第四回:工場勤務
もちろん悠介の成績では旧帝国大学なんかに入れるわけがない。恵介から大学に入れないのなら働け、と言われる。
就職活動をしていたわけでもない悠介は、高校を卒業してから初めてのゴールデンウィーク明けの月曜日から、最寄りの駅より電車で二駅離れた、自転車で行けば二十分ほどのところにある町工場「佐渡工業所」でアルバイトとして働くことになる。土日祝日を除く毎日、午前八時半から午後四時までの勤務ということである。
初出勤日の朝、優子に挨拶にと銀座の銘店の菓子折りを持たされて出勤を見送られる。面接などのときに通った道はもう覚えてしまったのでスイスイと自転車を走らせる。菓子折りをカゴの中に入れて。とくにこの時期、しかも天気の良い日に自転車に乗っていると、五月の薫風が顔に当たり、さぞかし心地よいものではあろうが、その反面、悠介の心のなかには、新しい生活、初めてお金を稼ぐという職場生活に対しての不安が多くを占めていた。
七時半頃に家を出た悠介、八時前には今日その日から職場となる町工場に着いていた。早番らしき従業員がトラックから段ボール箱を積み下ろす作業をしていた。悠介が自転車を停めようとするとき、その従業員から声がかかる。三十代ぐらいの男性だ。ガタイのいい体つきをしていてすこし色黒である。角張った髪をとうもろこしのヒゲのような色に染めている。
「ん? ああ、今日から新しく入るっつう新人のアルバイトってお前か」
「あ、はい、相川、相川悠介と申します。よ、よろしくお願いいたします」
その男性は悠介の頭から足元を回ってまた頭へとぐるっと凝視したあと、言う。
「ん、まぁ、最初は無理せずに働いてくれよな。あまり気張るのもよくないからな」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」
「とりあえず、ここに自転車置いてもらうと邪魔だからな。自転車はあそこに置いてくれ」
その男性は顎を道路向かいの工場名の入った看板の立っている駐車場の隅のほうに向ける。
「す、すみません、ありがとうございます」
悠介はいそいそと自転車を駐車場の隅に移動させに行く。
やがて、この工場にも従業員たちがわらわらと出勤してくる。従業員数三十余名のこの工場、パートのおばちゃん、外国人労働者、そしてガテン系の男性に三分されるといった感じだ。
八時半になり、始業の鐘の合図とともに朝礼が始まる。
「大作業場」と呼ばれる、この工場で一番大きいという作業場に出勤した全従業員が集まる。まず、専務なる人物が朝の挨拶をする。「専務」という肩書にしては、まだ若いと思われる三十代中盤くらいの男性であった。作業服を着て、マスクをしているので半分顔は隠れてはいるが鋭い目つきをしている。
「皆さん、おはようございます。例年のことながら大型連休明けということで皆さん、私生活においてもいろいろとお疲れのことかと思われます。しかし、先月四月の売上高がですね、今年に入ってから最低だったことを、まず私から皆さんにお伝えしなければなりません。しかも今年は一月以来四ヶ月連続の前月比減少なのです。確かに昨年暮れにI国の戦争が停戦を迎えた影響で軍需というものが無くなったのもありますが……」
専務が長々と語りだした。語気を強めながらも、段々と少し早口になりゆく専務の話し声。とにかく工場全体の売上高の減少も意識して、これからもしっかりと仕事をしてほしいという主張を述べたいようだ。
「さて、皆さんの中に本日より新しい仲間が加わることもお知らせしなければなりません。相川悠介君!」
そこで、悠介の名前が突然呼ばれた。それでも驚きはしても、黙ったままの悠介に専務からまた声が掛かる。
「名前を呼ばれたら『はい!』と元気に返事だよ。相川悠介君!」
「はいっ……!」
悠介はようやく専務の呼びかけに対しての返事の掛け声を振り絞った。
専務の鋭い目が悠介をまた一瞥した。その次の瞬間から専務はまた話し出す。
「彼はアルバイトとしての採用ですが、名門高校のQ学園を出ているとのことです。さぞかし頭脳明晰な者だと思われます。仕事についても誰よりも早く覚えてくれるでしょう。では、相川君、何か一言、先輩方の皆さんの前で、どうぞ!」
「……あ、はい……。あ、相川悠介です。一所懸命仕事を覚えますので、どうか、よろしくお願いします……」
大作業場のところどころから拍手がわき始める。拍手につられるかたちでまた別の角から拍手が起こる。最終的には先輩の従業員たちから拍手喝采で迎えられた悠介であった。それに続いて専務が言う。
「では、皆さん。本日の持ち場を確認の上、早速作業に入ってください。相川君はとりあえず私についてくるように。本日も一日ご安全に!」
従業員たちがいそいそと散り散りになっていく中、悠介は専務の元に近づいて言う。
「専務さん、どうかよろしくお願いします」
「うむ、よろしく。相川君の持ち場は……そうだな……。とりあえず私に付いてきて」
私自身も工場勤務らしきことをしたことがあります。そのときの見聞が工場勤務のパートの描写の際に役に立ちましたね。