昼間だというのにひっそりとしていた。私の問いかけにも、彼女はすぐに答えず、ただじっと私の顔を見つめている。その瞳の奥に、今まで見たことのない真剣な光が宿っていて、私はごくりと唾を飲み込んだ。


「……あたしが、伊吹波だってこと」


 その言葉は、予想外すぎて私の頭の中で一瞬、意味をなさなかった。伊吹波。その名前は、今や読書好きの間で知らない者はいない、人気絶頂の高校生作家の名前だ。彼女の書く物語は、どこか切なくて、それでいて読者の心を揺さぶる力がある。私もその作品の熱烈なファンの一人だった。その伊吹波が、まさか、今目の前にいる四十沢さんだなんて。


「は……?」



 思わず間抜けな声が出た。四十沢さんは、少しだけ顔を赤らめて、視線を逸らした。


「だから……、あたしが、小説書いてるってこと。それも、伊吹波ってペンネームで」


 もう一度、彼女は繰り返した。今度は、はっきりと理解できた。私の心臓は、驚きと興奮で激しく鳴り響く。嘘でしょ? あの四十沢さんが? 完璧すぎて近寄りがたい雰囲気の四十沢さんが、あの繊細な物語を生み出す伊吹波だなんて。私の頭の中は、興奮と混乱でぐちゃぐちゃになっていた。


「え……、うそ……、四十沢さんが……、伊吹波……?」


 私は信じられないという顔で、四十沢さんと、彼女が抱える紙を交互に見た。


「信じられないのはわかる。でも、本当だから」


 四十沢さんは、観念したようにため息をついた。その表情は、どこか諦めにも似た色を帯びていた。


「どうして、そんなこと……」


 私がそう言いかけた時、彼女の抱える紙がするりと滑り落ちた。私は慌ててそれを拾い上げようとしたが、四十沢さんは素早く手を伸ばし、床に落ちる寸前でそれを掴んだ。まるで、見られてはいけないものを見られたくないかのように。


「これは……、関係ない」


 彼女はきっぱりと言い放ち、その紙を再び胸に抱きしめた。その必死な様子に、私の好奇心はますます掻き立てられる。でも、今はそれよりも聞きたいことがあった。


「あの、四十沢さん、私、伊吹波先生の作品、すごく好きなんです!」


 興奮して、私は身を乗り出した。まさか、自分の憧れの作家が、こんなにも身近な存在だったなんて。


「特に、『星屑のメロディ』! あの、主人公が、どうしても手の届かない星に恋をするっていう話、本当に感動しました! あの表現力、どうやったらあんなに美しい言葉が紡ぎ出せるの?!」


 私の言葉に、四十沢さんは少しだけ目を見開いた。そして、耳がほんのり赤くなっているのがわかった。普段の彼女からは想像できない反応だ。


「……ありがとう」


 蚊の鳴くような声で、彼女はそう呟いた。顔をそむけているけれど、その口元がわずかに緩んでいるのが見て取れた。


「それに、『月蝕の夜に君を想う』も! あの、時間軸が複雑に絡み合って、最後に全てが繋がる展開、鳥肌が立ちました! もしかして、その紙って、新作のプロットとか?!」


 私がまた紙に視線をやると、四十沢さんは慌ててそれを隠した。


「これは……」


 まるで秘密を暴かれるのを恐れるかのように、四十沢さんは頑なだった。その様子を見て、私はふと、あることを思い出した。


「あ! そういえば、伊沢くんも、伊吹波先生のファンなんだよ!」


 四十沢さんも知っている伊沢渚の名前を口にすると、彼女の表情がぴくりと動いた。私が伊吹波先生の作品を愛読するようになったのも、以前彼が読んでいるところをこっそり覗き見たからだったとは言えない。


「伊沢くん、いつもスマホで読んでるよ」


 何故か四十沢さんの頬がみるみるうちに赤くなっていった。目も泳いでいて、明らかに動揺しているのがわかる。普段のクールな四十沢さんからは考えられない反応だ。


「そう……、なんだ……」


 四十沢さんは、消え入りそうな声で呟いた。その声は、どこか嬉しそうに聞こえたのは、私の気のせいだろうか。しかし、彼女はすぐに平静を装うかのように咳払いをして、私から視線を外した。


「……とにかく、このことは誰にも言わないでほしい」


 四十沢さんは、もう一度念を押すように言った。その声には、先ほどの動揺は微塵も感じられない。


「うん! もちろん! 絶対、誰にも言いません!」


 私は力強く頷いた。憧れの作家の秘密を共有するなんて、こんなに光栄なことはない。それに、まさか四十沢さんがそんな大物だったなんて、本当に驚きだ。


「ありがとう……」


 四十沢さんは、少しだけ表情を緩めた。その顔には、安堵の色が浮かんでいるように見えた。


「でも、どうして秘密にしたいの? あんなに素敵な作品を書いているのに、みんなに知られたらもっとすごいことになるのに……」


 私の純粋な疑問に、四十沢さんは再び視線を逸らした。


「……色々と、事情があるの」


 彼女はそれ以上は語ろうとしなかった。その言葉には、どこか影が差しているように感じられた。そして、彼女が抱えているあの紙のことが、再び私の頭をよぎる。それを隠そうとする四十沢さんの様子。私の胸には、まだ解き明かされていない謎が、どっしりと横たわっていた。


 四十沢さんは、そっと私に背を向けて、非常階段を降り始めた。私はその後ろ姿を見つめながら、これからどんな日々が待っているのだろうと、漠然と思った。憧れの作家が、身近な存在になったことへの興奮と、彼女が抱える秘密への好奇心。私の心は、まだ見ぬ物語への期待でいっぱいだった。



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