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Ep.16 ツナガル ②

 そして迎えた水曜日、球技大会当日の学校は、朝から生徒たちの熱気と活気で満ち溢れていた。体育館からもグラウンドからも、すでに予選が始まった種目の応援や歓声が響き渡り、校舎全体が興奮の坩堝と化しているようだった。そんな高揚感とは裏腹に、我が五組のフットサルメンバーは、体育館の片隅で士気の低い円陣を組んでいた。まるで自分たちだけが、この熱狂から取り残されたかのように、皆の表情にはどこか諦めが滲んでいる。


 長身の五十嵐くんが、所在なさげに地面を見つめながら気弱な声で言った。


「うちのクラスはサッカー経験者いないし、あんまり期待もされてないだろうから、気楽に頑張ろう」

 その言葉に、まばらに「そうだね」「ぼちぼちで」といった返事が飛び交う。いつもなら私も「まあ、そうだよね」と聞き流していたはずの言葉なのに、その日の私はなぜか、ふつふつと腹の底から怒りがこみ上げてくるのを感じていた。


「せっかくやるんだから頑張ろうよ!」


 私は思わず、円陣の中心に向かって声を張り上げていた。自分でも驚くほどの、はっきりとした声が出た。


「うちのチームには、渚く……、伊沢くんっていう超上手い経験者がいるんだから!一高のサッカー部の子と同じチームにいたんだよ!」


 私の言葉に、それまで諦めムードだった皆の視線が、一斉に渚くんに集中した。彼は普段、教室でもあまり目立つことのない、どちらかといえば大人しい存在だ。その彼に、突然スポットライトが当たったかのように、口々に驚きの声が上がり始める。


「えっ!?、ちょっと……」


 渚くんは、急な注目に戸惑いながらも、慌てたように小さく呟いた。


 しかし、もう遅い。生徒たちの興奮は最高潮に達していた。


「一高ってあのプロがよく出るところ?!」

「あそこって関東で一番強いところじゃん!」 「伊沢くんってそんなに上手なの?!」


 ざわめきと期待の視線が、普段通りの無表情を繕おうとする渚くんに、容赦なく降り注いでいた。私の放った一言が、五組のフットサルチームに、そして何より渚くんに、予期せぬ化学反応を起こした瞬間だった。


 私の放った一言が、諦めかけていた五組のフットサルチームに、そして何より渚くんに、予期せぬ化学反応を起こした瞬間だった。それまで所在なさげだった五十嵐くんも、いつの間にか目を輝かせている。


「一回戦って特進クラスの一組だよね? 勉強ばっかのクラスなら、()()()()()いけるんじゃね?!」


「たしかに、学力では圧倒的に負けてるけどフットサルなら勝てるかも!」


 口々に熱の入った言葉が飛び交い、チームの士気は見事にあがっていた。その高揚感の中、いよいよ一組との試合が始まった。



 試合開始のホイッスルが鳴ると同時に、渚くんはまるで別人のようにフィールドを駆け巡った。彼の足元でボールは吸い付くように動き、相手の守備を軽々と突破していく。私たちは渚くんの動きに合わせて、必死に食らいついた。今まで練習でさえ見せたことのない連携が生まれ、五組の攻撃は、特進クラスの堅い守備を何度も脅かした。


 前半、渚くんからの絶妙なパスを受けた私が、ゴール前でフリーになる。無我夢中でシュートを放つと、私はそのまま前のめりに転んでいた。ボールはキーパーの手をかすめてゴールネットを揺らした。


「よっしゃー!」


 体育館に五組の歓声が響き渡る。まさかの先制点に、応援席からもどよめきが起こった。普段は物静かな渚くんも、小さくガッツポーズをして、私たちの方を見てにこりと笑った。その笑顔に、チーム全員のボルテージが最高潮に達する。


 しかし、特進クラスも黙ってはいなかった。彼らは確かに勉強ばかりしているのかもしれないが、なぜか異様なほどの盛り上りを見せていた。徐々にペースを掴み始め、鋭いカウンター攻撃で私たちのゴールを脅かすようになる。そして前半終了間際、一瞬の隙を突かれ、同点ゴールを許してしまった。


