第三回:停学処分
九月も末に近づいたある月曜日の夕方。悠介は「作戦行動」に出た。帰宅途中乗り継ぎで利用する駅であるP駅の売店の店先にあった艶めかしい女性のセミヌード姿が表紙の週刊誌を一冊手に取った。それを店のレジを通さずに学生鞄の中に忍び込める。その次の瞬間、さり気なくその場を後にしようとする。
「おいっ! ちょっと待てやぁ!」
突然、店番をしていたその店の店員の怒鳴り声が響いた。
悠介は逃げようともせず、立ち止まり、観念したような顔を店員のほうに向ける。悠介は万引き犯になってしまった。
万引き犯になれば、警察を呼ばれ、親にも学校にも連絡が行く。悠介が万引きする現場ははっきりと防犯カメラに映っていた。これで万引きの現行犯確定である。しかも、名門校Q学園の制服を身に包んでいながらの犯行。学校の名にも傷をつけることになるが、そうともなれば学校から離れられる。これできっと停学、うまくいけば退学処分になるかもしれない、と悠介は考えていた。しかし、学校を辞めたかったとはいえど、悠介のこの発想。名門校の生徒でありながら、なんとも安直な発想であろうか。
憎いことに学校はたった二週間の停学処分でことを「済ませて」くれた。あのあと警察から、両親からこっぴどく怒られた悠介。もちろん学校側からも厳しい注意を受けた。だが、退学処分にはならず、停学で「済んだ」ことは、悠介にとってより厳しい状態に陥ることになるのであった。
二週間、自宅で謹慎している間の悠介にとっては、親の目がつらかった。悠介は母親の優子に家の鍵をも預けさせられ、外出さえすることが禁止され、ご飯とお手洗いと入浴の時間以外は部屋に缶詰で一日中勉強させられていた。一時間に数回、優子が悠介の部屋に見張りに来る。ちゃんと勉強しているかどうか、サボったり居眠りしたりしていないか。
十月の半ば、悠介の停学期間が終わり、これからまた登校しなければならない日が来た。クラスメイトから、先生から、今度はどんな目で見られ、どんな対応を受けるのだろうか。復帰初日の朝、不安に満ちた非常に憂鬱な気分で学校に向かう。電車の窓の外に見える朝日を浴びた街路樹の木々は少しずつ緑を失い始めていた。
普段より二十分ばかり早い電車で来たので、少し早めに学校に着いた。悠介が教室に入る。まだ人影のまばらなクラス内、その中にいる誰からも挨拶を受けなかった。悠介のほうも挨拶をしないまでも、恐縮しながら自分の机に向かった。
悠介の机の教科書入れの中一杯にあの週刊誌が詰め込まれていた。二十冊近く入っていたが、すべて同じ号、悠介が万引きした号であった。中には社会科のプリントが入っていて裏に「万引きクン、これだけあればもう満足だろ?」と油性マジックで書き殴ってあった。社会科のプリントは一学期のうちに学習した題材である、社会問題としての少年犯罪に関するものだった。その中の一文にだけ、赤の蛍光色でマーカーが引かれていた。「万引きは、あらゆる非行のはじまりである」と書いてある箇所に。
悠介にとって幸いだったのかどうなのか、進学校ゆえに自分の勉強で精一杯で、万引き犯のクラスメイトなどには関わっていられないからだろうか。週刊誌が詰め込まれたときより後には、いじめらしきいじめを受けることはもうなかった。ただ、悠介の「万引き事件」は学校中の生徒の知るところとなってしまっていて、学校中の誰からも冷たい視線を受け続ける、誰からも親しくしてもらえない高校生活が続いた。
一年生の二学期に「万引き作戦」で停学を喰らった悠介であったが、高校を留年させられずに三年で卒業することが出来た。評点として赤点ギリギリの科目もあったとはいえど、特に復学後は母親の優子の監視もあり、休むことなく学校へ通い続けたので、出席日数もなんとかなった。
復学後の学業成績は卒業が近づく頃までずっと「下の中」あたりであった。
卒業式の日ですら、悠介は誰とも言葉を交わさずに、交わせずに学校を後にした。地獄のような三年間がなんとか終わったのか、という安堵の気持ち以外に感じることはない。三月初旬の春霞が薄っすらとかかる日だった。梅の花はちょうど見頃であろう。
ただ、二年半前の「万引き作戦」に対しては、それ以来ずっと後悔を感じてきた。あれさえしなければ、誰からも相手にされないような高校生活にはならなかっただろう。悠介のほうも畏れかしこまってびくびくと毎日の学校生活を送ることもなかったはず。
さて、Q学園高等部を「下の中」の成績で卒業した悠介。その成績でもこのQ学園の基準では国立なら地方のいわゆる旧二期校、私立ならMARCHレベルにならなんとか入れるという程度の学力ではある。つまりは大学に進学しようと思えば学力的にはなんとか足りてはいた。
ところが、父親の恵介は悠介に大学進学を認めなかった。万引き事件の後、すっかり悠介に失望してしまった恵介。それでも現役で旧帝国大学に入れるならば、大学進学を認め、学費も援助してやると条件をつけたのだった。それ以外の大学なんかでは、お前みたいな泥棒ではダメだ、とまで言い切った。一方の優子はもう万引き事件も過去のことだし水に流してあげて、悠介の入れる大学に入れてあげたらと提案する。だが、恵介にとってもあの万引き事件は親の面目までをも傷つけることになったと主張し、あれさえなければ俺だって少なくとも今のワンランク上の役職に就いていたはずなのに、と言って悠介を睨みつけた。
ニンゲン、どうにもならなくなったら「ヤケクソ」に近い行動をとってしまうこともあります……。そのときには、そのために人生が暗くなっちゃうことも認識できないのです。