第十六回:主の祈り
「十時三十分になりましたので、そろそろ今週の日曜礼拝を始めたいと思います」
アナウンスをするのは今日の司会当番の三条さんという五十歳くらいの女性らしい。
「礼拝に先立ちまして、本日から新しく教会に来られた方のご紹介を致します。まずは相川悠介さんです。では、相川さん。是非お立ちになって自己紹介をどうぞ!」
突然自己紹介を求められた悠介。とりあえず、立ち上がっておそるおそる口を開く。
「あ、はい……、相川悠介、二十一歳です……。よろしくお願いいたします……」
既に六十人近くの人で埋まっている教会の聴衆席。普段はそんなに多くの人の前で自分で話すことなんてないから、緊張の上にさらに緊張状態にある悠介。名前と年齢を言うので精一杯であった。六十人近くの中の所々から拍手が起こり始め、すぐに会堂中が拍手喝采となる。
悠介の他にもふたりの新顔が紹介される。二十七歳の会社員だという女性、二十二歳の大学生だという男性。比較的若年であることからやっぱり悠介のようにツイッターを通して、この教会の存在を知り、今日足を運んだのだろうか。
「では、皆さん、礼拝が始まりますので、静粛にお願いします」
司会の三条さんが改めて言い、礼拝が式次第に従って行われようとしている。
まずは前奏に始まる賛美の時間となる。皆で賛美歌、つまり神さまをほめたたえる聖歌をオルガンの演奏に合わせて歌うのだ。そして「主の祈り」である。
――天にまします 我らの父よ
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
みくにをきたらせたまえ
みこころの 天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をも ゆるしたまえ
我らを試みにあわせず 悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは かぎりなく 汝のものなればなり
アーメン
悠介はレジュメに書いてある通りの主の祈りを皆の声に合わせて口に出す。とりあえず数行だけなので、直に空で言えるようにならなければならないのかなぁ、とも思うのであった。
「聖書をお読みします。新約聖書、マタイの福音書の十一章二十八節から三十節……」
ここから壇上の人物が司会当番者から牧師先生に交代し聖書の朗読となった。
――すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
悠介が聖書という「世界史に最も影響を与えた」と同時に「神さまからのラブレター」だという本を開くのは、二十一年生きてきて今日が初めてだろうか。二千ページはある分厚い本、どこに今牧師さんが朗読された内容が掲載されているのだろう。慌てながらページをめくる。そこで見附さんが当該のページ番号を耳打ちしてくれた。悠介はそれに従い聖書のそのページを開いた。
牧師先生の説教が始まる。
「皆さん、おはようございます。本日もまた三名の新しい求道者さんをお迎えしました。教会という場所に足を運んでくださり、ありがとうございます。また、それは主なる神さまからのお導きでもあります。主の導きに感謝いたしましょう……」
「さて、あとの皆さんも初めて教会に足を運んだ日という、いわば記念日を持っているはずですね。今日はじめて来られたお三方にとっては、まさに今日、この日でありますが。あとの皆さん、自分は何年の何月何日に初めて教会に導かれたか、覚えてらっしゃいますかね」
悠介はそれを聞きながら、今日の日付をとりあえず忘れまいと思うのだった。
「クリスチャンホームで育ち、まだ日付もわからない小さな頃に初めて教会を訪れられた方も多いでしょうけれど。大人になってから来られた方はその記念日に先立って何かつらいことがあったとか、そういう事情をお持ちの場合が多いようです……」
その後もいくつか言葉を挟みながら、牧師先生はさらに続ける。
「一牧師の所見ではありますが、教会は神さまをあがめる場所であるだけではなく、私たちが人間生活をおくる上で癒やしの場所、安らぎの場所であるべきだとも思っております……」
私も「主の祈り」を覚えようと苦労した思い出があります。それも何度も。今でもうっかりしていると空で言えないかもしれません。そんなに長い暗唱句でもないのにね。