「フフフ。簡単には負けないよ?」


 金髪のポニーテールを揺らした瑠璃川が得意気に微笑んだ。

 後半に入ると、試合はさらに激しさを増した。一進一退の攻防が続き、両チームともに決定機を作るが、なかなか追加点が生まれない。私たちも必死に守り、渚くんを中心に攻撃を組み立てるが、相手の堅い守備を崩しきれないでいた。体力も限界に近づき、足が重くなっていくのを感じる。


 試合終了まで残りわずか、その時だった。相手チームのロングパスが、私たちのディフェンスラインの裏に抜け出す。


「ルリっ! いけぇー!」


 周囲で応援する一組の中から、四十沢望南の透き通った応援の声が響いた。


 瑠璃川がボールを受け、そのままGKと一対一に。私たちは必死に戻るが、一歩及ばず、シュートは無情にもゴールに突き刺さった。


「くそっ!」


悔しさに顔を歪めるメンバーたち。残り時間は、私たちに反撃する時間を与えてくれなかった。そして、試合終了のホイッスルが鳴り響く。1対2。私たちは惜しくも一点差で敗れた。



◆◆


「負けちゃったね……」


 息を切らすチームのメンバーは悔しそうな表情のあと、だれもが笑っていたのだった。


「いや、なんかすっげぇ盛り上がったよな」


「そうそう! 特に伊沢くんヤバすぎでしょ。めっちゃ上手いじゃん」


 クラスメイト達は口々に褒め称え合っていた。


「うんうん! 皆、カッコよかったよ」


 クラスメイト達は口々に褒め称え合っていた。美波も「うん」と頷きながら、みんなと一緒に笑った。けれど、その笑顔の裏では、言いようのない複雑な感情が渦巻いていた。


(渚くん、本当にすごかったな……)


 彼のプレイは、確かに目を奪われるほど鮮やかだった。あの伊沢渚が、こんなにも夢中になってボールを追いかける姿を、美波は今まで知らなかった。クラスメメイトが彼を称賛するのも当然だ。誰もが彼の実力に驚き、興奮していた。


(なのに、なんでだろう……)


 美波の胸には、喜びとは違う、ちくりとした痛みが走る。それは、少しの嫉妬だったのかもしれない。あるいは、今まで知らなかった彼の新しい一面に、置いていかれたような寂しさだったのか。彼の活躍を素直に喜べない自分がいて、美波はそっと唇を噛んだ。それでも、チームの一員として、この盛り上がりを壊したくはない。美波は精一杯の笑顔を作り、皆の会話に相槌を打ち続けた。


「飯澤さん」


 不意に声がした方へ振り返ると、そこにはタオルで顔を拭う彼がいた。


「な、渚くん、お疲れ様。本当にすごかったよ!」


「いや、先制点は飯澤さんが決めてくれたじゃん。なんかさ、久しぶりに楽しいなって思えた。誘ってくれてありがとう」


 それは突然の言葉だった。彼の顔にはまたあの眩しい表情が浮かんでいたんだ。


「うん、私こそ。本当に楽しかった」


 素直な言葉が漏れていた。彼が手渡してきたスポーツドリンクの入ったペットボトル。迷わず手に取り口に運ぶ。顔が赤くなるのがわかる。このまま本当の気持ちを伝えてしまいたい衝動を堪えるように、私は飲み干した。


◆◆

「ねえ、渚くん」


 スポーツドリンクを飲み干し、少し落ち着いたフリをして彼に話しかける。本当は心臓の音がうるさくて、彼に聞こえてしまうんじゃないかとさえ思っていた。


「ん? どうしたの」


 彼はタオルで汗を拭きながら、優しくこちらを見る。そのまっすぐな瞳に、また私は言葉を詰まらせそうになる。今日、彼が見せてくれた、あのコートでの真剣な表情も、試合後の満面の笑みも、そして今、私の目を見つめる優しい眼差しも、そのすべてが私の心を締め付ける。


「あのね……」


 喉まで出かかった言葉を、飲み込む。この一言を口にしたら、今のこの心地よい関係が、もしかしたら壊れてしまうかもしれない。友達として、こうして隣にいることすらできなくなるかもしれない。そんな臆病な自分が、私の足を引っ張る。


 伝えたい。この気持ちを、彼に知ってほしい。


 でも、もし、彼の気持ちが私と同じじゃなかったら? 


