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引っ越した。会社の近くのマンションに。
早速、引っ越しのあいさつに向かう。
両隣の部屋だけだが。
301号室には中年女性が一人で住んでいた。
あいさつする。
相手もあいさつを返すがあまり愛想はよくない。
少しばかりの会話を交わして終わった。
次は303号室だ。
戸が開き、男が出てきた。
背の高い男だ。
四十五歳くらいに見える。
私より二十歳くらい年上か。
そう思いながらあいさつを交わす。
名前は佐竹だった。
落ち着いていて穏やかな印象を受けた。
感じたことを一言で言えば、優しい人だ。
声も聞き心地がよく、話し方もゆったりしている。
そしてずっと笑顔だ。
私はなんだか嬉しくなった。
会社に行き、仕事をする。
終えると帰る。
行きも帰りもバスだ。
私の家からバス停まで、バス停から会社までは歩きだ。
すぐ近くではないが、そこまで遠いこともない。
引っ越してから二日目のことだ。
バスを降りてマンションまでの帰り道。
――うん?
誰かに見られている。
視線を感じたのだ。
人の視線は誰でもある程度感じるものだが、私は昔からそれに人一倍敏感だった。
少し離れたところで、かすかな足音がしたような気もした。
この道は人であふれているわけではないが、全く人通りがないわけでもない。
だから私の後ろを誰かが歩いていても不思議ではないのだが。
立ち止まり振り返る。誰もいない。
ただ電柱など、人が隠れることができるものもある。
なにせさっきまで足音がしていたのだから。
そのわずかな足音がいまは消えている。
しばらく見ていたが、振り返り歩きだした。
足音はもうしなくなっていた。
「すみません。ちょっとシチューを作りすぎてしまって」
佐竹さんがそう言って訪ねてきた。
穏やかな笑顔とともに。
「まあ、ありがとうございます」
素直に受け取る。
中年男だが、佐竹さんの笑顔には癒される。
「鍋はまた取りに来ますから」
佐竹さんは帰った。
私はシチューを食べた。
とても美味しかった。