第三十八回:質問
さて、こんなふうにモヤモヤしつつあった悠介。先日疑問に思っていた「与えたタラントの違い」への疑問は心のなかに隠れてしまっていた。
そして、また時がしばらく経って。十月の半ばの日曜日の、礼拝説教のテーマがまさにこの箇所についてだったのだ。
しかし、修牧師の話を真面目に聞いていてもいまいちピンと来ない。
そこで悠介は、思い切って質問することにした。
「これにて本日のメッセージを終わらせていただきます……」
修牧師がそう告げるや否や、悠介は右手をやや斜め前に向けて高く上げ、彼なりの大きな声で「質問があります!」と告げる。
修牧師は驚きは見せつつも、うれしそうな顔を見せつつ悠介の方を向く。会衆の皆の視線も悠介に集まる。
「ご質問がおありとのことで。是非どうぞ自由にズバッとお話しください」
ここで悠介は再考する。自分のせいで礼拝堂に何十人も居る会衆、そのそれぞれの時間を取らせてしまうのはどうかな、と。
「いや……、ええと……、時間の都合もあるので、やっぱり今度また個人的にお話を聞いていただければいいです」
「いえ、せっかく皆さん集っておられるのですから。この場所を利用しない手はありませんよ。それに皆さん悠介君より先輩の信徒さんなのですから、皆さんから何か糸口になるメッセージをいただけるかもしれません」
今では牧師先生含む、教会の皆も姓の「相川」ではなく、名前の「悠介」で呼ぶことが多くなってきた。悠介とは別に他の「相川さん」が居るわけではない。ただ、悠介との心理的な距離を縮めたい、より親しくしたいという皆の気持ちからだろう。これもちょうどサンドラが来た頃から始まったことなのかもしれない。
「ええと、ですね。三人のしもべはその主人から、一人目は五タラント、二人目は二タラント、三人目は一タラントをそれぞれ任されました。しかし、なぜ差別化したのかな、と思いまして。仮に僕が三人目の一タラントしか任されなかった身だったらやっぱり同じようにひねくれて、商売でもして増やそうという気にはならなかったと思います」
悠介のその質問に対し、「そうですね」という相槌のような台詞に続いて、修牧師はしばし無言になる。会衆の間も少しだけザワザワし始めている。皆この箇所が気になっているのだろうか。修牧師は話し出す。
「悠介君の質問、非常によい質問だと思います。さすがですね……。もう悠介君も聖書を毎日のように何度も何度も読まれているので、聖書には例え話が満載、それもときにはなかなか解釈にもむつかしい例え話も多いことはご存知だとは思うんですが……」
そこで、悠介は手元の「マイ聖書」を見つめる。今年のお正月にお年玉を利用して買って以来、もう一年近く、熱心に読んでいる大事な「相棒」の聖書だ。今ではもう少しボロボロになりさえしつつある状態だ。
「まず、聖書のこの箇所の冒頭。マタイの福音書の二十五章十五節を読んでいただきたいのですが、それぞれその能力に応じて、とありますね。ただ単に意味もなく差別したわけではなく、能力のある人に多く任せたいという気持ちは自然なところでしょう」
なるほど、そのへんをちょっと見落としていたかもしれない。悠介はそう気づく。
「なるほど……。じゃあ、一タラントしか預からなかった人は、主人にとって元々そんなに有能じゃなかったってことなんですね」
「えぇ、まぁ。一タラントとはいっても、今の日本でいう数千万円とか大変な高額な財産なんですよ。確かに今出てきた三人のうちではいちばん少ない額なのですが、それでもそれなりに有能ではない人にではないと、数千万とかなんてとても任せられませんよね。エー、あと、ここでの五タラントとか二タラント、一タラントという数字はとりあえず気にしないでください。本質はそこではないと思うのですよ。それが多くとも少なくとも、与えられたものにいかに忠実であるかどうか。主人はそれを試すためにそれぞれに財産を任せたとお考えください」
それを聞いて聖書という書物、そしてその理解はまだまだ自分には難しいよな、と思いつつも牧師先生にお礼を言う。
「お答えくださり、ありがとうございます。少し納得が行ったような気がします……。やっぱり聖書って僕にとって、まだ難しいことだらけですね」
「少しずつ、学んでいけばいいだけのはなしですよ。私のように、長年信仰を持ってきて、今は牧師として奉職させております身でさえも、聖書のあの部分がこの部分がと、解釈とかに困ることがあるくらいですから……」
昨年の十一月に悠介が初めて教会に導かれてから、来月でもう一年になろうとしている。
しかし、それでもまだまだ年月は浅いもので、聖書に関してまだまだわからないことだらけの悠介である。牧師先生ですらまだ解釈に困ることがある、ということなのだから。確かに聖書における「例え話」に関して、難しさを感じる箇所には、これまでこの部分の他にもたくさん出くわしてきた。
しかし、今回敢えて「質問」したことで、具体的な納得をしたわけではなくとも、悠介自身の中で「何か」が変わった気はしたのであった。
悠介が見落としていた箇所ですが、これは私の見落としていた箇所でもあります。