 もし、彼が私を「ただのクラスメイト」としか思っていなかったら? 


 そんなことを考えると、どうしても踏み出す勇気が出なかった。


 空になったペットボトルをぎゅっと握りしめる。この熱い思いを、どうしたら彼に伝えることができるのだろう。それとも、このまま胸の奥にしまっておくべきなのだろうか。


「あ、それ……」


 渚くんの不意な声が、私の思考を現実へと引き戻した。


「へ……?」


 疑問符を浮かべる間もなく、渚くんの指が私の左手に触れる。突如として訪れたその温かさに、私の顔はカッと熱を帯び、心臓が跳ね上がった。彼は私の手をそっと持ち上げ、その視線は私の掌に注がれていた。彼の表情に動揺の色が浮かび、次の言葉が紡がれる。


「これ、さっきのゴールのときに擦りむいてたの?」


 彼の言葉に促され、自分の掌に目をやると、薄皮が剥けて赤くなった皮膚が目に入った。


「え、あ、ほんとだ。あ、痛ッ……」


 途端にじんわりとした痛みが押し寄せ、思わず声が漏れた。


 渚くんは顔を上げ、クラスメイトに向けて「誰か絆創膏もってない?」と、少し焦ったような優しい声で呼びかけた。その声に、私の胸は甘酸っぱい感情で満たされる。


「あ、あ、い、いいよ、大丈夫! 私、保健室いってくるから!」


 咄嗟に紡いだ言葉は、普段通りの軽やかな響きを装った。彼の意外なほど大きな手をそっと外し、私はいつものおどけた笑顔を振り撒く。気づかれないように、ほんの少し前まで胸いっぱいに広がっていた、彼への特別な感情を隠すように。


 一目散に駆け出した私の背後には、まだ歓声の沸き立つ体育館と、優しい渚くんの声が置き去りにされた。



◆◆◆


 廊下を駆け抜け階段を下りる。私は早くなる鼓動に急かされるように駆けていた。次の瞬間、角を曲がったところで柔らかい感触と鈍い衝撃が私を襲う。


「わっ!」


 バランスを崩し、私はそのまま床に尻もちをつい た。ぶつかった相手も同じように体制を崩したようで、目の前に散らばった数枚の紙と、そこに書きつけられた走り書きが目に入る。


「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」


 慌てて顔を上げると、そこにいたのは四十沢望南だった。彼女も少し驚いた顔で私を見下ろしている。その白い頬がほんのり赤く染まっているのは、衝突のせいか、それとも――。


「あ、四十沢さん……こっちこそごめん。急いでたから前見てなくて」


 私は散らばった紙を拾い集めようと手を伸ばす。その瞬間、紙の一部に書かれた文字が目に飛び込んできた。


「……『変幻綴り』、伊吹……波……?」


 それは、今、巷で話題沸騰中の高校生小説家、伊吹波先生の手書き原稿だった。なぜ、こんなところで? 私の手がぴたりと止まる。四十沢さんも私の視線に気づいたのか、はっとしたように表情をこわばらせた。


「あ、それは……」


 彼女は慌てて残りの紙を拾い上げ、私から隠すように胸元に抱え込んだ。その仕草はあまりにも不自然で、そして決定的な答えだった。

「これって……、もしかして、四十沢さんって……?」


 私の言葉に、彼女は観念したようにふうっと息を吐き、困ったように微笑んだ。


「……ごめんなさい、ちょっと来て!」


 廊下の静寂の中に、私たちの心臓の音だけが響いていた。まさか、四十沢さんが伊吹先生なの?


 私の鼓動は、さっきまでとは違う意味で、早鐘を打っていた。


三話の分割、②です。

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