心の海音、夏の雪
おかしい俺はストレートな恋愛小説を書こうとしたはずだ
響き渡る蝉の声。生暖かい風が吹き抜けるたび、街路樹の葉がざわめいた。
照りつける日差しを避けるように、天野翼は古びたバス停のベンチに座っていた。誰もいない田舎道。じっとしているだけで汗がにじむ。ペットボトルの水も温くなっていた。
翼は、ぼんやりと空を見上げた。そこにはどこまでも青く、澄み切った夏の空が広がっていた。思い出したのは、白石海音の事だった。
「翼くんさ、夏、きらい?」
そう言って笑った彼女の姿。汗ばんだ手を振りながら、木陰でアイスを食べるその横顔を、翼は夏が来るたびに思い出していた。
白石海音が死んだのは、ちょうど二年前の夏だった。
──あの日、二人はいつも通り一緒に学校から帰っていた。
「今日はめっちゃ暑いね」
「ほんとにな。自販機寄ってく?」
「家すぐそこだしなぁ」
なんてことのない会話。どこにでもある、変わらない日常。その日、海音は特に楽しそうだった。新しい映画の話をして、週末に見に行こうと約束をした。翼は、そんな彼女の笑顔を横目で見ながら歩いていた。
──そして、その時が訪れた。
遠くから、車のエンジン音が響いた。ふらつくように走る黒い車が、信号を無視して横断歩道へと突入した。
「海音!!」
伸ばした手は、彼女には届かなかった。鈍い衝撃音が、夏の午後に響き渡る。周囲の人々の悲鳴が遠くで聞こえた。翼はその場に崩れ落ち、震える手で彼女の肩を抱き起こした。
「海音……」
唇が、かすかに動いた気がした。
だが、それが彼を呼んだのか、何かを言おうとしたのかは、わからなかった。
息が詰まるほどの静寂。
──それ以来、彼の中の時間は止まったままだった。
街は変わっていく。季節も流れていく。けれど、彼の心にはあの夜の痛みがずっと染みついていた。彼は彼女の死をうまく受け入れられず、ただ時間に流されるまま過ごした。
ふと、背後で風が吹いた。
「翼くん」
心臓が跳ねたような感覚。
振り向いても、誰もいない。それなのに、確かに聞こえた気がした。あの頃と変わらない声が。目を閉じると、海音がそこにいるような気がした。
「翼くん、また夏が来たね」
「......ああ」
「今年も暑いね」
「そうだな」
翼はベンチから立ち上がり、そっとポケットにしまい込んだ古びたキーホルダーを取りだした。それは、海音がくれたものだった。冬の空を模したガラスの中に、白い粉のようなものが入っている。振ると、まるで雪のように舞った。
「こうすると雪が降るんだよ。元気がない時のおまじない」
「……夏に雪?」
「翼くん、雪が好きだから」
そんなやりとりをしたのは、もう何年も前のことだった。翼は小さく笑い、キーホルダーを振ってみる。ガラスの中の雪が、静かに舞った。
「……ありがとうな、海音」
ポケットにキーホルダーをしまい、ゆっくりと歩き出した。 見上げた空は、どこまでも青かった。
風が吹く。
どこか遠くから、波の音が聞こえた気がした。
癖でヒロインを死滅させてしまいました。恋愛小説を書こうとするとなぜいつもちょいホラーになるのか。